36.そうだった、この人学者だった
「これが、例の……」
「この国で生まれ育ったのであれば、貴賤の隔てなく知っているお話よ」
悪者に捕まったお姫様を救い出す、勇敢な騎士のお話。
物語としてはありきたりだけれど、エークエス王国の人たちは大袈裟なんかではなく、これで文字と騎士道と理想の女性像を覚えていく。
ある意味、刷り込みともいえるかもしれない。
「もしかしたら、一度目を通したことがあるかもしれないけれど。そういった視点で読んでみると、また別の発見があるかもしれないと思ったの」
一冊の絵本から、国民性の形成が始まる。
騎士の国と呼ばれているのに、そのために使われている手段が絵本というのは、ある意味で意外なはず。
だけどこれもまた、この国の文化であることに変わりはないだろう。
「特にその攫われたお姫様が、プルプラとそっくりなのよ」
「プルプラ王女殿下に……」
あぁ、そういえばそうだった。
基本的に誰にでも慕われているプルプラは、ほとんどの人に「プルプラ様」って呼ばれてる。それこそ、面識のない人たちにまで。
けれど本当は名前というのは、そう呼ぶことを認めた人物にしか、許してはいけないことで。本来であれば、それ以外の人たちからは「プルプラ王女殿下」と呼ばれているはず。
私たち王族は特に、そういったことに対して厳しくなければいけないはずなのに。
(作中でそう呼んでいたのが、唯一お助けキャラのジェンティーだけだったってことを)
今、思い出した。
彼は最初から最後まで、そう呼び続けていたんだ。どんなに通い詰めたとしても。
それが他人行儀に思えてしまって、悲しいと思っていたのに。
(すっかり、忘れてた)
むしろ今は、彼がプルプラに対してその態度を最後まで崩さなかったことを、嬉しいとさえ思ってしまう。
私が、親しみを込めて名前を呼んでもらえているから、なおさら。
「あぁ、そうだわ。プルプラといえば」
でも、感傷に浸っている場合ではないから。思い出を懐かしく振り返るのは、またあとでいい。
私が今するべきことは、それではなくて。
「私、あなたに謝らなければならないことがあるの」
「え? なんでしょうか?」
急な話題の転換に、少しだけキョトンとした表情のジェンティーは。少しだけ、幼く見えて。
それが可愛いとか、オタク心をくすぐられるとか。そんなことを思てしまった頭と感情を、理性でしっかりと抑えつけながら。
「昨日、プルプラと会話しているところを、たまたま目撃してしまって。出ていくのも少し気まずい内容だったから、ついそのまま盗み聞きのようなことをしてしまったの。ごめんなさい」
頭を下げることは、しない。それは一国の王女として、簡単にしてはいけないことだと習ったから。
けれど、謝罪の言葉を口にするだけならば許されているし。頭を下げる代わりに、少しだけ首を傾けてジェンティーを見上げておく。
ここで笑顔の一つでも見せておけば、騎士たちは喜ぶのかもしれない。でも、私はそんなことしたくない。
心からの謝罪なのだと、頭を下げられない代わりに視線で伝えるには。それしか、王女という立場にいる私には方法がないと、知っているから。
「そんな……! むしろ、こちらこそ気がつかずに申し訳ありません……!」
騎士が相手ならば、きっと心の奥底では可愛げがないとか思われていただろうけれど。どうやらジェンティーには、ちゃんと伝わったらしい。
むしろ私の存在に気づかなかったことに、なんだかとても申し訳なさそうにしていて。
「そもそも、あのような場所で交わすべき会話ではありませんでした」
「それは、仕方がないことだったのではないの? プルプラのほうから話しかけたのでしょう?」
「そう、ですが……」
「ジェンティーは、それに応えただけだもの。あなたに落ち度は一つもないわ」
そう、あくまでも話しかけたのはプルプラのほう。
というか、そもそもジェンティーがプルプラに話しかけることを、周りが許すはずがないし。
だからこそだけは、なにも疑問には思わなかったけれど。
問題は、そこではなくて。
「でもまさか、あなたが騎士たちの好みを把握しているとは思わなかったから。少し驚いてしまったの」
好きな色、好きな食べ物、好きなタイプ。
逆に、嫌いな色も嫌いな食べ物も。
その人のパーソナルな部分まで、本当に彼はよく知っている。それが不思議で。
同時に王女としては、疑いの目を向けなければいけないことが、つらくて。
「あぁ、それでしたら。色々とお話しさせていただいている中で、皆様から様々な情報を得られただけなのです」
それなのに。
私が一日悩んだ疑問の答えは、あっさりと彼に提示されてしまった。
しかも、何気ない会話の一つとして。
「気になったことは、調べ尽くさなければ気が済まない性格ですので。ついつい話し込んでしまっているうちに、本筋から外れてしまうことも多く」
少しだけ恥ずかしそうに、そう口にするジェンティーは。
それはそれは乙女心をくすぐるような、大変素敵な表情でいらっしゃって。
(というか!)
そうだった、この人学者だった……!
散々その事実を利用してきた私が、どうして他の騎士たちとも私に対するのと同じように、こうして色々な話をしているのだと気がつかなかったのか……!
しかも見習い騎士たちなら、まだまだ口は軽いし、おしゃべりなはず……!
(それなら、色々知ってるはずだわ)
騎士たちは基本的に、用意された宿舎で共同生活を送っている。つまり、普通の人たちよりも距離が近い。
その状態で、食や色の好みを知られない、というほうが難しいだろう。
(むしろどうして、すぐにその発想に至らなかったのか……)
「雑談程度の知識ではありますが、お役に立てるのであればと、つい……」
「悪いことではないわ。むしろプルプラに協力してくれて、感謝しているくらいよ」
お助けキャラからしか、知ることのできない情報があるのも、確かだから。
この国で、私が幸せになることはできないけれど。その分あの子には、ちゃんと幸せになってほしいと思ってる。
そのためにも、彼は必要な存在なのだと。ゲームを何度も周回プレイしている身としては、嫌というほど理解もしていたはずなのに。
(プルプラとジェンティーが、必要以上に仲良くなっていたらどうしよう、なんて)
そんなことを考えること自体、彼らに対して失礼だったのだと、ようやく気づくのと同時に。
思考がそちらにばかり偏っていた自分を、心の底から恥じた。