第七話
無理やりザナリア様を引き留めた私は、大佐ご自慢の温泉へと案内。ついでにパンダ中尉も一緒に。お嬢様は当然ながら留守番だ。なんだかザナリア様に好感をお持ちだし、いきなり一緒に温泉とか刺激が強すぎるだろうから。
「大佐も物好きだな……この街とてそこまで広くは無いだろうに。なのに温泉だけでこれだけの土地を……」
「まあ、住民からはすこぶる評判ですよ。ちなみにですが、温泉が出来る前と後では住民の稼ぎにも雲泥の差がありまして……」
今日は雨が降っているせいもあるが、露天風呂はガラガラだ。時刻も少し早めだし。やはりこの温泉は夜になると星空が綺麗に見えていい感じだから、昼間に入る人はそう居ない。っていうかまだ皆働いてるし。
「アリア少尉だったか。中々の強者だな、君は。投げ飛ばされた事など、人生で数える程しかない」
「光栄です、大尉。ぁ、服はこちらの籠に……」
籠を手渡し、私は私で燕尾服を脱ぎ始める。さっき派手に暴れたからちょっと汚れてしまった。リリー姉さまに洗ってもらおう。自分で洗うと上等な生地のため、なんかシワシワになった上に縮んでしまうから。
「ところで、君は男にしては体が細いな。もっと肉を食え……」
「はい?」
男にしてはって……私は女だぞ。
と、シャツも脱いでサラシを取ったところで、ザナリア大尉が固まる。なんか顔色悪いな。
「ザナリア大尉?」
「……おま、おまえ……」
「なんでしょうか」
「……っ!」
なんか口元を押さえながらそっぽ向かれた。なんだ、私の顔に何か付いてるのかと思ったが、これは……あれか。もしかしてこの人、私の事を男だと思ってたのか。
ふふ、ふふふふふ……やっちまった……今頃冷や汗出てきた……。
「あの、ザナリア大尉、違うのです、これには深い理由が……いや、そこまで深くは無いんですが……」
「……すまん、離れてくれ」
……? なんか声がおかしいぞ。と、床を見ると……血が! 血が垂れている!
「ザナリア大尉! どこかお怪我を?! 出血されています!」
「黙れ……」
「見せて下さい! どこです……か……」
ガっとむりやり腕を掴んでこちらを向かせると……ぁ、鼻血出してる。
ってー! 鼻血出してる! 大事な事なので二回言いました!
「ザナリア大尉! 鼻血ですか! 大の大人が女の裸みたくらいで! 可愛いですね!」
「頼むから黙ってくれ……」
「大丈夫です、私、こう見えて口は堅い方です。ザナリア大尉が私の裸を見て鼻血垂らしたなど、こんな愉快な事は絶対に口外しません」
「撃つぞ、お前」
ビシィ! と敬礼しながら誓う私。しかしこんなあからさまに鼻血垂らす男初めてみたな。ザナリア大尉は本当に女に免疫がないらしい。夜じゃなくて良かった。ここは混浴だから……ザナリア大尉、夜にここに来たら大量出血で死ぬんじゃ……いや、そんな事はないか。
「えっと……ザナリア大尉、どうされますか? 少し何処かで休まれてから……」
「…………」
あぁ! ザナリア大尉がさっさと服脱いで行ってしまった! 私を置いて!
しかしものの見事に私の事を男だと誤解していたようだ。と言う事はさっきの決闘ごっこも、ザナリア大尉は男と戦ったと認識していたという事。
「うーん……プライドを傷付けてしまったかもしれない……」
「そんな事は無いでしょう」
うほぅ! パンダ中尉! ザナリア大尉の鼻血でビックリしすぎて忘れていた。
パンダ中尉も既に裸……と言ってもパンダだ。服を着てようが着てまいが……
「パンダ中尉は……その、ザナリア大尉とはお付き合いは長いのですか?」
「ええ。元々、あの方はチャイルドソルジャーとして軍に配属された方。貴方ならご存じかもしれませんが、DⅡ部隊という特殊部隊に……」
DⅡ部隊……主にチャイルドソルジャーで組織された部隊だ。終戦間際、軍で密に開発された部隊。何故に密かに開発されていた部隊を私が知っているかと言えば……私もその部隊に配属が決まっていたからだ。
「確か、あの部隊は……」
「えぇ、数名を残し全滅しました。あの方は犠牲となった子供達について……責任を感じておられるのですよ。何故自分が生き残ってしまったのか、と昔は口癖のように仰っていました」
DⅡ部隊の主な任務、それは敵主力戦力の無効化。アミストラは戦略兵器として聖女と呼ばれる兵器を投入してきた。私は実際その聖女とやらを見ていないから良く分からないが、どうやらそれは子供は殺せなかったらしい。そこに目を付けた軍の参謀は子供を聖女にけしかけようとした。
アランセリカと呼ばれる古代文明の異物を、脳に埋め込み身体能力を底上げする。何故そんな事が可能なのかは分からない。埋め込んで、その後どうなろうが知ったことではないという事だ。
そして実際、埋め込まれた子供達は感情という物が欠落した。本当にただの命令どうりに動くだけの、兵器と化してしまったのだ。
「じゃあ、あの方が……レイバール大佐の横暴で強引なお見合いに応じているのは……その恩返しなんですかね……」
「恩返し?」
首を傾げるパンダ中尉。
まあ、パンダ中尉なら大丈夫だろう、というかもう知ってるかもしれないけれど……
「いや、ほら……アレですよ」
「どれですか」
「そのDⅡ部隊を開発した人間を誤射して殺したの大佐なんです。まあ、誤射とは名ばかりの……」
「……えぇぇぇぇぇぇ!」
あぁ! パンダ中尉は知らなかったようだ!
「な、なんと……それで……。私はいつザナリア大尉が軍に口封じのために殺されるかビクビクしていたのですよ。しかし今まで、一向にその気配はありませんでした。そう言う事だったのですね……」
「まあ……はい」
パンダ中尉はタオルを肩にかけつつ、堂々と温泉の方へ。既にザナリア大尉は湯に浸かっているようだ。それを見たパンダ中尉は、短い腕を組みつつ何か思案している。
「アリア少尉、一つ、この老いぼれの頼みを聞いてくれますか?」
老いぼれ?! パンダ中尉、もう結構なお歳なのか? 見た目可愛いから全然分からん。ものすごく落ち着いてるとは思っていたが。
「私でよければ……なんなりと」
「……あの方は未だ、戦争で犠牲になった人間に責務を感じておられます。しかし元々、大尉もその犠牲者の一人なのです。孤児を捕まえ、むりやり銃を持たせ訓練し、挙句の果てに実験動物のように頭を弄られ兵器化された。私から言わせれば……大尉の感じている責務は、呪い……もっと言えば、ただの勘違いです」
勘違い……か。十七年前、大尉は今三十一だから、当時は十四歳だったという事だ。十四歳、確かに若い。若いが……チャイルドソルジャーの中では大きい方だった筈だ。彼らの平均年齢は五歳から十歳の間。私も五歳から訓練を始めて七歳で戦場に立てると判断された。
「アリア少尉、どうか……あの方の目を前に向けて欲しいのです」
「と、言われましても……私にどうしろと……」
「貴方にも幸せになる資格はあると……言って欲しいのです」
幸せになる資格……。
幸せになるのに資格が要るのか。それは初耳だ。大尉にそれが無いのなら、私にもその資格はない。夥しい犠牲の元に私は立っているのだから。だがそれを言ったなら、今この国で生きている人間全てにその資格は無い。
なんか……ムカついてきた。つまりお嬢様にもその資格は無いという事だ。
そんなわけあるか……そんなの、私は絶対認めない。
「アリア少尉……? なんか顔が怖いですが……」
「私に任せてください。もうボッコボコにしてやりますよ」
「いや、何を?!」
私はザナリア大尉の後ろから、ゆっくり自身にかけ湯しつつ温泉の中に。そのまま逞しい筋肉の塊の隣を陣取るように。
さあ、覚悟しろ。まだ私と貴方との決闘ごっこは終わってない。
◇
《マリーダ・ゴドウィック(お嬢様)》
自分がこんなに卑しい人間だと思わなかった。つい最近までクレインの事が大好きだった筈なのに、もう私は別の人間に惹かれ始めている。ザナリア大尉の顔を思い出すだけで、私の胸はちくちくとサボテンに突進されたかのように痛む。
「……はぁ」
「お、お嬢様……大丈夫ですか? まあ、パイでもお食べになって……落ち着いてください」
「ありがと……」
リリーが焼いてくれたのは、甘い果物のパイ。リクという名の、本来渋いだけの果物。でも栽培方法でいくらでも甘味は出せる。育て方さえ間違えなければ、いくらでも果物として美味しくなるのだ。
「はぁぁぁぁぁ」
「ああ! 一段と大きな溜息を! どうされたのですか?」
リリーは私の向かい側に座っていたけど、立ち上がって隣に来てくれた。そのまま肩を抱きながら、頭を撫でてくれる。ドジっ子なのにお姉さんみたいだ。
「リリーは……お母さんと一緒に住んでたんだっけ……」
「ええ、レイバール大佐のお計らいで母も一緒にこの付近に……ぁ、軍人でもないのに大佐なんて呼んじゃいました……」
「いいんじゃない? アリアの影響でしょ? みんなは総督、総督って言うけど……そんなの似合わないわ」
リリーは微笑みながら私の頭を撫でてくれる。なんだか眠くなってきてしまった。このまま少し眠ってしまおうか。
「それで……母がどうしたのですか?」
「え? あぁ、うん。リリーはきっとお母さんに大事に育てられたんだろうなって……」
リクという果物は育て方次第で味は全く別物になる。それは人間も同じかもしれない。だったら私はどっちだろうか。私も父や母に大事に大事に育てられた一人娘。でも……私はこんなに卑しい人間に育ってしまった。
「ねえ、リリー、私って……最低だよね」
「なにをおっしゃいますやら。お嬢様は最高です、私が保証します」
「……この前までクレインの事が好きだったのに……今はもう、ザナリア大尉の事が頭から離れないの。こんなポンポンと好きな男を切り替えて……まるで悪女だわ……」
「え」
リリーはビクっと手を震わせた。ぁ、そっか、私がクレインの事を好きって知らなかったんだっけ。
「あぁ、ごめんね? もうクレインにはフラれちゃったからさ。私の事は……恋愛対象には見れないって……」
「んなななななな! なんて事!」
うお、びっくりした。リリーが突然あばれ牛のように興奮しだした。
「クレイン様……そんな……。で、でも考えようにとっては……いや、でも……うーん」
なんかブツブツと独り言を言い出すリリー。なんだろう、何を考えているんだろうか。
「リリー?」
「……お嬢様、いいんですよ、別に。男なんてさっさと切り替えてなんぼです!」
おおぅ、リリーの口からこんな逞しい言葉が出て来るとは。
「いや、でも恋愛小説だったら絶対……なんだコイツって思われるわ、絶対」
「それは書き手が悪いんです! お嬢様に罪はありません! いいですか、お嬢様……そもそも、恋とは唯一無二のもの……。今お嬢様が抱いている感情は、クレイン様に抱いていた物とは全くの別物です……」
怖い、顔が怖いリリー……え、私なんか変なスイッチ押した?
「新しい恋に生きて何が悪いんですか! お嬢様、大事なのは……今お嬢様が抱いている恋は、人生最高の恋だと自覚する事です」
「じ、人生最高の……?」
「もしザナリア様がお嬢様を無碍に扱えば……たぶんアリアさんかレイバール総督のどちらかがザナリア様を撃ちます。なので裏切る事は無いと思います……つまり、あとはお嬢様のお気持ち次第なのです」
物騒すぎるな、私の周囲……。
「クレイン様から恋愛対象ではないと言われた時……お嬢様は失恋を経験した筈です。人間は……慣れる生き物です。それがどんな悲しい事でも、嬉しい事でも、慣れてしまうんです。……恋も慣れてしまいます。だから、今のその気持ちを大切にすることが大事なんですよ。別にクレイン様の事を綺麗さっぱり忘れろなんて言いません、私が言いたいのは……今の感情は今しか感じないんです」
「リリーって……詩人? それとも小説家? 恋愛小説でも描いてた方がリリーらしいわよ」
なんか嬉しそうに体を揺らすリリー。
もしかしたら本当に小説家になりたかったのかもしれない。
「分かったわよ、私は……ザナリア様の事が好き……かもしれない。もっとお話したい」
「ふううううう、素敵です、お嬢様ぁ」
リリーはそう不気味に笑いながら……鼻血を垂らしていた。
やばい、ちょっといい話されてると思ったのに、少し引いてしまった。