第十七話
はち切れんばかりのメイド服姿の男を、後ろからジーっと眺めている。
なんという筋肉質なメイド。先程からリリー姉さまも、下唇を噛みながら震えている。
「アリアさん……ザナリア様、何故メイド服なんて……」
「……さあ。本人の趣味じゃないんですか?」
「そ、そうだったんですか? アリアさんと似た物同士ってことですか」
ちょっとまてぃ。確かに私も執事服を着て男装しているが……! 一緒にしないでほしい……んだけども、確かに一緒だ! 互いに異性の服を着用している!
「しかしリリー姉さま、いつ、だれが執事の燕尾服は男性用と決めたのでしょう……」
「たぶん燕尾服をデザインした人じゃないですかね……」
っく……私は元々男装趣味は無かったが、なんかこっちの方が快適だとハマってしまった。だってスカート履いた事ないし!
「アリア、先程からリリー先輩と何を語らっている」
「別に貴方には関係ないでしょう。女子トークに入ってこないで下さい」
「成程。では俺はクレイン殿と語らおう」
と、クレイン様に目線を向ける筋肉メイド。しかしクレイン様は目が合ったとたん……静かに姿を消していく……。
「俺は嫌われているのか?」
「そりゃ、意味が分からないんですよ。なんで女装してるんですか?」
「アリアこそ、男装しているじゃないか」
またそこに戻るのか……いかん、私がどう足掻いてもこの男と対話するとこうなってしまう。
「そういえばお嬢様は遅いな。大佐と何を話しているんだ」
「父親と娘なんですから……そりゃ、色々と……」
と、噂をすればお嬢様が帰って来た。何やらドレスを着たご婦人と一緒に……
って、あのご婦人は……
「お、お嬢様……そちらの方は?」
「ん? あぁ、私のお母様よ」
お嬢様の目元が少し赤い。もしかして泣かされてしまったのか。そしてそのご婦人、どこかで見覚えがある。何処だっけ……。
「お前は……」
しかし我が屋敷の新人メイドはあからさまに殺気を剥き出しに。今にもご婦人につかみかかりそうな勢いだ。なんだ、どうした。
「ザナリア様……お母様の事、ご存じで?」
お嬢様にそう言われてザナリア様は我を取り戻し……たのか? なんかシュン……と大人しくなった。そしてリリーお姉さまの背中へと隠れた。全然隠れてないけど。
「えぇ! なんで私の後ろに!」
「ごきげんよう、貴方達がこの屋敷の使用人なのね。今日から私もお世話になる事になったから、ご挨拶をしようかと思ってね」
怖いくらいに美人……というのはこの人の事を言うのだろう。お嬢様が成長すればこんな風になる……と言われれば、まあ親子なんだな、というくらいには似ている。
だが雰囲気は全く違う。お嬢様を可愛いワンコとするなら、このお母様はティラノサウルスだ。
「ふふ、とても個性的で楽しい方々ね、メイドさんも大きくて頼りになりそう」
「……」
はちきれメイドは押し黙っている。しかしなんか堪えているのか、体がプルプル震えていた。まさか……この奥様に恐怖している? いや、仮にも大尉にまで上がった軍人が……。
「そうえいば……この街には温泉があるんだったわね。早速案内してくれる? マリーダ」
「えっ、今からですか?」
「ええ。皆さまもご一緒に。親睦を深めましょう」
※
まだ日も高いが温泉に皆で来ることになってしまった。みんなと言っても、クレイン様はお留守番。
そして何故かこの男はついてきている。
「……ザナリア様、分かっているとは思いますが……」
「あぁ、承知している。俺は離れた所で温まっているさ」
「あら、そんなの寂しいじゃない。皆で一緒に入りましょ」
ってー! すでに奥様は準備万端! いつのまにか服を脱ぎ去っている!
……? 胸のところに何か傷が……タオルで隠してはいるが……。
と、その時、ザナリア様が俯いて……床に血が落ちた。
「……! ザナリア様、血が! 何処か負傷を?! 見せて下さい!」
「黙れ……」
肩を掴んでこちらを振り向かせると、なんとザナリア様は……鼻血を垂らしていた。
「ザナリア様……またそんな……」
「五月蠅い……って、まただと?」
ん?
そういえば……また、ってなんだ。私はザナリア様が鼻血を垂らした所を見たのは初めての筈……。
「ほらほら、急がないとお湯が冷めちゃうわ」
「お母様……っ、温泉は冷めませんっ、待ってください……っ」
お嬢様と奥様はそのまま脱衣場から温泉の方へと。ザナリア様は鼻を拭きつつ……
「ザナリア様……私の前で鼻血を出すのは……初めてですよね?」
「……あぁ」
「そうですよね……なんか前にも同じ事があったような……」
そのまま私も服を脱ぎ捨てると、再びザナリア様が俯いて……!
あかん! このままでは出血死してしまう!
「ザナリア様! 大丈夫ですか!」
「頼むから離れてくれ……」
「さっきより量が! 傷は浅いですよ!」
「黙れ……」
やっぱりこの感覚……覚えがある。
そして鼻血で汚れたメイド服を脱ぎ去るザナリア様。その筋肉質な体を見た時、私の中でほのかにふんわりと……どこかで見た事があるという思いが募っていった。
※
温泉の中に入ると、全ての悩みが消え去ってしまうような感覚。体の芯から暖められて、もう何事も為せば成るみたいな……。そう、今の私なら世界征服も夢じゃない。勿論それは冗談だが。
「ふふ、今時珍しいわね、女性の体を見て鼻血を垂らす男なんて。でもその調子だと、マリーダと結婚なんて出来るのかしら。もう毎日出血する事になるわよ、メイドさん」
「えっ、お母様……気付いてらしたんですか?」
そう、この筋肉質メイドがお嬢様のお見合い相手だと言う事を、既に奥様はご存じだった。知っていても不思議じゃない。なにせこの人は……いや、なんだ? この人は一体……。
なんなんだ、さっきから何か……記憶が……。
「……それよりお母様、その胸の傷は……どうされたんですか?」
「あら、言ってなかったかしら。この傷は戦争で抉られた時のよ。まあ、考えてみれば、こうしてマリーダと裸の付き合いをするのは赤ちゃんの頃以来だものね。覚えてないわよね」
戦争? この奥様も軍人として戦場に立っていたのか?
大佐の奥様なのだ、あり得ない話ではないが……身体つきを見る限り、胸の傷以外は普通の奥様。
いや、待てよ……。
「奥様は……もしや魔道士として……」
「そうそう。私、こう見えてローレスカの魔道部隊の総司令官だったんだから」
めっちゃ偉い人だった!
「えっ、お母様……そうだったの?」
「ええ、そうよ。いつもお父さんとは喧嘩ばかりしてたけど……だってあの人、私の部隊をコキつかうんですもの」
「……喧嘩ばかりしてたのに……結婚したの?」
「ええ。五回アタックしたわ」
「お母さんがお父さんに迫ったの!?」
なんとも微笑ましい会話が。
そうかぁ、大佐はこの奥様に言い寄られて……。男なら誰でも一回でも落ちてしまいそうだが、そこは流石大佐。四回も耐えるとは。
「その……なんて言ってお父さんに告白したの?」
「んー、結婚しないなら、貴方に抱き着いたまま自爆するって脅したわ」
脅迫ですやん。しかしまあ……あの大佐ならそこまでしないと落ちたりしないだろう。なんだか逆に納得してしまった。
「でもマリーダ、貴方は真似しちゃダメよ」
するわけないだろ、という誰もが思うツッコミを堪えつつ、私は横で背中を向けているザナリア様へ横目で視線を向ける。
「ほら、マリーダ、ザナリア様と二人きりで……お話してみなさい」
「え?」
「アリアさん、私達は少し離れてましょうか」
「……畏まりました」
※
少し離れた所から、ザナリア様とお嬢様を眺めている。見る限り何かを話している感じでは無いが……大丈夫だろうか。
「調子はどう? アリアさん」
「……調子? とは……なんのことでしょう」
「ふふ、貴方、ザナリアさんの事が好きなんでしょ?」
は? いやいや、そんなわけ……
しかし何故だろうか。先程から、お嬢様より……ザナリア様の方ばかりに目線が行ってしまう。
「……一体、何のことやら……」
「マリーダの事は気にしなくてもいいわ、失恋だって立派な経験ですもの。別に貴方が奪って行っても、誰も文句言わないわ」
「……お嬢様が泣いてしまうのは、悲しいですから……」
「あら、良い子ね。娘の事をそこまで気にしてくれてるなんて。でも本当に気にしなくてもいいのよ。貴方の気持ちを優先させなさい。恋愛なんて奪い合いなんだから」
……なんだ、この感覚……。
この言葉は危険だ。この奥様の喋る言葉は……驚く程に心に浸透してくるようで……
温泉で溶けた心に……じんわりと、その言葉は私の奥底にまで響いて来る。
まるで心地よい子守歌のように。




