第十話
ザナリア大尉へのお使いの内容を説明しつつ、絵描きに軍人だとバレると不味い……とも説明。すると大尉は何か納得したかのように頷いた。ちなみに私は今、大尉と共に例の店の前にいる。
「これは他言無用で頼みたいのだが……」
「なんでしょうか」
「ここの絵描きは……実は元軍人でな。脱走兵として軍から追われている」
……は?
いや、貴方軍人じゃん。さっさと捕まえなさい!
「何故……捕らえないのですか?」
「諸々の事情は割愛するが、脱走兵と言っても敵前逃亡したわけではない。むしろ逆だ。軍にとって大きな功績を残した人物だ。しかし軍の機密を多く知る存在でもあるし……」
答えになってないぞ。機密を多く知る者なら……すぐに捕らえるべきだ。
「諸々の事情というのは……?」
「だから割愛すると言っているだろう。話すと長くなるし、レイバール大佐はここの絵描きの事を高く評価している。軍人としても絵描きとしてもな。そこまで言えば少尉なら……いや、アリアなら察しはつくだろうに」
アリアと呼ばれて私の心は悲鳴をあげる。そんな嬉しそうな声で鳴くな、私の心……。
「成程……。大佐のお気に入りなら……軍司令部の命令も余裕で無視しますね」
「そういう事だ。実際、俺も彼をどうこうする気にはなれん。それだけ彼は軍にとって功労者だ。守れる物なら守ってやりたい」
そこまで大尉に言わせる程の人物……一体、どんな奴だ。
彼と言うからには男なんだろうが……軍にとっての功労者。そして大佐のお気に入り。
自然と私はガチムチの筋肉塊男を想像してしまう。
だが店に入った途端……その想像は跡形もなく消え去った。
「いらっしゃいませー。ぁ、ザナリアさんだ」
「やあペトラ。先生はいらっしゃるかい?」
「奥にいますよ。先生―、ザナリアさんが来たよー」
店の中、ちらほらと居る客の相手をしていたのは可愛らしい女の子。
そしてその子が先生と呼ぶ人物……
「ふぁーい……」
のそのそと現れたのは、体中に絵具をつけた眼鏡の男。金髪ポニーテールにエプロン姿。顔にまで絵具を付けている。一体何をしたらそうなるんだ。
「ぁ、ザナリア君……おひさしぶり」
「どうも。お客さんを連れてきましたよ、サリアさん」
……サリア?
待て、どっかで……聞き覚えがある。
「あらら、可愛らしいお客さんだねぇ。もしかして彼女とか? ごふっ!」
私の事を彼女呼ばわりするサリア先生の脇を、ペトラと呼ばれた少女が肘で突いた。なかなかいい筋をしている。
サリア先生が悶絶するのを他所に、少女は笑顔を見せながら
「ごめんなさーい、ぁ、店内は好きに見て回ってくださいね。絵には触れないようにお願いしますぅー」
「そうさせてもらうよ。さあ、アリア、どれにするんだ?」
「は、はぁ、どれと言われましても……」
正直、私に絵を見る才能は……、と半分諦めながら店内を見回した。そこにある絵は全て戦場の絵。それもどれも激戦だった場所ばかりなのか、倒壊した建物や焼野原になった場所が描かれている。
私が戦場に出ていれば……何か思ったかもしれない。でも正直……言い方は悪いが殺風景な絵ばかりだ。でも何故か……落ち着く。絵に視線が奪われているのが分かる。
見て回りながら、ゆっくり歩を進めた。小窓くらいの絵画から、巨大な壁一面の額縁に入ったものまで。これをあの男性が描いたのか。一見、惚けた態度の男だが……体付きはそこまで筋肉質ではない。どちらかと言えば魔道士と言われた方が……
魔導士? そうだ、確か……サリアという名の魔道士が居た筈だ。天才の名を欲しいままにしていた青年が……。
まさか……あの男がそうなのか? だとしたら……軍に功績を残しただと……? 功績どころじゃない、彼は戦争を終わらせた英雄ではないか。敵の主力を狙撃し殺害した張本人。リリーの父上も所属していたという隊で……あのダルア山脈で……。
「ザナリア大尉……あのサリアという人物……。例の魔道士ですか?」
「流石に名前を聞けば分かるか。その通りだ」
戦争を終わらせた英雄。サリア・ガストルク。敵国だったアミストラの主力を狙撃し、殺害した人物。その主力というのは……聖女と呼ばれる存在。この世界には常に三人の聖女が存在しているという。それを三大聖女とか呼んで神々しく祭り上げてはいるが……実際の所、戦争の道具にされるか人体実験で使い潰されるかのどちらかだ。
聖女には普通の弾丸は通用しない。まるで見えない壁に守られているように、砲弾すら蒸発してしまう。その上で戦艦の主砲級の攻撃を、ノータイムで仕掛けてくる怪物だと聞いた。
それを、あのサリアという……天然っぽい男が……なんか信じがたい。
「アリア、その話はあまりするな。今、彼はただの絵描きなんだからな」
「は、はい……わかりました……」
「で、どれにするんだ?」
どれにすると言われても……私にはどの絵が良いかなんて……。そもそも、絵を買ってどうするんだ? 大佐の私室にでも飾るんだろうか。なら大き目の絵の方が迫力があっていいかもしれない。
そんな私が目を向けたのは、壁一面に掛けられた大きな絵。前面には崩れた家々。一見、何の変哲もない平原のようだが、朝日が昇ろうとしている。山から溢れる光が綺麗だ。
「これに……します」
「お買い上げありがとうございますぅー! 一千万ドーラになります!」
高っ! 軍用のトラック……いや、起動兵器すら買えてしまう!
「い、いや、やっぱり別のに……」
「構わんだろう、たまには灸をすえてやろう。これをくれ、ペトラ」
「はい!」
店番のペトラちゃんは非常に良い笑顔で絵にリボンを付けつつ、そのまま私はお買い上げの書類へとサインを。まあ、大佐ならそのくらいのお金……いや、怒られるかもしれない。ザナリア大尉のせいにしよう……。
「ぁ、ザナリアさん、ちょっといいですか? 最近、変な人が店の周りをウロウロしてて……」
「不審者か……。分かった、聞こう。アリア、適当に暇をつぶしていてくれ」
いや、潰してろと言われても……。はぅぅぅ、独りぼっちにされた……。
ペトラちゃんは私の前にお茶を用意してくれる。私はそれをチビチビと飲みながら、二人が戻ってくるのを待っていると……
「君、軍人?」
サリア・ガストルクに話かけられた。思わずビクっと肩を震わせつつ、一応首を横に振ってしらばっくれる私。
「はは、ごめんね、気を使わせて……。まあ、大佐の部下なら別に構わないんだけど……」
「……そうなんですか? 大佐は一般人として行けって……ぁ」
簡単に正体バラしてしまった。サリアさんはニヤニヤしつつ、エプロンについた絵具を布巾でふき取りながら……しかしそう簡単に拭きとれるわけもなく、ゴシゴシしている。
どうしよう、聞いてみても……いいんだろうか。
「あの、貴方は……何故軍を脱走したんですか? 英雄なのに……」
本当はこんな事、聞かない方がいいんだろう。しかし聞かずにはいられないというか、ザナリア様から慕われる理由が知りたい。何故脱走したくせに、あんなに気を使われるのか。
サリアさんは相変わらず絵具をゴシゴシしつつ、しかしその手は少しだけ止まる。私の言葉を決してないがしろにするわけでもなく、本当に真剣に答えてくれるかのように。
「……んー、片思いの女性を独り占めしたかったからかな……」
……? なんだって?
「あの子、ペトラっていうんだけど……まあ、その片思いの女性の忘れ形見……っていうか」
成程……あの子のために……。
「でも、こんな軍と目と鼻の先に……よく店を開こうなんて思いましたね」
「そこはたまたまね。君の大佐に灯台下暗しだ! って言われて。まあ、大佐が味方についてくれたら怖い物無しだからね。おかげで安心して暮らせてるよ」
説得力が違うな。やはり大佐の権力は絶大なのか。この人が英雄なら、大佐は怪物だろう。戦争中、大佐の隊からは一人の戦死者も出なかった。なのに戦果は絶大。軍司令部に陽動作戦と称して捨て駒にされたが、逆に敵を無力化してしまった。大佐の隊を捨て駒にした軍の参謀は、その後……大佐に誤射されている。
「ところで、君はザナリア君の彼女じゃないの?」
ぐっ! さっき肘鉄食らってたのに! こりないな、この人!
「ち、違います。私は、ただの……」
「ザナリア君、なんだか最近明るくなったから……君のおかげかと思ったよ」
それは……お嬢様のおかげだ。きっとお嬢様の存在がザナリア様を変えつつある。それはとても喜ばしい事の筈なのに、何故か私の心には痛みが走る。
こんな事を考えては駄目だ。お嬢様とザナリア様が出会わなければ、出会う前に私が……などと。
これは謀反だ。お嬢様に対する裏切りだ。こんな考えは捨てなくてはならない。もしくは胸の中に封印して、墓まで持って行かなくては。
ザナリア様の顔が、声が、そのしぐさの一つ一つが、いちいち私の心を乱してくる。何故よりにもよってザナリア様なんだ。もっと、他に……男なんて星の数ほどいるじゃないか。何故よりにもよって、お嬢様とのお見合い相手にこんな想いを……。
「どうしたの、大丈夫?」
サリアさんの声で我に返る。私は「大丈夫です」と答えつつ、席を立った。ザナリア様はまだペトラちゃんと話している。不審者がどうのこうの……。
私は二人を横目で流しながら、店の外へと出た。これ以上は耐えられない。もう帰ろう。そしていつものアリアに戻るんだ。あの素敵なお嬢様の、ただの執事のアリアに。
そうだ、私はただの執事。執事はお嬢様の想い人を奪ったりしない。奪うなんて論外だ。そもそも、私に誰かを好きになる資格なんて……
……資格?
その時だった。店の外、窓から怪しげな人影が。その人物は女性だろうか。全身をロングコートで多い、帽子を深く被り、スカーフで口元を隠し、眼鏡をかけている。
あ、怪しい……どこからどう見ても、怪しすぎる。
まさかコイツ……ペトラちゃんが言ってた……




