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第一話

 赤い空に巨大な戦艦が堕ちていく。世界の鼓動が聞こえた。時代が動く音が。


 黒髪の少年、チャイルドソルジャーとして戦場に立った少年は、その音を耳にし恐怖で体が震えた。洗脳と投薬で意図的に感情を殺された少年の心は、恐怖を感じない筈だった。だが確かに感じた。

 銃を向けられても、砲弾が足元の地面を抉っても、敵を撃った時も感じない物を。


 戦争は終わったのだ。そして新しい時代が到来する。それが怖くて仕方ない。

 

 この光景を見せられて、希望に満ちた未来などと言われも誰が信じるだろうか。

 夥しい数の敵味方の亡骸を踏み得た先の未来に、果たして幸福など待っているのだろうか。


 

 世界中の誰もが幸せになる権利を持っている。

 世界中の誰もが希望を抱く権利を持っている。

 世界中の誰もが夢に生きる権利を持っている。


 そしてその全てを権利を……()は持っていない。



 ※



 春の陽気が眠気を誘う。いっそのこと、お屋敷の綺麗な庭で寝転んでしまおうかという誘惑に耐えながら、僕は木の影で立ち尽くしていた。

 すぐ傍では軍人の娘とは思えない、お人形のようなお嬢様が、使用人を椅子に座らせ髪いじりをしていた。使用人の長い黒髪に櫛を入れ、三つ編みに結っていく。その光景を見ているだけで眠気が僕を襲ってくる。


「あのっ! お嬢様っ、私の髪などお汚く、お手々が汚れてしまいますっ!」


 この使用人はつい最近雇った新人。まさか自分が仕えるお嬢様に髪を結われるなど思ってもみなかったらしく、焦りながらも非常にいい姿勢で椅子に座り続けている。


 それに対し、お嬢様は落ち着き払った雰囲気で、鼻歌混じりに使用人の髪を弄り続ける。


「そんな事ないわ。綺麗な髪よ。いいから黙ってジっとしてなさい。髪を結ってると色々と落ち着くのよ、私」


 気持ちは凄い分かる……。と僕は必至に視線で助けを求めてくる使用人へと「諦めろ」という意味を込めてウィンク。使用人の顔がみるみる内に真っ赤になっていく。


「あら、アリアったら。さっそく新人の恋心を弄んでるの?」


「人聞きの悪い事を言わないで下さい、お嬢様……。僕はただ新人としての心意気を御教授したまでです。お嬢様に逆らうと髪を結われるどころか、体中磨かれる事になると」


 ええぇ、とアタフタする新人。お嬢様は「分かってるじゃない」と髪を弄り続ける。


「……あの、アリア様と仰るのですか?」


「ええ。アリアは女性の名前ですからね、驚かれるのも無理はないですね」


「いえっ! とても素敵なお名前です! 肌とかとてもお綺麗で……その……」


 湯気が出そうなくらい真っ赤になる新人。僕はトドメにと、お嬢様が髪を弄っている隣に。そのまま隣で別の三つ編みを結い始める。


「むむ、アリア、貴方も髪フェチ?」


「お嬢様と一緒にしないで下さい。あぁ、軍人に髪を触られるのは嫌ですか? リリー」


「いえ! 光栄の極みでございますぅ!」


 燕尾服の軍人も珍しいと思うが、僕はこの名家のお嬢様、今隣で使用人の髪の半分を取られて少し頬を膨らませているマリーダ様の執事兼護衛。幸い、まだ戦争に行った経験は無い。厳しい訓練の中で血反吐を吐く程度には地獄を見てきたくらいの軍人。


「そういえばアリア、お父様は例の件……本気なのかしら」


「お見合いの件ですか? 本気かどうかと問われたら……まあ、フザけてお見合いの話を出してくるわけもなく……」


 このゴドウィック家の当主は軍の大佐にして、この街を管理しているお方。僕もその直属の軍人として配属されている。

 大佐は先日、隣町の、とある貴族の嫡男とのお見合い話をマリーダ様へと持ってきたのだ。しかしマリーダ様はそのお相手が気に喰わない御様子。何故なら、もう根っこからの武闘派軍人。マリーダ様との年齢差は、なんと二十歳差以上で、不愛想を絵に書いたような男だという。


「お嬢様、その方と面識はあるのですね」


「前に一度だけね。お父様に連れていかれた……なんだったかしら、なんかの祝賀会で挨拶したのよ。もう肩幅なんて私の倍以上で、挨拶しても軽く会釈してくるだけで終わったわ」


「きっと照れてらしたのですよ。その年代の軍人は僕のように礼儀作法まで訓練していませんから。きっと戦う術だけ叩きこまれて、大戦の前線に送られたのでしょう」


 この一見平和そうな国でも、まだ僕らが物心つく前に隣国と戦争をしていた。十七年程前の話だ。十七年前、きっと噂のお見合い相手はまだ十代の少年だった筈だ。つまりチャイルドソルジャーとして戦争に送り込まれたのだ。


「だからって、もう戦争はしていないのだから……社交性くらいは培って欲しいわ」


「まあ、お断りするなら早めの方がいいですよ。なんでしたら僕の方から大佐に伝えておきますが?」


「いいわ、自分で言うから。貴方は小間使いじゃないんだから」


 新人の髪を弄りながらそんな会話をしつつ、三つ編みが二つ出来上がる。お嬢様は僕が結った三つ編みと、自分のを見比べて軽く溜息。


「貴方、器用ね。中々上手に結えてるじゃない」


「お褒めのお言葉有難く頂戴致します」


「そろそろお茶にしましょうか。リリー、準備してくれる?」


 リリーの両方へと、ポンと手を置きながらお嬢様はリリーへとお茶の準備を要請。

 要請を受けたリリーは勢いよく立ち上がり、僕とお嬢様が結った三つ編みを揺らしながら準備へと向かう。背伸びして大人びた雰囲気を、無理やり出そうとしていたリリーは、すっかり肩の力が抜けた様だ。




 ◇




 リリーがキッチンへとお茶一式準備している最中、僕とお嬢様は庭の花壇に水を。太陽の光が少々強いので、僕は日傘を持ってお嬢様を守っている。


 そんな時、先輩執事であるクレインさんが僕らの元へとやってきた。どうやらリリーを手伝って、先にお菓子の類を運んできたようだ。


「クレイン様、準備なら僕が……」


「なら、誰が日光からお嬢様を守るのです? お嬢様の傍に立つ事を許されたのは貴方だけなのですから。私は嫌われていますからね」


 長身眼鏡金髪ポニーテール男。こんなにうなじがエロいと思える男も珍しいが、どうやらお嬢様は嫌っているわけではないらしい。顔を真っ赤にして必死に顔を逸らしている。ちなみにクレイン様は軍人では無く、生粋の執事。


「……わかりました。お嬢様は僕がお守りします。クレイン様は嫌われているんですから、さっさと離れて下さい」


 僕は悪戯っぽく笑いながらそう言い放つと、クレイン様は「心が引き裂かれるようだ」と冗談っぽく捨て台詞を言いながら、引き続きお茶の準備へと戻っていく。


「……行った?」


「ええ、行きました。お嬢様、分かりやすいですね」


「う、うるさいな。……ねえ、アイツ、私の気持ちとか……気付いてないよね?」


 確実に気付いているだろうな。もう明白に。だってお嬢様の態度からしてバレバレなんだから。


「……ええ、たぶん気付いてません。クレイン様はしっかり者に見えて、鈍感ですから。僕の()に気づかない時点で、もう相当な鈍感でしょう?」


「あはは、確かに……そうね」


 そんな会話をしていると、ガラガラとカートを引いてくるリリーと、クレイン様の姿が。水やりを終えたお嬢様は、そのまま庭のテラスでお茶を。一人で飲むのも寂しいから誰か向かい側に座れと言われ、僕ら二人の執事は新人(リリー)を生贄に差し出した。




 ◇




 平和な一日が今日も何事もなく終盤にさしかかる。昼間の陽気が嘘という程に、夜は冷え込んでくる。ちなみにこの街には、世にも珍しい温泉という物がある。ゴドウィック家の当主、大佐がこの街の管理をしているのも、そもそもこの温泉があるからだと胸を張って言っていた。どうやら大好きらしい。


 お嬢様も時折、温泉に入りに街の大浴場へと赴く事がある。だが当然のように混浴なので、護衛が居るわけだが……。


「ほんと、貴方が来てくれてから快適になったわ、()()()


「それは良かったです。僕もお嬢様のお役に立ててうれしいですよ」


 燕尾服を脱ぎ、後ろで結っていた髪を解く。そしてお嬢様の前で堂々と僕……いや、私は全裸に。


「ゆっくり温泉に浸かって疲れを癒して。貴方も女なんだから。軍人だからって手入れを疎かにしちゃ駄目よ」


「そうさせてもらいます。お嬢様」


 髪を解いて顔面に施したメンズに見えるメイクを落とせば、完全に私は女子に戻る。私とって化粧は男になり切るための物。何故にそこまでして男のフリをしていると言えば、全てこの温泉のせい。大佐は温泉大好きで、娘にも楽しんでほしい! と心から願っている。

 しかし混浴なのだから、当然男の目がある。そんな男からお嬢様を守る存在が必要になってくる。だがお嬢様をお守りする場は温泉だけではない。日常のあらゆる場面で護衛は必要だ。

 そんな時、使用人に扮する際……スカートだと少々私は不安だった。子供の頃から軍に在籍を置いている私は、スカートをはいた事が無い。いつも軍服だったから。そこでお嬢様にズボンでいい? と尋ねた所、じゃあいっその事、執事すれば? となったのだ。


 この秘密はゴドウィック家に入り込んでいる軍人とお嬢様以外知らない事。つまり先輩執事のクレイン様や新人のリリーは知らない。別に隠し立てする気は無かったのだが、面白いからというお嬢様の提案で今日に至る。


「お嬢様、私の影に」


 お嬢様を自分で隠しつつ、施設内を移動。そのまま脱衣場から露店風呂の方へと。


「少し冷えるくらいが気持ちいのよね、屋外のお風呂って。これ考えた人は天才だわ」


「昔は屋外で湯浴みするのが当然だったようですよ。おっと、お嬢様……手早くお湯の中に入りましょう、下賤な男の目が」


「いいわよ別に。父親がアレなんだし、私に手を出すアホなんているわけないじゃない」

 

 お嬢様のお父様である、レイバール大佐は基本的に厳格で怖い軍人……と思われがちだが、実はかなり大雑把でおおらかな性格をしている。混浴なのも、みんなで入った方が気持ちいに決まってる、という感じで今に至る。それに加えて、ここマリスフォルスという港街では基本的に女性が強い。この土地に根ずく女神信仰の影響か、男の前で裸体を晒す事を恥ずかしいと思う女性は年頃の娘くらいだろう。


 まあ、私もお嬢様もまだ成人したての二十歳そこそこ。少女では無いが、やはり少し抵抗があるのはやむを得ない。しかし温泉は気持ちいので入りにきてしまうわけで。

 

 岩を削り整えた地面を裸足で進み、温泉の方へと向かう。お嬢様は布で体を隠せばいいのに、父親に似たのか……他の女性が隠してないのに何故自分だけ隠さなければならない! と堂々と闊歩している。そんなお嬢様を守るのが私の役目だ。


 そんな時、見覚えのある顔にお嬢様が反応する。


「……っ! クレイン?」


 お嬢様の声で、私はクレイン様の視線を遮るように真正面へと。

 何故この時間に! わざわざお嬢様は、クレイン様が入る時間は避けているというのに。


「お嬢様……し、失礼を……。……? 貴方は……」


 ヤバい、流石にバレた。

 そうだよな、いくら鈍感と言っても、こんな真正面から見られれば……。


「……なんて、お美しい……」


「あ?」


 その一言で、私の平和な男装執事生活が修羅場生活へと姿を変えた。

 鈍感で、うなじがエロいクレイン様の、その一言で。





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