母が腰から膝だけの部分遺体で発見されました。そして、父の形見の杖は警察に廃棄されていました。
令和3年7月20日午後4時。実家の弟から電話がありました。5月下旬に実家の隣町にあるため池で釣りあげられた腰から膝の部分遺体と弟とのDNA親子鑑定で合致したと。
前年の令和2年7月9日、いつもの朝の散歩にでかけたきり行方不明になっていた母が、一年以上かかってやっと見つかりました。
翌日の7月21日に、担当の刑事さんから経緯のご説明がありました。
それによると、腰から下の遺体が釣り上げられた後、一週間かけてそのため池の水を抜き、一週間遺体の上半身を捜索されたそうです。
当初は水を抜けば底に残りの上半身が横たわっていると予想されていたそうですが見つからず。深い泥の底に沈んでしまっているようだと。
「自分の母を探す気持ちで懸命に捜索させていただきました 」とおっしゃってくださった刑事さんは、2メートル以上ある泥の中に頭の上まで全身埋まり危ない思いもされたようです。それでも母の残りの遺体は見つからず、ため池の水を抜いたことで横の畑の側面が崩壊しだした為、打ち切らざるを得なかったとのことでした。
懸命に捜索してくださった刑事さんや消防団の皆様には深く感謝しております。ただそれでも、このままずっとあのため池の泥の底に母の上半身が沈んだままだという惨い現実を、私たち遺族は受け入れなければならないということ、「大きな台風でも来て泥が巻き上げられれば浮上する可能性も」との言葉に、一縷の望みにすがりついたまま待ち続けなければならないことが無念でなりません。
泣き崩れた弟がとてもつらかったです。
母は以前転倒して腰の骨を折り、一時は要介護2まで悪化しましたが、弟との懸命なリハビリにより要支援レベルまで回復し、杖を突いて毎朝散歩に出かけられるようになったと嬉しそうに話していました。失踪当日の朝は、3日続いた雨が上がり、ようやく散歩に出られる状況だったようです。
母の失踪後、毎日のように時間の許す限り心当たりの場所を歩いて探し回り、寝る時も、母がいつ帰ってきてもすぐわかるようにと玄関近くの部屋に布団を敷き、玄関の鍵も閉めないままにしていた弟でした。
また、説明の中で、母の失踪当時、ため池のそばで杖の拾得物があったことを初めて知らされました。そして、その杖は落とし主が見つからなかった為、すでに廃棄され、写真も残っていないことも。
衝撃でした。弟が失踪当時の母の服装の中で、散歩には必ず父の形見の杖(マスコットやお守りをぶら下げ、名前も書いてあった)を突いて出かけていることを説明していたのに。
何故その落とし物の杖と、母の行方不明情報が繋がらなかったのでしょう? 徒歩8分程度の距離の隣町だったのに。
本当にその当時何も気に留めてもらってはいなかったんだなと思いました。
毎週警察に聞きに来る弟に「何かあったら連絡するから、こう毎週来なくてもいい」と言ったその時には、もうその『何か』が、杖が、答えがあったのに。
もしその時、すぐにそのため池を捜索してもらえていたら、母も腰から膝だけの部分遺体などではなく、五体満足で発見できたのではなかったか? 父の形見の杖も廃棄されてしまわなくて済んだのではなかったのか?
何故杖を突いてしか歩けない高齢者の失踪を単なる家出扱いで済ませてしまったのか? 弟が何度も近所の防犯カメラを確認して欲しいとお願いし、町内会長さんも協力を申し出てくれて許可が下りたとおっしゃっていたのに、部下の若い方も提案されていたのに、保安課の上司の方は何故頑なにそれを「やっても意味がない」と拒否されたのか?
どうしても納得がいきません。
最後に、母の部分遺体を釣り上げられた方には、無残なものを目にすることになった精神的苦痛を思うと大変申し訳なく、それと同時に、この一年、ずっと母を心配し捜し帰りを待ち続けていた私たち家族のもとに、一部とはいえ母の亡骸が帰ってくることができ、ようやく弔ってあげることができた、そのことに深く感謝しております。




