婚約破棄は墓穴とともに
ねえ、ルシアン。
あなたの墓穴は誰が掘ったのかしら。
あなた自身?
あなたの周囲にいる人々?
私かしら?
ねえ、誰だと思う?
婚約者のルシアンの姿を見つけた私は、かけようと思っていた言葉を口を閉じて喉の奥へと流しこんだ。
煌めくシャンデリアの下。
艶やかな色とりどりのドレスがひらひらと、蝶のように揺れる大広間の一角に青年たちの集団がいた。
「明後日はアルゼリアと結婚か…、少し憂鬱だな」
「ルシアンの贅沢者め、名門バレンス侯爵家に婿入りを決めて、相手はあのアルゼリア嬢!アルゼリア嬢のため息をつきたくなるような美貌、金糸のような美しい髪に純粋な青色そのものの瞳!」
「でもさ、アルゼリアの青い瞳って青すぎて不気味というか、侯爵そっくりの目じゃないか、冷たくて酷薄そうな。あの目でこれからずっと見られるんだ。憂鬱にもなるよ」
「ああ、アルゼリア嬢の目って確かにきつい感じがするな」
「猫目は可愛い印象があるけど、アルゼリア嬢の瞳は氷みたいな青色だから、氷結の青っていうの?」
「そうなんだよ、氷みたいでさ。家のためだから仕方ないとはいえ、結婚は人生の墓場というのは本当だなと思うよ。絶望を感じるよ」
青年たちの笑い声とともに声高にこちらまで流れくる会話を、私は父バレンス侯爵とこの夜会の主催者である伯父マリガン公爵と3人で、沈黙をもって聞いていた。
残念なことにルシアンは、華やかな美貌と申し分のない才覚をもった青年だったが、バレンス侯爵家の婿としてふさわしくないと自分で証明できるほどの愚かさも持ちあわせていたようだ。
この、氷結した純度の高い青玉結晶のような青い私の目は、父の、伯父マリガン公爵の、一族の目である。海運で財を成した一族にふさわしい海を象徴する青であり、幸運を呼び込んでくれるといわれている青い目は一族の誇りであった。
それなのに、バレンス侯爵家に婿入りする予定の者が貶すなど考えられない行為だった。
「明後日の結婚式は中止かな?」
「ええ、兄上。中止ですね」
伯父と父の全身から透き通った炎のような怒りのオーラが、陽炎となってゆらゆらと立ちのぼっている。立腹のあまり、気の弱い人が見たら失神しそうな顔つきとなっていた。
「お父様、伯父様、お待ちになって?」
「アルゼリア、アレに未練があるのかい?」
「アルゼリア、アレはダメだよ。アレはプチッとしないと」
虫ですか、ルシアンは。
父と伯父の気持ちもわかるが、怒りを覚えているのは私も同じだ。
私とルシアンは3年も婚約していたのに、彼は私のことを冷たく酷薄そうな女と言ったのだから。
この3年間、私はルシアンと寄り添う努力をしてきたのに。
二人の間には情熱的な恋はなかった。けれども仲は良好だと思っていた。
春の木漏れ日のような暖かさの、緑の葉を揺らすそよ風のような穏やかさの、調和と信頼があると思っていたのに。
全てが私の独り決めの幻想だったのか。
あの差し出された手も、
あの眼差しも、
全てが。
「お父様、伯父様、ルシアンが人生の墓場というのならば、ぜひ墓穴も掘ってもらうのはどうでしょうか?」
私の青い猫目のなか、じわりと瞳孔が開く。
「ルシアン自身の手で」
ルシアン、私はあなたを愛していたのよ。
結婚式当日は、雨が近いのか薄灰色の雲が分厚く広がり昼間だというのに太陽の姿がなかった。
大聖堂の内では、ひそめた声のざわめきが驚愕と不快をまとってざわざわと囁かれていた。
それはルシアンの親族側でのこと。
私の親族側にいる人々は穏やかに笑っていた。笑顔なのにちっとも笑っていないゾッとするような顔で。氷結の青い瞳に暗い熱を湛えて微笑んでいた。
私が黒衣のドレス姿であったからだ。
「アルゼリア!その姿は何だ!?」
ルシアンが私を怒りのままに責める。
大司祭の前で。
誓いの祭壇の前で。
「ルシアン、あなたが望む通りにしてあげたのに、どうして責めるの?あなたが結婚は人生の墓場と言ったから、それにふさわしい喪服にしたのよ。私はウェディングドレスを着たかったのに」
グッと言葉に詰まりルシアンが顔色をかえた。
夜会での会話を聞かれていたとは、思ってもいなかったのだろう。
「は、墓場?な、何のことだかわからないな」
「残念ながら父も伯父も聞いているのよ。夜会であなたとお話ししていたご友人方も喜んで証言して下さるそうよ」
「ねえ、ルシアン。家のために私と結婚するのは、墓場に入るのと同じ絶望なのでしょう?私の青い目は冷たく酷薄で、見つめられると憂鬱になるのでしょう?」
大聖堂中の人々の非難の視線がルシアンに集まる。
「絶望するほどの結婚ならば、ルシアン、中止にしましょうか?」
「ま、待ってくれ!!」
蒼白になったルシアンが私にすがる。
名門バレンス侯爵家の婿の地位は若い貴族男性にとって垂涎の的だ。ましてや私は絶世の美女と誉れ高い。ルシアンは羨望と嫉妬を浴びて、この3年間優越感にどっぷり浸って笑っていたのだ。
それが霞みと消えようとしている。
「待ってくれ!謝罪でも何でもする!何でもするから中止だけは…っ!!」
「無理しなくてもいいのよ、ルシアン。絶望なのでしょう?」
「何でもする!お願いだから結婚してくれっ!!」
「私の青い目は憂鬱なのでしょう?」
「違う!違う!許してくれ!頼むから妻になってくれっ!!」
無様なルシアンに、私の親族席に座る女性たちからの失笑がくすくすもれる。
ルシアンには後がない。
証人もいる上でのルシアンの失言による破棄では、ルシアンの有責は確実だ。
天候不順による不作続きで領地経営が悪化していたルシアンの生家への3年間の援助金は、もちろんバレンス家に返還しなければならない。
ルシアン自身にも、友人に誘われた投資に失敗して借金もある。
ルシアン、愚かな人。
貴族たる者は敵がいて当然だけれども、友人は選ぶべきよ?
友人に誘われて投資に失敗?
夜会で主催者の親族を蔑む会話を、あなたにとっては私との結婚を羨む友人たちへの格好つけた軽口感覚であっても、声高に友人と話す?しかもその友人たちは証人に早変わり。気づいていないでしょうけど、彼らは私を貶める決定的な発言はあなたと違ってしていないのよ。
そうそう友人たちと娼館でバカ騒ぎもしたそうね?
それから友人たちとーー。
ルシアン、愚かな人。
じわりじわりと、首をしめられていたことを今もわかっていないでしょう?自分が優位に立ったものと友人を見下していたでしょうけど、羨望と嫉妬の下には、人間のどろどろとした感情が蛇のように牙をむいてひそんでいるのよ。
忠告してあげようと思っていたけれども、絶望と言われてまで尽くす女ではないの、私。
パン!パン!
父が手を叩いた。
「面白い出し物だったが、男優はイマイチだったな」
終演とばかりに私の親族たちが全員いっせいに席を立つ。
とうとうルシアンは座りこんで涙を流した。
バレンス侯爵家マリガン公爵家、私の一族すべてに切り捨てられたことをさとったのだ。
ルシアンの親族側でも血の気が失せている。
援助金も私の一族にすり寄る計画もすべてが泡となって消えたのだから。
ねえ、ルシアン、ありがとう。
あなたの愚かな姿が、
あなたの無様な姿が、
私の恋心を粉々に砕いてくれた。
もう苦しくないの。
もう悲しくないの。
私の心は絶ちきれてしまったのよ。
ねえ、ルシアン、教えてあげる。
今日は結婚式ではないの。
私の恋心のお葬式なの。
だから黒衣を着たの。
大事なものを埋める墓穴は、誰にもしられず自分で掘るものなのよ。
愛していたわ。
ルシアンのその後を私は知らない。
だってもう興味のない人だったから。
数年後、私は結婚して子宝にも恵まれた。
相手は、私の家の力が一族の力が目当てだと言い切った、貴族なのにお金儲けが大好きな人。
商売の天才で、あっという間にバレンス侯爵家の資産を数倍にもした人。
そして、ルシアンの友人たちを操っていた人。
家の力が目当てだというくせに、妄執めいた恋情で私をぐるぐる縛って溺愛してくる人。
私は夫を愛した。
だって夫から逃げようとすれば不幸になるけれども、夫を愛すれば幸福になれると知っていたから。
ねえ、ルシアン、ごめんなさいね。
あなたの墓穴を掘ったのは私の夫だったわ。
ルシアンの友人たちは、アルゼリアの夫に操られていたことを知りません。
自分の意志でルシアンの墓穴を掘っていたと思っていますが、実はアルゼリアの未来の夫にセッセと掘らされていたことを。
ジャンル的にホラーかミステリーか迷ったのですが、とりあえず恋愛で。
もし、副題をつけるなら、
誰も知らない完全犯罪・アルゼリアの恋心殺人計画
加害者はアルゼリア
被害者はアルゼリア
凶器のナイフはルシアン
墓穴カモフラージュはルシアン
脇役は、マザー・グースのクック・ロビンのように皆で役割を少しずつの周囲の人々。もちろん大トリはアルゼリアの夫
な感じでしょうか?
お読みくださり、ありがとうございました。