茶柱に 笑う義妹や 春の風
昨晩、お袋に五十万円の融資をお願いしたいと連絡すると、じゃあ早速契約しましょうと、昼十二時十五分に事務所にきてくれと時間指定された。一番お客の少ない時間で、この時間しか対応できないと説明された。
昼なので、道路混雑を予想して早めに出たが、道は空いていて、パーキングも直ぐに見つかり、かなり早く着いてしまった。喫茶店で時間を潰そうかとも考えたが、そのまま事務所にお邪魔することにした。
二か月近く勝手に休み、最近、営業を再開したばかりなので、客なんて大していない筈。繁盛していると言っても、二人がいいところだ。時間まで、未季ちゃんと下ネタ話して待たせてもらっても、迷惑にはなるまいと、事務所に直行を決めた。
ビルの入り口では、「お困りの事があれば、お気軽にどうぞ」と、未季の声で、ロボットが客引きをしていてた。これが、例のカムイと言う客引きロボットらしい。
「お前はお気楽でいいね」と話し掛けると、腕を組んで暫く悩み、「結構、忙しいんだけどな」と答えてきた。中々、楽しいロボットだが、これも親父が作ったものらしい。
事務所に着くと、二人の客が、丁度、出て行った。これで、客はいない筈と思ったら、二人とも接客中で予想外だった。営業再開直後の昼間に、こんなに来客があるのかと、正直びっくりだ。午前中でこの繁盛振りなら、夕方は相当に混んでいそうだ。
去年の十月、お袋から、人手が足りないと、誘いがあった時は、来客数というよりも、人探し業務に時間が掛かるので、人手が足りないと思っていた。だが、来客の応対だけでも、相当に忙しいみたいだ。あの頃は、これよりもずっと来客数が多かった筈だ。
「磯川さん、今日は何? またヤクザさんが襲ってくるの?」
客ではなかったが、未季が、お茶を持ってきて、話し掛けて来た。
「お袋さんや、親父さんから、何も聞いてないのか?」
「また私だけのけものかよ。私も取締役だって言ってんのに……」
「えっ? お前は取り締まられ役だろう」
「酷い。ちゃんと総務部長だよ」
「ここは、従業員ゼロかよ。人は雇わないのか? 忙しいんだろう」
「本当に、酷いよね。ブラックだよ。去年の休業前なんて、昼休みもきちんと休めないんだもの。まぁ臨時ボーナス出て、お金の方は嬉しかったけど」
「なんで雇わないんだ?」
「お義父さんが偏屈だから。人を信じてないんだよ、所長は……。まぁ、開業早々、こんだけ人が来るのも、所長の仕事が信用されてるからなんだけどね」
親父が凄いのは、分っていたが、便利屋稼業でも、凄い才能を発揮しているとは、思わなかった。お袋さんの言葉を信じて無かった訳じゃないが、これほどまで繁盛しているとは、正直、予想もできなかった。
「で、今日は、何で来たのかな?」
「借金のお願い。五十万円程、用立ててくれって……」
「どっか、海外旅行でも行くの?」
こいつは、本当に呑気でいい。こちとら、毎日徹夜で働いても、旅行など行ける貯蓄はできない。
「ラスベガスに遊びに行こうかなと……。そんな訳ねぇだろ。生活費がたんねぇの」
「刑事さんて、大変だよね。3K、キツイ、危ない、給料安い。でもやりがいがあるんだよね。裕ちゃんが言ってたよ。磯川さんは、ヤクザを更生させるのが生き甲斐だって」
お袋にその話はしていなかったが、親父が寝物語に、俺の話を聞かせたのかもしれない。
「それでね。ヤクザに誘拐されたのに、あの人たちは悪い人間じゃない、環境が悪かっただけで、皆、良い人だって言うんだよ。変だよね」
意外だった。彼女は、親父さんを選ぶような人なので、包容力がある人だとは、思っていたが、あんな目に遇いながら、人を許せる事が信じられない。
まぁ、本心ではそう思っていなくても、表面上、女神様みたいに言ってるだけかもしれないが……。
そう思っていると、義母は客を出口まで案内し、深々と頭を下げて送り出した。昨日と打って変って、落ち着いた淑女の装いで、美人を全面に押し出している。
「済みません。お待たせしてしまって……。未季、お客様のお茶なくなってるから」
「はい、社長。気が回りませんでした」
未季は、あわてて、お茶くみに走った。やっばり、取り締まられ役だ。
お袋は、平静を装っているが、熱があるのか、体調が悪そうで、顔が少し赤く紅潮し、耳たぶも赤くなっていた。なのに、ソファに腰かけもせず、立ったままだ。私も座っているのは失礼なので立ち上がると、書類を渡してきた。
「主人は、もう少し時間が掛かりそうですが、これが契約書と、返済計画書です。後で口頭にて、きちんと説明しますが、とりあえず、目を通しておいて下さい。ちょっと席をはずさせて頂きますので……」
そう言って、ゆっくりと立ち去ったが、トイレに行ったみたいだ。
契約書には、返済が遅れた際の取り扱い等が全く記載されていなかった。これは事実上、金利のある出世払いと同じだ。正直、これからまた懲戒が頻繁に課せられる可能性もあり、返済できない可能性もあると考えていただけに、ありがたい。ただ、親父さんとお袋さんにますます頭が上がらなくなってしまう。その点だけが嫌だった。
「あら、まだ少し時間が掛かりそうね」
義母が戻って来て、今度は、ソファにどっかりと腰を落とした。顔色も、すっかり元に戻っていた。風邪ではなく、単にトイレを我慢していただけらしい。
「説明は、主人が戻ってからになるけど、何か気になる点とかはある?」
「いいえ、こんないい条件で、感謝しています」
「義理でも息子になるのだから、気にしないで。それに、私の収入は、半分に減ったと言っても、まだ沢山あるの。折角のお金、有効活用しなくちゃ」
「本当に済みません」
「でもね。主人が怒ってるの。なんでお金を貸すんだ、慰謝料払わなきゃいけないのはこっちの方だって」
なんだか、契約はスムーズに行きそうもない。そんな時、鰻屋の出前が届いた。
未季はいつの間にかいなくなっていて、義母がその出前を受け取りに行った。
親父さんも、来客対応が終わったみたいで、入口の所に客と二人で歩いて来た。
「本当に有難うございます。いつもいつも、助かります」
なんか、凄く感謝されている。親父は接客も凄いらしい。
「いえいえ、うちでできることなら、何でも協力しますので、お気軽に来て下さい」
「また、お越しください。有難う御座いました」
お袋も一緒に挨拶をした。でも、あのアイコンタクトはなんだ。仲がいいのはいいが、こっちまで熱くなってくる。
「磯川、悪いが、こっちに移動してくれ」
先ほどまで、接客していた応接側のソファに案内された。