春一番 夫の意地まで 吹き飛ばし
ピンポン。来訪時刻丁度に、呼び鈴がなった。
「あなた、お義母さんが着たみたい。早く」
祐輔の授乳を終わらせるはずだったのに、祐輔が話してくれなかったので、主人に出迎えをお願いした。
「いらっしゃい。狭いとこですけど、中にどおぞ」尚輔が、玄関を開けて、出迎えた。
今日の義母は、白のロングスカートにグレーのVネックセータ、その上にジーンズジャケットと言う、アラサーファッション。もう五十八歳なので、派手すぎると言えば、それまでだけど、あの美貌と容姿から、全く違和感がない。いつもながら素敵。
「あら、おっぱいの最中だったの? 御免なさいね」
「いらっしゃいませ。もう直ぐ一歳になるのに、まだ全然で」
「今は、自然に断乳させるのが普通なんでしょう。私の時は、一歳になると絶乳させろって言われてて、胸が張って仕方なかったもの」
すっかり恥ずかしい所を見せてしまい、慙愧に堪えない。
「お袋さんは、胸垂れなかった?」 主人が突然、とんでもない事を言いだした。
「大輔の卒乳後のこいつの胸、悲惨だったから……」 主人自信が恥ずかしい。
「そりゃ、赤ちゃんに脂肪を全部取られちゃうんだもの、母乳がでなくなったら萎んじゃうのは当たり前よ。私なんか二カップも落ちた。母乳で育てるっていうのはそういうこと」
でも、取っても立派なバストをしている。私は、こんな事を聞いては行けないと思っていたのに、もう恥を一杯書いているからと、義母に質問を始めていた。
「お義母さん、今度、教えてくれますか、胸垂れ防止の方法」
「勿論。でも、一年掛けて直す覚悟がないと……。それに、その姿勢もダメ。赤ちゃんも重くなって辛いだろうけど、少し高く抱いて、胸をきちんと反らせる位にして、授乳しないと……」
私は頑張って、その姿勢を取ってみた。
「こうですか?」
「そう。前屈みになると、萎んだとき、そのまま下に垂れちゃうから、靭帯を伸ばさない様に、今から姿勢を強制しておかないとダメ」
「お袋さんの胸、デカいよね。シリコン入れてんの?」
「あなた。失礼でしょう」
もう。この人は、何言ってんだろう。本当に下品で恥ずかしい。
「いいのよ。大変だったんだから、元に戻すの。毎日トレーニングして一年掛かった。それからはずっと、Eカップ。でも最近、ちょっと別けあって、少し大きくなったかな」
「えっ。まだ成長してんの? すげぇ~」
私は、乳首を拭いて、服を整え、お茶を入れた。
その間も、義母は、食事もお豆が主の料理にしなさいとか、教えてくれた。スーパーイソフラボンが、乳房の復旧に良いと聞いていたので、その意味は直ぐに理解した。それから、牡蠣とレバーとかのミネラルと、ビタミンC。胎盤エキスと言うサプリも効果的と説明してくれた。
胸の靭帯回復にはコラーゲンを沢山作らないとダメで、その胎盤エキスのサプリは、このコラーゲン生成を助けるらしい。
クーパー靭帯を増強するサプリとかもあるとかで、今度、行った時に、お試しに各種サプリをくれるというので、甘えるつもり。
「で、本題ですが、磯川さん、警察を辞めて、うちの事務所に来ませんか? 懲戒になると、もう出世の道はないって聞きますから」
お母さんがストレートに話してくるなんて珍しい。
「その話は、以前も、断ったよね。俺の天職は、刑事だからって……」
「でも、身に覚えのない横領なんでしょう。そんなところに固執しても……」
「すまん。本当を言うと、男の意地っ奴で、此処で辞めたら、俺の負け。しがみ付いでも、俺を嵌めた奴らを炙り出し、一泡吹かせてやる。だから夕実や、こいつ等には迷惑を駆けるが、今回だけは俺の好きにさせてくれって、こいつに頼んだ」
昨晩、何時もおどける主人が、真剣な顔で、心の中を打ち明けてくれた。
私はこの人に付いて行く。だから、彼がどんな選択をしても、それに従う。
「夕実さんは、それで良いんですか? お給料もでないんですよ」
「私はこの人の判断に従います。でも、正直、家計は厳しいです。そこでお願いなんですが……」
「俺が何とかする。お袋に迷惑は掛けるな」
「でも……」
昨晩も、その点で揉めた。今の家計では、あと一週間で、生活は困難になる。
父の処で臨時アルバイトすればと言っても、公務員のアルバイトは禁止されているとか、停職とは外出せずに自宅待機と言う意味だとか言って嫌がり、埒が明かなかった。
かといって、零歳の乳飲み子がいると、私がパートに出るのも難しい。
結論は、二か月過ごせるだけのお金を、貸してもらうこと。なのに、義母から借りるのは、主人の下手なプライドが許さないらしい。
「磯川さん、貴方は世間をしっかり認識している人だと誤解していました。でも、うちの人と同じ、最低ですね。一体全体、懲戒になった人にお金を貸す人が居るとでも思っているんですか。せいぜい、貴方のコネで、ヤクザを脅して、一次的に無利子で強制貸出させるとかしか、手がないですよね。さっき、男の意地と言っていましたが、その我儘で、刑務所に行く事になったら、困るのは、この三人でしょう。そんな事も分からないの?」
昔のお義母さんは、とても怖い人だと聞いていたけど、本当。主人が何も言えず小さくなっている。お義母さんは、本当に凄い。
「夕実さん、月々いくら必要ですか。無利子でと言いたいですが、それじゃ磯川さんの立場が無いので、年利五厘の三年返済はどうですか? 小額の住宅ローンの様なものと考えて頂ければ、気兼ねなく借りれるでしょう」
「有難う御座います。あなたも、それでいい?」
主人は、しばらく反応せず、それから、口を開いた。
「0.5%は安す過ぎます。そんな金利で借りれるところなんて何処にも無い。1.5%、いや、2%で、お金を融資して下さい。まだ安すぎるかもしれないが、それでお願いします。我儘な、どうしようもない男ですが、そうさせて下さい。お願いします」
主人が土下座して頭を下げた。
「磯川さん、頭を上げて下さい。では、そのように、こちらで契約書を準備します。いくら用立てればいいのか、判り次第、電話で教えて下さい。その額で返済計画書を作成します。ただ、私も今は事務所を手伝っていて、お蔭様で、大繁盛で忙しい身です。度々、こっちに足を運ぶ事はできません。契約に当たっては、私の家か、事務所の方に、足を運んで頂けませんか。貴方のポリシーに反して嫌だというのなら、この話は無しです」
主人は、静かに頷いた。
本当に、お義母さんは凄い人。私の心配毎を綺麗に片づけてくれる。