訓告に 拳震える 齢の暮
長編小説「大好きだけど……」 磯川尚輔編
「貴方、行ってらっしゃい」 妻の夕実が、祐輔を抱っこして、送り出してくれた。
大輔は、薄情にも、奥で遊んでいるが、仕方がない。
「ああ、行ってくる。……パパは、お仕事に行ってきまちゅよ」
祐輔にそう言って、部屋を出て、駐車場に向かった。
ここは埼玉県警が保有する家族寮。北浦和なので、徒歩通勤はできないが、3DKと広く、家賃も安く、快適だ。
俺は、愛車の黒いベルファイアで、埼玉県警本部へと向かう。
今日は、十二月二十四日なので、街は、どこもクリスマス一色。木々には、LED電飾が巻かれ、ビルには、クリスマスの垂れ幕が下がっている。
今日は、ケーキを買って、定時帰宅するぞと誓った。
県警本部は、国道十七号を南下して、浦和警察署を過ぎ、五百メートル程行った先にある。浦和警察署と県警本部とが、こんなに近くにあるのはどうかと思うが、俺がどうこう言えたことじゃない。
どこもかしこも、クリスマスなのに、ここにはクリスマスツリーすら飾っていない。
仕方がないのかなぁと、エレベータに向かっている、交通課の美代ちゃんが遣って来た。
「お早うございます」 本部に居る女性とは、皆、友達だ。
「お早う。今日は、一段と綺麗だね。昨日は彼氏とエッチしたのかな?」
「磯川さん、それセクハラですから」 そうは言うが、さほど嫌がっていない。
だから、毎回、同じ様な朝の挨拶を繰り返す。
一階は、女性が多いので、本当に羨ましい。
でも、エレベータを一歩降りると、男ばかり。俺の職場には、女っ気が全くない。俺もそうだが、いかつい男ばかりだ。
埼玉県警刑事部組織犯罪対策局捜査第四課。ヤクザから市民の安全を守るのを仕事とする部署で、ここが、俺の所属部署た。
PCを立ち上げ、珈琲を入れていると、「磯川、ちょっと来い」と俺を呼ぶ声がした。
係長ではなく、課長が俺を呼んでいる。
しかも、窓際席の横に、スーツを着た二人のインテリが立っている。一人は、確か警務部監察官室の御手洗警視正。もう一人の眼鏡は見たことがない顔だが、偉そうにしている。
「お前なんかやったのか? 御手洗警視正がお前に話があるそうだ」
御手洗は課長の方を向いて「こちらの皆川さんが御用とのことです」と訂正していた。
眼鏡男は、皆川と言うらしい。不気味な男で、その間もじっと表情を変えず、俺を注視している。
しかし監察官が何で……。そう思って、ハッと気が付いた。
例の男を調べていたからだ。
実は、今月の初め頃、義理の両親が指定暴力団往凶会に拉致・誘拐される事件があった。往凶会ナンバーツーの柴崎が、何者かに刺され、所持していたアタッシュケースを盗まれ、それを一刻も早く取り戻そうと、親父が開発した自動人探しシステム『昴システム』で、探させようとしたのだ。そのシステムを使えば、どの駅で犯人が下車したかを特定できる。
犯人は男装した女子高生で、その後、大騒ぎになったが、義父は、国会議事堂前駅のホームで、若いスーツを着た男に、そのアタッシュケースを渡していた。親父は、その事を内緒にしていて、密かに、その男の身元調査を頼んで来た。
その件には、警察庁の公安が関わっていて、やばい気はしていたが、親父さんの頼みなら、断れないと、非番の日毎に、調査に出かけていた。
まだ、その男の氏名の特定までは、特定できていないが、それで遣って来たに違いない。
そんな事を考えながら、二人について、俺は、小会議室に入って行った。
「私はこういうものです」
渡された名刺には、警察庁、官房人事課監察官、警視正、皆川康之とあった。
こいつも警視正。しかも察庁の人間。なんで県警本部ではなく、察庁の監察官が直々にやってくる。
そんな事を考えていると、「まぁ、座りたまえ」と着座を促し、皆川は前で両手を組んで、俺を見つめた。
俺は、堂々と席に着いた。
確かに、やばい巨悪の調査を始めはしたが、調査は非番の日にしかしていないし、何らやましい事はない。
「今月の十八日の日、君は何処で何をしてたのかね」
「非番でしたので、霞が関にて、写真を撮っていました」
「何の目的で、何の写真を撮ったのかを聞いているんだがね」
「義理の父の頼みで、ある人物の調査をしておりました」
「その人物とは誰だね」
「公務ではありませんので黙秘します」
「まぁいい。義理の父親とは、便利屋『昴』という小さな探偵事務所の所長、神野昴だね。去年末、阿佐ヶ谷を騒がせたヤクザに協力した男だと知ってるよね」
こいつ、そんなことまで知ってるのか。私は黙秘した。
「そんなヤクザに協力する様な探偵が、財務省の何を探ってる」
やはり間違いない。あの裏には国家絡みの何かがある。だから、わざわざ警察庁の人間が釘を刺しに来た。
「黙秘を続けても、調べはついてる。埼玉県警の刑事が、警視庁管轄内で、こそこそと許可も無く、勝手に捜査しているとは何事かね」
「刑事としてではなく、私人として調査しただけで、警察だと名乗ってはおりません」
何もやましい事はないので、自信を持って答えた。
今度は、隣に座っていた御手洗が言ってきた。
「それは違うよ。刑事である以上、民間の捜査依頼を安易に受け入れてはならないのは分ってるだろ。非番で業務時間外と言っても、刑事である以上、勝手な行動は慎むべきだ。それに、反社会的勢力にあるなら、言語道断だと思うがね」
「警視正、義父は反社会的勢力とは無関係な一般民間人です。義母が誘拐、脅迫され止む無く従っただけで、誘拐された義母は、未だに意識が戻らず重態が続いています。義父は、何でこんな目に遇わなきゃならないんだと、その背景に何があるのか知りたいと、俺に調査を依頼してきました。そんな人の頼みを、断れますか? 親に泣き付かれたら、誰だって協力するでしょう」
「しかし、……」
「まぁまぁ」 ずっと無表情だった皆川が、ニヤリと笑い、御手洗を制した。
「警視庁の櫻井刑事は、明慶大学の君の後輩だったよね」
皆川が余裕の構えでいた理由が分かった。
「警視庁の人間から情報提供を受けたことは、もう調べがついてるんだ。警視庁の人間にアクセスして情報を入手し、勝手に捜査した。それがどういう事か分ってるよね。何か反論することはあるかね」
「いいえ。あいつは俺の頼みが断れなくて、協力してくれただけです。お願いです。あいつの処罰は勘弁して下さい」
「誰も処罰だなんて言ってないよ。でもこれは厳重注意では済まされない。以後、私事であっても、勝手な調査はしないこと。これは訓告だよ。以上。仕事に戻りなさい。」
どうやら、とんでもない大物の尻尾を踏んでしまったみたいだ。