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【辺境お嬢視点】
「今日も来なかったわね」
私は夕陽で赤く染まる室内でペンを手に、窓の外の風景を眺めながら独り言ちた。
投函した手紙に記した通りに、やはり隣国との交渉に向けて動がなくてはならないのだろうか。
スンクに『王族へ直訴出来る投函箱という新しい制度が出来る』と言う話がもたらされたのは、制度が開始されるよりも前だった。
王都から来た吟遊詩人が伝えたその新しい制度の情報に、スンクの住人達は希望を感じて喜んだ。なんせ400年もの間、時代時代の家長らがスンクの存在を訴えて来ても全く取り合って貰えずに門前払いされていたのだ。
投函箱が設置されて直ぐに手紙が投函出来た方が早く読んで貰えて良いだろうと、直ぐ様住民の中でも脚力の強い勇敢な若者に一通の手紙を託し王都に旅立たせた。それは他の領地がその制度の情報を得て動き出すのと、殆ど時差は無かったはずだ。
ちなみにその吟遊詩人は、隣国へ向かう途中でスンクの森に迷い込みあわや餓死寸前の所を、たまたま通ったスンクの者に助けられていた。そしてスンクを気に入ったのか健康な身体を取り戻しても隣国へ出立する事なく、現在スンクの住民となっている。
王族に届く事を信じてスンクの過去や現状を伝えて独立宣言らしき事を書いた一通目。
それから2年が経った頃のスンクの住民のほとんどは、自分達の存在を以前と変わらず放置する王政に対して諦めの空気を帯びていた。
けれど諦めきれなかった私を含めた若いメンバーは再度訴えることにしたのだ。半年後に隣国との交渉を始めると匂わす内容を書いたニ通目。
行動を起こしてからそろそろ五ヶ月が過ぎようとしている。
私はスンクが国であった時の王族ジーラ家の末裔でシーランと言う。父様はビンタスと言い、現在スンクを治めている。
とは言っても国との交流がないので一般的な領主とは違って、スンク内で困り事があると聞いては出て行って相談に乗り一緒になって悩み解決する様な、集落の世話役みたいなものだ。王族だった流れから重要な事への決定権は父様にあるらしいが、本人はいつも柔和な顔でニコニコと楽しそうに屋敷の使用人や住民達と動き回っていているので、権限を持っている人物には見えない。
一応だけど、私もスンクの者達からは愛称で『ランお嬢様』『お嬢』と呼ばれている。
あくまでも『呼ばれている』だ。どんな扱いかは言わなくても察して欲しい。
今私は、隣国と交渉する場合に備えて少しずつ書き溜めていた内容を読み直していた。
王都に二通目を届けた事は父様達に伝えていない。隣国と交渉を進めるのであれば、父様の承諾が必要だ。二通目を勝手に出した事も事後承諾しになるが、伝えて認めて貰わなくてはならない。
私は封筒に書き溜めた書類を入れると、階下で事務仕事をしているだろう父親の元へ向かうことにした。
「お、お嬢!」
屋敷の階段を降りたところで、庭に続く温室側の扉がギギっと開いて庭師のジョン慌ててこちらに走ってくるのが見えた。
「そ、外に!」
やけに興奮している。
「どうしたの?」
「お、おとゲホ、どろゲホゲホ」
呼吸が整わないところに言葉を紡ごうとして咳込んでしまう。ジョンは懸命に伝えようと身振り手振りを入れるが、はっきり言って何を言いたいのか分からない。
仕方がないので、ジョンが慌てた理由が分かるであろう玄関に向かった。
ガチャ
ドアを開けるとそこには、全身泥塗れの眼光の強い男が立っていた。
「‥す」
男が口を開こうとするのを見て
ガチャ
思わずドアを閉めてしまう。
ドンドンとドアが叩かれた。
男が外で何か叫んでいるが、合わせてしまった目力に畏怖を感じた私の耳にその内容は入ってこなくて、声が頭の中にぐわんぐわんと響いている感覚しかない。
見た事が無い顔だった。
顔も服も泥で汚れていたけど、一瞬目に入った服装は軍服だった様に思える。
まさか手紙についての王都からの使者?いや、それならば文官がやって来るはず。
夕陽を纏った不気味さに恐怖心を刺激されたとしても、あの目付きは使者には見えなかった。あれは魔獣の様な本能的なものではなく、使命の下にならば簡単に相手の命を狩って、されど冷静でいられるだろう死神だ。
和平的な交渉が出来る相手とは思えない。闘い慣れ裏の世界にも通じていそうな危険な感じがした。
私はドアノブをしっかりと握ったまま、屋敷の奥に向かって叫んだ。
「誰か、父様を呼んで!!
あと、何か武器になるそうなものをお願い!」
私の突然の叫び声に、普段は静かな屋敷の中は一気に慌ただしくなった。
読んでいただきありがとうございました。