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 目が覚めたとき、開口一番に尋ねた。


 ――私はまだ飛べますか。


 救護室の室長の青柳は、答えた。


 ――もう飛べないよ。前のようにはね。




***




 肋骨四本、脚部と手首、指の骨折、全身の打撲と裂傷、擦過傷……諸々の傷は、全治三ヶ月。頭を強く打ったせいで、一時は意識不明の重体だったと後から聞いたが、緋花本人に自覚はない。

 目が覚めたら、緋花の覚醒に気づいた救護室の朱華はねずが涙を浮かべて喜び、その可憐な姿に「うわ、マジ天使」と、一瞬自分があの世に召されたと本気で思ったくらいだ。

 そして、意識がはっきりして痛み止めが切れた頃、全身の痛みに呻く羽目となり、これが現実であることを実感した。


 緋花の意識が戻った直後から、第六部隊の面々が見舞いにやってきた。


「もう、お前、この馬鹿! 死んだかと思っただろ!!」


 泣きながら器用に怒るのは青葉だ。

 奈落に落ちる緋花を掬い上げた青葉が間近で見たのは、頭から血を流して、手足は変な方向に折れ曲がり、血塗れになった同僚の姿だ。

 ぐったりとした死人のような姿を、えぐい傷口を一番近くで見ることになったことは、確かに悪かったと思う。怖いものを見ただろう。

 あまりの剣幕に呆気にとられ、「ごめん」と素直に謝ると、青葉は憧れの朱華の見ている前だというのに、ぼろぼろと大泣きしてしまって慰めるのが大変だった。


「……」


 副隊長の灰影はベッドの傍らに立ち、無言の圧力を掛けてくる。

 言いたいことはわかる。常日頃から、緋花の無鉄砲さを嗜めていた彼のことだ。今回の緋花の無謀な特攻を怒っているのは確かだった。

 下手に言い訳すると爆弾が落ちかねない。緋花は青葉の時と同様に素直に謝ったが灰影は容赦なかった。拳骨の代わりに静かな淡々とした説教を、救護室長の青柳のストップが入るまで続けた。


 その後も任務の合間を縫って隊員たちは訪れ、包帯でぐるぐる巻きにされベッドで大人しくせざるを得ない緋花をからかいつつも、その無事を喜んだ。

 そして――




「……具合はどうだ」


 緋花の意識が戻って一週間後、面会時間ぎりぎりの宵の口に、隊長の朔月が訪れた。

 見た感じ、表情はいつもと変わらない。だが、少し頬がこけて目の下には隈が浮かび、明らかに疲労が溜まっているのが分かる。


「お疲れ様です」


 反射的にそう口を突いて出た言葉に、朔月の眉根が寄る。何か言いたげに薄い唇を動かした後、結局いつものように引き結んだ。


「……」

「……」


 沈黙。いつものことだ。

 朔月は自分から進んでおしゃべりをする性格でないことは、十分知っている。だから、緋花から適当に話題を振って、適当に雑談をしていた。今までは。

 何かを話す気にもなれず、緋花はベッドに横たわったまま、視線を朔月から逸らし、窓の方へと向けた。

 ぽつ、と雨が窓を打つ。夕方から曇っていたが、とうとう降ってきたらしい。窓を打つ雨の音を聞きながら、緋花は口を開く。


「もう、飛べないそうです。前みたいには」

「……」

「だから、たぶん、第六から出ることになるとは思いますけど」


 淡々と言う緋花の横に、影が落ちる。

 ベッドの傍らに立った朔月が、頭を深く下げていた。


「……すまない」


 朔月の口から出たのは、謝罪の言葉だった。

 それをどこか、他人事のように緋花は受け取った。高く飛んだ時に圧がかかって、耳の周りがぼんやりして聞こえづらくなったみたいに、朔月の声を遠くに聞いていた。


 だって、まともに聞いたら自分の感情を抑えられる気がしなかった。

 二度と空へと戻ることは叶わず、努力して入った遊撃部隊で自分が使い物にならないと分かった時の絶望。

 今まで築いてきた仲間たちから離れ、自分の居場所から出なくてはならない悔しさ。


 すべては、朔月が緋花の風切り羽を切り落としたからだ。


 ……いや、分かっている。あの時朔月が羽を切らなければ、朽縄の毒が身体に回りきって、もっと危険な状態になっていたことを。死んでいたっておかしくなかった。今ここに、自分はいなかったかもしれない。

 だから、本当は感謝すべきだ。命を助けてもらったことに礼を言うべきだ。


 謝らないで下さい。貴方のおかげで助かりました。生きているだけで十分です、と――。


 そのくらい言えるだろう。いつもの自分だったら、気軽に、明るく、何でもないような口調で。

 だが、口を引き結ぶことしかできなかった。


 ――朔月にとって、自分はただの部下でしかない。だからせめて、優秀で頼りになる部下になって、認められたかったのに。

 こんな無様な形で、よりによって朔月の手で、その道が断たれるなんて。


 窓の外を見つめる緋花の耳に、朔月の声が響く。


「お前の羽を切る前から、恨まれる覚悟はできている。本当にすまなかった。責任は取る――っ」


 朔月の言葉が途切れる。

 緋花が包帯で巻かれた腕を無理やり動かして、振り上げた枕を彼に叩きつけたからだ。


「ぐ、ぅっ……!!」


 動いたことで激痛が走り、緋花はベッドに蹲る。痛みに堪えきれずに震えていると、朔月が手を伸ばしてくる気配がして、緋花はそれをまた無理やり払った。

 ずきずきどころか、がんがんと全身を金槌で叩かれているような痛みが走る中、緋花は朔月を睨み上げる。


「はっ……責任……? どうやって、取るっていうんですか……っ」

「緋花」

「羽を、元に戻せるんですか。それか、役立たずでも、第六に残れるように? そんなんで、私が喜ぶとでも? ……ふざけるのも、いい加減にしてくださいよ……!」


 激しい痛みと溢れる怒りで、理性が利かない。

 だから、余計なことまで口走ってしまった。


「ははっ……それとも、これを風切の結びにして、責任取って、嫁にでもしてくれるって言うんですか?」

「っ……」


 緋花の言葉に、朔月ははっと目を瞠る。

 彼の浮かべた表情に、緋花はようやく我に返った。

 朔月は思いもしないことを言われたような、呆けた顔をしていた。そして眉間に皺を寄せ、困惑と嫌悪の表情を浮かべていた。


「あ……」


 朔月の前で見せてしまった女々しい自分を、緋花はひどく恥じた。同時に、朔月がやはり自分を女性として、そういう対象として見ていないことを改めて実感した。


 ――馬鹿だった。言わなければよかった。


 枕を掴んでいた手から力が抜け、思わず乾いた笑いが零れ出た。

 小さく笑う緋花に、朔月が「大丈夫か」と声を掛けてくる。みっともない恥をさらした自分を心配してくれるとは、本当にお優しい隊長だ。


「緋花、私は……」

「無礼な真似をして、申し訳ありません。今言ったことは、怪我人の戯言にして頂けると、助かります」


 息を吐いて、痛む身体をベッドに横たえる。朔月が口を開く前に、緋花はシーツを被った。


「……すみません。傷が痛むので、もう休みます。お見舞い、ありがとうございました」


 背を向けながら告げて、そのまま目を閉じた。

 しばらくして、朔月が無言で部屋を出て行く。扉が閉まった後、緋花はシーツに顔を押し付けて、堪えていたものを出し切るように泣いた。夜明けに雨が上がるまで、雨の音は緋花の嗚咽を掻き消してくれた。


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