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朔月とのやり取りの後、緋花は吹っ切れた。
女性として見られないなら、せめて優秀な兵士として、頼りになる部下として、朔月に認められればいい。
それが、緋花にとって最善だ。
どうせ数年も経てば、朔月は王都に戻る。そして軍の中枢部へと入る。そういう家柄だ。
向こうに戻った時に、こんな優秀な奴がいたな、と思い出してもらえるような。そんな部下になればいい。
女性がどうの、恋愛がどうだと、悩んでいた自分が馬鹿らしい。
女性である前に、自分は軍人。朽縄から皆を守る遊撃部隊の一員なのだ。現を抜かしている場合ではない。
緋花は以前にも増して訓練に精を出し、同期の青葉や、一つ上の山吹よりも実力を付けていった。
ただ、それを危ぶむのは副隊長の灰影だ。どうも、緋花がやけになっているように見えたらしい。前にも増して危なっかしい、と灰影は評した。
「俺たちは使い捨ての駒じゃねぇ。何を目標にしてんだか知らねぇが……お前が、いつか燃え尽きて消えてしまいそうで心配だよ」
まるで火球のように。
火球は、流れ星。はるか高い宇宙から降ってきて、空に触れて、摩擦で燃えて、光を発する。
燃えて、地上に着くまでに燃え尽きるそれは、神秘的で美しい。
たとえ形として残らなくても、目を灼く強烈な光と、それに反した儚さが、緋花は好きだった。
潔くて、格好いい。
いいじゃないですか、火球。
そう緋花が返すと、灰影に真顔で拳骨を落とされてしまった。
***
それから、あっという間に二年の月日が経った。
第六部隊の面々は、顔ぶれがほぼ同じだ。この二年、怪我がもとで退役する者はいたが、危険な任務に就くことが多い遊撃部隊で死者が出ていないのはすごいことだ。
これも隊長となった朔月のおかげだろう。部下のバラッバラの足並みをまとめあげ、皆の強い癖を把握して、作戦を組み立てて配置する。朔月は、皆から信頼を込められて『隊長』と呼ばれるようになっていた。
王都にも、彼の評判は届いているようだ。近々王都に呼び戻されるのでは、ともっぱらの噂だった。
そんなさなか、大規模な合同任務が行われることになった。
しかも、別地区の遊撃部隊ではなく、王都からやってくる軍との合同任務だ。
「なんでそんな連中と」
「面倒そうだな」
顰め面の隊員たちだったが、命令とあれば仕方ない。
王都から来た司令官は、どうやら朔月の知人のようだ。同じ黒い羽を持つ厳つい男は、朔月の従兄弟だという。さすが軍人一族だ。
「お手並み拝見と行こうか」
上から目線の司令官に、第六部隊一同、陰で中指を立てたのは言うまでもない。
南部の奈落にある、大きな沼。そこが朽縄の溜まり場となっている。
その周辺の御柱の上部には、朽縄避けの罠が仕掛けてあるが、朽縄の襲撃が多く、老朽化も重なって大半が機能しなくなっていた。
今回の作戦は、朽縄避けの罠の一斉張り直しの間、上がってこようとする朽縄を討伐するというものだった。
南部にいる朽縄は、巨大で力が強く、数も多い。ましてや溜まり場となる沼の付近。朽縄の活動がやや治まる昼間とはいえ、油断はできない。
第六部隊が見張りをしている中、軍が老朽化した罠を外して設置し直している時だ。
誰かが罠の部品を取り落とし、それが奈落へと落ちていった。はるか遠い奈落の底で、何かが蠢く気配がした。
緋花の傍らにいた青葉が舌打ちする。
「あーもう、誰だよ、軍の間抜け野郎!」
「文句を言うな……来るぞ」
灰影の言葉通り、ずずず、と低い音がする。鱗が御柱の木肌に擦れる振動が、ざわざわと葉を揺らした。
御柱に巻き付きながら上がってくる。ざりざりと鱗を擦らせながら、それは鎌首をもたげた。
有翼人を一飲みできる大きな赤い口がガパリと開き、鋭い牙が光る。
「――かかれ!!」
朔月の号令に、第六部隊は任務を開始した。
大規模な任務とはいえ、いつもの救出作戦に比べれば、それほど重く無い任務のはずだった。
しかし、王都の軍との合同任務を舐めていた。
実際に朽縄を見たことのない王都の軍人の一部は、初めて見るそれに慄き、足並みを崩した。
パニックになった一人の軍人が、バランスを崩す。足場を踏み外して、奈落へと落ちていく。羽ばたけばいいのに、それもできないようで、朽縄が彼めがけて飛び掛かる。
大きな口が彼を飲み込もうとした時、黒い羽が音も無く彼を掴み、抱え込む。
朔月だ。
しかし、朔月の飛ぶ先にもう一匹、別の朽縄が待ち構えているのを見た時。
緋花は動いていた。
それはまるで、火球のように。
一直線に朔月に向かい、今まさに彼を飲み込もうとする朽縄の口に向かって、勢いよく刀を突き立てる。
翻した刃が、メリメリと朽縄の口を切り裂いていく。
朽縄が声にならない悲鳴を上げた。最期の力を振り絞るように、緋花に牙を突き立てる。
暗い茜色の羽に、牙が食い込んだ。そのまま朽縄が頭を狂ったように振る動きで、緋花は御柱に全身を叩きつけられた。何度も、何度も。肋骨がミシリと音を立て、腕や足の感覚が無くなる。
「ぐっ……!」
「緋花!!」
朔月が片手で投げた刀が、正確に朽縄の目へと突き刺さった。断末魔と共に、牙が食い込む力が弱まる。
牙から逃れた緋花だが、ひしゃげた翼と全身の痛みで飛ぶのは難しく、そのまま落下しそうになる。そこを青葉が急いで掬い上げた。
「バカ緋花! 何してんだ!!」
涙声の彼に抱えられて引き上げられ、近くの足場に緋花は降ろされた。
翼を襲う激痛に、緋花は呻く。朽縄の牙には強い毒があるのだ。翼の中の血管を通じて毒が流れ込んでいた。このままでは、翼だけでなく身体まで壊死する。
「くそ、緋花……!」
「どけ」
青葉を押しのけたのは朔月だった。彼の手には別の刀が握られていた。
「青葉、翼を押さえろ」
「え?」
「早くしろ!」
横たわる緋花の翼を、毒の牙に貫かれた箇所を青葉に固定させた朔月が腕を振り上げる。
緋花は激痛に朦朧としながらも叫ぶ。
「いやだ……やめろ……!!」
緋花の抵抗も虚しく――
緋色の羽が、辺りに散った。