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 “風切カザキリの結び”は、有翼人が暮らすこの国で行われてきた風習だ。


 男性が相手の女性の風切羽を切り落とすことで、夫婦となることを意味する。


 それは、飛行時の事故などが起きぬよう、妻の身を案じてのものか。あるいは、妻の羽を奪うことで家に留まらせ、他の男の元へ行かせぬようにするためのものか。

 一昔前まで行われてきた風習のおかげで、現代でも年配の婦人には風切り羽が無い女性が多い。


 しかし今では、時代にそぐわぬ因習として“風切の結び”が行われることはほとんどない。

 この時代、背中の翼は移動手段としても仕事を行うにしても重要なものである。男尊女卑の撤廃や女性の地位向上により、風切羽を切ることは基本的に禁止されている。

 共働きの家庭が増えたせいもあり、わざわざ翼の風切り羽を切り落とそうなどと考える者はいなくなった。


 だが、現代っ子で因習に囚われないはずの私の片方の翼には、風切り羽が無い。


 ――ある男に、切り落とされたからだ。




***




緋花ひばな! いつまでも寝てないで店番しな!」


 下から怒鳴るのは、祖母の日色ひいろである。

 天井から吊り下がったかごにうつ伏せて、クッションを抱き潰して二度寝していた緋花は、しぶしぶ起き上がった。これで起きなければ、下から箒で籠を突かれるのがわかっているからだ。

 一度伸びをして、籠の端を掴んでから三メートル下の床に身軽に飛び降りる。箒を手にした祖母がじろりと睨み上げてきた。


「ほいほい飛び降りるんじゃないよ。万が一アタシにぶつかって、アタシが怪我したらどうするんだい」


 こちらの怪我はどうでもいいようだ。

 緋花は肩を竦めて、「そんなヘマしないよ」と軽く返す。

 半年前まで軍に所属して鍛えた身体は、そうそう鈍るものでもない。衰えないようにで筋トレだってしている。狙いを付けた場所に降りることは容易い。

 しかし祖母は、ふんと鼻を鳴らした。


「どうだかね。油断は禁物ってのは、アンタが一番知ってるだろ」


 祖母の目が、緋花の背中から生える翼に向けられた。


 緋花の翼は、祖母譲りの暗い茜色をしている。先の方に行くにつれて橙色のグラデーションがかかり、炎や夕陽のような綺麗な色をしていて、密かに自慢の翼だ。

 しかし、右側の翼は歪な形をしていた。

 一番外側の大きな羽、つまり風切羽が上から六本ほど無く、その部分だけ欠けた形をしている。翼を閉じていれば目立たないのだが、飛び降りる際に、癖で少し開いてしまっていたようだ。

 かく言う祖母の両翼も、緋花の右の片翼と同じような形をしている。これは、かつて祖父と結婚した際に風切羽を落としたからだ。

 だが、私の場合は結婚もしていないし、そもそも今じゃ風切羽を落とすなんて風習は、よほどの旧家や名家でない限り、誰もやっていない。


 少々、訳があるのだ。


「……別に、油断してたわけじゃないよ。大体、これは軍人にとって勲章みたいなもので――」

「はいはい。いいからさっさと店に出とくれ。アタシはこれから約束があるんだからね」

「老人会?」

「女子会だよ」


 祖母が振り下ろした箒の柄をさっと避けて、緋花は一階にある店の方へと向かった。





 緋花が祖母の雑貨屋で働くようになったのは、軍を辞めてからだ。


 学校を卒業した十八歳のときから十年間、緋花は国の軍に所属していた。

 有翼人によって作られたこの国は、『御柱みはしら』と呼ばれる数百もの大きな木々の上にある。有翼人は、そびえ立つ幾つもの御柱の上に家を作って、橋を渡し、町を作って生活しているのだ。

 しかし、この柱の下――有翼人からは『奈落ならく』と呼ばれる場所に問題があった。

 御柱の下の方、つまり地面には、有翼人にとって天敵の『朽縄くちなわ』と呼ばれる大きな蛇が住んでいる。

 そいつらは通常は地面に住む動物を食べるのだが、一番の好物は有翼人だった。時折、有翼人を求めて御柱をのぼってこようとする。

 国ができたばかりの頃は、この朽縄による被害が多く、犠牲になった者は数知れないと言う。

 そこで作られたのが軍だ。

 御柱を監視し、上ってこようとする朽縄を防ぐのが基本的な仕事である。他にも、誤って奈落に落ちてしまった有翼人の捜索や救助、危険な朽縄の駆除もある。


 女性ながら背が高く、生まれながら運動神経も飛行能力も長けている緋花にとっては、天職だった。男性ばかりの中で訓練に明け暮れ、めきめきと力を伸ばした。

 四年前には、二十四歳の若さで特殊遊撃隊――奈落での危険な探索や救助活動が許されている戦闘部隊だ――に配属されることとなり、民間の出ながらエリートコースに乗った。まあ、自分がいたのは少々癖のある連中が揃う部隊であったが。

 緋花は、空から落ちる雨のごとく、豪速で地面すれすれまで落ちてから仕掛ける奇襲を得意としていた。翼が赤色であることも合わせて、さながら天から降る火球のようであると、軍の中では少しばかり名を知られていた。


 しかし――


 半年前、緋花は任務中に大怪我を負い、それが原因で軍を辞めることになった。風切羽を失い、自由に飛べることができなくなったのだ。

 以来、退役軍人として手当をもらいながら、祖母の雑貨屋でだらだらと店番をするのが緋花の日課となっている。





 店番といっても、平日の昼間はほとんど客も来ない。

 椅子に座ってカウンターに肘を付き、店に置いてある雑誌をぺらりとめくりながら暇をつぶしていれば、木の扉が開く音がした。


「いらっしゃい――」


 顔を上げかけて視界に入った黒色に、思わず目元に力が入って歪んだ。しかしすぐに引っ込めて笑顔を作る。

 作り笑顔を浮かべる緋花を見やるのは、精悍な若い男だった。無言で軽く頭を下げて、店内に入ってくる。

 男は、よく見知った黒い軍服を身に纏っていた。背が高く、細身ながらも筋肉質な体つきが服の上からでも見て取れる。逞しい背から生えるのは、漆黒の大きな翼だ。

 翼と同じ漆黒の髪と瞳を持つ顔は端整で、表情が無いせいもあってか、人形のように美しく見える。

 軍人ということもあるが、声の掛けにくい雰囲気を持つ男である。そんな彼がカウンターに近寄ってきて、低い声でぼそりと告げる。


「ビスケットを一箱」


 いつもの注文だ。

 緋花は雑誌を広げたまま立ち上がり、カウンターの後ろの棚から大きな箱を一つ取り出した。箱の中には、甘いクリームを挟んだビスケットが大量に詰まっている。

 このビスケットは、緋花が軍にいた際、直属の上官が週に一度、ポケットマネーで皆に配っていたお菓子であった。当時は貴重な甘味として楽しみにしていたが、今となっては特に美味しくも思わない、ただただ甘い菓子である。

 釣銭のいらない丁度の代金がカウンターに置かれる。ビスケットの箱を袋に入れて、緋花は無言で差し出した。

 だが、袋を受け取っても男は去ろうとしない。緋花を見下ろしながら、尋ねてくる。


「……調子はどうだ」

「ああ、いいですよ。最高です。二度寝はし放題だし、きっつい訓練は無いし、ご飯もお菓子も好きな時間に食べ放題で。楽園みたいな生活です」

「そうか」

「ま、暇で暇でしょうがないのが難ですかね。あー……あとは、空が遠くなったって思うくらいですよ。誰かさんのせいで」


 緋花の頬が、皮肉気に歪んだ。


 ――皮肉だ。八つ当たりだ。


 自分でもいい加減止めておけばいいと思うのに、言葉は止まらない。


「わざわざ軍服で来て頂いて、お仕事お忙しいようで何よりです。部下にも相変わらず優しいんですねえ。週に一度のご褒美ですか。このビスケット、日持ちするからもっと買っていかれたらいかがです? わざわざ毎週買いに来るのも大変でしょう。隊長さんもお忙しいんですから」


 口から零れる緋花の嫌味を、男は黙って聞くだけだ。

 すべてを受け入れる黒い瞳は静かに凪いでいて、苛立つと同時にどんどん虚しくなってきた。胸の奥から溢れる黒い澱のような言葉を、ぐっと唇を噛んで止める。

 これ以上男を責めた所で、自分が惨めになるだけだ。緋花は浅い息を吐いて気を落ち着かせた。


「……毎度ありがとうございます」


 それだけ言って椅子に座ると、男の存在など無いように雑誌に視線を落とす。ページをめくる乾いた音だけが、店内に響く。

 やがて、かすかな足音の後に、軋む扉の音が聞こえてきた。たっぷり十秒経過した後に顔を上げれば、すでに男の姿はない。


「……」


 緋花は詰めていた息を吐いた。

 読んでもいなかった雑誌を乱暴に閉じて、椅子の背に寄りかかる。

 行儀悪く足をカウンターの上にあげて、傾いた椅子のバランスを取りながら、天井を見上げた。

 薄暗い電灯が、天井に黒い影を作っている。闇のような色合いは、先ほど見た羽と目の色に、よく似ている。


 ――あの黒羽の男は、緋花のかつての上官だ。

 エリートで、特殊遊撃隊の第六部隊の隊長。そして――


 私の羽を、奪った男。


 男は毎週必ず、ビスケットを買いに緋花の前に現れる。






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