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  作者: 青
第1章
9/12

全員出動

花火大会翌日。

今日は全員が事務所へ行く日で、朝早くからバタバタしていた。

……私だけ。


「えーっと、今日の私の担当は……」

「B地区からD地区だな」


午前シフトが故、慌てるように来た事務所で今日私が巡回する地域の場所を確認していると、午後シフトの界が背後から覗き込んできた。


「界!びっくりしたー。もう、声くらいかけてよ」


突然耳元で鳴り響いた界の声に肩をビクッと震わせる。


「悪い。それより、もう修介も翼も行ったぞ」

「えっ!私も早く着替えて行かなきゃ!」


急に耳元で話されたことに驚きを見せれば、界は一言謝った後、それ以上に驚く言葉を私に放った。

なんと、同じ午前シフトの修介も翼も既に事務所を出た後だと言う。

そんな界の言葉に焦りが生まれた私は、急いで更衣室の中へと入り、「2人とも行く時くらい声かけてくれてもいいじゃん」と今ここにいない修介と翼に心の中で八つ当たりをしながら急いで支度をすれば。


「界、私も行ってくるね!」


短時間で支度を済ませて、奥のデスクに座って何やらパソコンを弄っている界へと声を掛けた。


「美月」


ドアノブに手をかけ、急いで外に出ようとする私に、今度は界から声がかかる。

その声に誘われるように後ろを振り向くと。


「いってらっしゃい」


優しい顔を浮かべている界がいて、“あの言葉”を言ってくれた。


「行ってきます!」


それに返すように私からも放たれる、幸せな“あの言葉”。

そんな優しい界の声と笑顔に釣られるように自然と零れた笑みは、これから見回りへと出かける私の背中を押してくれるようで。

界とそうして言葉を交わし合い、事務所の外に出ると、携帯用端末の電源を入れる。

そして、そこに表示されている私の巡回ルートを見て、地図が指し示す場所へと向かって行った。



正午になり、仕事を終えた私は事務所へと向かっていた。

事務所に戻ってアイスでも食べようかな、なんて考えながら事務所のドアを開く。


「ただいま」

「おかえり」

「おかえりー」


事務所の中に入ると、予想外にも返ってきた声は2つで。

見れば戻ってきていた翼と、まだ帰って来てない修介と交代していない様子の界がいた。


「美月、翼。少し頼みたいことがある」

「うん、良いよ。なに?」


修介がまだ帰って来ていないのかと考えていると、界から頼みたいことがあると言われて二つ返事で了承する。


「銀行に行って金をおろしてきて欲しい」

「りょーかい。美月、行くぞー」

「うん、待って!」


界に頼まれるや否や、翼はさっさと事務所を出て行ってしまった。

翼において行かれたと思い、急いで事務所を出ると、翼はちゃんと階段の目の前で待っていてくれていて安堵する。

翼が全力で走ったら私じゃ絶対について行けない。

どころか、暁の誰であろうとついて行くことは難しいだろう。

とまあ、そんな事は置いといて、並んで歩いた先に辿り着いた銀行。

2人で自動ドアを潜ると、銀行内にはそれなりに人がいた。


「美月、俺トイレ行ってくるな」

「うん、わかった。じゃあその間にお金おろしてくるね」

「おう、頼むわ」


銀行に着くや否やトイレに行くと言い出した翼。

そんな翼に任せてと言うと、翼はさっさとトイレに行ってしまった。

翼の背を見届けてから少しだけ並んでいた列に並び、お金をおろす。

そうしてやることを終えた後、喉の渇きを覚えた私はフロアをぐるりと見回してみて、まだ翼が戻ってきていないことを確認すると、飲み物を買いに自動販売機へ行くことにした。

以前来た時に見つけたのだが、この銀行にはトイレの隣にちょっとした休憩スペースのような場所があり、そこに自動販売機が設置されている。

その休憩スペースまで行き、自動販売機の前に立つと、そこには多くの種類の飲み物が。


(どれにしようかな……)


今日も相変わらず蒸し暑いので、爽やかなサイダーでも買おうかなと悩んでいると。


「動くな!!」


突然、先程まで私がいたホールの方からそんな怒鳴り声が聞こえて来た。

ドラマや映画などではよく聞く言葉。

現代日本では幾らか身近な台詞ではあるが、それでも戦闘員が非戦闘員を攻撃することは違反されているからか、あまり多く見られることは無い。

そんな、“最悪の事態”が頭を過り、どんどんと早くなっていく心臓に背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じた。

そうした自分の緊張状態をなんとか冷静なものへと変えるため、大きく深呼吸をすれば、脳に酸素が回ったことで少しだけ思考がクリアになる。

辺りを見回せば、幸か不幸か今この場に他の人はいない。

つまり、私は自由に動けるということだ。

それを理解したところで、一先ず事態の確認をするため、廊下から気付かれないようにホールの様子を見る。

ここでバレたら一巻の終わり。

ホールが見えるギリギリのところまで来ると、ホールの状況を確認していく。

身を縮めて。

息を潜めて。

一つ一つしっかりと確認する。

ホール内を見回したところ、どうやら予想通り銀行強盗のようだ。

目出し帽を被って銃を持っている人が5人。

その誰もが左胸元に戦闘員である証のバッジを付けている。


(あれは、佐々木グループ……)

(確かあそこのグループは崖っぷちで経済的にもギリギリだったはず)


彼らのバッジを見て、頭の中から情報を引き出し、彼ら自身に猶予が無いが故にこうした行動を起こしたのかと分析する。

手に持っているのは全員アサルトライフル。

だが、資金不足のせいか、それらはあまり手入れがキチンとされていないように見えた。


「全員手を挙げてカウンターの前に集まれ。妙な真似はするなよ」


犯人と思わしき連中の1人が、その場にいる人全員に命令をする。

すると、多くの人がその指示に従う中、1人の男性が命令を出した人物に掴みかかろうとした。


「誰がお前らなんかに従うか!」


良く言えば“勇敢”。

悪く言えば“無謀”。

そんな行動を取った男性は、耳をつんざく様な音が聞こえたと思った瞬間、崩れ落ちるように床に倒れていた。

そして途端に広がる真っ赤な液体。

男性が掴みかかろうとしていた人物に視線を向けると、その人物の持っている銃口から少量の煙が出ていた。

アイツが撃った。

それだけの情報で誰もがそれを理解した。

床に広がる赤黒い液体を見た瞬間。

銃口から流れる煙を見た瞬間。

1人の女性の悲鳴と共に、そのホール内はパニックに包まれた。

そんな恐怖による叫び声が響くホール内に。

その中にいる犯人連中の、さっきとはまた違う人物が明らかな苛立ちを見せた。

そして、その人物が腰元のホルスターから取り出した拳銃を天井に向けたかと思うと。


「っ!」


また一度、耳をつんざく様な音がホール内に鳴り響いた。

瞬間、静まり返ったその空間。


「黙れ」


そして響いたのはドスの利いた低い声で。


「お前らもこうなりたく無かったら、さっさと指示に従え」


そう一言放つと、ホール内の“被害者”たちを静かに見下ろした。

もう、誰も叫び声を上げる者はいなかった。

シンと静まり返った空間に、犯人連中の声だけが響く。


「今から隣の奴と2人1組になり、お互いの腕を縛り合え」

「当然、座ってからな」


そんな命令が犯人側からされると、全員が連中の指示に従ってお互いに腕を縛り合い始める。

中には、恐怖で指が震えて中々縛れなかった人もいたが、誰一人として反抗的な態度を取ることは無かった。


「よし、終わったな」


そして、全員の腕が縛り終わったことを確認した犯人連中は、今度は鞄からガムテープを取り出し、連中はそのガムテープで全員の口を塞ぎ始めた。

これで、一通りは終わったらしい。

それが分かり、翼に状況を話しに行こうと考えるが、その前に先程撃たれた男性の状態を確認する。

すると、どうやら撃たれたのは右肩だったらしく、まだ息はしているようだった。

だが出血が酷く、安心できる状態ではなさそうだ。

浅く繰り返されている呼吸が、その何よりの証拠。

それが分かったところで早く暁の皆に伝えようと、慎重にその場から離れた。

早く早くと急ぐ気持ちをなんとか抑えて、バレないようにと足音を立てずに歩く。

そして、辿り着いた男子トイレに迷うことなく足を踏み入れれば。


「翼、今大変なのっ……!」


しっかりと扉を閉めてから、手洗い場にいた翼の元へと駆け寄った。

なるべく声を押し殺して、だけど緊急さは伝わるようにと声を放つ。


「うおっ、美月!ここ男子トイ――」

「シッ!静かに」


事情を知らない翼が大きな声を出そうとしたところで、咄嗟に翼の口を塞げば。

私のそうした雰囲気から何かがあったのだと悟ったらしい翼が、静かに私の言葉に耳を傾けだした。


「今、銀行強盗犯がホールを占拠してるの。男性が一人撃たれた。撃たれたのは幸い肩だったから死んではいないけど出血が酷い」


私から放たれた言葉の内容は、きっと翼の想像を絶するものだったのだろう。

翼のその深紅の瞳が驚きに見開かれた。


「なら、警察に連絡するぞ」

「それは勿論なんだけど、でもそれをやるのは私たちじゃない」

「それって、」

「うん。暁の皆にこの状況を知らせよう」


今の状況をしっかりと飲み込んだ翼が、警察に連絡をしようと提案してきた。

そしてそれは確かにその通りだったのだが、今のこの状況で電話をかけ、相手が出るのを待ち、状況を伝える。

そのような事をやるだけの猶予が私たちにあるのかと、疑問が湧いた私は今の状況を暁の皆に伝え、皆に警察に電話をしてもらった方が良いのではと感じた。


「私が皆に状況を伝えるから、翼はピアスと指輪のスイッチを入れて」

「分かった」


暁の皆に知らせるという選択に対し翼が頷いたことを確認すると、これからの動きを説明した。




***




そんな中で私が出した『ピアス』と『指輪』というワードは、暁全員が常に身に着けているもので。

このピアスと指輪は携帯用端末同様、私が作った物だ。

それぞれどの様な仕組みになっているのかと言うと、『ピアス』は位置を知らせるGPSの機能を。

『指輪』はそれを見に着けている人自身が緊急事態であることを知らせるためのものとなっている。

もう少し分かりやすく説明するため『ピアス』『指輪』『携帯用端末』の三つの紐づけて例を挙げてみると、これら3つはそれを所持している人のデータが連動していて。

もしその人物がピンチに陥り助けが必要な状態になった場合。

その人物がまず『指輪』のスイッチを入れると、その人以外の暁全員の指輪が震え、誰かが助けを求めていることを知らせることが出来る。

その次に『ピアス』のスイッチを入れると、その助けを求めた人は点滅した状態で、他のメンバーは点滅せずに今いるそれぞれの場所を携帯用端末で知ることが出来るといった機能だ。




***




そうして私の建てた案に頷いた翼と、すぐさまそれぞれ作業に取り掛かった。

私は携帯用端末を取り出し電源を入れると、詳細に、けれど端的に打ったメッセージを暁の皆に一斉送信する。

その間、翼はピアスと指輪のスイッチを入れていて、取り敢えず今私たちがやれることの全てをやり終えた。

だが、やれることをやったは良いが、これからの動きも考えなければならない。

ホールには数多くの人質たちがいる。

敵の数は5人で全員銃を持っているのに対し、私たちはそれぞれ自分の武器はナイフのみなうえ、人質を多く抱えたまま、戦闘員がたったの2人だ。


(どう動くのが最善だろう……)


頭の中で作戦が浮かんでは消えてを繰り返し、色々な考えがグルグルと回っていく。

今、私たちの両肩には数十人の命がのしかかっている。

その責任と重圧に、私の全身が強張るのを感じた。


「これからどうしよう。下手に動くこともでき――」

「ちょっと待て。足音がする」


「できない」そう続くはずだった私の言葉は、翼の緊迫した声によって遮られた。

その翼の言葉に、開いていた口が自然に閉じる。

すると、それによって訪れた静寂に、耳を澄まさなくてもその音は容易に聞こえてきて。

コツ、コツと静かな通路に響き渡る危険な足音。

気付かれたのか、それともトイレに誰かいないかを確認しに来たのか。

どちらにせよ状況は最悪だ。

心臓の鼓動がまるで耳元で鳴っているのではないかと思う程に大きく、速くなっていく。

手には汗が滲み、呼吸のがどんどん荒くなっていく。

その瞬間、ふと翼の顔が視界に入った。

すると、何故だかは分からないが、翼の顔を見た途端、呼吸が幾らかしやすくなり、少しばかり思考が冷静になる。

だけどこうしている間にもその足音は近づいていて。

どうしようかと考えるよりも早く、私は端末に電源を入れると、そこに素早く文字を打ちこんだ。


『翼はドアの死角に隠れて、私が囮になる。相手の意識が私に向いている内に、翼はドアを閉めてから相手を気絶させて』


翼がここにいるという安心感や信頼感からか、ほぼ反射的に思いついた作戦を翼に見せれば。

それを見た翼は深紅の瞳で力強く私を見つめ、しっかりと頷いてくれた。

そして直ぐに翼がドアの死角に移動して、それを確認した私もドアの正面になるべく距離を取って立った。

コツ、コツ、と徐々に私たちの居るこの場所に近づいて来ているその音。

2人とも息を潜めているため、先程よりも鮮明に聞こえるその音が、私の中の恐怖心を増幅させていった。


(怖い……)


いくら戦場を経験しようとも、一切慣れることのないこの嫌な緊張感に全身が震え、心臓の音が速くなる。


(どんなに戦おうと、命が脅かされる瞬間はやっぱり怖い)

(だけど、この道に進むと決めたのは私なんだ)


そう心の中で呟いた瞬間。

ガチャッと音を立てて目の前のドアが開かれた。


(来たっ……!)


「あ?オンナ?お前何でここにいるんだよ。ここ男子トイレだぞ」

「まあ、いいや。殺せば同じことだ」


入ってきたのはやはり先程の連中の1人で。

ソイツはそう言うや否や、私に向かって銃口を向けて来た。

そして、私がゆっくりと手を上げる。

ソイツが入ってきた事で、銃口を向けられた事で、一瞬止まった呼吸がまた浅くなって戻ってきた。


(怖い)


だけど、今私が翼の方に視線を向けたら相手が翼の存在に気付いてしまう。


(怖いっ……)

(でも、大丈夫)

(翼を信じろ!)


犯人が私にゆっくりと近づき、私の目の前で立ち止まった。

そんな私と銃口との距離は、わずか5センチ。


「じゃあな、っ!?」


犯人が声を放った瞬間、翼が一瞬で相手の懐に潜り込み、わき腹を抉るように蹴った。

そしてその衝撃で犯人が落とした銃を私が拾い上げると、畳み掛けるように翼が相手の鳩尾を素早く殴った。


「気絶……したよな?」

「うん、多分……」


翼の攻撃のお陰で犯人が動かないことを確認すると、思わず安堵の息が漏れた。


「取り敢えず他に武器が無いか確認してから縛ろう。あ、その前に無線取っておかなきゃ」

「そうだな」


なにか縛れるものが無いか探すため、掃除用具入れの中を探ると、中からホースが出てきた。

それを使って犯人の両手首を縛るのを翼にやってもらう間、私は他に武器を持っていないかを調べる。


「これで良し。他に武器もなかったし大丈夫かな。一応この人を個室の中に隠しておこう」

「おう」


一通り調べたが、この人は私に向けて来たアサルトライフル以外の武器は持っていなかった。

きっと、あの時天井に拳銃を向けて銃声を放っていたのは他の人なのだろう。


「こいつ重っ!なあ美月、鍵ってどうやって掛けるんだ?」


私がそうして考えていると、いつの間にか犯人を移動させようとしていた翼が驚きの声を上げていて。

重いと言いながらもしっかりと個室の中に犯人を入れた翼は、先程私の言った事をどのようにして実行すれば良いのかを尋ねてきた。


「中から鍵をかけて上から出てくるの。私がやるよ」

「いい、俺がやる。お前まだ腕震えてるぞ。そんなんじゃ力入んないだろ」


翼に頼み過ぎるのは良くないと思って私がやると申し出るが、そんな私の強がりなんて翼には簡単に見抜かれてしまう。

結局、最後まで翼にやってもらうことになり、私の中には申し訳なさが広がった。


「翼、ありがとう」

「おう。じゃあちょっと待ってろ」


そうして眉を下げる私に、翼はニカッと八重歯を見せて笑うと、個室の中へと消えて行った。


「これでオッケーだな」


中から鍵をかけ終えた翼が個室のドア上部から顔を出し、床にストンと軽やかに着地した。


「うん。一応みんなに今の私たちの状況を説明しておこう」


そう言いながらポケットから取り出した端末で、今の自分たちの居場所や先程対峙した犯人の事などを打ち込んでいく。


「……美月」

「どうしたの?」


素早く端末に打ち込み、一度確認したメッセージを皆へと送信したタイミングで、翼が私の事を呼んで来て。

どうかしたのかと聞きながら、メッセージを送信した端末から視線を翼へと移せば、翼の視線が注がれていた場所は私の顔、ではなく腕だった。


「腕の震え、まだ収まって無いな」


先程から恐怖は感じていたものの、多くの人たちの命が掛かっている責任感や、犯人と対峙した緊張感から、頭が“恐怖”という文字を排除しようとしていたのだろう。

だからか、翼に言われてようやく気付いた未だ止まっていない腕の震え。

なんとか気丈に振る舞うことで自分自身は誤魔化せても、長い付き合いになる翼には誤魔化せなかったようだ。


「大丈夫。今はそんなこと言ってる場合じゃないしね」


本当は大丈夫じゃない。

だけど、この事態を一刻も早く解決するためにはそんなことも言ってはいられない。

私がそう言うと、翼は私のその言葉に同調するように頷いた。


「後もう少しだけ頑張れ」


その言葉と共に私の頭に置かれた翼の手の平。

翼の存在が、置かれた手の重みが、震えて機能を放棄しようとしている私の足を奮い立たせてくれる。


(ああ、この場に翼が居てくれて良かった)


目の前の眩しい笑顔を向けてくるこの人に心からの感謝をした。




***




一方、美月が一度目のメッセージを送る少し前の事務所では。


「ただいま」

「朔弥。おかえり」


今日一番最後に帰ってきた朔弥を迎え入れながら、コーヒーの入ったマグカップを朔弥に手渡すのは修介。


「おかえり」

「おけーりー」


そんな修介に続いて朔弥に声を掛ける界と春樹は、ソファに座りながら何やらテレビを見ているのだが。

その画面に映っているのは、最近はやりのスポットやグルメなどを面白おかしく紹介しているタレントたちの姿で。

そうした内容があまりにも似合わないこの2人に、それを見て面白いのかと朔弥は尋ねそうになった。

だが、そんな疑問が喉元まで来たところで、ぐっとそれを堪える。

それはなぜなら、きっとこの2人のことだから適当につけた番組がこれで、取り敢えず何か流れていれば良いとか、そんなところだろうと判断したからだった。

というより、間違いなく朔弥の予想通りだろう。


「取り敢えず、今日はここまでだな」


特に2人の見ている番組には触れずに、修介が渡してくれたマグカップを受けとる朔弥。


「そーだなー。後で通報でもあればまた出ることになりそーだけど」


表の仕事のせいなのか、疲れた様にそう言う春樹の身体は、心なしか隣に座っている界以上にソファに沈んでいるように見える。

そんな春樹に向けて朔弥が憐れむような視線を送った直後。

全員の指についている暁共通の指輪が振動した。

指輪の振動、それはつまり緊急信号だ。

そしてその瞬間、事務所内に緊迫感が広がる。

すると、指輪の振動を察知した全員は、無言で自身の耳についているピアスのスイッチを入れ、その次に端末を取り出し、誰が信号を発信しているのかの確認を始める。

見れば発信元は翼で、直後届いた美月からのメッセージをそれぞれ開いた。


「銀行強盗?戦闘員の犯人が5人に負傷者1人って相当マズいな」


美月から送られてきたメッセージの内容は相当に緊迫したもので、それを呟くように読む朔弥の顔からは少しばかり焦りが見える。


「違う。“美月の位置から目視で来た人数が”だ」


だが、その直後に放たれた界の言葉にハッとした。

確かに、美月の位置から見えていない犯人がいたかもしれないし、犯人が客や従業員に紛れているかもしれない。

そんな予想に、眉間にシワを寄せて険しい表情をする修介、春樹、朔弥の3人。


「考えるのは後だ。指示をするから全員効率よく動け」


だが、いつまでも端末を眺めていても状況は悪くなるばかり。

ならばと、界の冷静な指示に全員頷いた。

今、暁が動き出す。


「修介は警察に通報。美月のメッセージに書いてあったことを全て話せ」

「わかった」


「春樹は救急車の手配。犯人に気づかれないようにサイレンを消すように言うのも忘れるな。それと、一応お前も手当てできるものを持っていけ」

「ああ」


界の指示を受け、慌ただしく動き出す2人。

そんな界は2人に指示を出した後、自分のパソコンを開くと、驚くべき速さでキーボードを叩き始めた。


「俺はアイツらの服と武器を用意する」

「ああ。頼む」


修介、春樹、界が忙しく動く中、自分のやるべきことを悟った朔弥が、現場に着いた後の事を考え、美月と翼の暁の時の必需品を持っていく準備に動く。

更衣室に入った朔弥が美月と翼のロッカーを開け、それぞれのスーツや靴、変装アイテムなどを大きな鞄に詰めていくと。

そうして2人の荷物を詰めて行くことで朔弥があることに気付いた。

それは、どうやら2人とも自身のメイン武器は持っていないということだった。


(なおさら早く行く必要があるな)


自分たちの一番使い慣れた武器を持っていないとなると、そんなことは無いと思いたいが、無抵抗のまま殺されることも今の2人ならあり得る。

だが、逆に持っていたとしても安心できるような状態では無いのは誰の目にも明らかで。

2人が抵抗する術を少ししか持っていないことを知り、先程よりも幾らか焦りが強くなった状態で他のメンバーの待つ事務所のリビングへと戻った。


「界、警察に通報し終わったぞ」

「こっちも救急車の手配と応急処置の準備が終わった」


朔弥が美月と翼の持ち物を詰めている間に、どうやら2人は各所への連絡を終わらせたようだ。


「俺も準備できた。後、あいつらメイン武器は持っていって無いらしい」

「……そうか、分かった」


朔弥も2人に続き、皆に持ち物を詰めた鞄を見せながら2人の状況を話すと、3人とも先程の朔弥同様、更に不安の色を強くした。


「とにかく現場に行くぞ」

「そうだな」


この場でやれることは全てやった。

ならば次は美月と翼を助けてやれる距離にいよう。

短く、力のこもった界の言葉に、一同頷いた。



修介の運転する車で現場である銀行まで来た4人。


「やっぱりシャッターは下ろされてるな」


銀行に着いた4人が一番に目に入ったのはそれだった。

だが、確かにこれでは中の様子が分からないものの、それは相手も同じこと。

こちらから中の様子が見えていないということは、相手からもこちらの姿は見えていないということだ。

これで暁の皆も好きなように動ける。

現場には、未だ警察も救急車も到着しておらず。

一応全体像を把握するために建物をぐるりと一周する者もおれば、中にいる犯人を睨み付けるように鋭い眼差しをシャッターに向ける者もいる。

現場に持ってきたパソコンを操作する者もおれば、そんな全員を見守る者もいる。

そうして全員がそれぞれの行動を取っている最中、全員の元に美月からの2度目のメッセージが届いた。


「っ!……マズいな」

「何が」


珍しく焦りの色を見せた界の手には、直前に美月からメッセージが送られてきた端末が。

その視線は鋭いものとなり、メッセージの内容を見つめている。

その声を聞いていた朔弥がどうかしたのかと尋ねれば、界は一度自分を落ち着かせるように息を吐くと冷静に話し出した。


「翼が犯人を1人気絶させ、トイレの個室に隠したらしい。つまり、ソイツはトイレに行ったまま戻って来ないことになる」


界の放った言葉の続きが分かったのか、修介と春樹の顔色が焦りのそれに変わる。


「このままだと美月と翼の居場所がバレるってことか」

「ああ」


結論を急いだ春樹の言葉に、朔弥の表情からも焦りが生まれた。


「なら、どうすんだよ」


朔弥の焦燥を滲ませた口調は、修介と春樹の気持ちを表したものでもあって。


「仕方ない。少し強引な手を使う」


界の視線はシャッターの向こう側にいる犯人たちに向いているのか、はたまた今も危険と隣り合わせの状態にある美月と翼に向かっているのか。


「朔弥、――」


それが朔弥へと移されて、その後に放たれた界の言葉。

その内容に修介と春樹の瞳が驚きに見開かれた。



場所は変わって銀行内にある男子トイレの中。

気絶させた犯人を個室内に隠し、これからどうするかと話し合っていた私たちの元に界からのメッセージが届いた。


『お前らの存在がバレるのも時間の問題だ。送った見取り図を見ながら裏口に向かえ』


界からのメッセージを呼んだ後、全員の端末へと送られているであろうこの銀行の見取り図を確認する。


「翼」

「ああ、今見た。準備が出来たら行くぞ」

「うん」


中に捕らわれている人たちを助けるためにも、一旦体制を整えた方がいい。

界からのメッセージには書いていなかったけど、多分みんなはこの銀行の外にいる。

いや、そうに違いない。

ならば私たちのやるべき事はただ一つ。

翼と顔を見合わせて頷き合った。



「春樹、これで裏口の扉をピッキングしてこい」


界がそう言って渡したのは細い針金のような物。


「……ああ」


だが、先程聞いた界の建てた作戦には相当な危険性を帯びているため、春樹の表情にも厳しい色が表れている。

そんな春樹は針金よりもしっかりとした造りのそれを界から受け取ると、真っ直ぐ裏口へと向かって行った。



「じゃあ美月、行くぞ。俺が前を行くから離れるなよ」

「うん、」


この外に出れば、またあの恐怖が待っている。

銃口を突き付けられたあの時の感情が蘇ってきた。

全身は恐怖と緊張からカタカタと震えだし、心臓の鼓動は速くなる。

すると、そんな私の様子に気付いたのだろう。

翼が気遣わし気に振り向いた。


「全部終わったら、またチョコレートアイス買ってやるよ」


一見すると場違いなその言葉。

だけど今の私には、翼が一緒にいるという事実を再確認できたことと、何気なく放たれた“未来”を予感させた言葉が、私の心を奮い立たせた。


「……ありがとう、翼」


もう身体は震えていない。

私が見据えるのは未来だけだ。


「よし、行くぞ」

「うん」


そんな私の様子を見るなり、翼も視線を前に戻す。

そして聞こえた私の声を合図に目の前の扉を開くと、周囲に誰もいない事を確認してから飛び出した翼は、速いペースで走り出した。

暁の中で一番運動神経が良い翼が速い事は分かっていたけど、普通に走っただけでもこのペースでは、ついて行くのに精一杯だ。

翼になんとかついて行きながら足音を立てないように全力で走っていたら、先に曲がり角に到達した翼が私に止まるよう手で指示してきた。

その翼の様子から、どうやら犯人がいるらしいことに気付く。

翼の指示に従い足を止め、乱れた呼吸を整えている私に再び緊張感が戻ってくる。

そして、しばらく角の向こう側を見ていた翼が振り向くと、「行くぞ」と目で合図を送ってきた。

私がその合図に一度頷き、それを見た翼が再び走り出す。

そんな翼に続いて私も走り出すと、角を曲がった通路の先に外へと続く扉が私の視界に入った。

一歩、また一歩と、扉と私たちとの距離を縮めていく。

緊張状態が長く続いていて、精神的な限界が近かった私には、その扉が希望に満ちた何かに見えた。


(この扉から外に出れば、ようやく暁の皆と合流できる……!)


そうした私の強い期待は。


「うお、ビックリした。何だよ、まだ人がいたのか」


いとも簡単に打ち砕かれた。

外へと続く扉の前に立ち塞がったのは犯人で。

勿論その手には黒く光るアサルトライフルが。

その光景を視界に入れた瞬間、私の顔が絶望に支配されていった。


「美月、下がってろ」


だが、そんな状況の中、聞こえたのは力強く頼もしい翼の声で。

その声が私の鼓膜を通って絶望の色に染まりかけている心に届いた。


(1人で勝手に絶望するな)

(弱気になるな)

(今、私にできる最善を……!)


翼のお陰で力が戻った私の瞳が捉えたのは、こちらに銃口を向けてくる犯人の姿。


(何かこの状況を打開できる策があるはず)

(考えろ、考えろ、考えろ!)


ニヤリと嫌な笑みを浮かべて銃口を突き付けてくる犯人。

ナイフを構えたまま切迫さを帯びる翼の表情。

打開策を探す私。

そして次の瞬間、通路に響いた音により、私の頭は真っ白になった。

ドクッと心臓が嫌な音を立て、指先が冷え始める。


「マジ、かよ……」


その後聞こえて来た翼の呟きは、未だ機能を再開しようとしていない私の頭に容赦なく現実を突き付けてきた。

そんな私たちの耳に聞こえて来たのは2つの靴音。

そしてその音源は、私の背後だった。



「警察と救急車が来たな」


美月と翼がトイレの中で裏口へ行こうと話している頃、表には次々とパトカーと救急車が集まって来ていた。

到着したばかりの警察官たちと救急隊員たちを見ながら界がそう言うと、その中から1人の警察官が暁の彼らのいる方まで歩いてきた。


「遅くなって申し訳ない。私は警視庁捜査一課、特殊犯捜査第一係所属の矢島だ。君たちは暁だね?」


警視庁の“矢島”と名乗った男性が、警察手帳を見せながら自己紹介をする。


「はい。暁のシュウです」


警察相手とはいえ、本名を言う訳にはいかない。

なぜなら、言ってしまえば自分たちの素性がバレてしまうから。

そんな理由から、修介のみが暁で使っている時の名前を名乗れば、矢島さんは“名前”に関して特に何も言うことなく、2人は握手を交わした。


「早速だが、今の状況を説明して欲しい」


すぐに本題に入れるのは、暁側からしても願ってない事で。

代表して界が頷くと、端的に分かりやすく、今界たちが分かっている状況の全て説明した。


「……そうか。それで、君の考えている策を教えてくれるか」


伊達に場数を踏んできた訳じゃないのだろう。

矢島さんは一瞬で界が暁の司令塔だと見抜くと、界の立てた策を聞いてきた。

そして伝えられた作戦内容。

だが、その作戦内容を全て聞き終えた矢島さんは、難色を示した。


「確かに君たちは戦闘員だが、この国の国民だ。私は警察官として、そんな君たち危険に晒すような作戦を実行することを許すことはできない」


界の作戦は法律のことを考えると100点満点の答えなのだろうが、矢島さんの言うことは警察官としての確かな誇りを持っているからこその答えなのだろう。


「なら、どうするのですか。こうしている今も負傷者の命は死へと向かっているうえ、捕らわれている人たちも精神的に限界だろう」

「貴方にはこれ以上の策を何かお持ちなのか」


だが、今回ばかりは界も引き下がらなかった。

こうしている今も、美月と翼が危険に晒されているかもしれない。

そうした事実に、界も冷静さを保っているように見えて、実は焦っているのかもしれない。


「君も作戦を立案する立場の者なら分かっているだろうが、完璧な作戦などは存在しない」


矢島さんの核心を突いた言葉に、この場の空気がピリピリと震える。

誰も口を開く者はいない。

ただ静かに、その場にいる全員が矢島さんの問いに対しての界の答えを待った。


「仲間を“殺す”覚悟なんて必要ない。必要なのは“信じる”覚悟だけだ」


いつも、「常に最悪の事態を考えながら動け」と言っている界からは想像もできないその言葉。

先程の界の言葉だけを聞けば、夢見がちな若者の台詞にも聞こえるだろう。

だが、自分の力を過信も謙遜もしない界だと知っている暁のメンバーだからこそ。

時には、最悪の事態を想像することよりも信じることの方が何倍も難しい事を知っている矢島さんだからこそ。

この界の放った何の含みもない、事実だけを並べた言葉がストンと心の中に落ちた。


「……分かった。なら、君が指揮をとりなさい」


そして少しの間の後に紡がれた矢島さんの言葉には、もう疑念は含まれていなかった。

人質は全員助ける、犯人ももちろん全員捕まえる。

だけど、その上でこの人は界の実力も図ろうとしているのだろう。


「分かりました。ですが、警察の方々の他の個々の技量や班の組み方など、俺は何も知りません。なので、そちらの方はお願いします」

「わかった。それでいこう」


矢島さんの声を合図にピリピリとした空気が、違った緊張感のあるものへと変わる。

暁のメンバーが全員耳に無線を付け、警察官たちも暁のメンバーも全員各々の持ち場に着いた。


「これからメンバーを突入させます」

「わかった。君のタイミングで合図を出してくれて構わない」


作戦が始まる直前特有の、肌を刺す様な緊張感がこの場を支配する。

矢島さんの言葉に界は一度頷くと、目の前のパソコンを見ながらタイミングを取る。


『カウントは5秒前から取る』

『わかった』


無線を通して聞こえて来た界の声に、暁のメンバーが反応する。

そして、勿論その界の声は、警察官たちにも聞こえていた。

全員が今か今かと界の様子を伺う。

すると、ずっとパソコンの画面を見ていた界の眉が、一瞬ピクリと動いた。


『行くぞ』


ついに、これから始まる合図を放った。

それによって一層高まる緊張感。


『5、4、』


始まったカウントダウンに緊張感が高まっていく。


『3』


一人一人の呼吸音が聞こえる。


『2』


手に汗が滲み。


『1』


心臓の鼓動が速くなる。


『作戦開始』


その瞬間、修介がドアを開け放ち中へと侵入した。



「マジ、かよ……」


悲壮感を滲ませた翼の声が落とされた。

ドクッと心臓が嫌な音を立てて、指先が冷え始める。

突如として私の背後から鳴り響いた2つの靴音。

その音を響かせている本人は未だ現れてはいないが、この場所は他に分かれ道などない一本の通路。

きっと、すぐにでもそこの角から姿を現すに違いない。

そして未だ扉の前にそびえ立つは、銃口をこちらに向けている犯人。


「そんなナイフだけで銃を持った俺に勝てると思ってんのか」


目の前の犯人がそれでもなお抗おうとする私たちを嘲笑うように声を放った、その直後。


「あ?まだ人がいるじゃねえか」

「……」


無情にも後ろから迫りくる靴音の本人たちが私たちを視界に捉えた。


(最悪だ……)


最悪の事態が起こってしまった。


「悪いが、お前らには死んでもらうぜ」


目の前の犯人が私たちにそう告げた。

どこにも逃げ場などないうえ、この最悪な状況を切り抜ける案も思い浮かばない。

私がそう絶望に打ちひしがれた次の瞬間。

私たちが期待してやまなかった扉の向こう側から光が差し込んだ。

そして、そこから差し込む光の筋が大きくなるのと同時に、その場にいた全員の視線が扉の方へと向けられる。

私たちと外を遮る大きく重たい鉄の扉。

そこから漏れた光はあまりにも眩しくて、私は一瞬目を細めた。

そんな扉から現れたのは。


「修介、春樹……」


何よりも安心する存在で、そんな2人に呆気に取られていたのは私だけでは無かった。


「は?お前ら誰だよ」


完全に混乱している犯人側。

そうして、私たちの間に流れる時間が一瞬止まったその隙に、修介が素早く私たちと外とを隔てる犯人の手首を捻り上げた。

それを見てハッとした翼は、ナイフで相手の銃を落とすと、先程と同じように犯人の鳩尾を殴った。

その翼の一発によって気絶し床に倒れた犯人。

そんな2人のお陰で、少しだけこの場の空気が軽くなったような気がした。

しかし……。


「おい、なに勝手にやってくれてんだよ」


もちろん、この場にいる犯人は一人では無いわけで。

それを他の犯人が許すはずもなかった。

その証拠に、カチャッと音を立てて私の頭に当てられた固い感触。


「それ以上勝手な真似したら、この女の頭が吹き飛ぶぞ」


一瞬の気の緩み。

それによって私は人質になってしまった。

すると、再び高まる緊張感。

皆の足手まといにだけはなりたくないのに。

それなのに、思い出されるのは先程目の前まで迫った、黒くて絶望しか生まない銃口で。

そのせいで自然と震えだす私の身体。

乾いた呼吸が私の口から出ては引っ込んで。

すると、そんな私の耳に届いたのは、もう一つの足音。


「おい、俺がコイツを人質にしてる間にそいつら全員殺せ」


振り向かずに後ろから近づいてくるもう一つの足音に向かって放たれたその言葉。

そんな、なんてこと無いように放たれた犯人の言葉は、絶望の色となって私の鼓膜を震わせた。


(悔しい……!)

(悔しい、悔しい、悔しい!)


この日初めての感情が私の中に沸き上がった。

先程までは恐怖しかなかった私の心が、身体が。

それを塗りつぶすかのような激しい怒りに襲われた。

全員が怒りで震え、身体が沸騰した様に熱くなる。

そうして、真っ赤に燃えた私の視界が捉えたのは、未だ銃口を突き付けてくる犯人だった。

そんな私の瞳を見たその犯人は、一瞬怯んだように見えた。


「私の仲間は誰であろうと絶対に傷つけさせない!」


ここで大声を出したら他の犯人に気付かれるのではないか、とか。

もっと冷静に動かなければ、とか。

そんな簡単な事すら無視した、衝動的に放たれた言葉。

それと共に、ビリビリと肌を刺す様な空気がこの空間を一瞬支配した。

全員がその空気に囚われ、動けないでいたが、いち早くその空気から抜け出せたのは犯人だった。


「うるせえ!まずはお前から殺してやる!!」


だが、抜け出せたものの、得体のしれない目の前の何かに恐れる様な様子を見せる犯人は、完全に気が動転しているようだ。

その状態で銃の安全装置が外された瞬間、スローモーションがかった皆の焦った顔が見え。

それと同時に再び襲ってきた恐怖に、私の身体は今度こそ動かなくなってしまった。

犯人の指がトリガーにかけられ、マズいと思った次の瞬間。


「ゔっ!」


バキッという音が聞こえ、頭に当たっていた固い感触が無くなった。

そして、数秒後に通路に鳴り響いた銃の落ちる音。

一瞬、何が起こったのか分からなかった。

目の前には驚きの表情を浮かべる翼がいて。

何が起こったのかと事態を把握するためにゆっくりと振り返った私の視界に入ってきたのは。

私に銃を向けて来ていた犯人が床に伸びている姿と、私たちに迫って来ていたもう一つの靴音の正体が、倒れている犯人を蹴ったと思われる体勢だった。

どうやら、その蹴りが相当に重かったのだろう。

倒れている犯人は完全に意識を失っている。

未だ状況が理解できていない私の元に、その人物がゆっくりと歩いて来るが、今倒れている犯人を気絶させた張本人だとしても、姿や格好は完全に犯人のそれ。

さっきのは気紛れだったのかもしれないと、再び震えだした私を守るように、後ろにいた翼が前に出た。

すると、その人物は私たちの前まで来てから、ゆっくりと被っていた目出し帽を脱いだ。


「……え、?さく、や?」


予想だにしなかった人物の登場に頭の中が混乱する。

そんな、突然姿を現した安心する仲間の顔を見て、零れ落ちるように出た私の声は相当に滑稽なものだったと思う。


「美月。お前、あんな危ない状況で犯人を煽るなよ」

「ご、ごめん」


頭が追い付く間もなく朔弥の口から飛び出した説教に、反射的に謝罪の言葉を零す。

だが、そんな私以上に事態が把握できていない翼は完全に放心状態だった。




***




「仕方ない。少し強引な手を使う」


シャッターの向こう側を見ていた界の視線が朔弥へと移される。


「朔弥、この作戦はお前がカギになる」


ただならぬ雰囲気でこれからの作戦の内容を話そうとする界の声に、修介、春樹、朔弥の3人は一言一句逃さないようにと耳を傾けた。


「お前は一足先に、美月と翼がいる男子トイレの隣の部屋の窓から侵入しろ」


まず、とばかりに放たれた界の言葉に、動揺を見せたのは修介と春樹だった。

残りの犯人の人数は最低でも4人。

その全員が銃を持っている様な中に、朔弥だけを向かわせるなんて危険すぎる。

それは何故なら、犯人が使っている武器はアサルトライフルに対して、朔弥が使う武器は日本刀だ。

そうなれば、朔弥が犯人に扮装するとなると日本刀を持っていくことはできない。

ただでさえ危険だと言うのに、そうした状態の朔弥を向かわせるなど、修介と春樹には許せるはずもなかった。


「界、それはいくら何でも危険すぎる」


そんな界の作戦に苦言を呈したのは修介だった。

険しい顔をする修介には、この作戦を容認する気など無さそうに見える。

そしてそれは春樹も同じことで。

だが……。


「わかった」


そんな2人の心配をよそに、朔弥はあっさりと言い放った。


「朔弥」


良いわけないだろとでも言うように、春樹が朔弥に厳しい目を向ける。


「修介、春樹」


だけど、朔弥から返ってきたのは。


「俺なら大丈夫だ」


修介と春樹の想いを優に超える程に強く、固い意志を持ったもので。

何を根拠に大丈夫だと言っているのかと問い質したくなるが、朔弥の力強い眼差しに2人は静かに口を閉ざした。

界はそんな朔弥の声に込められた意志を確認すると、続きを話すため再び口を開く。


「この部屋のドアが閉まっていることは確認済みだ。だから、多少派手に窓ガラスを割っても気付かれないだろう」

「ああ」


いつの間に確認していたのか、界の仕事の速さには驚くばかりだ。


「その後男子トイレに移動して、アイツらが気絶させた犯人の服に着替えろ。そこからはその都度指示を出すから、犯人に成りすまして俺の指示に従え」

「わかった」


終始厳しい表情で聞いていた修介と春樹だったが、朔弥のあの「大丈夫だ」という言葉以降一度も口を出すことは無かった。

それは、界に対しての信頼感からか、はたまた朔弥のあの言葉を信じたのかは分からないが。

それでも、もう2人が口を挟むことは無かった。

そしてこれが、界の建てた作戦の一部始終。




***




「春樹、朔弥。俺はコイツらと美月を連れて一度向こうに戻るな」

「ああ」

「わかった」


状況についていけない私と翼を置いていく様に、話を先に進める修介。


「翼、お前は引き続き俺らと一緒に犯人逮捕だ。ほら、コレお前の」

「お、おう。ありがと」


いきなり振られた役割に、翼は未だ回らない頭で返答しながらも、春樹から渡された翼の服や武器や戦闘員バッジを身に着けている。

そんな様子を見ていた私たちの元に、無線で状況を聞いていたらしい界が寄こした警察官の1人と修介で犯人を1人ずつ背負い、私たちは建物の外に出た。

外に出て修介の後ろをついて歩けば、徐々に実感してくる今までの出来事。


「美月、大丈夫か?」

「うん……」


銀行内で体験した緊張も恐怖も、今になって全て同時に湧き上がってきて。

そんな、若干放心した状態で答えれば、修介からは気遣わし気な視線を向けられた。


「美月、ちょっとここで待っててくれるか?」


修介にそう聞かれて頷くと、修介は警察官に犯人を引き渡しに行き。

その後、界の隣に立っている警察の人と思わしき人と何かを軽く交わし、頷いて、私の元へと戻ってきた。


「美月、向こうにテントがあるからそこまで一緒に行こう」


私はまた修介の言葉に一度頷くと、修介と一緒にテントの方へと足を向けた。

修介に支えられるように歩く私の姿は、傍目から見たら今にも倒れてしまいそうに見えていたに違いない。

だけど、それほどまでに私の心は憔悴しきっていた。

そんな私を気遣ってのことだろう。

テントまで辿り着くと、修介は中にある簡易の椅子に私に座るよう言ってきた。

それに従ってその簡易椅子に腰を下ろすと、修介は少し俯き気味な私の視界に自分が入るようにして目の前にしゃがんだ。


「美月、俺はこれからまた中に戻らないといけないんだ。だから、何かあったら周りの警察の人に言ってくれ、な?」


修介の言い聞かせるように紡がれた言葉に、私の心臓がキシリと音を立てた気がする。

そんな自分の感情も把握できない程に放心した状態ではあったが、私はなんとか頭を縦に動かした。

修介はそうした私の状態を見て心配そうな目を向けていたが、それでも修介はあの場所に戻らなければいけない。

私が心配な想いと、戻らなければいけない気持ちとが交錯していたらしい修介だったが、自分の中で結論を出すと私の頭を優しく一度撫でて、テントから出て行った。

そこからの記憶はほとんどない。

ただ、私のことを心配してくれた警察官の方々が色々と声を掛けてくれていたのは覚えている。

それらの声にちゃんと答えられていたのかは自信が無いが。




後日聞いた話によると、その後建物内に入っていった修介は朔弥たちと合流し、警察官たちと連携を取り合ってあっという間に犯人グループを捕まえたそうだ。

犯人の人数は私が最初に目視した5人であっていたらしく、既に3人を捕まえていたこちら側は、残りの2人を捕まえるのにそう時間はかからなかったと言っていた。

負傷していた男性も、春樹の迅速な処置のお陰で大事には至らなかったらしい。

そして私はと言うと、その時の私の状態を見た矢島さんという警察の方が気を利かせてくれて、事情聴取を違う日にしてくれたようで。

それは何でも、暁の皆が矢島さんに掛け合ってくれたからだったらしい。

まあ何はともあれ、それ以上の被害が出ずに事件が解決して本当に良かったと思う。


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