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  作者: 青
第1章
6/12

月曜日の次の日

「美月、学校送れる。早くしろ」

「もう少しだけ待って!」


次の日の朝、朔弥に急かされながら中々直ってくれない寝ぐせに悪戦苦闘する私の姿はもはや恒例行事。


「よしっ」


そうしてようやく整った髪に一度櫛を通してから玄関で待つ朔弥の元へと向かえば。


「ごめん、お待たせ!」

「行くぞ」


既に靴を履き終わっている朔弥は私に呆れた表情を浮かべた。


「行ってきまーす!」

「行ってきます」


ローファーを履き、鞄を肩に掛けたら準備は万端。

朔弥とともに皆にこれから行くことを伝え、玄関の扉を開ければ、また今日という一日の幕が開いた。



「美月、お前今日もバイトあるんだよな」

「うん、そうだよ」

「なら、またいつも通り6限終わったらメッセージ送って」

「分かった」


学校に到着し、2年生の教室がある2階の階段前で、朔弥と別れ際にいつも通りの約束を交わすと、私たちは各々の教室へと向かった。


「美月ちゃん、おはよぉ~!」


そうして4組の教室に入ると、花蓮がいつもの数倍高いテンションで私の元に駆けよって来て。


「わっ、どうしたの花蓮?」


朝からのその異常なテンションにどうかしたのかと尋ねると、花蓮は嬉しそうに笑みを浮かべながら私の手を引いてきた。

そして、何かを急ぐように速足で私たちの席のある場所まで行くと。


「花蓮、美月が困ってるから」


そんな飛鳥の一声によって私の腕は解放された。


「おはよう、美月」

「おはよう、飛鳥」


腕が解放されたのをいいことに、飛鳥と軽く挨拶を交わしていると、花蓮がいかにも早く喋らせてと言った表情なので、静かに口を閉じる。


「ねぇねぇ美月ちゃん、次いつバイトあるのぉ~?」


そしてその後放たれた言葉は予想外のもので、その言葉に目を瞬かせる。

そういえば昨日そんな約束をしたなあと思い出していると、「美月ちゃん、忘れてたでしょぉ~」と突っ込まれてしまった。

別に忘れていたわけでは無いが、花蓮がこんなにも早く実行しようと思っているとは知らず、少し面を食らってしまっただけ。

そう心の中で言い訳をしながら花蓮に視線を戻すと。


「今日もバイトあるよ」

「本当ぉ~?行きたぃ~!」


花蓮はぴょんぴょんと跳ねながら全身で嬉しいことを表していて、その姿が同性ながらも可愛らしいなと感じた。


「うん、勿論いいよ」

「やったぁ~!ねぇ~、飛鳥ちゃんも行こうよぉ~」


私が二つ返事で了承すると、花蓮の次の標的は飛鳥へと移り。

花蓮は飛鳥の肩をがしっと掴むと、その小柄な身体のどこにそんな力があるのかと聞きたくなる程の力で飛鳥の身体を揺さぶった。


「わかった!行くから離して!」


前後に大きく揺さぶられたことにより頭が回ったのか、飛鳥は分かったから早く離してと必死に訴えている。

すると、了承したことにより花蓮から解放された飛鳥は、机を腕に付いていて、少し気分が悪そうにしていた。


「やったぁ~!後で雫も誘ぉ~」

「うん」

「じゃあ私が雫にメッセージ送るねぇ~」


次に花蓮の意識が向いたのは雫だったが、雫はそもそもクラスが違うので、花蓮の被害に遭うことは無さそうだ。

そんな花蓮はというと、雫にメッセージを送ると言うなり、直ぐにスマートフォンを手にして雫にメッセージを送っている様子だった。

そしてその後花蓮の元に返ってきた雫からのメッセージには、行くことを快諾する内容が描かれていたらしい。

そんなこんなで、どうやら皆で私のバイト先に行くことが決まったようなので、私も朔弥にメッセージを送らねばと思い、鞄からスマートフォンを取り出した。


『雫たちと一緒にバイト先に行くから、今日は送ってくれなくて大丈夫だよ』

『分かった、気を付けろよ』


直ぐに返ってきた朔弥からメッセージは、たった数言だけだった。

だけどその数言の中にこちらを気遣うような色が見え、それに顔を綻ばせているとチャイムの音と同時に教室に入ってきた教師によって今日の授業が始まった。




***




「ここが美月ちゃんが働いてるお店かぁ~」


放課後、雫と合流した私たちは、4人で私が働いているカフェ、happinessへと来ていた。


「じゃあ、皆は先にお店の中に入ってて。私は裏から入るから」

「おっけぇ~」


私が今日バイトに来たのは遊ぶためじゃなく働きに来たわけで。

勿論そうなると私は裏口から入るので、皆には先に店内に入るようにと促す。

すると、花蓮独特の間で放たれた「分かった」という言葉が聞こえるが早いか、花蓮はさっさと店内に入っていった。

そんな花蓮に呆気に取られていると、少々苦笑いを浮かべた雫と飛鳥がその後に続いて中へと入った。

そうして3人が店内に入ったことを確認すると、私も行かなければと思い、裏口へと回る。


「おはようございます、オーナー」

「おはよう、美月ちゃん」


裏口から入り、いつも通りにカフェの制服に着替える。

そして、裏にあるキッチンスペースへと行くと、オーナーが声を掛けてくれたのだが。

「おはよう」と言って微笑むその姿からは、昨日春樹と話している時に見せた、ピリピリとした雰囲気は感じられなかった。


「今日はホールをお願いしてもいい?」

「はい、勿論です。では行ってきますね」

「うん、行ってらっしゃい」


昨日のピリピリとした雰囲気も、帰り際に見せた不敵な笑みも、全部全部夢だったのかもしれない。

そう思いたくなる程に、昨日の出来事は私にとって衝撃的だった。

仲間であり、家族であり、幼馴染、そんな存在の春樹と。

ここで働き始めてから沢山の優しさに触れ、もうすっかり私の中で“大切な人”の括りに入ってしまったオーナーとが対立する。

そんな未来しか見えないような、あんな“予兆”は夢であって欲しいと願うばかり。

こんな、誰が味方で誰が敵かも分からない様な荒れ切った世界でそんなことを言うのは“綺麗事”で“甘えた考え”なのかもしれないが、それでも願わずにはいられない。

私の大切な人たちが皆、幸せになれればいいと。

だからせめて、今だけは……。


そんな想いをすべて隠してホールへと出る。


「すみませ~ん」

「はい」


いつも通りを装って笑顔を浮かべ接客をしてると、奥の席から声がかかったので、同じく笑顔を浮かべて声のした席へと向かえば……。


「お伺いしたします……、って雫たちだったんだね」

「美月のバイトしてる姿初めて見たけど、なかなか様になっているわね」


いつも通り接客を始めようとお客さんの方を見れば、そこには雫たちがいて。

そのことに驚いていると、花蓮がいたずらが成功した時のような顔をしてきた。

すると、雫から私に対して店員としての信用が一切無い言葉を放たれ、雫から私ってどういう風に見えているんだろうかと不安になる。


「美月ちゃん、その制服可愛いねぇ~」

「そうなの。従業員の人たちも凄く気に入ってる制服なの」

「そうなんだぁ~。美月ちゃん似合っているよぉ~。すっごく可愛ぃ~」

「ありがとう、花蓮」


花蓮が可愛いと言ってくれたこの制服は、黒地に薄く入ったモスグリーンのチェックが特徴的なひざ丈のスカートに。

袖口を一回折れば丁度七分丈になり、その裏地がスカートと同じ柄の白シャツとなっている。

以前店長に聞いたことがあるのだが、この制服は店長がデザインしたものらしい。


「美月、注文していい?」

「うん、勿論」


花蓮との制服談義を終えると、メニューを広げた飛鳥が尋ねて来て。

それに勿論と答えると、3人ともケーキと飲み物を一つずつ注文した。


「じゃあ、ちょっと待っててね」


全員分の注文を受けてオーナーのいるキッチンへと下がれば、注文を書いたメモ帳を広げる。


「オーナー、注文いいですか?」

「うん、いいよ。教えてくれる?」

「はい、えっと――」


3人分の注文をオーナーに伝えると、注文したものが出来上がるまで私がキッチンに居ても仕方が無いので、他のお客さんの対応をするためにホールに戻った。



「ありがとうございました」

「美月ちゃん、できたよ」


食事が終わったお客さんのお会計をして、店を出て行く背中を追うように「ありがとうございました」と声を放つと、キッチンスペースから顔を出したオーナーが私を呼んだ。

どうやら、さっき伝えた花蓮たちの注文の内容が準備できたようだ。

その声に従ってキッチンスペースに入れば、3人の注文したケーキの隣に可愛らしく彩られたサンドイッチが3つ。


「あれ?オーナーこれ、」


3人ともサンドイッチは頼んでいなかったはずだ。

それどころか、こんなサンドイッチ、メニューにも無かった気がするが。

不思議に思い、オーナーの顔を見上げると。


「あの子たち、美月ちゃんの友達なんでしょ?だから俺からのサービスってことで、ね?」


綺麗なウインクとともに、そんな素敵な言葉が返ってきた。


「ありがとうございます……!」


私は本当にこの人から沢山の幸せをもらっている。

絶対にいつか恩返しをしようと思うと同時に、「ありがとうございます」と心の底からの感謝を伝えた。

こういう時、いつも歯痒い想いで一杯になる。

言葉というものはどんなに尽くしても100%相手に伝わることは無くて。

だからせめてもの想いで、この感情が全て伝わりますようにと願いを込めた。


「美月ちゃんには後であげるからね」

「すみません、私の分まで……」


まさか私の分まで作ってくれていると思わず、申し訳なさが先に立つ。


「美月ちゃん、そういう時は“ありがとう”って言ってくれると嬉しいな」


申し訳なさげに眉を下げる私に、オーナーは“ありがとう”と言われた方が嬉しいと言う。


「オーナー」

「ん?」

「ありがとうございます」

「……うん。どういたしまして」


幸せを沢山くれたオーナーに少しでも返すため、それに応えれば。

私が放った「ありがとう」の言葉に、オーナーは今までで一番優しくて温かい笑みを浮かべた。

ここは“happiness”。

意味は『幸運』『幸福』『幸せ』などがあるが、全て“幸せ”に関する言葉。

オーナーがそう名付けたこのカフェでは、その名の通り毎日たくさんの“幸せ”が生まれている。

もちろん私もその“幸せ”を貰っている内の1人で。

私は本当にこのお店で働けて良かったと、心の底から思う。


「お待たせしました」


オーナーから受け取った注文の品を3人の元へと運ぶ。

それぞれにケーキとドリンクを一つずつ置いて、最後にサンドイッチをテーブルの真ん中に置けば、3人が3人ともそれに驚きの目を向けた。


「あれぇ~?サンドイッチなんて頼んだっけぇ~?」

「あ、これはオーナーから皆にサービスだって」


可愛く彩られたサンドイッチを見て首を傾げる花蓮にオーナーが作ってくれたことを伝えれば、それを知った皆は、一様に目を見開いて、驚いた顔をした。


「えぇ~!凄い嬉しぃ~!それに可愛ぃ~!」

「本当、凄く美味しそうね」


目をキラキラさせて喜ぶ花蓮と、綺麗な顔で笑う雫と。

もちろん飛鳥も嬉しそうに笑っていて、皆のそうした嬉しそうな表情に、私も嬉しくなった。


「それにしても凄いね、オーナー。優しいと言うか女心が分かってるというか」


普段、仕事の関係者を除けば同世代の異性と接する機会が無いため、こうしたオーナーの気遣いがとても新鮮で。

だからこそ、オーナーが凄く大人の人に見えるのだろう。


「確かにそうね。まあでも、せっかく作ってもらったんだし素直に頂きましょう」

「そうだね」


オーナーからのスマートなサービスに圧倒されるも、早速作ってもらったサンドイッチを食べようと雫が提案すれば。

それに同意した2人が、方や嬉しそうに。

方や驚きが拭いきれない様子で、それぞれ食べ始めた。


「美味しぃ~!幸せぇ~」

「本当に美味しいわね」

「うん。……って、あれ?」


我先にと食べ始めた花蓮は、口いっぱいにサンドイッチを詰め込むと感嘆の声を上げていて。

それに続くように雫と飛鳥もサンドイッチを食べれば、口々に美味しいと言っていた。

そうして皆がオーナー特性のサンドイッチを堪能していると、サンドイッチへと向けられていた飛鳥の視線が不意に違う方へと向く。

「あれ?」という声と共に向けられた視線に、花蓮と雫もつられてそちらへと顔を向けた。


「どうしたの?飛鳥」


何か変なことでもあったのかと飛鳥に尋ねると、飛鳥は目を見張って入り口の方を見ていた。


「あれって南雲じゃない?」

「え!嘘ぉ~!」


飛鳥が驚きの視線を向けていた先にはレジの対応をする南雲 蒼くんがいて。

その言葉に誰よりも先に反応した花蓮の目も直ぐにそちらへと向けられ、花蓮の目が同じく驚きに見開かれた。

南雲 蒼くんとは、私たちと同じ2年4組に在籍している東高校の生徒で、ダークブラウンの髪から覗くエメラルドグリーンの瞳、整った顔立ちから女生徒達からの人気が高い男の子だ。


「うん、南雲くんも働いてるよ。同じバイト先なんだ」

「そうなんだ、知らなかった……」


私が南雲くんもここで働いていることを伝えると、心底驚いた様子の花蓮と飛鳥。

私が南雲くんと知り合ったのは一年生の頃で、一年生の時同じクラスだった私たちは、朔弥と南雲くんが仲が良かったことから、私たちが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。

勿論、私と南雲くんが一年生の時同じクラスだったということは、雫とも同じクラスだったわけで。

そうした関係で私たちは、よく4人で過ごしていた。


「おーい!南雲ー!」


レジ対応が終わった様子の南雲くんに飛鳥がすかさず声を掛ければ、その声に反応した南雲くんが少し嫌そうな表情を見せた後、ゆっくりとした足取りで私たちのいる席へとやって来た。


「なんだ、相馬かよ。ってか何で居んの?」


先程お客さんに見せていた柔らかい表情とは打って変わってぶっきら棒な物言いの南雲くんに、花蓮と飛鳥は楽し気に笑っている。


「南雲くん、ここで働いてるんだってぇ~?」

「そうだよ。で、何か用でもあるのかよ。俺仕事中なんだけど」

「ん~、特になぃ~」

「そう。ただ声かけただけ」


仕事中に呼び出されて少し不機嫌そうな南雲くんを揶揄うようにニヤニヤと笑う2人。

そんな2人を見て、東高校の生徒で南雲くんにこんなことが出来る女生徒はこの2人くらいなものだろうと、密かに考えた。


「なんだよそれ。まあ良いや、俺行くから」

「ばいばぁ~い」

「じゃあね」


そんな、酷くあっさりとした会話を交わした後、南雲くんはキッチンスペースへと入っていった。

ちなみに、雫が南雲くんの存在に驚かなかったのは、以前私が言っていたからだ。


「このままいても邪魔になるだけだし、そろそろ帰りましょうか」

「そうだね」


そうして南雲くんが去り、会話もひと段落着いたところで、スマートフォンで時間を確認した雫がそう言い出し、それに同意した2人も帰り支度を始めた。

雫がスマートフォンの画面を見た時に今の時間を聞いたら、どうやら3人がカフェに来てから既に1時間が経とうとしているところで。

もうそんなに経っていたのかと変に感心していると、皆がレジへと向かおうとしているところだった。


「じゃあ美月、また明日ね」

「じゃあねぇ~」

「またね」

「うん、また明日」


そんな別れの言葉を交わすと、3人はお店を出て各々の自宅へと帰っていった。

その後のバイトは特に何か変わったことが起こるわけでもなく、ただただ時間だけが過ぎていき。



気付けば閉店時間を迎えていた。


「美月ちゃんも蒼も、もう上がっていいよ」


今は閉店時間を迎えたばかりで、ドアに掛けてあるプレートを『open』から『close』へと変えたオーナーから私と南雲くんにそんな声を掛けた。


「はい、分かりました」

「ありがとうございます」


そのオーナーの言葉をありがたく受け取ると、先にと南雲くんに譲ってもらった更衣室でバイトの制服から学校の制服に着替える。


「南雲くん、更衣室先に使わせてくれてありがとう。着替え終わったからどうぞ」

「ああ、お疲れ」


手早く着替えを済ませ、バックルームにいた南雲くんに声を掛ける。

その私の声を聞いて更衣室へと消えて行った南雲くんの背中を見送ると、一足先にオーナーに挨拶をしてしまおうと、オーナーが未だに作業をしているホールの方へと向かった。


「お疲れ様です、オーナー」


そう声を放ちながらホールに顔を出すと、客席のテーブルにパソコンをおいて画面に向かっていたオーナーの顔が持ち上がる。


「お疲れ様、美月ちゃん」


オーナーはパソコンの画面に向けていた真剣な顔をフッと和らげると、「ちょっと待っててね」と言ってキッチンスペースへと入っていった。

それに訳も分からず答え、言われた通りにその場に立ってオーナーが戻るのを待つが、手持ち無沙汰になって意味もなく店内をぐるりと見回すと。

つい1時間ほど前には客席に座っていたお客さんたちの面影など既にどこにもなく、温かな雰囲気で満たされていた空間も今となっては無機質で寂しささえ感じられた。

当たり前と言われてしまえばそれまでだが、それでも一瞬で切り替わるこの雰囲気の違いにはいつまで経っても慣れそうにない。

そんな少しの寂しさのようなものを抱えていると、バックルームへと続く通路から南雲くんが顔を見せた。


「お疲れ様、南雲くん」

「お疲れ、美月。……棗さんは?」


学校の制服に着替え終えた南雲くんは、私と同様に恐らくオーナーに挨拶をしようと思い、顔を見せたのだろう。

その証拠に、店内をぐるりと見回した南雲くんが、オーナーがいないことを不思議に思ったのか尋ねてきた。


「あ、オーナーは、」

「ここにいるよ。どうかしたのか?蒼」


私が説明しようとしたタイミングで丁度オーナーがキッチンスペースから出てきた。

そしてその手には、何やらお店のロゴが入った紙袋が。


「あ、いえ。帰る前に挨拶しようと思って」

「そっか。お疲れ様、蒼」

「はい、お疲れ様です」


そうして2人は軽く挨拶を交わすと、オーナーの視線はそのまま私へと移り。


「はい、美月ちゃん。さっき言ってたサンドイッチが中に入ってるからね」


そう言って、私に手に持っていた紙袋を渡してきた。

それは、先程交わしたささやかな約束。


「ありがとうござます」


その約束をした時のことを思い出し、今度こそ初めから「ありがとう」と口にすれば、オーナーは満足そうに笑ってくれた。


「蒼は何かいるか?」

「いえ、俺は大丈夫です」


私がその紙袋を受け取ったのを確認すると、今度は南雲くんへと視線を移し。

それに断りを入れた南雲くんに「そうか」と言うと、オーナーの瞳は弟でも見るかのように細められた。


「……学校は楽しいか?」

「まあ、それなりに。ってか、俺もう子供じゃないんですけど」

「分かってるよ」


その後、不意に放たれたオーナーからの質問に、南雲くんは素直に答えながらも、どこか拗ねたような態度を見せた。

そんな南雲くんにオーナーは子供では無い事は分かっていると口では言っているものの、その瞳は完全に弟を見守る兄のそれだ。


「……あの、ずっと気になってたんですけど、オーナーと南雲くんって以前からの知り合いなんですか?」


和やかな雰囲気の2人の会話を断ち切るのは申し訳なかったが、以前から気になっていただけに疑問が口をついて出てしまった。


「ん?ああ俺、蒼の兄貴と結構長い付き合いなんだよね。だから蒼のことはコイツが中学生の頃から知ってるんだよ」

「そうだったんですね。ずっと兄弟みたいだなあって思ってたので、納得しました」


意外な人たちの意外な繋がりに、驚きに目を見開いた。

だが、確かにそれならオーナーが南雲くんを見る時のあの表情にも納得がいく。


「まあ、あながち間違いではないかな。な?」

「そうですね」


私の勘違いを否定することなく受け入れたオーナーは、同意を求めるように南雲くんの方へと視線をやった。

すると、南雲くんはそれに肯定したものの、照れくささがあったようだ。

その証拠に、彼の顔はほんのりと朱に染まっている。


「美月、あんまこっち見んな」


彼のそんな表情は新鮮で、思わずじっと見つめてしまっていたらしい。

南雲くんは右手の甲を口元にあてて、左手で私の視線を遮ってきた。


「だって、南雲くんが照れてるなんて新鮮なんだもん」

「だからこっち見るなって」


照れている彼の姿は、いつもの格好良さとは打って変わって、なんだか少し可愛かった。

その彼の顔を、一度バレてしまっているのだから仕方がないとばかりに開き直って、しっかりと南雲くんの顔を見れば。

それが相当に恥ずかしかったのか、さっきまでは朱色だった頬がどんどんと赤へと変わっていき、しまいには耳まで赤く染まってしまった。


「蒼が女の子にそういう反応するの、珍しいな」

「っ、棗さんまで揶揄わないでください」


オーナーまでもが揶揄い出しては、もう収拾がつかない。

すると、そんな空気を断ち切るように、突如、私のスマートフォンから着信を知らせる音が鳴った。


「あっ、すみません」

「大丈夫だから慌てなくていいよ」


この楽しい雰囲気を壊してしまったのが自分だと分かり、慌てて鞄の中からスマートフォンを取り出す。

だけど、そんな事は気にしていないとばかりに、オーナーは慌てなくていいと言ってくれた。


「すみません、電話に出てきます」


着信元は朔弥のスマートフォンで、そう一言だけオーナーと南雲くんに断りを入れてから、裏口からお店の外に出た。


「もしもし」


外に出て扉を閉めたところで通話ボタンをタップする。


『もしもし。美月、お前今どこに居るんだよ』

「え?バイト先のカフェにいるけど……」


今日はバイトがあると伝えていたはずだけに、開口一番に放たれた朔弥からの質問に疑問を覚える。


『まだそこに居たのか。用事があるならちゃんと連絡しろよ』

「“まだ”ってどういう事?」


状況を把握できていないままに進んでいく会話に、未だ質問の意図が分からない私は聞き返すが、私がそうした事を聞けば聞くほど朔弥の声は険しくなっていく。

きっと、朔弥からしたら私はとんちんかんな事を聞いているのだろうが、分からないものは分からないのだから仕方がない。


『は?いつもなら、とっくに家に着いてる時間だろ?みんな心配してるんだから早く帰ってこい』

「えっ、うそ!?」


ようやく解けた謎の答えは衝撃的なもので。

朔弥に言われて急いで時間を確認すれば、確かに朔弥の言う通り、いつもなら既に家に着いているはずの時間帯だった。

そしてその後に続いた朔弥の「みんな心配してる」という言葉に申し訳ない気持ちが沸き上がる。


『謝るのは帰ってからでいいから。そっちにオーナー以外で誰かいないか?』

「南雲くんがいるよ」


“オーナー以外”という言葉が引っかかったものの、素直に朔弥の質問に答える。


『南雲?ああ、蒼か。なら俺もそっちに向かうけど、一応蒼に送ってもらえ』

「うん、わかった。じゃあ帰るね」

『ああ』


朔弥の言葉を最後に、通話を切る。

先程の朔弥の口振りだと、皆に相当心配をかけていることになる。

それを表すかのように、メッセージアプリを開いてみると、他の3人からもメッセージや電話が沢山来ていて。

そんな皆からのメッセージを一つ一つ確認していると、突然、裏口のドアが開く音が聞こえた。


「美月ちゃん?」

「あ、オーナー。どうかしましたか?」


音に誘われるようにドアの方向へと視線を向けると、そこから顔を見せたのはオーナーだった。


「電話をしに出てからずいぶん経ったのに、なかなか帰ってこないから大丈夫かなと思ってね」

「そうだったんですね。わざわざありがとうございます」


オーナーは私の戻りが遅いことに心配して出て来てくれたらしく。

どうやら、皆からのメッセージを一つ一つ確認していたらそれなりの時間が経ってしまったのだろう。

オーナーが心配して出てきてしまう程に時間が経っていたとなると、もう南雲くんは帰ってしまったのだろうか。

もしそうなら、なおの事朔弥に怒られるに違いない。

そう思案していると。


「どうかしたの?」

「え?」


オーナーが私の頬に、そっと右手を添えてきた。


「元気が無いように見えるけど」


そう言って私の頬に添えられているオーナーの人差し指が、私の目元を撫でてきて。

心の準備もなく縮められたその距離に、私の思考は完全に停止する。

そして、一拍どころか、かなり遅れてようやく機能しだした私の頭は、今の状態を一瞬で理解すると、顔全体に熱を集め出した。


「だ、大丈夫ですっ!」

「そう?ならいいけど」


オーナーは全力で身を引いて距離を取る私を一瞬驚いた様に見た後、直ぐにフッとあの優しい笑顔……では無く、妖艶な笑みを浮かべた。


(だ、駄目だ)


私とオーナーとでは色々と経験値が違い過ぎる。

未だに向けられるその笑みが直視できずに視線をオーナーからスススッとずらす。


「じゃあ戻ろうか」

「はいっ」


真っ赤な顔をして佇む私に可笑しそうな視線を向けると、オーナーは一足先に店内へと戻っていった。

その後に続くように歩く私の顔は未だに熱を持っていて。

そんな熱が下がりそうにない顔に、手をうちわ代わりにしてパタパタと仰ぐが、少しも意味が無さそうだ。

そんな状態のままさっきまで3人で会話をしていたホールまで戻ると、南雲くんの姿が見当たらない。


「あれ?南雲くんは……」

「ああ、蒼ならとっくに帰ったよ」


どこに居るのかと続けようとした私の言葉に、オーナーが早々に答えを返す。

だけどその“答え”は、今の私には絶望の色となって返ってきた。

ある程度予想していたものの、いざその現実を突き付けられると、電話をしてきてくれた朔弥にも、心配をしてくれているという皆にも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「美月ちゃんも帰るでしょ?送るよ」

「えっ!いや、そんな二度も送ってもらう訳には……」


南雲くんが帰ってしまったのなら仕方がないから、事情を話して途中まで一人で帰ろう。

そう自分の中で結論を出した直後のオーナーの言葉に驚く。

だけど、流石に二度も送ってもらう訳にはいかないうえに、昨日春樹とあんな会話をしたばかりだ。

それ故に急いで断りを入れたが。


「さっきの電話、ご家族からでしょ?」

「は、はい」

「心配かけてるんだから尚更一人で帰すわけには行かないよ」


だが、そんな私の抵抗なんてあってないようなもの。

やっぱり今日も少々強引なオーナーによって、私はいとも簡単に言い包められてしまった。


「すみません。ならお言葉に甘えて……」

「うん。じゃあ帰ろうか」


そうして、私があっさり折れたことに少し機嫌が良さそうなオーナーと今日も一緒に帰ることになった。



「さっきの電話、昨日の春樹さん?だったの?」

「いえ、さっきのは双子の弟からだったんです」


黒に染まった空の下、2人で肩を並べながら歩いていると、不意にオーナーが私に尋ねてきた。

そのオーナーの質問に答えるべく、双子の弟と言うと、オーナーは意外そうな視線を向けて来た。


「へえ、美月ちゃんって双子だったんだね。仲良いの?」

「はい。よく2人で遊びに行ったり買い物に行ったりするので」

「そうなんだ。凄く仲が良いんだね。羨ましいな」


オーナーの“羨ましい”という言葉に引っ掛かりを覚える。

私はオーナーに弟がいるとは聞いたことが無いが、もしかしたら私が知らないだけでいるのかもしれない。


「オーナーにも兄弟がいるんですか?」

「いや、いないよ。どうして?」

「さっき、羨ましいってい言ったので、」

「ああ。それは美月ちゃんと仲が良くてってことだよ」


兄弟がいるのかもと私が勝手に立てた仮説は、思ってもみなかった方向からの“正解”によって、いとも簡単に壊された。

その“正解”の中に突如として登場した私の存在に驚きが隠せない。


「……何かオーナー、最近変です」


絶対に揶揄われてる。

それは分かっているのに、こういう事に対して全く免疫がない私には刺激が強すぎる。

だからこそ、私にできる唯一の抵抗は、もうとっくに赤くなってしまった顔を伏せて見られないようにするだけだった。


「美月ちゃんの事、気になってるからね」


そう言ったオーナーの言葉は、私の“変”に対する答えなのだろうけれど、私の感情を揺さぶるのには十分すぎるくらいの効力を持っていた。

信じられなくて、何故だかは分からないが信じたくなくて、思わず歩いていた足が止まる。

すると、私が立ち止まったことに気が付いたオーナーの足も自然と止まり、そんな私たちの間には一生とも取れる時間が流れているように感じた。


「は?なんだそれ」


直後、突如として消え去った静寂。

そしてそれを実行した彼へと、私たちの視線が一斉に向いた。


「っ、朔弥……」


私は勢いよく、オーナーはゆっくりと顔を向けた先にいた朔弥の表情はとても険しいもので。

彼がどこから聞いていたのかは分からないが、その表情を見る限り、オーナーが最後に放った言葉はしっかりと聞こえていたようだ。


「……君が美月ちゃんの弟くん?」

「そうだけど。ってか、オーナーが従業員に手ぇ出して良いのかよ」


昨日の春樹同様、朔弥の目も険悪なそれで、その瞳の中には完全な敵意の色が表れていた。


「俺はそういう事はあんまり気にしないからなあ。まあ、だからこうして手を出そうとしてるんだけどね」


対するオーナーは、朔弥の怒りを増長させるような言葉を放っていく。

いや、むしろ煽っているようにさえ見えるのは、きっと私だけでは無いだろう。


「お前がどう考えていようが勝手だけどな、コイツに手ぇ出したらそのキレーな顔、使い物にならなくしてやるよ」


そう言い放った朔弥の顔は、オーナーの煽りのせいか、最初に見た時のものよりも幾分か険しいものになっているように感じた。

さっき願った私の願い。

哀れな道化師の描いた幸せな物語は、2人の対立を見て、もうすぐそこまで終わりが来ているように感じた。


「帰るぞ、美月」

「……うん」


そう言うや否や、さっさと来た道を引き返す朔弥に、私は一度オーナーにお辞儀をすると駆け足でその背中を追いかけた。

そうして、ようやく追いついたその背中の数歩後ろを静かに歩く。

そんな私たちの間には、家に着くまで一切の会話は無く、一度「成る程な」と朔弥の小さい呟きが聞こえただけで、少し後ろから見た朔弥はずっと何かを考え込んでいるように見えた。



「ただいま」

「ただいま……」


迷いなく家の中に入っていった朔弥の後ろを少し後ろめたい気持ちで続いて入ると、皆の靴はあるのに、静寂な空間が私たちを待っていた。


「おかえり2人とも。美月、こっちに来て」

「はい……」


部屋の中に入るとすぐに修介が顔を見せてくれたが、その顔にはいつもの穏やかさなどはまるでなく、とても真剣なものだった。

そうして修介の言葉に従いダイニングに入ると、そこには厳しい表情をした皆が。


「ここに座れ」


いつものダルさが抜けた春樹に指定された席に座ると、私の正面に修介、その隣に春樹が座り、翼と朔弥はそれぞれ適当な位置に立ったり、リビングのソファに座ったりしていた。


「遅くなった理由は?」

「オーナーと、同じバイト先のクラスメイトと話してたら時間が経つのに気づかなくて……」


こんなところで嘘をついても仕方がない。

あったことを素直に話し出した私の声は、皆からの威圧感で尻すぼみになった。


「いいか美月、バイト先の人と話すのは構わない。だけど時間は考えろ。それと、遅くなるなら分かった時点で連絡を入れろ。いいね?」

「はい、ごめんなさい……」


淡々と言い並べられた修介からの説教は、どれもこれも正論で、元々逃げ場などどこにもない私は分かったと言わざるを得なかった。

そんな修介は私が反省した様子を見ると、パッと表情をいつもの柔らかいものに変えて。


「よし、分かったらご飯食べて早めに寝な」


そう言って、笑って許してくれた。


「みんな、本当にごめんなさい」

「もう分かったから、早く夕飯食べような」


許してもらえはしたが、それでもなお罪悪感が消えなくて、もう一度ちゃんと頭を下げて謝罪をする。

すると、そんな私にもう分かったからと眉を下げて言ってくれた修介の言葉で、家の中の雰囲気が完全に普段のものに戻った。

……と思った。


「あ。美月、お前なんで蒼に送ってもらわなかったんだよ」

「は?じゃあお前一人で帰って来たのか?」


突如、思い出したかの様な朔弥の声が上がり。

ギクッとしたのも束の間、その朔弥の言葉にいち早く反応したのが春樹だった。

そんな話し方からはいつもの気怠さが完全に消えている。

……これは、相当に怒っている合図だ。


「違えよ。あのオーナーに送ってもらってたんだよ」


そして次に放たれたのは、私にとっては余計な言葉で。

その“余計な言葉”を聞いた瞬間、春樹の顔が般若のようになったのに気づき、咄嗟に視線を逸らした。


「おい、美月。俺との約束忘れたわけじゃないよな」


いつもならここで修介か、今はここにいないもう一人が止めてくれるのだが、今日は相当怒っているのか止める気配が一切無い。

当然、今いないその人に助けを求められるわけもなく、春樹の説教を一身に受ける。


「はい、ごめんなさい……」

「はぁ、まあ今回はもう良い。言いたかった事は全部修介が言ったしな。だから、次からは気を付けろよ」

「うん」


どんなお怒りの言葉が飛んでくるのだろうかと身構えていると、意外にも春樹は一度深いため息を吐いた後、眉を下げて許してくれた。

春樹は基本的に厳しい人だが、何だかんだ言いつつも結局はこうして許してくれるのだ。

だけど、春樹が厳しい理由もちゃんとわかってる。

私たちが大切だからこそ、きちんと怒ってくれる春樹や暁の皆は本当に優しくて、いつも温かい。

だから一言。


「皆ありがとう」


こっちの言葉を送らせて欲しい。


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