-楓葉-1
「新入り。昨日回収した墓譚持ってきて」
紫蘭さんが静かな声でオレを呼ぶ。
今、紫蘭さんに頼まれた過去の墓譚の名簿の整理をしているので、少し待ってくださいよ。そう言おうと思ったけれど、ふと、数時間前に別件の仕事を任されて店を出たオネエ先輩の言葉が脳裏をよぎる。
「店長ね、連日の激務で大分イライラしてるから、くれぐれも怒らせないように気をつけてね。矛先が向くアタシとアナタの先輩の雑用係君のメンタルが持たないわ」
くれぐれも、くれぐれも怒らせないように。鬼気迫る表情で繰り返すものだから、紫蘭さんを怒らせるとよっぽど酷い言葉を浴びせられるのだろう。先輩を巻き添えにするのはよろしくない。
棚に乱雑に詰め込まれた名簿の整理をしていたオレは、店長の紫蘭さんの声を聞くなり持っていた名簿を放り出すようにして指示に従った。
この部屋に入って右手が現在オレが整理を行っている名簿類を収めた棚、左手が墓譚を保管している部屋になっている。そこに飛び込んだオレに、再度紫蘭さんの声がかかる。
「新入り、未記録はいくつ残ってる?」
「えーっと、1、2、3……昨日回収が3件、今日が7件です」
数秒の沈黙の後、紫蘭さんの唸りに近い深い深~い溜め息が聞こえてきた。
一昨日から紫蘭さんは四六時中びっちり机に張りついて墓譚の解析と記録を行っていた。なのにまだ未記録が10件も残っている。そしてあと数日のうちに10件以上増える予定がある。延々と終わらない作業に溜め息をつくのは仕方がない。
「……やっぱり少し休憩する。新入り、墓譚取ったらミルクティー持ってきて」
「はい」
頼まれていた墓譚を紫蘭さんに手渡してから、オレはミルクティーを入れにキッチンへと向かった。
人は死ぬと牡丹の形をした花を落とす。
その花は墓譚と呼ばれ、真ん中には魂が、花びらには人が生まれてから死ぬまでの出来事が記されているそうだ。
紫蘭さんはその墓譚の解析と記録を仕事としており、オレは2日前からここで紫蘭さんの手伝いをしている。
オレには墓譚の解析の仕方とかよく分からないから、もっぱら片付けやお茶汲みなどの雑用を担当している。
舌を引っ込める温度のミルクティーとシュガーポット、ティースプーンとオレが昨日の夜に焼いたクッキーをトレーに乗せて部屋まで運ぶ。
こっそりと部屋を覗くと、休憩中の紫蘭さんは過去に依頼されて解析した墓譚の内容を記録したファイルーー通称墓譚記を険しい表情で読んでいた。
休憩するって言ったのに、それじゃあ休憩にならないんじゃないですかー。オレが指摘しても軽くあしらわれるだけだけど。
勝手に覗いていたことを悟られないようにノックしてから部屋に入る。紫蘭さんはこちらには目もくれず墓譚記に視線を落としたままだ。
恐る恐る声をかける。
「紫蘭さん、ミルクティーを……」
「遅い」
「す、すみません……」
書類やら帳簿やらで埋め尽くされた紫蘭さんの机にほんのわずかな空きスペースをつくり、そこにカップとクッキーを置く。シュガーポットはさすがに置けないのでトレーに乗せたままオレが持ち、紫蘭さんが直接角砂糖を取り出した。
終始仏頂面の紫蘭さんだが、角砂糖を3つ溶かしたミルクティーを飲むときだけは穏やかな表情を見せてくれる。
せっかく綺麗な顔立ちをしているのだから、普段からもっと柔らかい表情をすればいいのに、とは思うけれど、仕事柄と紫蘭さんの性格上難しいから口にはしない。
紫蘭さんがミルクティー片手に墓譚記を読んでいる姿を横目に見ながら、オレは彼が適当に棚に突っ込んだ、年代がバラバラの名簿の整理を再開しようとした。が、
「新入り」
紫蘭さんに呼ばれて振り返る。
紫蘭さんは墓譚記に視線を落としたまま、指先でティーカップではなくオレが焼いた形が歪なチョコチップクッキーを摘んでいる。
「どうしました?クッキー、口に合いませんでした?」
お菓子づくりが得意なオネエ先輩に教えてもらった通りに作ったんだけどなぁ。
「クッキーはまあ美味しい。それより、2000年~2002年生まれの墓譚の名簿、ある?」
「あー……はい、見た記憶があるから、さっき引っ張り出した名簿の山のどこかにあると思います。すぐに探すので少し待っていてください」
年代別に積み重ねた幾つもある名簿の山から2000年代のものを探す。
一番古いもので1800年代。この棚の名簿は預かった時期ではなく墓譚の主の生まれ年で記録されている。それはいいのだが、記録をつける紫蘭さんが面倒くさがりで大雑把な性格のため、1990年の名簿が見つからないからまた新しく1990年の名簿を作るなんて間々あることだ。数枚しか閉じられてない名簿が2冊も3冊もあったし。
すぐに2000年発見した。6冊もある。例のごとく数枚しか挟まってないのもあるだろうけど、片手間に探す量ではない。
「えっと、誰を探すんですか? 数が多いし探すの手伝いますよ」
「いい。お前は整理続けて 」
シッシッと虫を追い払うような仕草で却下された。
……名簿は合わせたら20冊以上あるのに、一人で探すのか。どう考えても休憩にはならないじゃん。
しかし紫蘭さん本人がオレに手伝わせる気がないのなら、オレにはどうすることもできない。
やっぱりオレも紫蘭さんの仕事を手伝うために墓譚の解析を覚えた方がいいのかな。でも前に「お前には無理」って紫蘭さんと他の先輩に言い切られちゃったしなぁ。
とにかく今は、紫蘭さんに頼まれたらすぐに手伝えるように自分の仕事を早く終わらせることにしよう。
正直、山積みになっている名簿を見るだけで気が遠くなるけど、無限に湧いて出るわけじゃないからいつかは終わるはずだ。と、自分を奮い立たせて、手前の山から切り崩していくことにした。
「……秋月紅葉はどうするか……」
面倒臭そうに呟く紫蘭さんに、その悩みの原因であるオレは掛ける言葉が思いつかず、ただ心の中で謝るしかなかった。
……ごめんなさい、紫蘭さん。