世間一般ではこれは何と呼ばれるか
俺がカトレアを連れ出して向かったのは教会から徒歩で行ける市場、この辺りは治安や生活水準が平均かその少し下の中層街で無法者がゴロゴロいる下層街ではない分、まだ女性連れでも歩くことは出来る。
その市場の衣類店で扱っているのは金持ちの住む上層街の安い店でも売れなかった新古品や流行り遅れ、また古着が並び、新品であるのは素っ気のないものや作りがやや粗悪なもの、小さな工房が作っている品などである。
食べ物は普通の商品が並ぶ店も多いが、安い店に並ぶのは小降りな野菜やオーク肉の切れ端や掌サイズの小魚など品質もだいたい並から下といったところだ。
俺は適当に見繕った衣服屋に入る。もちろんカトレアを引き連れて、だ。俺に引かれているカトレアは若干オロオロしている。
「まぁ適当なものを、と……」
木の台の上にたたんで積まれただけの陳列。ここはどれも古着のようで繕いの跡が目立つものもある。俺は落ち着きのないカトレアに背を向けて、
「これは……無難な色だが丈がないか……これは少し派手かな」
女性ものの商品を物色する男性客とその後ろで落ち着きのない女性客、無言でこちらを見ている中年女性店員にはどう映っているのだろうか。
俺は深い藍色のワンピースを手にとって広げる。腰の辺りにポケットが左右にあり、裾と襟のところに白のレースがある。
「これ、どうですか?似合うと思いますよ?」
作りはしっかりしているがどこの工房かわかるような刺繍もないところ、上層街では無名の工房が仕立てたものか手作り品の古着だろう。
俺がカトレアの肩に合わせて服を当てて見る。赤茶色の髪と琥珀色の肌、そこに合わせた深い藍色は悪目立ちするほどではなく、
「うん、これでいいかな。あとは足元だな。踵のあるものの方がいいだろう、靴は……あっちか」
革靴をいくつか選んでカトレアに見せる。
「えっと、あの……」
「サイズがわからないから履いてみて?」
俺は和やかに笑いながらも有無言わせない圧力を掛けた。カトレアは感じ取ったのか、それともわからないままか。ただ素直に靴を履き替えて一つを選んだ。
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麻袋に入れられた服と鞄を大事そうに胸に抱えてカトレアは俺の横を少し俯き気味に歩いている。表情はなんとも言えない、困っているだけでない。
「……何か凄く言いたそうですが言ってもらっていいですよ?私は基本的に法に触れない限り怒らない人ですから」
市場の真ん中にある露天の近く、俺はジュースを二つ買うと適当に置かれている長椅子の一つに座る。ジュース代とは別にコップ代が取られた。どうやらコップを返却すれば返してもらえるらしい。
カトレアは俺の横に座ったがしばらく黙って俺を見て、また俯いて、
「……どうしてなんですか?」
呟くような、周りの喧噪にかき消されそうな、小さな声が俺の耳に届く。
「何が、ですか?」
俺は質問に質問で返す。主語がないので何を問われているかわからない。
「どうして私なんかを気に掛けてくださるんですか?」
「ん?あぁ」
俺はジュースを一口飲む。木の皮か薄く切った軟らかい木で出来ていて、接合面は蝋のようなもので止められていた。なかなかに考えられている物だ。
「初めての時も言ったとおり、ただ単に見過ごせなかった。小さな教会の実情を教えてくれて、そして私の探している答えの一部をくれた。その恩に対する対価であり私が志している、私の手が届く範囲にある者を守ることをしているに過ぎません。ただの、自己満足です」
最後は目線を逸らしてやや自虐的に笑ってしまった。
そうだ、俺は自己満足をするために動いているところがある。すべてを守るなんて出来やしない。ただ、自分に力が合ってその力が届く範囲に困っている物がいるなら助けたい、今の俺には力があるのだから。
「……優しい、ですね……」
「そうですか?」
「はい。誰にでも出来ること、言える事じゃありません。凄く立派な……志です。……はぁ……」
少し頬を染めながら俺の方を見つめて、なぜか落ち込んだように深いため息をついて肩を落としてしまった。
「えっと……なんでため息を……?」
「……鈍いです」
唇を尖らせてジュースをチビチビ飲みながらどこか前方の遠くを見ている。
「シュウさんは私より少しお兄さんなだけなのに、国勢調査員で優しくて強くて志もある人です」
「褒めても何にも出ませんよ?」
「違います」
褒めてくれたのではないらしい。
国勢調査員は学校に入って特に優秀な成績を残し貴族に伝がある者や貴族の子弟が多い。
カトレアからすれば学校に入れるほどには裕福な家庭に生まれて貴族ないしは貴族に伝がある人として見られているのだろう。
「税金で暮らしている分、しっかり働いて結果を出さないといけませんから」
「違います」
盛大に外れた返事だったらしくカトレアの拗ねた様子は変わらない。
「住む世界の違いじゃないんですか?」
「それは、少しは関係してますが」
なんだ、変化球なのか?そして何となく察した。
「あーえっと……」
「若くて、かっこよくて、優しくて、国政調査員をしていれば彼女や許嫁だっているだろうし、もしかしたらすでに結婚してるかなぁ……ですよ」
カトレアは目まで閉じてそっぽを向いてしまった。
思っていたのと少し違うニュアンス、だがその奥底で問うものは同じものかと思われる。
「えーと、はい。……奥さんがいますね」
「だったら、やっぱりマズくないですか?私なんかとこうしているのは。奥様に見られて『他のことデートしてるなんて浮気者!』なんて怒られちゃいますよ?」
デート?……男女が二人でブラブラ……あぁ、まぁデートといえばデートか。この世界ではデートなのだろう。
「たぶん……怒られないと思いますね。たぶん……」
クレアなら匂いを嗅いで『知らない女の子の匂いがする……』と疑われて、レイラがそれを聞いたら……。
突然全身に悪寒が駆けめぐる。暑くもないし運動後でもないのに汗がドッと吹き出て額から滴が落ちる。
「ほら、やっぱり……」
カトレアの言葉で俺は我に返る。汗が引いて落ち着きが戻ってくる。俺はやっと笑えて、
「少ーしだけ嫉妬深いので」
きっとレイラは搾り取る。何をって……ナニをですよ……。
「あはは、女性の嫉妬は怖いですよ?それと……」
カトレアは胸に抱えている麻袋に目を落とした。
「やっぱりこれのお金、私が働いたお金で必ずお返します。そうじゃないと、私は甘えてばかりになりますから」
カトレアの目に熱い思いが宿っている。仕事がもらえる可能性があり、推薦状までもらえて、やる気が漲っているのだろう。
「ははっ。返してもらわなくても結構です。値段がどうこうじゃなくて、カトレアさんは私の頼み事を聞いてくれました。そして前向きに考えてくれています。……家族の思い出もある教会から皆で出てもいいと決心してくれているのですから」
「私もあの子達も生きるために頑張ってきたんです。教会を出ても仕事があるような生活を送れるなら私はそっちを選びます。……教会の子なのに回復魔法の一つも使えない私が悪いんですけど……」
カトレアは自責の念があったのか、少し寂しそうな顔つきになるがそれを振り払って、
「だから、シュウさんが紹介してくれたお仕事ですし頑張りたいです」
やっとカトレアは笑顔を見せた。俺は安心してぬるくなってしまったジュースを飲み干すと立ち上がる。
「さて、と……戻ってもう一仕事しないと」
「あはは……やっぱり国勢調査員さんは忙しそうですな」
俺の口元は小さく緩み、カトレアは笑顔で笑っていた。
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執務室に戻るとミックに早速指示を出す。
「王都内にある経営のうまくいっていない教会がないか調べてくれ。おそらく規模が小さいところにやばいところがある。そこの子供を国立孤児保護施設で引き取る代わりに教会の者は施設の職員として働き口を紹介することも約束する。細かくはこんな感じだ」
筆を走らせてメモ書きと書類を書き上げた。それを見たミックは書面に目を通して、
「はっ。……しかし陛下」
「なんだ?」
ミックはイタズラ気に笑って、
「色々考えられますね」
「ふん、所詮元いた世界の知識を使っているだけに過ぎない。跡地の利用も俺のいた国のシステムで世界が模倣したものだよ」
ミックは一礼して部屋を出ていった。そして入れ違いで入ってきたのはジェラルド大臣。呼び出してすぐ来るとは思ってなかったので驚かされる。
「陛下がお呼びと聞いて参りました」
「早いですね」
「陛下がお呼びになられたのでしょう」
「まぁそうだな」
互いに笑ってから俺は一案書いた紙を見せる。
「これは治安改善策の一環であるが意見を求む」
「失礼致します」
俺の渡した紙の内容を熟読してから大きく頷くと、
「なんと……兵の詰め所を細かくするのですか?」
「詰め所と言うよりも派出所だな。小隊を各地区に細かく分散させてその地域の警備巡回をしてもらう。さらに交代制で派出所には常に複数の兵がいるようにすることで犯罪や騒ぎが起きれば民は派出所に届け出て即時対応が効く。今のように兵舎から出すのでは時間がかかりすぎるのでな」
教会の跡地活用には交番システムを取り込む。三交代制で兵が常駐となれば犯罪者は確実に減るだろう。
「もしこの派出所を採用するならば今の兵の数では足りない可能性があります。どうなさるおつもりでしょうか?」
感心しながらもジェラルドは眉を曲げる。
「やはりか。そこをどう調整すべきか相談したくてな。ミックが戻り次第、綿密に相談したい」
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数時間後……、
「軍学校からの採用のみではなく武術学校や一般からも公募もする。書類審査と実技試験と面接ですね」
最終的にはそう落ち着いてミックは書類をまとめ始める。
「陛下のお考えは我々の及ばぬところまで届いておられる。ロイド右、跡地候補の数がわかり次第連絡を頼む。私は兵の数を調整しすぐに回せる者の選定に入る。それでは、陛下、右、失礼致します」
ジェラルドは足早に部屋を出ていく。根から真面目で職務に忠実、信頼たる臣下に俺は安心してその背中を見送った。
「陛下、五日後にはフォルドゲイタス帝国より同盟についての使者が来られます。晩餐などの準備も滞りなく進んでおります」
「ありがとう。あと向こうに婿入り嫁入りしてもいいと言ってくれている者のリストと獣人国から婿入り嫁入りの受け入れ先の候補になてくれている者のリストは?」
俺がそう話しているとノックの後にレイラが入ってきた。後ろには内務官の一人がワゴンを押しながらついてきている。
「陛下、こちらがそのリストになります」
「ああ。レイラが揃えてくれて……たの……」
ワゴンの上に積まれた量を見て困惑し言葉が詰まる。リストアップされているのは数十人と聞いているのだが書類の量がおかしい。一人当たりノート一冊分以上あるのか、物理的な紙の山でそれがドンドンと俺の机に積まれる。
「どの家も本人の功以外に家のことも細かく書いているようです。陛下を支持している家と、やはり協力することで上の爵位を狙っている家もございます」
「王が替われば下もついていくべきか、否か、様子を見る者は現れる。その者達がついてきたいと思う王にならなくてはな。しっかし……今から見なきゃダメ?」
俺はうんざりして表情を曇らせたが、
「ダメです。急く案件ですし、陛下があちこちに視察に出かけるから貯まっているんです。毎日少しずつでも見ておけば……」
レイラの小言が始まり、ミックは苦笑して一礼すると部屋を出ていく。
「……地方ばかりではなく足元からお固めになって、いくらクレアを側室にあげようとそれで貴族が納得するわけではありません。陛下が得るべき信頼は民のみならず、軍、臣、貴族も見ていただかなくてはなりません。……陛下、なぜ笑っておられるのですか?」
レイラに怒られてから自分の頬を触る。なぜか口角が上がっていて笑っていたのだ。
「わからない、無意識だよ。……たぶん、レイラが俺のことを心配してくれているのが嬉しいのかな」
素直に思ったことを口にするとレイラは真っ赤になってたじろぎ顔を手と腕で隠した。隙間から見える目がこちらを見つめて、
「陛下、今は遊んでいる場合ではないのですよ?」
「……ははっ。そうだな」
俺は書類の山に手を伸ばして一人目からチェックし始めた。
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