ヤンヴァッカル領の新鋭
田園風景、ラセアンをゆっくりと駆り走っているが俺の目に映るのは田んぼ畑田んぼ田んぼ畑畑畑田んぼ畑田んぼ稀に家と家畜。どこまでものどかで何もない風景。
「ここの名産は麦と芋と……何だったかな?」
「ラキッタです」
俺の横で同じ風景を眺めるジグレイシアが答えてくれた。その答えに茄子に似た形の梨を思い出す。
「あの田んぼでは何を作っているのだ?」
「あれは家畜のエサになるハクビョウです。豊富な水があればよく育ち飼料になるので河川近くの町や村では多くの農家があります」
米じゃないのか……非常に残念だ。この世界に来てから米を食べておらず日本の味が恋しい。醤油や味噌は試作品があるがまだ試行錯誤の途中、魚醤だけは作れているが俺の求めるものにはほど遠い。
聖魔光王国北東部第九領ヤンヴァッカル。三方を山に囲まれた盆地で一年のうち半分は山からの吹き下ろしの風が強く晴れの日が多く、残り半分は逆に山を登るような風が吹き、雨が降りやすい。おかげで山からは豊富なわき水があり山と川の幸が採れ、農耕もかなり盛んだ。言い換えれば『果てしなく田舎』である。
「なんというか牧歌的だな。王都では見られない風景だ」
領都の最外壁の中だというのに街らしい物がなくひたすらに田畑が続いていて第二外壁と最外壁の間は遮蔽物が全くないに近い。しかも外壁間距離は十キロほどはあるというのに、だ。
本来なら外壁は街の規模が拡大していくのに合わせて先に壁を作ってから街を作るのだが、おそらくこの地は逆だろう。広がりすぎた田畑とそれを管理する領民を守るために外壁を作ったのだろう。
「まぁのどかなのも悪くないな」
王都から出て四日目、北東部ではかなり僻地に近いヤンヴァッカルに来たのは人材を得たいがため。
領主メレシア・ヤンヴァッカル・ディグドラの娘、スティルが目的だ。トライメタルプレートであることを知った三ツ者がミックに報告して俺にまで回ってきた情報で、トライメタルプレートは国内でも百いるかいないかの貴重な人材だ。
ヤンヴァッカルの街は三重の外壁に囲まれているが都会は中央の内壁の中のみだった。内壁と第二外壁の間が農耕民の住む街らしく、店や取引所はすべて内壁内の街にしかない。
「ホントにのどかだなぁ……」
こんな街だから訪れる人は商人や運輸の者が多いのか大型の荷馬車が何台も走っている。
住民を見るとどの顔も明るく穏やかだ。王都のような活気があるというものではなくほのぼのとした印象だ。
三ツ者たちの報告でも貧民街がかなり小さく働かない者は数少ない。働き口は農家でいくらでもあるので困っていないらしい。
何でも屋に近い魔物狩りですら繁農期には農家の手伝いの仕事依頼が来るそうで初心者の魔物狩りも仕事に困らないそうだ。孤児も少なく調べによると六十人から百人と同規模の別都市に比べて半分程度だ。
見事な統治にも見えるが山が近い分、大型の魔物や強い魔物が発生しやすい。それを討伐できる力があるから安心して内側に力を入れられるのだろう。
「今さらながらスティルを引き抜いて大丈夫か心配になってきたぞ?」
俺が半笑いの笑みを浮かべると前を走るグレナルドが振り向いた。まとめられた銀の髪が風に流れてなびき陽光にきらめく。
「それを含めてお話し合いなさるおつもりではなかったのですか?」
「引き抜くことしか頭になかった」
俺が素直に答えるとグレナルド少しの困惑の混じった笑顔を浮かべる。
「まっ、なんとかなるだろう」
俺はあっけらかんに笑って誤魔化そうとしたがちょっと無理だった。
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領主の屋敷も一見は素朴だった。貴族だというのに目を引くものは光石を使ったシャンデリアくらいで柱の彫刻もなく、絵画や調度品にも派手さはない。だがよく見れば驚かされる。
例えばドア一つとっても1本の木から削り出したもので取っ手と板の継ぎ目がない。玄関ポーチにあった手すりも組み立て式のものでなく削り出して作られたものだ。それに廊下に飾られていた壺は王城にある壺の一つに類したものがあった。わびさびの寂、いや然びと評すべき造りと調度だ。
「陛下、父が迎え出ること叶わず申し訳ありません」
屋敷を案内をしてくれているのはメレシアの長男で一応嫡子のカーメン、四十手前であるがまだ家督を継いではいない。
そして俺の後ろにいるグレナルドたちの更に後ろにいるのは次男のメイヴズ。その後ろにもぞろぞろとおっさんから青年まで年齢順に並んで付いてきている。その数なんと十六人、すべて領主メレシアの息子だ。
「いや、ディグドラ男爵の足が悪いのは知っている。無理に出迎えずとも構わない。それに貴殿らがしっかりしている分、頼らせてもらう」
「はっ、ありがたき幸せでございます」
本来、この子息達は領内にある街や村の統治を任されていて領主見習いとして励んでいる。なので長男でも嫡子とは確定しておらず、まだメレシアの判断は下りていない。
廊下を曲がりカーメンの開いた扉の奥に一人の翁が座っていた。ひょろっとしていてちょっと禿げ始めた白髪を持つ。老いてしわがあるせいでやや厳めしい顔つきに見える。この者が領主メレシア、当年六十になる国内最年長領主だ。
俺の姿を見ると立ちあがろうとして横にいたメイドに支えられる。
「メレシア男爵、座ったままでかまわない。無理をすれば後々たたる」
「陛下、本来ならば領都の前までお出迎えすべきところ申し訳ありません」
椅子に座らされたディグドラ男は深々と頭を下げる。しかし俺は介せずに勧められた男爵の隣の椅子に座り、
「いやいや。そなたは足が悪いのだから無理をする必要はない。立派なご子息がおられるのだから頼られるがいい」
俺がそう言うと頭を上げたディグドラ男だが困った顔のままだ。
「いえいえ。どの息子も私の後を継がせるには不安だらけで……」
そう言って息子達の方を見る。俺も釣られて視線をやると息子達はかなり困った顔をしていた。
他の領地では五十代にもなれば嫡子に家督を譲るのが大半で早ければ二十代半ばで領主になる者もいる。しかしながらディグドラ男は六十を迎えて長子は四十手前、一番年下の十六男ですら二十代半ばを迎えていてそろそろ家督を譲ってもいいはずなのだが……。
「はははっ、さすがアンリ先王の剣が一人、未だ豪気は衰えず何よりだ」
俺は高らかに笑う。アンリ先王にも俺と同じような直属部隊がいた。機王の剣と呼ばれた部隊でかつてはイディルスキー将軍やギーデウス将軍、そしてジェラルド大臣もその一人だった。アンリ先王と共に戦場を駆けた歴戦の士だ。
今は孫が……三十人くらいにいるおじいちゃんだけど。
「まだまだ若い者達には負けられませんから。それにイディルスキー、ギーデスも戦線に出張っているなら私も領主として頑張らねば笑われてしまいます」
朗らかな笑みを見せるかよ眼には挑戦者のような熱い闘志がある。
「衰えるどころか、老いてなおますます盛んか。ではイディルスキーやギーデウスらが退任すればそなたも、か」
「いえいえ、奴らが退役して一年は頑張りたいところですぞ。前の護国軍北西部統括総将だったバロテリアスも退役し、先王の剣はドンドン隠居しておりますが私は最後まで陛下にお仕えし孫らが戦をせんで済む世になってから隠居を考えております」
おう、この爺ちゃん老いて衰えるどころか益々盛んだ。でも歳考えて欲しいなぁ。
「その世は間もなくだ。私が必ず戦のある世をなくし平穏な国を作ろう。ならば、そなたも安心して隠居できよう?」
「ははっ、では陛下の作られる平和の世を見るまでは死んでも死にきれませぬな」
俺が笑うとディグドラ男も笑った。
「さて、今日来た用件についてよろしいかな?」
俺は本題に入ろうとする。問題は本人がいないことなんだが。
俺がスティルについて話を聞いてみる。するとものすごく苦い顔をする。
「あの娘は……陛下のお望みになるような者には育ってないかと……。老いてから出来た娘で甘やかしてしまい、私の勧めた相手を追い返すような子になってしまいました。陛下にお仕えさせては必ずや陛下にご迷惑をおかけします」
ディグドラ男は俺の話を聞いた上で娘の仕官については乗り気にはなれない、むしろ娘の性格を理解しているからこそ仕官を断っているように見える。
「ふむ……ご子息らから見てスティル嬢はどのような妹か聞かせてもらえるか?」
俺が話の水先を向けるとカーメンから順にスティルについての話が聞ける。
曰く、粗忽な妹で貴族にない振る舞いばかりをする。舞踏ではなく武闘に励む。領軍の中で一番強い者がディグドラ男九男のヴィナズなのだが彼より強い。領内にドラゴンなどの手強いモンスターが出ると軍が準備している間にさっさと一人で行って倒し嬉々として帰ってくる。口が悪く素直でない。一部の領民には大人気で特に若い女性からの人気が高い。貴族の娘どころかまず女としてどうなのか、嫁のもらい手を探しても本人が蹴飛ばすのだから手の付けようがない。
まとめよう。
『行動力のある女らしさの少ない武闘派アイドル』
うん、これでよし。
「それで、本人は今どこに?」
「それが……二、三日前から姿が見えず探してはいるのですかと……おそらく山か森の奥地で魔物を狩っているのかと思います」
俺の予想の斜め上を走り抜ける答えに困り果てそうになるが、そこにノックの音がしてメイドが入ってきた。
「スティルお嬢様が帰ってこられました!」
「なんと!陛下がいらっしゃると知っておきながらあの娘は何をしておったのか……」
机をタンタンと叩きながら苛立ちを見せるディグドラ男だが部屋に臆面もなく顔を出す者がいた。
スティル・ヤンヴァッカル・ディグドラ、夢魔族サキュバスらしい体つき。ショートカットの黄緑の髪、その頭の両サイドにはコウモリの羽のような何か、挑発的な金色の眼、肩出しヘソ出しのレザーボンデージに包まれた胸はタユンタユンの巨乳、ウェストはキュッと締まっていて、これまたレザーのミニスカートのヒップはピッタリとスカートに張り付くような形で、一言で言えば『存在自体が青少年健全育成法に違反する』。
俺と目が合うと首をかしげ腕を組み人差し指を肉厚なエロい唇に当てる。その間からヌルッと舌が出てきて指を一舐め。手に持っていた薄い木箱をメイドに預けてから俺の傍まで来て軽く会釈をし、
「メレシア・ヤンヴァッカル・ディグドラの娘、スティルでございます」
挨拶をしてから父親の傍まで歩いて行く。ディグドラ男の傍に行くと同時に怒鳴り声がする。
「今日は陛下がいらっしゃると言っておいたではないか!一体何をしていた!?」
「たまたま近くで暴紅龍が出たと聞いて倒せるか試しに行ってきました」
にべもなく答えるスティルに頭が来たのかディグドラ男は顔を赤くして、
「まったく!お前という娘は!陛下がいらっしゃる前だから陛下とのお話が終わり次第、わしの部屋に来い!今は座れ!」
その言葉で翻して肩をすくめると末席に向かっていき座った。
「えーと、それでは本人もいるから本格的に話をしていいかな?」
やや空気の悪い中、俺はスティルの仕官の話を改めて始めた。
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