彼女の記憶と心の内2
あれから陛下の顔、優しそうな笑顔を思い出すことが時々あった。それだけで胸に小さな痛みがある。
思い出すだけで心臓が大きく胸を打って、体温が上がるような感覚。それになんだろう、うん、嬉しいドキドキ感。
そのうち、陛下のことを考える日が多くなって、想う時間が長くなって、自分でもこの気持ちがなんなのか、わからない。
でも……相手が陛下だから、誰にも相談できるものじゃなかった。
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数日前から父様に連れられて兄様達と一緒に王都に来ていた。
新年を迎えた今日、朝から軍臣と貴族は陛下に新年の挨拶のために王都に集まり、夕刻には陛下からもてなしの食事が振る舞われる。
王城の四階にあるダンスホールを兼ねた大広間で食事会が行われるため、昼前に帰ってきた父様は兄様達と私を連れて登城し受付に並んでいた。
「本日は陛下が考案なされました立食式の食事会となります。足の悪い方のみ座られて陛下がいらっしゃるまでお待ちください」
大広間の入り口で受付をする内務官からそう言われて入ったところ、給仕から飲み物を受け取って室内を見渡した。
去年も父様と一緒に来ていたけど今までとは机の配置が違う。なぜか壁際と中央に腰程までの丸い机が並べられて中央の机以外には椅子がない。
どの方も座る場所を案内された様子もなく、指定もされないのか、片手にグラスを持って立ち話をしていた。
しばらくして全員が揃ったのか、上座の方にあった台に陛下が現れて御挨拶があった。そして最後に、
「その後は少し変わった形式の食事会となる。給仕は食事を運んだり、皿を手配するのみで、各々方はご自分で好きなものを好きなだけ取って食べてくれたらよい。飲み物は飲み物を持った給仕が会場を回っているのでその者に頼んでくれ。私がいた国ではこのような食事形式もあってな。そして私のいた国の料理もいくつか出してある。興味を持たれたら食べてくれ」
広間の扉が開かれてワゴンに乗せられた料理が次々と運び込まれてくる。
そして陛下から、
「では各々方の領地やお役目で互いに協力できるよう、皆で交流して縁を作ってくれ。祝いの席故、多少の無礼は互いに許し合い、友として大いに楽しんでくれ。乾杯」
貴族達はこぞって陛下に話しかけに行ってるけど、陛下は貴族達の話を笑顔で聞き流しているような雰囲気もあった。
そして陛下は王妃様と一緒にまだ話していない貴族と軍臣を中心に挨拶回りをされ始めた。
軍臣から行くのが通例のものを陛下は御自ら皆の元に足を運ばれている。
そしてかなり優先するような感じで父様のところにもいらっしゃられて、
「サラス将軍、遠くより来ていただき誠にありがとうございます。昨年は細かい働きをあげればキリなく、和平交渉の護衛に将軍らのとりまとめ、軍再編と軍学校教官育成など多岐にわたる働きには誠に感謝しております。今年も未熟な私にそのお力を貸していただけるよう、お願い申し上げます」
陛下は父様へご丁寧な挨拶に始まり昨年の働きを労われて、そして今年の働きの期待までされていることも伝えられた。
「陛下、将軍の臣下に対してまで格別の御配慮と御挨拶、誠に痛み入ります。今年も臣サラス、部下並びに一族にて陛下を奉じ、忠節を尽くす次第にございます」
父様が頭を下げて、兄様と私も頭を下げる。陛下は私達の方に体を向けて、
「ご子息のジル歩哨武官、アラン下文筆官にもご期待しております。何卒、お父上と共に私に力添えのほど、よろしくお願い申し上げます」
驚くことに陛下は父様だけでなく兄様達にも頭を下げた。しかもただ下げたのではなく、兄様達の役職までご存じだった。
「それと、ご正妻の足が悪いと聞いてから何かないものかと調べておりましたらミルドラカのほうに温泉があるそうで。私がいた世界では温泉には疼痛に効く効果がありましてもしかしたらと。領主には私の一筆もあるのでよろしければ」
陛下は書簡を数枚父様に渡してニコリと笑った。
サリア様のことまで気にかけてら下なんて……。
陛下は父様としばらく喋ると一礼して別の貴族に声をかけておられた。
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恙なく食事会が終わり始めて、どの方も飲みながら情報交換や談笑にいそしんでいるように見えた。
私はまだ子供だから話しかけられることもなく、ただ父様の隣にいて挨拶をするだけだった。
はっきり言ってつまらない。私は政治にも軍事にも疎くて、父様に近付いてくる方は父様が将軍位にあるから有益な付き合いを狙ってくる方が多いように見えた。
貴族の方が、父様に頭を下げて、息子を父様の軍に預けたいが頼めないだろうか。兄様達を見て、娘を兄様の妻にどうでしょうか。私を見て、うちの息子に嫁いでいただけないだろうか。そんな話ばかりにうんざりしてきた。
嫌気がさして周囲に視線を回す。私より上は大人として出席し交流を深めて、私より下は親の隣で飲食をしていて、私と同じ年頃の人は少ない。
視線をさまよわせていると一人の方に目がとまる。
一人で歩く陛下。横にいるはずの王妃様の姿はなく、側室に娶られるという話のある……どこの方だっけ?貴族の方もいない。
陛下は人の視線を避けるように動いてカーテンの後ろにある大きな窓からテラスに出て行った。
私は気になって、父様に一声かけると小走り気味に足を動かした。
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城下町が一望できるテラス、陛下はその手すりに体を預けておられた。
風に乗って声が聞こえてくる。お一人なのに誰かと喋っているように声を出す。
「なぁ、どう思う?俺は王として頼られているだろうか?間違えていないだろうか?皆に応えられているだろうか?」
「そうだよな。俺はまだ足りないと思う。貧困、就労、児童、高齢、不正、問題を数えればキリがない」
「おいおい、そんな顔をしないで話だけでも聞いてくれよ」
陛下は陽気に話していたかと思えば、少し気落ちしたようで大きなため息をついていた。
私は離れた場所で見ているしかできない。……それしかできない?
本当に?
心の中で自分が自分に問いかける。
わからない、陛下に向けている感情が何なのか。でも、わかっていることもある。
私の心の中には、陛下がいる
私は意を決すると陛下の元に歩み寄り、声を出した。
「……陛下」
私がいたことに気づいていなかったのか、陛下はかなり驚いた様子で振り返った。その腕の中には白い小さな猫がいた。
陛下が話しかけていた相手は猫だったのだろうか?
陛下は一瞬だけ、見たことのない雰囲気、儚そうな気配を見せたが表情が変わりいつもの陛下の顔になった。
「これは、ルナールさん。どうされましたか?」
ニコニコとして優しい笑顔を見せられる。
「あ、あの、陛下がお一人で出て行かれるのが見えたので……」
正直に言うと陛下は妙な顔をした。困ったような、迷ったような、そして、
「風に当たりたくなりまして、ね。ここからは城下が一望できます。民の声がよく聞こえるんですよ」
陛下の言葉に私は手すりの近くまで行くと、たしかに街が一望できる。砦とは違って住民も多く、店も多い。
そして新年を祝う祭りを楽しむ民達の声が風に乗って届く。
「私はここが好きなんですよ。民の声が聞こえて、民が傍に感じられる。私は民の声を聞いていたい。そして、共に喜び、共に悲しみ、共に泣き、共に笑いたい。……おっと、酒のせいか、夢想家になってしまいましたか」
陛下はご機嫌な様子で笑いながら顔を押さえて、そして一筋だけ涙を流された。
「……陛下、涙が……」
猫を片手に陛下は自らの頬を触り、
「ああ。なんでだろうな」
笑っているのにどうしてか、存在が希薄で、脆く壊れてしまいそうで、儚かった。
私は陛下を見つめる。また心臓がトクンと打つ。またわからない感情が溢れてくる。
なんだかわからないけど、陛下に触れたくなった。私は陛下に近付いていき、涙をぬぐった陛下の手を握っていた。
「え?」
陛下はかなり不意を突かれたような声を上げた。
頭一つ分くらい上にある顔にある優しい瞳が私の目と掴まれた手を往復する。
私はまた自分がしでかしてしまったと理解して慌てて手を離し、
「陛下、失礼しました」
私は心臓のドキドキが止まらないまま、顔が熱くなるのを感じる。
「いや、気にしなくていい。だが、急にどうした?」
陛下は私の行動に驚かれながらも私を気にかけてくださる。
「いえ、あの、その……」
私が言いよどんでいると陛下は少し大きく息をついてから、
「叱責も何もしない。ただ、急だったので驚いただけだが、何かあったのか?」
「あ……」
言いよどむ私に陛下はとても優しい目を向けて心配してくださる。
「あ、あの、陛下が……陛下がどこかに消えてしまいそうな、儚くいなくなってしまうような気がして……」
私自身でも訳のわからないことを言っていると思う。なのに陛下はキョトンとしてから何か嬉しそうに、儚そうに笑って、
「…………」
私には聞こえない小さな声で何事かを呟かれてから、
「ははははは、その目は間違っていないな。しかしもう大丈夫であろう?」
そう言って笑ってみせる陛下なのに、それでもまだ儚さがある。脆さを感じる。どこか違和が、そう、無理をしすぎているように見える。
「陛下は……陛下は、陛下としてのお勤めをしっかりとなされております。軍臣民皆が陛下を必要とし、陛下を信じております。だから、ご無理だけはしないでください」
「おや、聞かれてしまっていたのか。みっともないな」
陛下は恥ずかしそうに笑っているが、どこか嬉しそうにも見えた。
「……陛下……」
「なんだ?」
私は一度言葉を止めてから、陛下を見つめた。陛下に優しくも真剣な顔で見つめられて、私は自身の感情を受け入れて、言葉にした。
「陛下。あの、お伝えしたいことがございます」
口の中の渇きをを感じながら、それでも息を飲んで、
「陛下に初めてお目にかかった日から、私の心に、陛下がおられます。私の中の陛下は、優しく笑いかけてくださり、日に日に思い出すことが増えて、時間も長くなって、今では陛下のことを思わない日はございません」
感情を、今までの想いを、一気に口にする。陛下は何もおっしゃらずに私の言葉の続きを待ってくださっている。
「陛下のことを想うと胸が強く打ち、心が温かくなり、愛おしい気持ちが溢れて参ります。このような想いを持つのは初めてですが、これが恋だというのならば、私は……陛下に……、陛下に恋を、しております……」
言葉にしていくと急に恥ずかしさと不遜を感じて声が出なくなる。
陛下は難しい顔をされた。悩んで、困り、頬を掻いて、私の視線を絶つように顔の前に猫の顔を持ってきて、下ろして、
「……ほんとに?」
凄く困った顔を浮かべられた。私はふっと我に返って、またしでかしてしまったと後悔する。
「陛下にご迷惑をおかけして申し訳ありません。先ほどのことは陛下と私だけの内密にしてください。私の一存で勝手に動き、父様には何の関係も……」
「いや、そこはかまわない。私が困っているのはそこではない」
陛下は私の言葉を遮って、悩めようにこめかみ辺りを指で突き始める。
「ふむ……むぅ……六花、よい案はないのか?」
陛下は両手で猫を抱き上げて猫と顔をつき合わせると猫に話しかける。
「にゃー、なーん」
返事をした。もしかして陛下は猫の言葉がわかるのかなと思ったけど、
「なーん、ではないのだ。今、私は困っているのだぞ?」
凄く大まじめな顔で陛下は猫に話しかけて相談をしようとする。
「よいか、彼女は私に恋をしているそうで私はどう答えればよい?教えよ」
「にゃにゃー」
「にゃにゃー、ではない。私はお前の主なのだぞ?主が困っているというのに何という態度か」
私はつい笑ってしまい、慌てて口に手をやり押さえる。陛下の視線が猫から私に向いて、陛下の口元がゆがんだ。
「やっと、笑ってくれたか」
「え?」
陛下は猫を足元に放し、私に視線を合わせてから、
「泣きそうな顔をして恋をしていると言われても困るのだ。その言葉が本当ならば一番魅力ある顔で言わなければ効果的ではない。女性は笑顔でいるのが一番なのだ」
陛下は私に笑いかけて、そして真面目な顔をする。
「それと恋とはいいものだ。叶う恋、叶わない恋、燃えるような恋、静かな恋、密かな恋、一時の恋、人が十人いれば十の恋がある。それを超えて大人になるものだと私は思うのだ」
陛下は少し愁うような顔をされた。
「……陛下、お応えはいただけないのでしょうか?」
思い切って陛下のお心に踏み込む。陛下の目には私はどう映ったのか、私の想いは届くのか。
「……それは一時の想いかもしれない。恋というのは熱しやすく、冷めやすい。そして初めての恋であればなおさらだ。しばし時を置こう。そして冷めなければ、その時は……そうだな、私からあなたのお父上にお願いしようか」
陛下は少し悩んで、言葉を選びながら私に応えてくださった。
「その、しばしの時、というのは……」
「あなたはまだ13歳、今年に14になるのだったかな。……そうだな、16になる日まで私を想い好いてくれていれば、でいいかな?」
今まで見たことのある笑顔とは何か根本的に違う、慈愛に満ちた表情なのにどこかイタズラっ子のような眼。
本当の陛下の顔を垣間見られた気がした。
「で、ではそれまでは月に二度、陛下にお手紙を送ります。陛下に私を知っていただけるよう、そして陛下からのお返事を心よりお待ちします」
私は陛下にそう告げて頭を下げると翻して父様の元に戻っていく。
足取りは軽く、どこか浮ついていた。そして部屋に入る直前、陛下に見えない場所で派手に転んだ。
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