彼女の記憶と心の内1
あの方と始めた会ったのは廊下。
父様の執務室の花を変えに行こうと向かっている最中だった。
角を曲がったら向こうからも来ていて、出会い頭にぶつかった。
私の不注意でいつも父様からは「お前はそそっかしいのだから細事気をつけよ」とまで注意されていたのに……。
紙が廊下に舞って、私がふらついて倒れそうになって、手に合った花瓶の感触が消えた。そのときに私の体を支える逞しい腕が私の腰にあった。
抱き寄せられるような形で立っていて、すぐ傍には見慣れない若い士官らしき男性。
「大丈夫ですか?」
かけられた声は優しく、整った顔立ちがする微笑みは私の心臓を大きく打ち鳴らした。
「え、っと、はい。大丈夫、です。たぶん」
私がなんとか返事をして自分で立つと彼は私に花瓶を渡して私は詫びてから一礼するとその場を離れた。
一度振り返ると彼と目が合って、その手には舞ったはずの書類も手にあった。私は父様の執務室に向かった。
砦内に配されている父様の部下の方であればほとんどの顔はなんとなくわかる。それなのに彼には見覚えがなくて、記憶の隅にも憶えていない。
もしかしたら、今日行われている合議会に来られている将軍様のどなたかの部下の方なのかな?
でも合議はもう始まっている時間じゃなかったかな?
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合議が終わったのか、外が過ごし騒がしくなってきた。
何か重大なことが決まったらしく、母様達とお茶をしていたら兄様達が駆け込んできた。
「失礼します。ジルとアランです」
父様の下で働く兄様達は私からすると大人で、父様のために働けることを羨ましく思う。
「母上、ミリーシャ様。父上が陛下と共に敵方の砦に捕虜を返しに行くとのことでご出馬されます」
ジル兄様の言葉に兄様二人の母様のサリア様と私の母様が頷いた。
「そう。お見送りに行かなければならないわ」
「サリア、アナタは足が悪いのだから無理しないで。でも正妻を差し置いて側室が行くわけにもいかないし、この子達にいってもらいましょう」
サリア様は昔に足を悪くされてから歩くのが困難で、母様はサリア様を支えてきた。正妻と側室でありながら、本当に仲がよくて姉妹みたいに思える。私だってサリア様が大好きだし。
「はっ。では三人で行って参ります」
アラン兄様が返事をして三人で部屋を出た。
「父上はもう砦の外門近くまで出ておられるだろう。間に合うように急ごう」
少し小走りになって私は兄様達を追いかけて前庭へと向かった。
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外に続く扉を開けると前庭が見える場所に出る。外門の傍に父様が見えた。馬の傍にいる誰かと話しているようで馬車を呼び寄せていた。
扉の番兵の一人が父様の傍にいて、もう一人が私達に、
「閣下には若様らが来られていることをお伝えしています」
兄様達と急いで父様の元へ向かう。
そして父様の前に並ぶと、
「父上、此度の留守は私が諸将らと預かりますゆえ、ご安心ください」
「父上、兄上だけでは心配でございましょう。しかし私もいますのでご安心を。何より、父上と陛下、兵らの無事をお祈り申し上げます」
ジル兄様は武官、アラン兄様は文官として父様のために働いている。でも父様は兄様二人が軍で働いているのはあまり喜ばしいことではないと以前にこぼされていた。
私は精一杯の笑顔で、
「父様。ジル兄様、アラン兄様のような事はできませんがご無事を願っております」
「ジル、アラン。何事も諸将らと密に相談し留守を頼む。と言っても数日だ。大事が起きることはなかろうが慢心はせぬ事を心がけよ。ルナールは母らとおればよい」
父様は兄様二人には期待していると、私には母様達といるように言われてから隣にいる仕官に体を向けた。
「陛下、息子と娘でございます」
父様の隣に立ったのは、あのとき、昼にぶつかった若い将校だった。
でも、今、父様、陛下って……。
兄様達を見て慌てて臣下の礼をとる。
この後に陛下と父様、兄様達はお話しになっていたけど、私の耳には何も聞こえない。
頭の中は真っ白であのときに態度を叱責されるかもしれない、そうなったら父様も何か処罰を受けるかもしれない。
私のバカバカ、いつも注意されているのに気をつけないから……。
「さ、さ、先ほどは、大変申し訳ありません。陛下と知らず……」
話が途切れたのを見計らって頭を下げたまま、必死に言い訳を探す。
「ルナール、何事かあったのか?陛下に粗相でも……」
父様が怒鳴る直前の気配を感じて、私は首筋に汗をかく。何もしていないのにジリジリと頭に汗を感じ、心臓は警鐘のように激しく脈を打つ。
「いえ、私が前を見ずに考え事をしながら歩いていたらご息女とぶつかってしまいまして。ご息女は何も悪くありませんよ」
陛下は父様の言葉を遮って、私をかばうように事実とは少し違うことを言い出した。
父様は陛下の言葉に毒気を抜かれたのか、
「そうでございましたか。陛下、娘の不躾、大変申し訳ありません」
「た、大変申し訳ありませんでした」
陛下に陳謝して私もそれに続いてお詫びを申し上げた。
「いや、本当に気にしてないから……。頭、上げてください」
陛下は少し困ったような声を出して、父様が頭を上げたのを見てから私も頭を上げた。
「それでは、砦の守りをよろしくお願いします。将軍、行きましょうか」
陛下はそう言って馬車に乗られて、父様は続いて乗車した。
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砦のすぐ裏にある父様所有の屋敷がある。私はそこで与えられている自室で一人ベッドに座っていた。丸いクッションを抱いて今日のことを思い返す。
陛下、だったんだ……。若くて、格好良くて、優しい。
王位継承の日は風邪で寝込んでしまって参列が叶わなくて、お顔を知らなかった。
王になられて間もないというのに発表された政策を耳にすると、仕事のない者を雇う国営農場、一般の子供らが通う学校の設立を王都で行なうと報じられていた。
そして各都市や街には疫病対策に失業者に有償で清掃の仕事を与えて街を綺麗にするように通達されている。
砦は防衛設備のある街扱いなので、通達に従って不労者達が集められ砦の後方にある街の清掃をさせている。
「はぅ……色々考えられているお方なんだ……。それにあの手の温もり……優しかったな……」
腰に当てられたあの腕、細かったのに、逞しくて、温かくて、優しかった……。
胸にキュンと締め付けられるような痛みがあった。
クッションを抱く腕に力がこもる……。なんで、かな?
私はベッドに倒れ込み、ベッドはポフンと音を立てた。
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