第三章 エスプレッソ
厳選された豆から作られたものは、香ばしくやわらかい味が際立つ。一般的には砂糖を入れて楽しむものだけど、私は砂糖は入れない。
何故?くだらない質問はやめなさい。
それは私が本物を知る者だから。
飲みやすく自分好みにするのもまあ悪くないわ。
でもそれじゃ面白くないでしょ?冒険に危険は付き物。
そう、私は冒険をしてるのよ。
直径七センチのカップの中を。
「また新しいエスプレッソメーカー買ったの?この暑い季節によくまあそんなもの口に出来るわね。考えられないわ。」
見てるだけでも暑苦しい。
「邪魔をしないでいただけます?絵里さん。イタリア人の至福の一時を。」
「なーにがイタリア人よ。ローサ、あんたハーフじゃなかったっけ?だいたいあんたイタリアに行った事ないじゃない。イタリア人が聞いて呆れるわ。」
絵里がローサのタブーに触れてしまう。
「キーーーーーーッ!!言いましたね?なら絵里さんはどうなんですか?モデルって言えば聞こえはいいけど、通販の下着モデルなんて三流もいいところ!どうせならファッション誌の表紙飾りなさい!」
そしてローサも絵里のタブーに触れてしまう。
「言わせておけば…!このインチキイタリアンめ!」
「イ……インチキイタリアン!?もう我慢出来ないっ!!」
「何よ、やる気!?」
堪えきれず二人がファイティングポーズをとる………間もなく取っ組み合いになる。
新しいエスプレッソメーカーがひっくり返り、ローサお気に入りのカップもふかふかの高級絨毯の海へダイブする。
説明するまでもなく、しっちゃかめっちゃか状態だ。
「ちょっ………何やってるの!やめなさい二人共!」
騒ぎを聞き付けて仲矢由利が入って来る。
だが気付く気配すらない。
「聞いてるのっ!?やめなさいって……………」
ガコンッ!!
妙な音に絵里とローサが手を止める。
「し……司令……!!」
「げっ……!!」
絵里とローサの怒りの顔が一気に青ざめる。
それもそのはず、カップを乗せてた銀のトレイが……由利を直撃していたのだ。
「…………………………。」
いつもクールな由利の顔が真っ赤になり次の瞬間………
「£》‖〃〃\〆〇〕〕∀ÅÅ∇‡!!!!!!!!」
窓ガラスさえ粉々にしてしまうような怒りが屋敷に響き渡った。
「何を考えてるのっ!!何をっ!!」
止まない怒りの矢がローサと絵里に突き刺さる。
「由利、もうよさないか。元気があってむしろ頼もしいじゃないか。」
ヴァルゼ・アークに悪気はなく、なだめようとしたつもりだったのだが、逆に由利に睨まれ返されてしまう。
「ま、まあ、二人も反省してるみたいだしここらで許してやれよ。」
怒らせたら一番恐いのは由利なんだと全員がまとまった瞬間だった。
「………まあ……総帥がそうおっしゃるのなら。」
普段はすました顔の由利がむくれる。内心はまだ怒りがおさまってないのだろう。
トレイの当たった額が痛々しい。
「さて、本題に入ります。みんなに集まってもらったのは他でもないわ。最近妙な気配が時空間を行ったり来たりしてるの。その気配の正体を突き止める為に調査に行って欲しいのよ。志願者は手を上げて。」
副司令の九藤美咲が由利に変わって冷静に集まったもらった目的を説明する。
「妙な気配って………まさか天使ではないですよね?」
宮野葵が頭をよぎった疑問を投げ掛ける。
「天使のそれとは違うわ。もっと強い気配よ。」
「天使より強い気配?何者かしら?」
「それを調査するのです。千明さん。」
一回りも年下の南川景子に言われてたじたじになる。
「そうですわ!絵里ちゃんとローサちゃんのお二人でお行きなさい!」
「はあっ?なんで私がインチキイタリアンと!」
「それはこっちの台詞ですぅ!三流モデルがっ!」
「何よっ!」
「何ですかっ!」
「いい加減にしろ!」
ゴングを鳴らした戸川純に変わりヴァルゼ・アークが呆れながら第2Rを阻止する。
「すいません……。」
「申し訳ありません……。」
ローサも絵里もとんだ醜態を晒しまともにヴァルゼ・アークの顔を見れない。
「しかし、純の言う通りかもしれんな。よし、ローサ、絵里、お前達にこの任務を任せよう。」
「………はい。」
「………わかりました。」
渋々ではあるが了承する。
「では二人共お願いね。くれぐれも調査が目的であるのを忘れないで。」
「「了解。」」
同時に声を発したので何となく恥ずかしい気持ちになってしまう。
目を合わせて、
「フンッ!!」と二人がそっぽ向いて部屋を出ていく。
「………どこに行くのかわかってるのかしらねぇ?」
千明が出て行った二人に吐き捨てる。
全員が溜め息をついたのは言うまでもない。
「まさかエジプトとは………」
「ナポリの方がよかった?」
絵里はいちいち皮肉を言わないと気が済まないらしい。
ローサも何か言い返してやろうかと思ったが任務を忘れてまた喧嘩に走るのを恐れて止める。
「…………………。」
「…………………。」
スフィンクスの頭から眺める景色はまたなんとも言えないくらい壮観だ。
「………なんか言いなさいよ。」
「特に話す事は何もありません。」
事務的に絵里の申し出を断る。
これ以上皮肉を言われようものなら事務手数料をとってやるところだ。
「妙な気配って言ってもどこをどう探せばいいものか……」
「三日かけて何もなければ一度屋敷に帰りましょう。」
「そうね……………ってなんであんたが仕切んのよ。」
「絵里さんには任せておけませんから。」
「どういう意味……?」
おもいっきり頬を引き攣らせる。
「絵里さん!!」
「何よ?…………!!」
身体の中に高圧蒸気を流し込まれたような熱いオーラを感じる。
「なんなのこれ………身体が燃えそう………」
「しっかりして!絵里さん!」
オーラの性質は種族によって異なる。悪魔のオーラはやはり闇が主体となる。感じるオーラは『夜』と言った方が早いかもしれない。ヴァルゼ・アーククラスが本気のオーラを出せば暗闇に閉じ込められた不安に似たような感覚になる。
対する天使は『光』が主体だった。暖かさはあったものの身体が焼けるような感じはなかった。
そして今感じてるオーラ。実際に焼けてしまう事はない。
しかし耐え難いものはある。
「……来る!!」
熱いオーラの主がピラミッドの頂上に現れる。
真紅の鎧を纏った金髪の男を一人、ローサが確認した。
「誰?あいつ……」
絵里の中のバルムングの記憶にはない顔だ。
男はモミアゲから繋がってるあごひげを摩りながら辺りを見回している。
「やれやれ、ディエッサーめ。雑用一つこなせないのか。しかし、地上にそんなに凄腕の戦士がいるとは思えんがな。」
すーっとスライドする視線が止まる。
「女?………ほう、ただ者ではないようだな。」
距離を頭で計算してスフィンクスの頭まで跳ぶ。
「よう、お嬢さん方。」
ローサと絵里にも一瞬の事で何が起きたのかわからなかった。
瞬間移動とは違う。明らかに跳んだ。飛んだのではない。ジャンプしたのだ。軽く百メートルはあるだろう距離を。
「ローサ、やばくない?」
「ええ。仕方ないですけど戦うしかない………」
二人が鎧とロストソウルを具現化する。
「コイツは驚いた!鎧と武器を一瞬で装備するとは………面白い!不死鳥王にいい土産話が出来そうだ。」
「不死鳥王?貴方まさか………不死鳥族なの?」
アシュタロトの記憶が危険信号を発する。
「私の名は不死鳥族戦士長オクターウ゛。お前達はこの世界の住人にしては特異な力を持ってるみたいだな?何者だ?」
目の前の若い女戦士に興味が沸々と湧いてくる。
「ごめんなさいね、素敵なおじ様に名乗らせておいてなんだけど言うわけにはいかないのよ。」
微笑みながらローサが軽くかわすが、伝う汗が空余裕である事を伺わせる。
「ハハハ!面白いお嬢さんだ。なるほど、訳ありか。なら力ずくで聞き出すしかないな。」
オクターウ゛がそっと剣を抜く。
「我が愛剣ケツァールの錆にしてやろう。」
「アシュタロト!」
「バルムングは総帥にこの事を伝えて!私が食い止める!」
構えたロストソウルを大きく振り下ろし、スフィンクスの頭が欠ける。
「おいおい、貴重な建造物を壊してくれるなよ。」
「おあいにくさま、私そういうの興味ないから。」
すかさずオクターウ゛に攻撃する。
「バルムング!早く行って!」
「でも!」
「早く!!」
一人残して行くのは心残りになる。しかし任務遂行が優先だとアシュタロトに頷きもせず日本にいるヴァルゼ・アークの元へ急ぐ。
「フフ………仲間想いな事でなによりだ。」
「仲間?ハハ………そんな安っぽい絆じゃないのよ、私達は!」
スフィンクスの頭を蹴り高く跳ぶ。スフィンクスも生まれて以来、こんなに強く蹴られたのは初めてだろう。
ロストソウルをオクターウ゛に狙いを定め一気に下降する。
「でやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「勇ましい限りだ……」
ケツァールを握る手に力が入る。
アシュタロトの狙いを外すまでもなくそのまま受けて立つ。
共に交わした剣に太陽の光が反射する。
瞬間、スフィンクスの頭に赤い血が流れ落ちた。