第十二章 心の闇 〜閉ざされた少女〜
南川景子………悪魔名シュミハザ。闇十字軍レリウーリア最年少で若干十四歳の少女。
ポーカーフェイスとは違う。ただ無表情なだけ。プラス少し膨れっ面をした印象を受ける顔立ちをしている。
生れつきこんな顔立ちなわけではなかった。
小学校の五年生までは明るく、活発な女の子だった。
成績も良く、特に問題を起こすような素行でもない。
ですます口調もこの頃は無かった。
「景子ちゃん、来年は受験ね。もうそろそろ塾にでも行きましょうか?」
「え〜〜〜〜嫌だなぁ。私、公立の中学でいいよ。」
景子の将来の夢はお嫁さん。学歴なんて必要な仕事に就く気はない。
「何言ってるの!今時は女も学歴が必要なのよ!本当ならもっと早くに行っとくべきなのに。」
夕食時の会話にはしたくない。しかし本人の意思とは無関係に敵は自分の理論を展開してくる。
「とにかく、明日学校が終わったら真っ直ぐ帰ってらっしゃい。近くにいい塾があるみたいなの。あなたも明日は早く帰ってらしてね。」
「ん………明日は接待が……」
景子の父は仕事以外の事………つまり家庭の事は全て任せてあると思っているのでこういう事には乗り気じゃない。
「接待って………あなた自分の娘じゃないの!?」
「明日はどうしても無理なんだよ。」
どうせあさってもやなさっても無理なんだろう。
景子が少し淋しい気持ちで父親を見る。
−私はお父さんみたいな人とは結婚しない−
どこの家庭もこんなものなのだろうか?父親と娘の間の溝は、年々深くなっている。
「はぁ…………わかりました。なら景子と二人で行ってきます。帰って来て『食事は?』とか言わないで下さいね!明日は私達も外で済ませてきますから。」
カリカリとヒステリックな声が耳障りだ。
「ごちそうさま!」
早々に食事を済ませて茶碗を流しまで運ぶ。
ここから先はいつも夫婦喧嘩に発展する。もっとも母親の一方通行で終わる事も多いが。
「景子ちゃん、わかったわね!?明日は早く………」
「はいはい。わかったって!」
母親から逃げるように自室へ撤退する。
いつからだろう?お母さんが変わったのは。昔はあんなガミガミうるさい人じゃなかった。
なんでも相談出来たし、お父さんにももっと優しかった。
景子に思い当たる節は無い。多分夫婦の間で何かあったんだろう。そのとばっちりだとしたら冗談じゃない。
机の引き出しを開けて小箱を取り出す。
箱の中には蝉の抜け殻がいっぱい入っている。
この時期近くのお寺の境内を探索するとあちこちで見つける事が出来る。
決して女の子の集めるような代物ではないが、何故か景子は惹かれた。何か生命の神秘らしきものを感じるからだ。
「1…2…3…………」
ニヤニヤしながら数を数える。
「………34……35……後五つで四十個だ!明日は……無理だからあさってまた探しに行こう。」
宝物を横一線に並べて眺める。心が和む。
「塾かあ………行きたくないなぁ……」
明日の事を考えると憂鬱になる。
でも、まだ今日という日が優しかった事を知らないまま明日を迎える。
景子の心を闇に落とす明日を……。
「ただいま〜〜〜!」
憂鬱な気持ちを抑えながら元気良く玄関を開ける。
彼女なりに気を使ってはいるのだ。
塾には行きたくないが、それも親心だとわかっている。
三人家族。塾に行ってしまえば三人揃って食事など失くなる。
わざわざ高いお金を払って私立を受ける意味がわからない。
言いたくても言えない事がたくさんある。そういう不満を隠してリビングへ入って行く。
「ただいま、お母さん。」
景子に背を向けてソファーに座っている。
「お母さん?」
声を掛けても返事が無い。
少し沈黙をおいて景子の母親が口を開く。
「景子ちゃん、これは何?」
「?」
おもむろに出されたものは景子が大切にしている蝉の抜け殻の入った小箱だ。
「それ………!!お母さん私の部屋に勝手に入ったの!?」
母親の暗いテンションとは逆に景子に怒りが込み上げる。
「今日ね、お寺の住職さんと偶然会った時おっしゃってたのよ、貴女が放課後境内に来ては蝉の抜け殻を探しては大事そうに持って帰ってるって。お母さんまさかとは思ったけど…………愕然としたわ。こんなゴミを集めてるなんて。」
「ゴミ…………ゴミじゃないもん!!!宝物だもん!!!酷いよお母さん!!」
「宝物?冗談は止めてちょうだい。こんなもの!!」
思い余って景子の『宝物』を床にたたき付ける。
「嫌っ!!やめて!!」
景子の必死の叫びを無視して床に散らばった蝉の抜け殻を踏み付ける。
「お母さん!!!お願い!!!やめて!!!」
どこにこんなに貯めていたのかというほどに涙が溢れる。
「こんなもの!!!こんなもの!!!」
気でも狂ったのかと疑うほど既に原形を留めてない季節の申し子達を粉々にする。
「嫌!!私の宝物なの!!塾でもなんでも行くからやめてよ!!お母さんっっ!!」
母親の足にしがみつき抵抗する。
「うるさいっ!!!!!!」
パシンッ!!パシンッ!!
景子の胸倉を掴み右手で平手打ちを往復させる。
「痛い……っ!」
壁に突き飛ばされ尻餅を着く。
「はぁ………はぁ………」
母親の目からも涙が落ちる。
「もっと早く塾に行かせるべきだったわ………そうすればこんなゴミ収集なんてしなかったでしょうに………」
「ゴミって言わないで!!」
泣きじゃくりながら季節の申し子達を擁護する。
「貴女は成績もいいし、塾に行けば遊ぶ時間も失くなると思って何も言わず好きにさせてたけど…………馬鹿だったわ、お母さんが………お母さんが馬鹿だったのよ………ううっ……」
「お母さん…………」
泣き崩れる母親にそっと手を伸ばす。
「触るなっ!ゴミ女!!」
「お……お母さん……?」
「こんな思いをするならあんたなんて産まなきゃよかったわ!」
割れた………景子の胸の中にあるガラスが………割れた。
「そんな………私そんなに………悪い事……した?」
頭が真っ白になる。
罪の意識なんて無い。当たり前だ。ただ何となく集めていただけ………心が癒されたのは否定はしない。
見つけた時のあの感動………わかってくれなんて言わないけど、けどゴミ扱いするなんて酷すぎる。
あげく、自分の娘さえゴミ呼ばわりするなんて……。
「どうして塾に行かせなかったの………私………私のせいで………景子は………」
景子を責めず、自分を責め続ける母親を見てさらに心が割れていく。
この日を境に母親は景子と口を聞かなくなる。
父親も、家に帰って来る事が少なくなった。
そして景子も………笑う事も無くなり、誰にも心を開く事はなかった。
以後、景子は心を閉ざし続ける…………。
景子は中学二年生になっていた。私立の中学校に入って成績も優勝な生徒に。
でも心は堅く閉ざされたままだ。幾重にも嵌められた錠前では足りず、心の周りを鎖でぐるぐると巻いて自分ですら開けられなくなっていた。
「今日はあまり収穫はないのです………」
手の平の季節の申し子は今日はまだ二つ。
景子は毎日境内に寄っては夏限定の友人達に会いに来ていた。
でも近年友人達は減っていた。
数年前なら一日十個なんてざらだった。
人と触れ合う事のない景子にとってはただ一つの楽しみ。
あの日以来心を閉ざした景子に誰も干渉して来ない。皮肉な事にそれが彼女の幸福な時間を多くもたらしていた。
「蝉の抜け殻かい?」
ふと男の声がして後ろを向く。
「こんにちは、お嬢さん。」
背の高い若い男が笑顔で声を掛けて来る。
「……………………。」
突然の不審人物に警戒する。
「そんな顔しないでくれよ、怪しい者じゃないから!」
夕暮れ時とはいえまだ暑さが残る。それなのに黒い革パンを履いているような男を怪しまない奴などいない。
「君、蝉の抜け殻………好きなのかい?」
怪しさ全開なのに何故か目を反らせない。
吸い込まれそうな男の瞳が景子に好奇心をもたらす。
「………好き………なのです。」
不思議と口が勝手に男と話し始める。
「そうか。素直でいい子だね。名前はなんていうのかな?」
「景子………南川景子……」
「景子ちゃんか。いい名前だ。俺はヴァルゼ・アーク。ちょっと変わった名前だけど、別にからかってるわけじゃないよ。」
物越しから推測するに二十代後半から三十代前半だろう。
でもそうは見えない。
その笑顔からは優しさを感じる。
「景子ちゃん、君は君でいればいい。誰の赦しもいらない。人と変わった趣味を持っているのは、罪ではない。個性なんだよ。その抜け殻達も、君みたいな優しい人に拾われて感謝してるよ。」
「!!!」
どうして?この男は何もかも知っている。そんな気がして鎖で縛られているはずの心がドキドキと音を立てる。
「そんなに驚く事はない。例え君が何か罪を犯しても、誰かに赦しを請う必要はない。俺が赦す。だからもう心を閉じ込めなくてもいい。心が泣いているのに気付いているんだろう?苦しまなくていいよ。」
その時景子の頬を涙が流れる。
あの日流した涙とは違う。
苦しくてせつなくて淋しい涙ではない。
忘れていた優しい涙だ。
「涙は貯めておくものじゃない。心を洗うものなんだよ。」
初めて会った男に諭されて涙を流す。
考えられない。
これが自分の求めていたものなのだろうか?
景子が自分に問う。
「景子ちゃん………君にいいものをあげよう。」
そう言ってヴァルゼ・アークが取り出した物は黒く光る石。
「これ………は?」
「君の閉ざされた心を救う石だ。もし君が、全てを捨てて俺の元へ来る決心がついたらこれを胸に当てて祈るんだ。」
唐突に変な事を言う。そう思ったが何故かそうしなければならない気がしていた。
「俺の名はヴァルゼ・アーク。運命に戦いを挑む者の名だ。」
最後にニコッと笑ってヴァルゼ・アークは去って行った。
「ヴァルゼ・アーク…………」
どこの国の人なのだろう?見るからに日本人だし、日本語も流暢だった。
「運命に……戦いを挑む……」
家に帰って来てからそればかり繰り返していた。
黒い石がヴァルゼ・アークのあの吸い込まれそうな瞳を思い出させる。
「ヴァルゼ・アーク………」
気になる。何者?気になる。
その時黒い石が強烈な光を放ち景子を飲み込む。
「!!!!」
しばらく目を開けられなかった。
すると突然声がした。
「ケイコ………ケイコ………」
「……誰?」
目を開けると真っ暗な空間にいた。
「ここは……!」
「ケイコ……ヴァルゼ・アークサマ ハ オマエ ヲ マッテイル……ケイコ………」
「誰!?誰なのです!?」
悲しそうな女性の声だけが真っ暗な空間に飛び交う。
「ワタシ ハ シュミハザ………魔界 ニ 生キルモノ……ケイコ…………サア…………ワタシ ヲ ウケイレテ………共ニ 戦オウ……」
「戦う?誰と戦うのです?」
「ウンメイ………」
「運命?」
「ソウ………ウンメイ………」
シュミハザと名乗る女性は景子を必要としているように思えた。
「私………」
夢を見ている雰囲気ではない。
明らかに現実にいる。
運命と戦う………どうやって?
そんな事を考える必要はなかった。
なぜなら答えは一つだからだ。
「戦います!貴女がそれを望むのなら私は戦います!」
「ケイコ………ウレシイ………コレカラ ワタシ ハ ケイコ デ ケイコ ハ ワタシ……」
「貴女が私で、私が……貴女……」
「ワタシ ハ シュミハザ………ウンメイ ヲ 嫌ウモノ……」
真っ暗な空間の一点から光が溢れる。
再び眩しさに目を塞ぐ。
目を開けると今度は知らない場所へいた。
どこかの屋敷だろう。広く長い廊下がどこまでも延びている。
真っ赤な絨毯の上を景子は歩き出す。
長い廊下をどこまでも行くと大きな扉が開けろと言わんばかりに存在していた。
その大きな扉を躊躇う事無く開ける。
中に入ると正面の壁に銀色の十字架がある。その十字架の縦と横の交差する部分に、人の目をイメージさせる細工が施されている。
何かのトレードマークだろうか?
「来たか………」
薄暗くてはっきり見えないが、十字架の下の玉座に誰か座っている。
「ヴァルゼ・アーク………」
脇に並ぶ蝋燭の炎が彼の顔をちらつかせる。
「決心したのだな?」
今更答える必要はない。そういう約束でここにいるのだから。
「いいだろう、今日からお前は闇十字軍レリウーリアの一人……シュミハザとなるのだ。俺はお前の全てを受け入れよう。」
厳しい面持ちでこちらを見ている。
自然と身体が動いて片膝をつく。
「私は…………ヴァルゼ・アーク様に全てを捧げます。この身体も心も……」
気が付くと周りには何人か女性が立っていた。
「彼女達はお前の仲間達だ。困った事があれば何でも相談すればいい。今日からここがお前の家だ。」
厳しい面持ちのヴァルゼ・アークが夕暮れ時に見た笑顔を見せる。
景子の閉ざした心が開き出した。