コーヒー店にて
大型本屋2階に在するコーヒー店は、大通り側を一面ガラス張りにし、コーヒーを飲みながらのんびり町の様子を楽しむことのできる、おっさんお気に入りの場所でもあった。
駅へ急ぐ誰でもない誰か、待ち人と落ち合い歩き出す誰でもない誰か、そして、観察している自分も彼らから見れば、誰でもない誰か。
そう、ここにいる間は、おっさんも『おっさんではない誰か』としていることができるのだ。孤独も不安も全部関係のない『誰か』として。
そんな自分をリセットする場所に、『おっさん』として、しかも、さっき知り合った『誰か』と座っているなんて、一体いつ想像できたことだろう?変な感じだ。
「えーと、エメラルドで。砂糖はいりません。」
「え、何、何?エメラルドって。なんか旨そう。じゃぁ、オレもそれ。砂糖ありでー。」
実際のところ、世代が違う少年とコーヒーなんて・・・かえって相手にも迷惑じゃないか?と思ったりもしていたのだが、当の本人はまったくそんなことも気にしていないようだ。注文し終わってもメニューを見つつ、店の中を見渡したり、隣のテーブルのビジネスマン3人の観察をしたりと、興味津々といった具合。この状況を楽しんでいるらしい。
4~5分後、ウエイトレスがコーヒーを2杯もって現れた時、少年はようやく目の前のおっさんに向き直った。
「コーヒー専門店って初めて入った、オレ。結構、落ち着いた感じなんだなー。それに・・・一杯がすっげぇ高いのな。」
「こういう所だとね、そんなもんだよ。」
「すっげーなぁ。」
何となく思っていたことだが、どうもこの少年は好奇心旺盛の上、話し好きのようだ。一口コーヒーを飲むとすぐに、おっさんに「先ほどの事件」についてアレコレ話始めた。
おっさんが走り回っているとき、少年は地下街の掃除も終わって、丁度スタッフルームへ戻るところだったという。
「あんな人混みをスイスイかわして走るんだもんな-。おっさんなのにすげぇ運動神経!あのゴツイ兄ぃちゃんは人が避けてたけど。おっさんさぁ、何、障害物競走得意だったの?それで着替えて帰ろうと思ったら、なんか用具置き場の端っこにいるしさー。いろんな意味ですげぇよなー。」
目を輝かせて少年がまくしたてる。あまりにも褒められて(?)、おっさんはちょっと恥ずかしくなった。
「あ、ごめん。オレよく喋んの早すぎって言われるんだよね。聞き取れなかったら言って。」
そう言いながら砂糖を一つ入れて、再びコーヒーをすする。
「で?なんで逃げてたの?」
「さぁ・・・。多分、ぶつかったか、足でも踏んだかしたんだと思うんだけど・・・。」
この店に来るまでに色々考えてみてもやっぱり思い当たることもなく、おっさんには、このぐらいしか思いつかなかった。その答えに少年は口を尖らせる。
「そのぐらいで、あんなに騒いで追いかけてくるかなぁ~?ソレが原因だったら引くね、マジで。あ、そうだ、その荷物カツアゲしようと思ったんじゃね?何かすっげー良いの買ったんだろ。」
「ゲームとPCパーツだよ。」
「・・・それ、どこにでもあんの?」「ある。」「・・・。」
おっさんはなんとなく、横の柱にかかっている時計を見た。9時50分・・・それにつられたのか、少年も針を見る。
「まだこんな時間かぁ。・・・ん?てことはさ、朝イチでゲーム買ったわけ?すげぇな、やる気満々じゃん。そんなに面白いの、そのゲーム。」
「まぁ人によると思うけど・・・。」
「見して。『あなたの第2の人生を・・・。』おっさん、もう第2の人生かよー。早ぇなー。ねぇ、この人間って自由に作れんの?」
少年は、おっさんが大事そうに持っていた紙袋ごと受け取ると、遠慮なく中身をあさってお目当ての物を取り出した。パッケージには様々なキャラクターが、笑ったり驚いたり非常に楽しそうに生活しているような図が踊っている。
「つくれる。」
「自由に作れる~なんて売りのゲームは多いけどさ、結局は色違いや反転でごまかしてたりするんだよな。それか、誰も選ばねーような変なパーツ合わせて何千通りできる、とかな。」
「いや、これは違うよ。」
おっさんは、飲もうと口元に持って行ったカップを戻し、疑わしそうにゲームパッケージを眺めている少年に目をやった。
「確かに用意されているパーツはあるけど、自分で生み出すこともできる。人だって家だって間取りだって町だってその気になれば全部作れるし、それにネット上には、世界の色々な人が作ったものもあるし全部で何種類あるか、なんて数え切れないよ。」
勢いよく話し出して、おっさんは(しまった!)と後悔した。
熱く語れば語るほど、距離を取られてしまうのは経験上よく知っている。ことにゲーム関係に関しては馬鹿にされるか、口元に薄く笑みを浮かべて今のをなかったことにされるか。
・・・大体、いい年をしてゲームやっているなんておかしいし、引かれるよ、普通。
「すげーな、そういうのどうやって作んの?学校とかで習ったりすんの?」
しかし少年は、呆れた様子もなく、少し身を乗り出して真剣な面持ちで質問をしてきた。
今まで会話のつなぎに聞かれることはあっても、真面目に聞こうとする人には出会ったことがなかったので、おっさんはちょっとだけたじろいでしまう。
「え・・・いや、独学の人が多いんじゃないかな。俺もそうだし。」
「でも、数学とか難しい数式みたいなの使って作るんだろ?なんだっけ、じゃば?なんだか言語だっけ?そういう感じの。頭良い奴にしかできないんじゃないの?」
「プログラムをガッツリつくるわけじゃないから、そんなに。最近は簡単なソフトが色々あるから、慣れればそうでもないよ。」
「そっか、ならオレもやってみたいな。なんかそういうの興味はあったんだけどさー、難しそうで勇気が出なかったんだよね。」
おっさんの返事を聞いて、少年はニマニマしながら最後の一口を飲み干した。
「ネットと動画しか使ってないしさ。オレの本当はすっげーいいPCらしいんだけど、もったいねーじゃん?そっかー、じゃぁ、簡単なソフト教えてくれよ。初心者向け。オレにも使えそうな奴。」
「ゲームはどうする?」
「それすぐできんの?」
「内蔵のパーツだけなら、すぐ遊べる。これだけでも面白いよ。これのパーツ造るなら慣れとくのも良いと思うけど。」
「へぇ、いいねぇ。」
他にはどんなの買ったんだ~?と少年が紙袋をガサガサいわせる。
まぁ、とりあえずよかった・・・。おっさんは胸をなで下ろした。少年の興味が建前であれ何であれ、盛り上がる話題もなく黙ったままコーヒーを飲むことにならなくて本当に良かった。十分お礼の役割を果たせた、ということになるだろう。
・・・と、妙な顔をして少年の手が止まった。
「ん?これ何、おっさん。」
「は?」
彼が袋から取り出したのは、紺色の小さい小箱だった。
「なんか指輪ケースみたいな・・・」
少年の手がケースのふたにかかる。おっさんも、その手をのぞき込む。ちょっと上に押し上げて・・・
「?!」
パタン
少年はあわててフタを閉める。
しかし、少しの間とはいえ、その中身はおっさんにも見えた。
妙に透明感があるキラッとした光、そのリング部分は色の薄い・・・思い違いでなければ、プラチナとかいう素材ではないだろうか??
「ちょ・・・。ヤバイヤバイ。これ・・・!」
「・・・まさか。」
おっさんと少年は、ひきつった顔を見合わせた。
そう今見えた一瞬の輝きは、それこそ一生で一番輝いているときにお相手からいただくという伝説の・・・!
「婚約、指輪?」