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佐伯さんと、ひとつ屋根の下 I'll have Sherbet!  作者: 九曜
extra story / after story
96/109

 〃 4(2).彼女は"お嬢様"と呼ばれた

 その日、僕たちは放課後を待たずして早退した。

 佐伯さんが紅瀬家の老執事、加々良さんに、これから学校があるので今は一緒に行けないと断ると、彼はまた放課後に迎えにくると言い残し、今朝のところは引き下がったのだった。その後、母親である冴子さんに連絡をとったところ、先のような指示があったのだ。もちろん、僕までつき合う必要はなかったのだが、佐伯さんとゆっくり話がしたかったので、タイミングをずらし早退した。

 ――僕と佐伯さんは今、僕があの人から譲り受けた閉店中の喫茶店にいた。

 ここにきた理由のひとつとしては、紅瀬家の手のものに見つからないように、だ。

 尤も、向こうは登校途中の佐伯さんを待ち構えていたくらいだ。当然、親と離れて暮らしていることくらいつき止めているだろう。早ければ今夜にでもマンションに訪ねてくるかもしれない。ここにいてもその程度の時間稼ぎにしかならないだろう。

 もうひとつの理由をしては――そもそも僕たちは普段からよくここに足を運んでいるのだ。

 きて特別何かをしているわけではない。佐伯さんは店をああしたいこうしたいと夢を語り、僕は――たぶん意志を固めているのだろう。近い将来、あの人の後を継いでこの店を再開するという意志だ。

「おかしなことになってきたなぁ」

「そうですね」

 カウンタのハイチェアの上で膝を抱えて座り、困ったようにつぶやく佐伯さんに、僕は相づちを打つ。

 情報と状況を整理しよう。

 今朝、資産家である紅瀬家の老執事、加々良が僕たちの前に現れた。理由は、佐伯さんを紅瀬家の跡継ぎに迎えるためだ。何でも先日、長男である巧一郎氏が事故で他界し、跡を継ぐものがいなくなったのだそうだ(おそらく子どももいなかったのだろう)。そこで白羽の矢が立ったのが、出奔した長女、冴子さんの娘である佐伯さんだった、というわけだ。

 僕は思わず口にしてしまう。

「君、向こうに行ったほうが経済的に何ひとつ不自由することなくて幸せなんじゃないですか」

 少なくとも、だ――ちょっとコーヒーが好きなだけの人間が店を開くという、無謀な挑戦につき合うよりはかなり未来があるに違いない。

「確かに経済的な不安はないだろうけど、幸せもないと思うなぁ」

 佐伯さんはそうつまらなさそうに言うと、カウンタに手をついて反動をつけ、座っているハイチェアごとくるくると回り出す。が、すぐに回転速度は落ち、僕のほうを向いてぴたりと止まった。彼女の目も僕に照準している。

「今度同じこと言ったら怒るからね。二度目はないから」

「……すみません。失言でした」

 いくら僕の計画につき合わせるのに抵抗があるとは言え、言っていいことではなかったな。

「小母さんは何と言ってるんですか?」

「そんなもの無視しろってさ」

「ま、当然でしょうね」

 まさかむりやり拉致されるわけでもなし。きっぱりと意志を伝えたら、それでこの件は終わりのはずだ。

「あと、すっごい怒ってた」

 それも、まぁ、そうだろう。

 小母さんとしては縁を切った実家のことに口をはさむつもりはないだろうが、それが娘のこととなれば別だ。何せ小母さんが家を飛び出したのは、自分の望まない結婚をさせられそうになったからだ。今の紅瀬家が昔のままとは限らないが、下手すると小母さんの身代わりが佐伯さん、ということにもなりかねないのだ。自分を飛び越して娘にそんな話を持ちかけてきたら怒りもする。

 となると、後は小母さんと家の問題だ。佐伯さんは小母さんの指示通り無視を決め込んでいるのがいちばんいいのだろう。

「それはそうと君――」

 いいかげんちゃんと言っておこうと、僕は口を開く。

「見えてますよ」

「え? あっ!」

 ようやく気づいたらしく、佐伯さんは慌てて足を下ろして、上から押さえつけるようにして膝の上に手を置いた。

 僕たちは学校から直接ここにきた。つまり未だ制服のまま。ただでさえスカートを短く詰めているのに、そんな恰好でハイチェアの上で膝を抱えたりしたら見えてしまうのも当然だ。

「……見た?」

「そりゃあ、ね」

 さっきからイスごとくるくる回るたびに、黒いストッキング越しに白い下着が見えて、目のやり場に困っていた。

 僕が正直に言うと、佐伯さんは顔を真っ赤にした。

「君、普段は自分から見せそうな勢いなのに、今日に限って何ですか、その反応」

 こっちも調子が狂ってしまう。

「あ、うん。そうなんだけどね。最近自分でも変だなって思ってる。主導権イニシアティブがないとダメなのかな?」

 それはまた我儘というか、難儀な話だな。

「ほかにもおかしなところがあるんだけどね……」

 佐伯さんは言いにくそうにそう口にする。

「まだ何かあるんですか?」

「ううん。いいの、そっちは。……さ、そろそろ帰ろ」

 そうして佐伯さんは立ち上がった。

 

 夕暮れの中を帰ると、マンションの前に黒塗りの高級車が停まっていた。

 僕たちの住むマンションは小さいながらなかなか洒落た外観をしているとは思うが、ひと目で金持ちののものとわかる車はさすがに少々場違いだった。

「早かったですね」

「ねー」

 当然と言えば当然か。また放課後に迎えにくると言っていたのに、その裏をかくようにして学校を出てきたのだから。尤も、迎えに云々は相手が勝手に言ったことで、佐伯さんは了承していなかったのだが。

 向こうもこちらの姿を認めたのだろう。車から初老の男性が降りてきた。加々良さんだ。

「おお、貴理華様。貴理華様もお人が悪い。待っていると申し上げたのに、先に帰ってしまわれていたなんて」

 老執事は特に気を悪くしたふうもなく、人懐っこい笑顔を浮かべながら歩み寄ってくる。

「さあ、車にお乗りください。おじい様のところにご案内いたします。用意が必要でしたら、お待ちしますので」

「……お断りします。わたしはそのお話を受ける気はありません」

 佐伯さんは一拍おいてから、きっぱりと断った。

 すると、加々良さんはしばし考え、

「わかりました。確かにこのような急な話、今すぐ答えを出せと言うのも無理なこと。でも、せっかくですから、せめてひと目でもおじい様にお会いになってみてはいかがでしょう?」

 だが、佐伯さんは首を振り、なおも拒絶の意志を示した。

「母がどんな家に育ったか知りたいとは思っています。いつか祖父にあたる人と会えればとも」

「でしたら」

「ですが、そのときは母も一緒です。仲違いをしたままで、わたしだけが会うわけにはいきません」

 それは僕も聞いたことのない彼女の気持ちだった。

 やはり佐伯さんとしては、母親が家を飛び出したからこそ自分が生まれたのだとしても、親が実家と疎遠のままというのは気持ちのいいものではないのだろう。いつか小母さんと一緒に、祖父母やその家族に会いにいきたいと考えているのだ。残念ながら、伯父にあたる人は先日亡くなってしまったようだが。

 加々良さんは目を丸くしていたが、やがてその目を細め、苦笑するように口を開いた。

「昼間、冴子様から連絡がありました。二十年ぶりでした」

 先ほどまでのどこか空気の読めない強引さは消え失せ、落ち着いた話し方だった。

「ずいぶんと怒っておられました。絶対に貴理華様は紅瀬には渡さないと。何でももうおつき合いをされている方がおられるとか」

 そうして老執事は僕のほうをちらと見た。

 僕と佐伯さんの関係についてはまだ小母さんには正式に言っていないはずなのだが、どうやらお見通しだったらしい。女親の勘というものだろうか。

 にしても、小母さんが親にではなく加々良さんに連絡をとったあたり、家との確執の根深さが窺える。

「とても残念ですが仕方がありません。貴理華様のご意志は必ずお伝えいたします」

 加々良さんはその柔和な顔に寂しそうな笑顔を浮かべる。もとよりこうなることはわかっていたのかもしれない。

「ただ、」

 と、付け加える。

「お気をつけ下さい。礼太郎様は手段を選びません」

 そうして彼は恭しく一礼すると、車に乗り込み、走り去っていった。

 

 その週の金曜日、

 夜、佐伯さんは新しく買ったらしいウルトラローライズデニムなんとかという、一度では覚えられないようなボトムを嬉々として披露してくれた。

「ナントカじゃなくて、ウルトラローライズデニムビキニパンツ」

「すこぶるどうでもいいです。何で君はそんな挑戦的なデザインのアイテムが好きなんですか」

 しかも、それを強調するためか、トップスもクロップド丈だ。これが似合ってしまうのが佐伯さんの恐ろしいところだが、しかし、まだ春の気配も見えてこない三月頭の恰好ではない。

「ぇろい?」

「見てるだけでこっちまで寒いです。着替えてきなさい。節電のためエアコンを止めますよ」

「はぁーい。……ふーんだ。暖かくなったら絶対また着るんだから」

 そう言って佐伯さんは自室へと引っ込んだ。

 本当に主導権イニシアティブがあると強気だな。温かくなるころにはブームが去る……いや、佐伯さんが流行に左右されるとは思えないので、彼女の興味自体がなくなっていることを祈ろう。

 程なくして再び現れた彼女は、パーカーにショートパンツというスタイルだった。ベクトルが違うだけで寒そうな恰好には変わりないのだが、こっちは普段から見慣れているのでよしとしよう。少なくとも目のやり場に困るようなことはない。

 と、そこで僕と佐伯さんが言葉を交わすよりも先に、彼女が持っていた携帯電話が着信を告げた。

「お父さんからだ。……はい、もしもし?」

 佐伯さんが電話に出る。トオル氏かららしい。

「嘘! どうして!? ……え、今から?」

 いったいどんな話なのか、佐伯さんがひどく動揺している。

 何ごとかと様子を見守っていると、彼女は一度端末を耳から離し、僕にひと言。

「お母さんにわたしたちのことがバレたって」

「え……?」

 バレた? 何が? 交際についてはもう気づかれている。だとしたら、ここで一緒に住んでいることか。

「あ、はい。ええ、代わるわ」

 再びトオル氏と話しはじめた佐伯さんは、今度は端末をこちらに差し出してきた。僕は黙ってそれを受け取り、耳に当てた。

「代わりました。弓月です」

『ああ、弓月君か。私だ。妻に君たちのことを知られてしまった。どうやら実家のほうからリークがあったらしい』

「……」

 なるほど。こういう手できたか。

 おそらくこれだけでは紅瀬家が佐伯さんを手に入れる一手にはならないだろう。だが、小母さんがまっとうな感覚の持ち主なら、騙していた僕たちに怒り心頭で、交際は絶対に認めないに違いない。

『すまないが、今からそっちに行く。妻がどうしてもと聞かなくてね。心の準備だけはしておいてくれないか』

「わかりました」

 そうして電話が切れ、僕は端末を佐伯さんに返した。

 それを受け取る彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。

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