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3(1).「今さらそんな心配はしてませんよ」

 中間テストも終わった11月のある日の昼休み、

 弁当を食べ終えて、矢神と駄弁っていた僕のところに桑島先輩がやってきた。

 ノンフレームの眼鏡の似合う、その嫌味なほど知的な顔が教室に入ってきたとき、不幸にも山南さんが入り口付近にいて、驚きのあまり飛び退いていた。聞いた話、彼女はいいところのお嬢様らしいが、いったいどんな育てられ方をしたらあんなふうになるのだろうな。

 桑島先輩はそれを異様なまでに冷めた目で一瞥してから、僕の席までやってきた。まずは机の上に缶コーヒーを置く。

「ちょっといいか?」

 そうして眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、そう切り出してきた。

 半月ほど前にもこんな場面があったが、僕にも先輩にもあのときのようなピリピリした雰囲気はない。ただ、桑島先輩に限って言えば、その眼鏡はやめたほうがいいように思う。素顔は柔和な面立ちをしているのだから、コンタクトレンズにでも変えてみてはどうだろうか。

「何かお話ですか?」

「まぁな。たいした話じゃないが、いいからつき合え」

 僕は視線を机の上に落とした。先輩が持ってきてくれた缶コーヒーがある。こうして手土産も頂いたわけだし、断る理由もないか。それに機会があればまた話がしたいと思っていたところでもある。

「わかりました。……矢神、ちょっと行ってきます」

 僕は今まで一緒に無駄話をしていたクラスメイトにそう告げ、缶を手にして立ち上がった。

 教室を出ると桑島先輩は、また先日のように渡り廊下へ行くのかと思いきや、そのまま教室前の廊下の窓にもたれた。昼休み真っ只中ということもあって行き交う生徒は多いが、今日はここでいいらしい。僕も彼と肩を並べて、窓に背をつけた。

「キリちゃんとはうまくやれてるようだな」

 さっそく缶コーヒーのプルタブを引き上げたところで、桑島先輩が先に口を開いた。

「ええ、おかげさまで」

「そうか。それならよかった」

 言って先輩も自分のコーヒーを開け、それを僕のほうへ掲げてきた。こちらもそれに倣い――互いの缶を軽くぶつけて、乾杯。

 まずはコーヒーをひと口飲み、喉を潤す。

 振り返ってみれば、僕と佐伯さんが日常を取り戻せたのも、桑島先輩が僕のところに帰れなくなっている彼女を説得してくれたおかげだ。果たして、僕はあの件について何をやったのだろうな。

「佐伯さんのこと、今になって勿体ないことをしたと思ってるんじゃないですか?」

 思わず自嘲してしまいそうになるのを発音で誤魔化す。

「うん? まぁ、正直そういう思いがないわけでもないな。キリちゃんはかわいいし」

「でしょうね」

「だけど――」

 と、そこで彼の言葉が止まった。

 どうしたのだろうか、と横目で見てみれば、桑島先輩は視界の端に何かを見つけた様子。次いで視線の行方を辿ると、そこには教室の中から顔だけを出してこちらを窺っている山南さんがいた。あんなのが視界に映れば話も止まって当然だな。……いったい何をやってるんだ、彼女は。

 しかし、桑島先輩は無視を決め込むことにしたようだ。

「悪いが、俺は親が決めた仲なんてまっぴら御免なのさ」

 ぴしゃりと、予想外に強い口調。

 おかげでちょうど通りかかっていた生徒が何人かこちらに目を向け、山南さんも驚いて教室の中に引っ込んでしまった。

 こうも語気を荒らげるのは、親に何かを押しつけられた経験があるからなのだろうか。大企業の社長の息子に生まれても、それはそれで相応の悩みがあるのだろう。

 一拍。

「だいたい――男なんて単純な生きものだから、かわいいというだけで女の子を好きになれるところがあるが、女の子のほうはそれじゃかわいそうだろ」

 口調は先ほどよりも少し砕けた調子になったが、言っていることは真理だ。

「それにな、俺には致命的に不味い点があるんだ」

「致命的に?」

 僕は聞き返す。

「ああ。実はどうも男にしか興味がもてないらしい」

「は?」

 待て。なんだそのいきなりのカミングアウトは。

「そういう点では、俺はキリちゃんよりもむしろお前のほうを気に入ってるよ」

「……」

 えっと……。

 僕の背中に嫌な汗が流れる沈黙の中、桑島先輩はコーヒーを煽ってたっぷりと間を持たせてから次句を継いだ。

「冗談に決まってるだろう。本気にするなよ」

「……」

 思わず膝から崩れ落ちそうになった。

 勘弁してくれ。前のもそうだったけど、先輩の冗談はどうにも冗談に聞こえないのだ。一年生にちょうど手ごろなのがいるから、それを生贄に紹介して逃げようかとかなり本気で考えてしまった。

「さて、本題だ」

 と、桑島先輩は閑話休題。さすがにこんな趣味の悪い冗談を言いにきたわけではないらしい。

「お前、キリちゃんを誘って大学の学園祭に行ってこい」

「唐突ですね」

「ま、埋め合わせだよ」

 桑島先輩曰く、先月の学園祭の埋め合わせ、とのこと。

 確かに先輩が横から入ってきたことによって、学園祭二日目の僕と佐伯さんの予定は崩れてしまった。とは言え、当時はまだ佐伯さんの様子にも特におかしいところは見られず、先輩が一緒に見て回らないかと誘えば彼女もそれを受け、僕との約束があったのではないかと念のために問えばないと答えるので、桑島先輩もその言葉を疑わなかったらしい。

「学園都市にもいくつか大学があるが、その中に俺の先輩が行ってるところがあるんだ。よかったらそこに行ってみないか」

「そうですね」

 学園都市ではこの11月は、大学の学園祭シーズンだ。あの日のやり直しをするにはちょうどいいかもしれない。

「わかりました。後で佐伯さんを誘ってみます」

「そうか。なら、俺からその先輩に、うちの後輩が行くことを伝えておくよ」

 何から何までよくしてくれて、申し訳ないな。

「おっと、言ってるそばから彼女の登場だ」

 言われて廊下の先を見れば、不思議な濃淡のついたハニーブラウンの髪を揺らしながら歩いてくる佐伯さんの姿があった。すぐに彼女も僕を見つける。

「あ、弓月く――」

 言いかけた言葉が途切れ、彼女の口が『あ』の発音のかたちになった。僕の隣に桑島先輩の姿を見つけたからだろう。

「やあ、キリちゃん」

 歩調を鈍くして歩いてきた佐伯さんに、桑島先輩が先に声をかける。

「……あ、ひ、聖さん、あのときはいろいろご迷惑をおかけして、その、すみませんでした……」

「うん? ああ、あれか。なに、もう終わったことだ」

 小さく頭を下げる佐伯さんに、先輩は苦笑しながら返す。

「これからも同じ学校の生徒、友人としてよろしく頼むよ」

「あ、はい。こちらこそ……」

 佐伯さんはもう一度丁寧に頭を下げた。当時のことの顛末を知る相手として、恥ずかしいやら申し訳ないやら、複雑な思いがあるのだろう。

 そう言えば、と僕は思い出す。前に桑島先輩は、僕と佐伯さんの問題を解決するのは自分のためでもある、といったニュアンスのことを言っていた。たぶん彼は、佐伯さんと親同士の立場や思惑のからまない関係を改めて築きたかったのだろう。

 それはそうとして――、

「……」

 胸が、軋む。

 佐伯さんと桑島先輩が一緒にいるところを見ると、どうにも息が詰まるような胸の苦しさを覚える。きっとこれは佐伯さんが――彼女の本意ではなかったにせよ、僕ではなく桑島先輩を選んでいたあの半月間のせいなのだろう。……トラウマか。情けないな。

「じゃあな、弓月。詳しいことはまた連絡するよ」

「え? ああ、はい。わかりました」

 少しばかり自分の内側に入り込んでいた僕は、桑島先輩に名前を呼ばれて我に返った。慌てて返事をする。

「キリちゃんも」

「はい、また」

 佐伯さんと入れ違いに去っていく桑島先輩を、僕と彼女は見送る。

「なに、詳しいことって?」

 しかし、それもそこそこに、佐伯さんは僕の横顔に視線を向けた。

「帰ったら話しますよ」

「ふうん」

 そのままじっと僕を見つめる。

「なんですか?」

「うん。あの、ね……」

 ほんのわずか言い淀み、

「わたしがこんなこと言うのもどうかと思うんだけど――もうどこにもいかないから。わたしもちゃんと弓月くんのそばにいるから」

「……」

 驚いて佐伯さんを見つめ返せば、彼女は少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。……やれやれ、しっかり見抜かれていたということか。かなわないな。

「今さらそんな心配はしてませんよ。さて、少し歩きましょうか」

「あ、うん」

 返事も聞かず歩き出した僕を追いかけるようにして、佐伯さんも足を踏み出す。

 ちょっと校内の散歩に出かけるとしようか。そうしながらさっそく学園祭を見にいく話を持ちかけてみよう。喜んでくれるといいが。

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