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3(2).「確かに僕はその名前ですよ」

 休み時間のことだった。

 次の授業の準備をする僕のところに、矢神比呂が寄ってきた。

「ごめん、弓月君、少し頼みたいことがあるんだけど……」

 気弱な眼鏡の友人は、そう言って話を切り出した。

「今日、クラブ勧誘会があるよね」

「ありますね」

「それを手伝って欲しいんだ」

 僕はひとまず返答を保留し、頭の中の情報を整理した。

「矢神は確か文芸部でしたね」

「うん」

 矢神は頭の回転が速い。僕が訊きたかったことを、先回りして説明してくれた。

「文芸部はもとから部員は多いほうじゃない上に、前の3年の卒業で半減してね。残ってるのもほとんどが幽霊部員なんだ。今日だって実際に何人が集まるか……」

「なるほど。くるかどうかも怪しい部員を当てにするより、先に助っ人を集めておこうというわけですね」

 慎重な矢神らしい事前準備だ。

「大変ですね。じゃあ、今の文芸部は矢神先生がひとりで支えているわけだ」

「やめてよ、その言い方」

 矢神は照れたように言った。

 僕が矢神を指して「先生」と呼ぶには理由がある。彼は実はプロの小説家なのだ。とは言っても、文芸雑誌に時々短編を掲載している程度なのだが。それでも十分に誇れることだろう。

 ただし、矢神が公にすることを避けているので、そのことを知っているのはごく少数だ。

「それで、手伝いのことなんだけど……」

「ええ、いいですよ。矢神の頼みですから。でも、僕でいいんですか?」

「うん。あまり張り切って人を集めるつもりもないから」

 矢神はなぜか申し訳なさそうに告げた。

 何となくわかるような気がする。これは矢神の性格というよりは、文芸部の性質だろう。勧誘に力を入れたところで、文芸に興味のないものは鼻にもかけないだろうし、反対に興味のあるものは放っておいても足を運んで覗いていってくれるだろう。矢神はただ網を張って待っているつもりなのだ。

「了解です。助っ人は僕ひとりで大丈夫でしょうか?」

「あ、うん。たいしたことはしないし」

 矢神は力なく笑った。

 残念ながら、こちらは矢神の性格によるものが大きい。彼はあまり交友関係が広いとは言えない。僕以外でこういうことを頼めそうなのは、後は滝沢と雀さんくらいだろう。しかし、そのふたりは生憎とそろってクラス委員なので(委員長が雀さん、副委員長が滝沢だ)、今日のイベントでは運営側としていろいろと仕事があるようだ。

「では、午後に文芸部の部室に行けばいいですか?」

「そうだね。ごめん、弓月君、助かるよ」

 矢神はしきりに僕に感謝していた。

(あぁ、そういえば……)

 矢神が去ってから僕は思い出した。

 確か宝龍さんも文芸部だったはずだ。ただし、僕が彼女を知った頃にはもう立派な幽霊部員だったが。

 僕は首を巡らせ、宝龍美ゆきに目をやった。彼女は今日のイベントなど他人事のようにクラスメイトと話していた。

 

 4時間目が終わると、僕は学食で手早く昼食をすませ、文芸部の部室へ行った。

 準備は実に簡単なものだった。運営側が用意した中庭のブースに、去年文芸部が発行した会誌を置いておくだけ。閲覧自由。希望者には進呈。部についての質問があれば、答えるのは矢神の仕事だ。

 グラウンドでは運動部がそれぞれパフォーマンスをやっているようだ。主に文化部が集まるこちらでも、吹奏楽部などは実際に新入生に楽器を触らせてあげたりもしている。喧騒の中に時折調子外れな楽器の音が響き渡って、思わず笑ってしまう。

 なかなか賑やかなイベントだ。新入生としてはお祭りで屋台を巡っているような気分ではないだろうか。

 僕はというと、矢神の“待ち”の方針もあって、彼の横に並んで座っているだけ。実にのんびりしていた。

 と、そこに滝沢がやってきた。二の腕にはアバウトに「運営委員」と書かれた腕章をつけている。

「どうだ?」

「ま、そこそこに覗きにきてくれてますよ。滝沢のほうはどうですか?」

「いちおう迷った新入生の案内や強引な勧誘の取り締まりが仕事なんだが、今のところ特に大きなトラブルはないな。優秀だよ、今年の一年は」

 自嘲気味に浮かべられた笑みは、仕事のない自分に対してだろうか。

「それで暇を持て余して、遊びにきたんですか?」

「まぁ、それもあるな」

 滝沢は否定もせず、且つ、答えを曖昧にした。

 そして。

「……きたぞ、弓月」

「はい?」

 いったい何がきたのかと前方を見てみる。そこにはたくさんの新入生たちが、思い思いに各クラブのブースを見て回っていた。

 その中で僕はすぐに見つけてしまった。

 ふたり組の女の子。ひとりはまだ幼い感じの、元気そうな子。そして、もうひとりは特徴的なブラウンの髪をなびかせた見目麗しい少女。佐伯さんだった。

 彼女たちは、というよりは主に佐伯さんだが――数歩歩くごとに勧誘の声をかけられていた。成績優秀で新入生の総代まで務めた、校内でも有名な美少女。どの部も彼女を獲得したいに違いない。しかし、佐伯さんはそのことごとくを軽やかにかわしているようだった。

「滝沢……」

「うん? どうした?」

 僕の言外の非難に、滝沢はとぼけるような返事を返してきた。

 どうやら滝沢は先日の学食の一件以来、僕と噂の新入生の間に何かあると疑っているようだ。それで佐伯さんがこちらにくるのを見て、先回りして僕のところにきたのだろう。

 まぁ、いい。佐伯さんがこのブースにこなければ何も問題はないのだから。

 が、しかし。

 彼女は僕の姿を認めると、ぱあっと笑顔を見せ、一直線にこちらに向かってきた。

「……」

 ……頭痛がしてきた。

 あれほど僕に関わるなと言っておいたのに。

「えっと、ここは文芸部、ですか?」

「うん。これがうちの会誌。よかったら見てみて」

 問う佐伯さんに、矢神は立ち上がって対応する。

 幸いにしてブースの前にきてからは、佐伯さんは僕のほうを見ようともしなかった。ギリギリのラインで僕の頼みに応えてくれているようだ。僕は安心して矢神と彼女たちのやり取りを、隣で眺めていた。

「わ。皆さん、小説を書かれるんですか?」

 会誌の中身を見てびっくりしている佐伯さん。

「うん。強制ではないけどね」

「これは最新号ですよね。他にもあるんですか?」

「あるよ。3ヶ月に1回のペースで発行してるから季刊ってことになるね。……ごめん。古いのひと通り取ってくれるかな?」

 矢神の台詞の後半は僕に向けられたものだ。僕は後ろの箱から既刊を一式取り出した。

 佐伯さんがこういうものに興味があるとは意外だ。それとも社交辞令的に話を合わせているのだろうか。

 それにしても――と、僕は思う。

 学校での佐伯貴理華というのは、ひかえめな女子生徒であるらしい。華やかさとおしとやかさをあわせ持った少女。しかも、優等生。上級生との対話もそつがない。校内で噂になるのも当然だろう。

 僕は感心するとともに、少しだけ見惚れていた。

「そちらの運営委員の先輩も文芸部なんですか?」

 これは佐伯さんと一緒にきた女の子だ。脇にいた整った顔の上級生が気になったのだろう。

「いや、俺はただ運営側として立ち寄っただけだよ」

「そうなんですか」

 残念そうだ。これで滝沢が部員だったら勢いで入部していたかもしれない。まぁ、それはそれで微笑ましくていいだろう。

 と、そのとき。

 それは不意を打つようにして、佐伯さんの口から発せられた。

「弓月くんも文芸部?」

「ッ!?」

 完全に油断していた僕は、イスごとひっくり返りそうになったが、何とか持ちこたえた。ついでにバカとか何とか汚い単語が口をついて出そうになったが、それも危ういところで飲み込んだ。

 佐伯さんの言葉で静まり返る一同。

 そして、ワンテンポ遅れて彼女が、「あ」という小さな声とともに口を掌で覆った。

「そちらの先輩がそう呼んでいたから、てっきりそれがお名前だと……もしかして違ってました?」

 いや。

 僕の記憶によれば、彼女たちが訪れて以降、矢神は一度たりとも僕を名前で呼んでいないはずだ。

「……」

 しかし、人間の記憶など曖昧なもので、誰も佐伯さんの主張に対して積極的な否定も肯定もできなかった。矢神なんかは次第に「言ったかも……」と思いはじめているのが、その顔を見ればすぐにわかった。

 そして、僕としては、彼女がうっかり僕の名前を口にしてしまったのであれ他の意図を持っていたのであれ、話を合わせるより術はなかった。

「……確かに僕はその名前ですよ」

「よかったぁ。変なことを言ってたらどうしようかと思いました」

「……」

 どうも僕の目に妙なフィルタがかかってしまっているのか、佐伯さんの言葉が白々しく聞こえて仕方がなかった。

「それじゃあ、わたしたち、他も回ってこようと思います」

「お邪魔しましたー」

 彼女たちは気持ちのよい挨拶とともに文芸部のブースを後にした。

 その去り際、佐伯さんは僕にだけ見えるように、小さく手を振った。顔にはいたずらっぽい笑みに、「んべっ」と出した小さなかわいらしい舌。

 勿論、それを見た僕の胸には、確信めいたものが生まれていた。

「弓月」

 しばらくして滝沢が口を開いた。

「もう一度訊くが、本当に知り合いじゃないんだな?」

「……違いますよ」

 さて、僕の言葉は滝沢の疑念を少しは晴らしただろうか。正直、難しいだろうとは思う。

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