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3(1).「内緒の話ですが」

「クラブ勧誘会?」

 同居人である佐伯貴理華がフレンチトーストを焼いている横で、僕は皿を用意しながら訊き返した。

 朝の風景。

 その中で佐伯さんが口にした「今日は午後からクラブ勧誘会があるの」という台詞に端を発した会話だ。

「ああ、そう言えばそうでしたね」

 僕は佐伯さんの言葉でようやく今日がその日であることを思い出した。

 要するに2、3年生でクラブ、同好会に所属しているものは新入生を勧誘し、新入生は自分に合った、入りたいクラブを探す――そういうイベントだ。

 クラブ勧誘会は午後に行われる。僕は午後の授業がカットになったという事実とそれによる恩恵だけを頭にインプットして、イベント自体はすっかり忘れていたのだ。

「弓月くん、クラブは?」

 ほい――と、かけ声を問いの最後につけて、佐伯さんはフレンチトーストをフライパンから皿へと移した。これは僕の分のようだ。

「前にも言いましたが、僕は家から2時間近くかけて学校に通っていましたからね。そんな余裕ありませんでした。無所属ですよ」

「なあんだ」

 つまらなさそうに言いながらも、佐伯さんは自分の分となる次のトーストを焼きはじめた。慣れた手つきだ。

「弓月くんと同じクラブに入ろうと思ったのに」

「まったく君は……」

 何を言い出すのだろうか。学食で手を振ってきた先日の一件といい、佐伯さんはどうも僕の欲しない行動を取ることがあるようだ。注意しないと。

「だいたい主体性というものがないんですか。クラブは自分が何をやりたいかで決めるものですよ」

「やりたいものかぁ。……チアリーダーとか水泳とか新体操とか?」

「やればいいじゃないですか。確か全部クラブがありますよ」

「弓月くんはどのわたしが見たい?」

 その問いはこちらに背を向けた構造のまま発信されたものだが、彼女の顔を見なくても笑っているであろうことがよくわかった。ユニフォームに特徴のあるものばかり選んだのはそういうわけか。

「選ぶのは君です。僕がどうこうじゃなくてね」

「……面白くない弓月くん」

 不貞腐れたように佐伯さんは言う。

 もとより楽しませるつもりなど毛頭ない。こういうのは反応したら負けだ。

「はい、できたっと」

 言っているうちに次のフレンチトーストが焼き上がった。佐伯さんはそれを自分の皿へ乗せた。

「あれ、弓月くん、待っててくれたんだ。先に食べてくれてもよかったのに」

「作ってもらってる身で、そんな偉そうなことはできませんよ」

「弓月くんのそういう律儀なところ、わたし好きだな」

 邪気のない笑顔を見せながら、佐伯さんはテーブルに着いた。立っていた僕もそれに合わせて腰を下ろす。

「では、いただきましょう」

「いっただきまーす」

 ふたり分の食事がそろったところで、僕らの朝食がはじまった。

 

 部屋でネクタイを締め、制鞄の中身を確認する。そうしてから僕はブレザーと鞄を持ってリビングへと出た。

 キッチンでは佐伯さんが弁当を詰めていた。ただし、今日はひとり分。本日午後のクラブ勧誘会とは無縁の僕には弁当は必要ない。

 佐伯さんはかすれたような甘い声で、楽しそうに歌いながら作業をしていた。彼女なら軽音楽部に入ってボーカルを担当するのもいいかもしれない。

「佐伯さん、今日は先に行かせてもらいます」

「もう少しで終わるから一緒に行こう……って言っていても無駄だよね?」

「無駄ですね」

 僕は即答。

「ふーんだ。さっさと行っちゃえっ」

 取りつく島もない僕に、最近では佐伯さんも諦めたらしく、彼女はふざけるように言った。

 僕はブレザーの袖に腕を通した。

「じゃあ、先に行きます。ひと通りの戸締りはしてますので、後は自分の部屋と玄関だけ忘れないようにしてください」

 そうして後のことを佐伯さんに任せて、先に家を出た。

 

 いつもより早く出たので、ずいぶんと早く学校に着いてしまった。

 ほとんど無人の廊下を歩き、辿り着いた教室にはひとりしかいなかった。

 宝龍美ゆき(ほうりゅう・みゆき)だ。

 ひとりだけの教室で席に着き、耳にイヤフォンを入れて、デジタルオーディオプレイヤを聴いていた。耳を澄ますようにして閉じられた瞳。曲にあわせて首を軽く上下させ、指はリズミカルに机を叩いている。

 宝龍美ゆきは、異端である。

 通った鼻筋に、繊細な顔の輪郭。丁寧な筆遣いで描かれたような眉と目のライン。毛先の少しカールしたセミロングの髪は、艶やかに黒く輝いている。誰もが目を奪われるような美少女は、それだけである種の異端だ。

 そして、何よりも彼女は留年していた。僕らよりも一年早く入学し、2年に上がれず二度目の1年生を経験した。入学試験を最優秀の成績で通過し、新入生総代まで務めた彼女に何があったのかは、僕も聞いていない。

 ほんのわずかな逡巡の後、僕は教室に踏み込んだ。黙って真っ直ぐ自分の席へ向かう。

「無視はないんじゃないかしら」

 そう声をかけられたのは、僕が机の上に鞄を置くのと同時だった。

「邪魔したら悪いと思ったんですよ」

 僕は振り返った。

 宝龍さんは丁度イヤフォンを外すところだった。両の耳からイヤフォンを抜き、首を振って髪を揺らす。そうしてから彼女は怒ったような顔で僕を見つめた。が、本当に怒っているわけではない。もとからこういう顔の作りなのだ。おかげでこの学校でクールビューティと言えば、即ち宝龍美ゆきを指す代名詞となっている。

 僕は彼女から少し離れた座標の机に、軽く体重を預けるようにして立った。

「何を聴いてたんですか?」

「昨日買ったばかりの新譜。いい曲よ」

「さては宝龍さんが好きなあのグループですね」

 僕は前に彼女が好きだと言っていたアーティストのことをすぐに思い出した。

「今度貸そうか?」

「ぜひ。僕も嫌いじゃないです」

 これまでも何度かCDを貸してもらったことがあった。

「恭嗣、最近楽しそうね」

 宝龍さんは不意にそんなことを言った。

「2年になってからずっと見てたけど、そんなふうに見えるわ」

「実は滝沢にも同じことを言われました」

 滝沢にも言われ、宝龍さんにも言われ。どうやら僕は本当に楽しそうに見えるらしい。

「私と別れたからかしら?」

「それは関係ないですね。宝龍さんとつき合い出したことも、別れたことも、僕にとっては何のターニングポイントにもならなかった」

「あいかわらずね、恭嗣は」

 彼女は苦笑した。

「じゃあ、春からひとり暮らしをするって言っていたから、そのせい?」

「ああ、それなら半分ほど予定が狂いました」

「半分?」

「内緒の話ですが、実は急に同居人ができたんです。宝龍さんの耳にも入っているかもしれませんが、相手は1年の佐伯貴理華さんです。今、彼女と同居しています」

「それ、本当なの?」

 宝龍さんはじろりと僕を睨んだ。いや、これだって彼女としては睨むつもりはないのだろうが、冷たい美貌ゆえにどうしてそう見えてしまう。しかし、その鋭い視線の中には、かすかに驚きの色が混ざっているのが僕にはわかった。

「本当です。今のところ周りにはまだ伏せてますので、有事の際は協力してください」

「それはいいけど……それって同棲って言わないかしら?」

「同棲? それは少しニュアンスが……」

 僕としては彼女が口にした“同棲”という単語を否定したかったのだが、それを上手く説明できないでいると、宝龍さんは「ふうん」と納得したように頷いた。

「じゃあ、きっとそのせいね」

「何がですか?」

「かわいい女の子とひとつ屋根の下にいるから、毎日楽しいんじゃないかしら?」

「それは……」

 僕はまたしても言い淀んだ。

 と、そのとき――、

「ちょっと弓月君! あなた何やってるのよ!?」

 誰かが教室に入ってくるなり叫んだ。

 振り返ればつかつかとこちらに歩み寄ってくる女の子がひとり。1年のときも同じクラスだった雀さんだ。校則違反とは無縁のショートの髪を揺らし、利発そうな顔には怒りの表情。

「何って、僕は宝龍さんと話を……」

「それがおかしいのっ」

 雀さんは僕と宝龍さんの間に割って入り、僕と向かい合った。

「あなたに宝龍さんと話す資格なんてありません。それとも何? よりを戻したいとでも言うの? あなたが宝龍さんを振ったのに?」

「……」

 これまたずいぶんと嫌われたものだ。まぁ、仕方ないのかもしれない。クールビューティ宝龍美ゆきの恋人になるという栄誉を授かりながら、後に僕は彼女を振ったのだ。同性なら彼女に味方するだろう。

 見れば雀さんの後ろで宝龍さんが笑いながら肩をすくめていた。

「わかりました。僕は退散することにしましょう」

「ええ。そして、二度と宝龍さんに近づかないで」

 僕と宝龍さんが別れたのは冬のことなのだが、雀さんの怒りは未だ冷めていないらしい。当時も散々罵られたが、その勢いは衰えていない。

 踵を返す僕。

 宝龍さんが口だけを動かして「またね」と言っていた。

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