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4(3).「それは普段は言えない言葉です」

 佐伯さんに背を向け部屋を後にした僕は、階段を下り、表へと出た。

 そこで気まぐれにマンションを見上げる。

「……」

 いい場所だったと思う。駅にも学校にもほどほどに近かったし、大きな道路から少し離れているので静かでもあった。

 そして、何よりも彼女がいた。

 まぁ、それは借りるときの条件に入っていなかったが。

 先ほど、おじさんに問われた。なぜ後からでも、新しい部屋を探すなりして、問題を解決しなかったのか、と。打ち明ければ、答えはまさしくそれだ。要するに居心地がよくて、解決したくなかったのだ。

 しかし、もうあの部屋に自分の家として戻ることがないのだ。そう思うとやはり寂しいものがある。

 さて、いつまでもこうして見上げていても、ただの不審人物だ。行こうか。

 僕は歩き出す。

 外は夜ということもあってか、思っていたよりも涼しかった。どうやらこの学園都市は山を開いてつくられたらしく、高い位置にあるようだ。まだ実家から水の森に通っていた去年の夏、家の周りより2度ほど気温が低いのだと実感した覚えがある。

 これからどうするか。

 街灯の光が暴く、人気の絶えた住宅地を歩きながら考える。一ノ宮まで出れば24時間営業の店もあるし、そこで何か飲みながら本でも読んで朝まで時間を潰すのが無難か。読みかけの本も鞄に放り込んできたことだし。

 そんなことを考えながら住宅地を抜け、大きな道路に出る。だけど、車通りはほとんどなく、時々思い出したように走っている程度だ。中央分離帯に等間隔で立つ街灯が道路を照らしている分、明るくはあるのだが、寂しさは変わらない。

 と、不意にズボンのポケットから振動とくぐもったメロディが伝わってきた。携帯電話の着信。見れば佐伯さんからの電話だった。通話ボタンを押し、出る。

「もしもし」

『……わたし』

 少し沈んだ彼女の声。電話だからそう聞こえる、というわけではないのだろうな。

「どうかしましたか?」

 聞きながら僕は、道路に沿って歩道を歩く。

『弓月くんの声が聞きたくて』

「さっき別れたばかりですよ」

『……じゃあ、切る?』

 そこに車が一台、後ろから前へ。僕はそれが通り過ぎるまで待ち――、

「……切りませんよ」

『そっか、よかった』

 佐伯さんが微笑んだのが、電話越しにわかった。

『今どうしてるの?』

「ひとまず駅に向かって歩いてます。佐伯さんは?」

『わたしは、部屋。お父さんと顔合わせてても腹が立つし』

 今度は苦笑。

 親の心子知らずだな。

『ね、そう言えば、こうして電話で話すのって初めてだよね?』

「そうなりますか」

 僕は歩きながら空を見上げる。星は見えなかった。この辺りは空気が比較的澄んでいると思うのだが、それでも星の光は届かないらしい。どこなら見えるのだろうな。

「今までずっと一緒にいましたからね」

『うん。ずっと一緒にいた』

 佐伯さんがリピートする。

『それにずっと一緒だと思ってた』

「僕はそこまでは思いませんでしたが、あまり想像しなかったのも事実ですね」

 佐伯さんのご両親が帰国したらこの生活も終わりだろうとは思っていたし、終わり方ももう少し穏やかなものになると予想していた。それがまさかこんなかたちになるとは。

『お父さんじゃないけど――』

 と、佐伯さん。

『わたしが一緒に住もうって言い出したとき、弓月くん、嫌だとかそっちが出ていけとか言わなかったよね。どうして?』

「まぁ、あの時点で僕も入居の準備ができていましたからね。交渉の結果、負けたら敗戦処理が大変です。それならまだルームシェアのほうがマシと言えます」

 それに佐伯さんの勢いに圧倒されたというのもあるが。

 交差点に差しかかる。ここを右に行けば学校、左に行けば学園都市の駅だ。ちょうど信号が青だった横断歩道を渡り、左に折れる。

『じゃあさ、このこと家族の人に話した?』

「言ってませんね」

 この筋に入ると一気に車の交通量が増える。駅の目の前を通る道路だからだろう。流れるヘッドライトの中にはタクシーのものもある。

 走る車のエンジン音が電話の邪魔になりはじめた。

『どうして?』

「君、おじさんの質問をなぞってますね」

『うん。でも、これは弓月くんには聞かなかったから』

 確かにそうだ。おじさんは僕の家族のことには触れなかった。僕が素直に出ていけば、そこにまで口を出すつもりはなかったのだろう。

『どうして?』

 再度、佐伯さんが問う。

「君と同じですよ、黙っていた理由は」

 僕はただそれだけを言った。

『……』

「……」

 沈黙。

 そして、

『そっか。おんなじか』

 その声には笑みが含まれていた。

 たぶん僕が何を言いたかったか、彼女はちゃんとわかったのだろう。

『ねぇ、これからどうするの?』

 問われているのは『今』ではなく、『今後』だ。

「夏休みに入ったら、新しい部屋を探しますよ」

『近くだといいね』

「そうですね」

 気がつけば僕は、ショッピングセンターなどが立ち並ぶ敷地に足を踏み入れていた。もう駅前と呼べる場所だ。駅のほうから流れてくる人影も目立ちはじめた。僕だけがその流れに逆らっている。

『また一緒に買いものに行けるかな?』

「君、それくらいひとりで行きなさいね」

 荷物持ちをさせる気だろうか。

『いいじゃない。わたし、弓月くんと買いもの行くの、好きなんだから』

「まぁ、それについては僕もですよ。悪くはありませんでした」

 話しながらすでに閉じたショッピングセンターの前を抜け、駅舎との間にある駅前広場まできた。適度にライトアップされている。地面はタイル敷きで、端にはイベント時に客席になる場所もあった。

 僕はそこの最前列に鞄を放り出し、腰を下ろした。

 前を見ればバスやタクシーの乗り場もあるロータリィ。だけど、もう本数も少なくなっているのか、乗り場にバスの姿はない。その分、待っている人も少ないが。帰宅ラッシュを過ぎた駅の周辺なんて寂しいものだ。

『学校はどうかな? 一緒に行ける?』

「さて、どうでしょう。新しい部屋の場所にもよりますね」

 終電までにはまだ十分に時間がある。今の佐伯さんとの電話を切ってまで、慌てて飛び乗ることもないだろう。こうやって新しい生活について想像するのも悪くはない。

「じゃあ、朝は待ち合わせしますか」

『うわ』

 電話の向こうから小さな感嘆の声。

「なんですか?」

『珍しい。弓月くんがそんなこと言うなんて』

「そうですかね」

 言いつつも、自分でも少なからずそう感じる部分はある。確かに僕にしては珍しいかもしれない。それだけ素直に話せているということか。

『ねぇ。電話だと普段言えないことが言えると思わない?』

「それは携帯電話を肯定するときの常套句ですね」

 まさしくその通りだが。

『だからね――』

 と、彼女が言ったとき、何か予感めいたものを感じ、僕の心は身構えた。

『わたし、弓月くんのことが好き』

「……」

 あぁ、やっぱり――と心のどこかで思い、それにも拘らず僕には応える言葉が見つからなかった。

『……』

「……」

 かくして、無言。

 だが、先に口を開いたのは、佐伯さんだった。

『知ってたよね?』

 と。

 そこにいたずらっぽい笑みを含ませて。

「そりゃあ、まぁ……」

 自然、苦笑いがもれる。

 あれでわからなかったら常軌を逸したレベルの鈍感さだ。

『弓月くんは?』

「僕は……」

 思考とも戸惑いともつかない――ひと呼吸。

「ええ、好きですよ、君が」

 僕は初めての言葉を口にする。

 電話越しの告白。

 なんとも、まぁ、携帯電話も莫迦にできないものだ。

『……そっか』

 照れたような佐伯さんの声。

『うん。でも、知ってたけど』

「そうですか。知ってましたか。僕もまだまだですね」

 とっくに見透かされていたらしい。尤も、自分でも薄々そうだろうとは思っていたが。

 と、そのとき、遠く、救急車のサイレンが聞こえてきた。そして、すぐに奇妙なことに気づく。音がわずかにずれて二重に聞こえるのだ。

 ひとつは、夜気を切り裂いて空気を伝わってくるもの。

 もうひとつは、電話の向こうから。

 それが何を意味するか理解し、はっとする。

 僕は弾かれたように辺りを見回す――までもなかった。

 正面。

 そこに佐伯さんがいた。

 携帯電話を耳に当て、立っている。

「……」

「……」

 彼女は真っ直ぐにこちらを見、そして、僕も携帯電話を握ったまま、その視線を受けて、返す。

 彼女の後ろ、ロータリィの向こうの道路を救急車が走っていく。

「佐伯さん……」

 僕がようやくその言葉を絞り出したのは、それが通り過ぎた後の、サイレンの残響の中でだった。

 同時、佐伯さんはタイルの床面を蹴って駆け出し、僕は立ち上がる。

 体当たりみたいにして抱きついてきた彼女を、体で受け止めた。

「家にいたんじゃなかったんですか」

「そんなわけないじゃない。弓月くんが出ていっちゃったのに」

 彼女は僕の胸に額を押しつけながら言った。

 僕は片手を彼女の背に回し、もう片手でお役御免になった携帯電話の通話を切る。妙に冷静だな。

「おじさんが心配しますよ」

「そんなの知らない」

 佐伯さんが顔を上げる。

「ね、さっきの続き」

 それから少しだけ体を離した。それでも両手は僕の腰の辺りにかかったままだ。そんな体勢で僕らは向かい合う。

「わたしのこと、いつから好きだった?」

 またいろんな意味で答えにくい質問を。

「そんなことはっきりとわかりませんよ」

「そう? わたしはわかるよ、いつから弓月くんのことが好きだったか」

「いつからですか?」

「もちろん最初から」

 佐伯さんはきっぱりと言い切った。

「初めて会ったときから好きだった」

「そう、ですか……」

 そこまではっきり言われると……。いや、佐伯さんらしいと言えば佐伯さんらしいのだろう。

「もう一回好きって言ってくれる?」

「残念ですね。それは僕にとって普段は言えない言葉です」

「けち」

 彼女はひと言短く言って、口を尖らせた。

 なら言えない代わりに、せめて行動で示すことにしよう。

 僕は見下ろすようなかたちで、真っ直ぐに佐伯さんを見つめた。

 以心伝心。

 そうして彼女は目を閉じ、僕はそれを待ってから唇を重ねる。

 僕らはひかえめにライトアップされた駅前の広場で口づけを交わす。先日のいたずらみたいなのよりも長い口づけ。

 程なく、どちらからともなく唇を離した。

「またしちゃったね」

「いいんですよ。そんなことをいちいち言わなくても」

 でも、おかげで照れくさいような気まずさは埋められた。

 そして、僕は決意をひとつする。

「さて、そろそろ行きますか」

「……やっぱり、行くの?」

 佐伯さんの眉尻が悲しげに下がる。

「いえ、そうじゃなくて」

 正確には、戻る、か。

「君のお父さんにお願いにいこうと思いまして。もう少し君と一緒にいさせてくださいと」

 瞬間、彼女は驚いたように目を見開く。

 そして、再び僕の腕の中に飛び込んできた。

「うん、そうしよう。わたしももっと弓月くんと一緒にいたい……」

 佐伯さんはかすれ、震える声で、そう言った。

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