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 サイドストーリィ3-1 「君と知り合えてよかったとは思っています」と彼は言った

 日曜日の朝、平日よりもかなり遅い朝食を食べながら、わたしは言った。

「今日はデートです」

「はい?」

 向かいで同じく食事中の弓月くんが問い返してくる。手には食パン。昼との間隔が短いので、朝食は軽めだ。

「言ったじゃない、日曜日はデートだって」

「ああ、忘れてました」

 うそつけ、とわたしは心の中で思う。

 たぶん弓月くんは忘れていない。忘れたいと思ったり、言ったわたしが忘れていたらいいなと思っても、忘れてはいないと思う。

「でも、この前も言ったけど、今回はまったりデートだから」

「来週も半ばからテストがはじまるというのに、アクティブに遊び回るほど無謀じゃありませんよ、僕は」

 ごもっとも。今日はテスト前最後の日曜日で、そんな日に出かけるほどわたしも自分を過信していない。

「前にその話を聞いたときにも思いましたが――」

 口の中のものを飲み込んでから、弓月くんが言う。

「いったい具体的に何をするつもりなんですか?」

「えっと……リビングで一緒に勉強して、夕方には買いものに行って晩ご飯を食べて。その後は借りてきたDVD鑑賞?」

 なんとものんびりまったりしたデートだ。

「普段とたいして変わらないように思いますが?」

「う……まぁ……」

 確かに。

「でも、ほら、一緒に勉強ってところが、ね。それでもしかしたらドッキドキな展開にっ」

「なりませんよ」

 にべもない。

「じゃあ、この前買ってきた水着を夏に先駆けて先行公開」

「勉強じゃなかったんですか」

「だってぇ……」

 弓月くんめ、わたしの水着姿は見たくないと言うか。でも、ちょっと慌てたみたいだから許す。とは言え、わたしも部屋でそんな格好をするのはどうかと思うので(弓月くんの反応は見たいけど)、脱線しすぎた話を軌道修正したい、のだけど――デートに理由をつけるのは案外難しい。

 むー、とうなっていると、

「まぁ、たまにはそういうのもいいのかもしれませんね」

 わたしは弓月くんを見る。

 彼は、努めてわたしを見ないようにしながら、そ知らぬふりでパンにバターを塗っていた。

 どうやら今日のデートはオッケーらしい。

 

 午前中は家事に追われた。

 朝食の片づけをして、洗濯と掃除。それが終わった頃には昼が近かったので、お昼ごはんの準備に取りかかった。高校生になると同時に主婦になった気分だ。

 それはそれでちょっと素敵。高校生夫婦なんて憧れる。

 と、まぁ、それは兎も角。

「弓月くん、準備できたよ」

 昼食を食べた後に部屋に戻ってしまった弓月くんを呼ぶ。ノックをしてからドアを開け、覗き込みながら声をかけた。準備といってもリビングのテーブルの上にあった新聞雑誌を片づけ、きれいに拭いたくらい。それとあとは個人的な準備。

 真面目な弓月くんは、机に向かって勉強をしていたらしい。その手を止め、ため息を吐いた。

「仕方ないですね。決めたことですから」

 キャスタつきのイスに座ったままこちらに体を向ける。

 と、そこで気づく。

「着替えたんですか?」

「うん」

 朝起きてからずっとタンクトップにホットパンツの部屋着だったけど、それもさっき着替えた。モノトーンの、ノースリーブのミニ丈ワンピース。部屋着以上外出着未満の普段着といったところ。

 対する弓月くんは、デニムと、Tシャツに薄手のカッターシャツを羽織っただけの姿。やっぱり普段着だ。

「なんとなく区切りのつもりで」

 ただでさえ普段と変わり映えのしないことをしようというのに、着替えるくらいしないとよけいにらしくなくなってしまう。

「じゃ、待ってるから」

 そう言い残して弓月くんの部屋を後にする。

 リビングに戻って自分の座椅子に座って待っていると、程なく彼が出てきた。が、脇に抱えた勉強道具をテーブルに置いただけで、腰は下ろさずキッチンに向かった。

「コーヒーでも入れますよ」

 だそうだ。

 わたしは弓月くんが持ってきた教科書に目をやった。

「現国?」

「ですね」

 キッチンから彼の声。

「弓月くんって理系だっけ?」

「どうも僕は記憶力を中心にした勉強が苦手のようで、古文の活用形や歴史の年号を覚えるよりは、数式を組み立てているほうが好きですね」

「理数系でも公式を覚えるから似たようなものだと思うけど?」

「それでも応用ができれば、覚えるのは最小限ですみます」

 声とともにコーヒーの香りが漂ってきた。

「垂直投げ上げだろうが水平投射だろうが、結局はニュートンの運動方程式ですから」

 そんなことを言われても、まだ物理をやっていないわたしにはさっぱりだ。

 やがて弓月くんが両手にマグカップを持って戻ってきた。

「どうぞ」

 そのひとつをわたしの前に置く。ミルクと砂糖入り。弓月くんのほうはたぶん砂糖なしのミルクのみだろう。

 彼も自分の座椅子に腰を下ろすと、すぐに教科書とノートを開きはじめた。さっそくお勉強に突入らしい。もう少し他愛もない話につき合ってくれてもいいと思うのだけど。

 つられるようにわたしも用意をする。数学の教科書を開き、シャープペンシルを持ったところで、ふと顔を上げた。

 弓月くんは頭の切り換えが早いのか集中力があるのか、もう勉強に没頭しているようだった。いつもは眠そうな半眼も、今はそれなりに真剣な眼差し。学年もクラスも違うから、彼のこういう姿は初めて見る。

 時々考える。彼はわたしのことをどう思っているのだろう――と。

 こっちはけっこう自覚するところがあって、いろいろアピールしているというのに。弓月くんは肝心なところでひらりとかわして、ついでに自分の気持ちも隠してしまう。そんなにわたしは魅力がないのだろうか。

「君も勉強したらどうですか」

 いきなり弓月くんに顔も上げないまま言われて、びっくりした。

「や、ほら、弓月くんって字がきれいだなと思って」

 慌てて取り繕うわたし。実際、彼の書く字はきれいだ。反対向きのこちらからでも何が書いてあるか読むことができる。

 弓月くんは手を止め、顔を上げた。

「うちの親が、男で字が汚いのと泳げないのはみっともないからと、小学校の頃に硬筆とスイミングスクールに通わされたんですよ」

「あ、どうりで」

 わたしとしては、字が汚いのは「男の子だから」で許せるけど、きれいだと評価アップ。泳げない男の子は、ちょっと残念かもしれない。

「じゃあさ、泳げるんなら夏は海かプールに行こう」

「お断りします」

 身を乗り出すわたしと、反対に座椅子の背もたれに体を預けて距離を離す弓月くん。

「わたしにせっかく買った水着をムダにしろと」

「友達と行けばいいでしょう」

 なぜそこで自分を除外するのだろうか、弓月くんは。

「こうなったらむりやり見せるぞ」

 ついつい出てしまうセクハラ発言。

 他の男の子、特に学校の階段の下で何気ない振りを装って不自然全開でたむろしているような男子には、こんなことを言う気には絶対になれないけど、弓月くんにはなぜか言いたくなる。反応が面白いから? わたしはサドか。

「そのまま膝の上に乗ってやるから」

「おそろしいことを言わないでくださいっ」

 さすがにこれには弓月くんも慌てた様子で声を荒らげる。

「まぁ、気が向いたらつき合いますよ」

 勝った――思わず心の中でガッツポーズ。

「だからそろそろ莫迦なことを言うのはやめて勉強しましょう」

「はぁーい」

 確かにそのほうがよさそう。わたしも想像したらドキドキしてきた。これ以上やるとおかしくなりそうだ。弓月くんばりに頭を切り換えて、勉強に専念することにする。

「僕にわかることだったらおしえますよ。君には必要ないかもしれませんが」

「ううん、頼りにしてる」

 テーブルをはさんで向かいにいる初めて見る姿の弓月くんは気になるけど、そろそろ真面目に勉学に励もう。

 教科書の今からやるべき箇所に目を通しながら、コーヒーをひと口飲む。美味しい。カフェインを取り込んで程よく頭が冴えてきたところで、さっそく問題を解きはじめる。

 そして――、

 ……。

 ……。

 ……。

「あぁ、もうこんな時間ですね」

「ふに?」

 ふいに聞こえてきた弓月くんの声にわたしは顔を上げ、時計を見る――と、時間は4時を過ぎたところだった。

「……」

 ばたり。

 思わず机に突っ伏す。

「時間を忘れて勉強してしまった……」

 自分の集中力が憎い。

「いいじゃないですか、テスト前なんですから」

「むー」

 何かこう、和気藹々としたものがあってもよかったんじゃ……。別にドッキドキな展開じゃなくてもいいから。

「嘘でも何かおしえてもらえばよかった……」

「いやですよ、そんなの」

「よし、買いものに行こうっ」

 過ぎた時間は戻らない。悔やんでいても仕方がないので、わたしはむくりと顔を起こした。スケジュールを次に進めるのだ。

 

「晩ごはんは何がいい?」

 学校へ行くときにも通る大きな道路沿いの歩道を歩きながら、弓月くんに訊く。

 わたしは部屋で着ていたワンピースにローファーを履いただけの格好。弓月くんもそのままだ。普段着で買いものというところがいい。

「あまり手のかからないものでいいですよ」

「なんで? 日曜日だから気合い入れて作るのに」

「それなんですが――」

 と弓月くんは切り出す。

「雑事を君に任せて僕だけ勉強というのもどうかと。特に今はテスト前で、同じ学生なんですから」

「そんなこと気にしなくていいのに」

 いつもながら律儀な人だ。

 確かに今日なんかテスト前最後の日曜だというのに、午前中が家事でつぶれてしまった。かと言って、弓月くんがいなければその分勉強できたかというと、そうはならなかっただろうと思う。彼がいなくても、やっぱり家事はやらなくてはいけない。

「わたしが好きでやってることだから」

 勿論、やってあげたいと思う相手と思わない相手がいる。

 要するに、

「好きだからやってあげようって気になるんだと思う」

 ということだ。

「そうですか。そんなに家事が好きでしたか」

「……」

 こんにゃろう。今のは絶対わかってて知らない振りをしたな。

 

 ショッピングセンターの2階にあるレンタルビデオ店に行く。弓月くんには「なんでわざわざテスト前に見ないといけないんですか」とぼやかれたけど、デートのスケジュールに変更や遅延は許されないのだ。

「弓月くん、あれあれ」

 興味あるのかないのかわからない様子でテキトーに目についたDVDを手にとっていた彼の服を引っ張る。わたしが視線で示した先にはパーティションで区切られたスペースがあり、その小さな入り口には『for ADULT』の暖簾がかかっていた。

「君はいつから18才になったんですか」

「先週誕生日を迎えて」

「それは初耳です。僕より年上だったんですね」

 すごく投げやりな弓月くんの声。

「どう?」

「見られない年の人間に聞いても仕方ないでしょう」

 相手にしたくなさそうに、ミステリものの棚を見ながら答える。

「実は前に、お京と一緒に入ったことあるんだ」

「何やってるんですか、君たちは」

「なんか笑いが止まらなかったー」

 あの異様な充実っぷりが実にツボだった。

「弓月くん、水着モノなんてどう?」

「君、今日はずっとそんなことを言ってますね」

「夏が近いからかな?」

 あ、もしかしたら趣味とか好みの問題なのかも。ゴールデンウィークのデートのときもそんなことを言っていた気がするし。

 

 無難に災害パニックものを借りて、そのあと1階にあるスーパーで買いものをしてから帰路につく。時間は5時半だけど、まだ外は明るい。これからの季節、どんどん日が長くなっていくのだろう。

「あ、そうだ。弓月くんって誕生日いつ?」

 道すがら訊いてみる。さっき誕生日をネタにしたときから気になっていたことだ。

「僕は9月です。9月の13日」

「よかった。過ぎてなくて」

 弓月くんのことだから「実は4月でしたが、わざわざ言うこともないと思って黙っていました」などと平気で言いそうだ。

「因みに、宝龍さんも同じ日です。勿論、年は違いますが」

「……」

 なんかすごく悔しい。

「佐伯さんは?」

 今度は弓月くんが訊いてくる。

「わたしは7月7日。七夕でーっす」

「……聞くんじゃなかったな」

「なんで!?」

 それこそ過ぎていればよかったとでも言いたげだ。

「何かプレゼントしてくれる?」

「そうですね。いいものがあれば買いましょう」

 と言ってくれたものの、ちょっと不安な気分。意外とセンスのいいものをプレゼントしてくれそうな気もするし、微妙なものを選びそうな気もする。冗談グッズでウケを狙って盛大に滑るなんてこともありそうだ。

 話も途切れて、しばらく黙って歩く。

 ちょうど陽が沈みかけているのか、ショッピングセンターを出たときよりも暗くなっているように感じた。帰ったら夕飯の支度をして、弓月くんと一緒に食べて、それからDVD鑑賞だ。

「あーあ」

 思わずそんな声を出してしまう。

「どうしたんですか?」

「うん。結局まったりデートっていっても、普段とあまり変わらなかったなぁって」

「だから僕が最初から言ってたでしょう」

 やっぱりデートはぱーっと遊びに行ったほうがいいのかもしれない。

「まぁ、それならそれで毎日がそうだと思えばいいんじゃないでしょうか」

 などと言う弓月くんに、ちょっとびっくり。

 珍しくポジティブシンキング。

「でもなぁ……」

「ま、どんな時間を貴重だと思うかは人それぞれですから」

「……」

 確かにそうなのかも。

 わたしは念願叶ってというわけではないけど、お父さんの都合で舞い込んできたひとり暮らしを、それなりに楽しみにしていた。親のいない気楽さと、何でもひとりでやらないといけない大変さの混じった生活に期待を抱いていた。でも、それよりも思いがけず手に入れた弓月くんとの同居のほうがずっと楽しいと自信をもって言える。

 だったら弓月くんの言う通り、わたしは毎日かけがえのない時間を過ごしているのだろう。

「弓月くんはやっぱりひとり暮らしのほうがよかった?」

 ふとわいた疑問が口をついて出る。

「今の生活も悪くはないと思ってますよ」

「曖昧」

「……」

「……」

 少しの間。

 そして、

「ひとり暮らしを経験していない以上くらべることはできませんが、君と知り合えてよかったとは思っています」

 意外にストレートな言葉だった。

「そ、そっか……」

 おかげでわたしはそれだけしか言えなかった。

 てっきり弓月くんはこれでこの話を終わらせるものだと思っていた。だけど、わたしの予想を裏切り、続ける。

「こんなことでもない限り、学校ですれ違っても君は僕のことなど気にも留めなかったでしょうからね」

「……」

 そんなことはない――そう思った。水の森に入ってからの学校生活の中で、わたしはきっと弓月くんを見つけ出したはずだと信じている。――でも、今はそれを言うのはやめておいた。

「弓月くん、買いもの袋ひとつ貸して。持つから」

「大丈夫ですよ、これくらい」

「いいから」

 強引に引っ手繰る。

「だって、そうじゃないと手がつなげないから」

 そして、彼の手を握った。それぞれ買いもの袋をひとつ持って、あいた手と手をつなぐ。

 彼は手を振り解かなかった。

 でも、もうわたしたちの家は目の前だけど。

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