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5(2).「身勝手な人だと思わないであげてください」

 バン――

 と机を叩かれたのは5時間目の授業が終わった後の休み時間、僕がさっきまでやっていた数学演習の教科書を片づけているときだった。

 机の上に置かれた掌から腕を辿って見上げてみると、そこに雀さんの顔があった。左の耳の上辺りにヘアピンが刺さっているだけの短い髪には、校則違反になるような隙は一分もない。そして、性格なのかクラス委員だからなのか、いつも険しい表情をしている顔は、今は明らかに怒りを溜め込んでいた。

「雀さん、ヘアピン変えましたか?」

 尋ねると一転、彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。

「あ、わかる? 昨日、帰りに一ノ宮の高架下で見つけて……って、そうじゃなくて!」

 再度、机を叩く。今度は両手だ。

 休み時間に入り、授業から解放されて教室内が騒がしかったこともあって、その音はさほど周囲には響かなかった。それでも近くにいたクラスメイトが数人、何ごとかとこちらに目をやった、

「何か?」

「最近またいっそうあの佐伯さんと仲がよくなったそうね」

 雀さんは呆れと怒りを混ぜたような複雑な表情をした。

「そうですか?」

「今日も一緒に登校してきたらしいじゃない」

「それに関しては客観的事実ですね」

 ただ、過去数回は強引な佐伯さんに根負けしての妥協の結果で、別にいいかという気持ちになったのは今日が初めてなのだが――そんなことは言っても仕方ないだろう。

「昼休み、宝龍さんと一緒だったみたいだけど、どこに行ってたの?」

「話が飛びましたよ」

「飛んでませんっ」

 間髪入れず言い返された。

「いったいどういうつもり? 未だに宝龍さんと仲がいいことだけでも許しがたいのに、佐伯さんにまで手を出すってどういうことよ。二股かける気!?」

「まさか」

 誰がそんな恐ろしいことをしようと思うか。僕は命がけでチキンレースをするほど酔狂ではない。

「しかし、雀さん」

「何よ?」

「一緒に登校することもクラスメイトと話をすることも、通常の生徒間交流の範囲内だと思いませんか」

 僕自身、前者などは少々不本意な部分もあるが、かと言って指弾されるほどの行為だとも思わない。

「確かにそうです。でも、弓月君の場合それを足がかりに、次に何をするかわかったものじゃありませんから」

「僕はいったいどれだけ悪人なんだ……」

「去年――」

 僕の言葉にかぶせるようにして雀さんが発音する。

「あなたがどれだけ不誠実なことをしたか、忘れたわけじゃないでしょうね」

「……」

 例の僕にまつわる噂や悪評もいいかげん忘れ去られつつあるのだと思い直しはじめていたのだが、雀さんだけは相変わらずのようだ。恨み骨髄というやつか。

「弓月君、あなたはね――」

「ナツコ」

 先ほど雀さんが僕にしたようにして、今度は彼女の言葉が別の声に遮られた。

「宝龍さん……」

 見れば宝龍美ゆきが厳しい表情で立っていた。怒っているのとはまた違う、どちらかと言うと緊張の面持ちだった。

「ちょっときて」

「でも、宝龍さん」

「いいからきなさい」

 彼女は雀さんの手首を掴むと、かまわず歩き出した。手を引っ張り、教室の外へ出て行く。完全に置いてけぼりの僕だったが、彼女たちの後姿を見てなにやら嫌な予感を感じていた。

 それが兆候。

 そして、本日ふたつ目の事件は放課後に起きた。

 

「相変わらず眠そうな顔をしてるわね」

 終礼終了後、席を立とうとした僕に声をかけてきたのは、またしても雀さんだった。

「この顔のつくりは生まれつきですよ」

 やる気のない眠そうな半眼に、擬態するように隠れた目つきの悪い黒目は弓月恭嗣のトレードマークみたいなものだ。生まれつきかどうかは別にして。

「ちょっと話があるんだけど」

「何ですか? もう帰るつもりなので、手短にお願いします」

「歩きながらでいいわ」

「……」

 えっと、滝沢は……もういないか。今逃げるようにして教室を出て行った背中は矢神だろうか。意外に素早いな。

「なにきょろきょろしてるのよ」

「いえ、別に……」

 矢神と宝龍さんは文芸部の部活、滝沢は個人的に生徒会に顔を出しに行くのだろう。どうやら助けは現れないらしい。

「わかりました。でも僕、駅までは行きませんよ」

「いいわ」

 仕方がない。覚悟を決めよう。僕は席を立った。

 教室を出て昇降口へ。靴を履き替え、校門を出る。間、雀さんは話をするのを躊躇うかのように、ずっと押し黙ったままだった。時間は有限。言いたいことがあるのなら早くして欲しいのだが。

「宝龍さんから何を聞いたんですか?」

「え?」

 直後、雀さんは小さく体を振るわせた。

「どうしてそれを……」

「だいたい予想がつきます」

 そして、何を聞いたかも。

「……」

「……」

「去年、何があったか聞きました」

 下校する生徒の流れに乗って少し歩いてから、雀さんは委員長の口調で切り出した。

「どうして何も言わなかったの?」

「もとより誰にも言うつもりはありませんでした」

「あれだけ非難されていたのに?」

 確かに当時はずいぶんと白い目で見られた。水の森で随一の美貌を誇る宝龍美ゆきと交際する栄誉を授かりながら、3ヶ月足らずで振った男。宝龍さんの人気が高い分、僕への非難は厳しかった。

「あたしなんか、ついさっきまで弓月君を責めてたし」

「そうですね」

 雀さんは特に熱心な信奉者だから仕方のないことだろう。

「……だから、その、ごめんなさい……」

 雀さんは気落ちした調子で、謝罪の言葉を口にした。

「まぁ、終わったことですから、気にしないでください」

「やっぱり宝龍さんの評価を守るためだったの? そうじゃないかって宝龍さんが言ってたわ」

「……」

 よけいな推測まで言ってくれたものだ。

「世間の評価や評判なんてプラスもマイナスもない僕が、多少悪く言われたところでたいした実害はないとは思いましたよ」

「やっぱり宝龍さんをかばってたんじゃない」

「……」

 日本語は柔軟性が高いな。

 それにしても、なぜ今になって宝龍さんは本当のことを話したのか――。それには昼休みの佐伯さんとの一件が影響しているだろうことは容易に想像できる。

「雀さん、宝龍さんのことを身勝手な人だと思わないであげてください」

 いちおうフォローは入れておかないと。

「弓月君ってお人好しね」

 雀さんは笑う。

「あたし思うんだけど、宝龍さんも辛かったんじゃないかな」

「あの人も?」

「だって自分のせいで人が辛い思いをしてるのに、それを見ても平気な人なんてそうそういないでしょ」

「そうですね」

 この分だと雀さんの宝龍さんへの評価が180度変わったということはなさそうだ。

「ねぇ、もう一度つき合ってみたらどうかな?」

「は?」

 ほっと安心していたところに不意打ちがきた。

「もしもし、雀さん? つい昨日までと主張が真逆になってますよ」

「そ、それくらいあたしも自覚してますっ」

 雀さんは恥ずかしそうに、そして、不貞腐れたように言う。

「でも実際、弓月君くらいしかいないと思うの。宝龍さんって頭がよすぎて独特の思考を持ってるでしょ? だから弓月君みたいな少し変わった人の方がうまくいきそうな気がする」

「人を変な人間みたいに言わないでください」

「あなた、自分が平凡な人間だと思ってるの?」

 横目でじろりと睨まれた。そこまで言われると自信がなくなってくる。

 やがて交差点が近づいてきた。

「僕、次で曲がりますから」

「あ、そうなの?」

「そうなんです。なので変な期待を押しつけられないうちに帰ろうと思います」

 信号はちょうど青だった。

「そういう言動が変だって言われるんです。……じゃあね、弓月君」

「では、また明日。ナツコさん」

「ナツコ言わないっ」

 僕はその声を背中で聞きながら、逃げるように駆け足で横断歩道を渡った。

 どうやらこれで雀さんにからまれることはなくなりそうだ。まぁ、それはそれで寂しくはあるのだが。

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