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3.「いてもいいと思いますよ」

 それを目撃したのは昼休み。

「あの、困りますっ」

 僕が目を向けるきっかけとなったのは、そんな声だった。

 弁当を食べ終え、学生食堂に飲みものでも買いに行こうと廊下を歩いて、ちょうど階段に差し掛かったとき、先のような声が上から聞こえてきたのだ。見上げてみれば、踊り場からやや下辺りにふたりの生徒がいた。男子と女子、ひとりずつ。男子生徒が上段に立ち、女子生徒の前に立ちはだかっている構図だ。

 そして、こちらに背を向けている女子生徒は、グラデーションのような天然の濃淡のついた茶髪――佐伯さんだった。

 僕は立ち止まり、気配を殺して様子を窺う。

「俺さ、クラス替えで仲のいいやつと離れちゃって寂しいんだよね。よかったら友達になってよ?」

 男子生徒とは軽い口調で佐伯さんに話しかける。

 大丈夫だ。わざわざ他学年の佐伯さんを狙って声をかけるアグレッシブなやつが、友達がいないはずがない。だいたいもう5月だぞ。

「あれ? もしかしてケータイ、黒? もっと女の子らしい方が似合うのに」

 佐伯さんは今、どうやら手に携帯電話を持っていたらしい。男子生徒とはそれを見てとったのだろう。

 これにむっとしたのは佐伯さんだ。

「ほっといてください。わたしの好みですから」

「ま、それもそうか。ちょうどいいや。ケータイのアドレス交換しない?」

「少し考えさせてください」

 勿論、それは言葉通りの意味ではなく、丁重なお断りだ。

 言うと同時に佐伯さんは、足を踏み出した。上階に行きたいのだろう、男子生徒の横をすり抜けようとする。だが、相手は体を横にスライドさせ、その行く手を阻んだ。継いで、にっと笑う。

 僕の方からは佐伯さんの表情は見えなかったが、彼女の困った顔が目に浮かぶようだった。

 やれやれ――と、ため息ひとつ。

「佐伯さん、どうしたんですか?」

 僕が白々しく声をかけると、ふたりが同時にこちらを向いた。男子生徒の方は邪魔をされたせいか、あからさまに不機嫌そうな顔だった。

「あ、弓月くん」

 佐伯さんは僕を認めると、そのまま階段を駆け下りて、寄ってきた。

「何をやってたんですか?」

「ううん。なんでもない。行こ。……それじゃあ、失礼します」

 最後の言葉は例の男子生徒に向けられたものだ。僕らは並んで歩き出す。去り際、彼が舌打ちしたのが聞こえた。

「ごめん、弓月くん。助かっちゃった。あの人、しつこくってさー……」

 佐伯さんは頬を膨らませる。

「別に僕はただ、君がいたから声をかけただけですよ」

「嘘ばっかり」

「……」

 もとより信じてもらえるとは思っていなかったが。だいたい学校では声をかけるなと言い出した僕から声をかけているのだから、この上ない矛盾だ。にしても、その約束もここ最近、特に加速度をつけて崩壊に向かいつつあるようだ。

 僕らは並んで廊下を行く。

 昼休みなので行き交う生徒や教室の前で喋っている生徒も多い。そのほとんどが一度は佐伯さんに目を向けた。ここは2年生の教室が集まる階だ。噂の新入生の話を耳にはしていても、実際に目にしたことはない生徒も多いのだろう。

 そして、一緒に歩く僕も、やはり見られる。あまり居心地はよろしくない。

「佐伯さん、教室に戻るんじゃないんですか?」

 僕は耐えかねて、そう彼女に尋ねた。

「うん、そうなんだけどね。せっかく会ったんだし、どこか案内してよ。誰も知らない穴場とかないの?」

「知りませんよ、そんなところ」

 だいたいなぜ僕が?

「連れて行ってくれないと、授業中に居眠りしたとき、弓月くんの名前を出しながら誤解されそうな寝言を言うぞ」

「寝言がコントロールできるならやってみなさい」

「甘いなぁ。そんなの寝言っぽく言えばいいだけじゃない。『あぁん、弓月くんが……――」

「とりあえず中庭でも行きますか」

 僕は佐伯さんの言葉を遮って提案した。まったくもって洒落になっていない。

「中庭に何かあるの?」

「いえ、何もありません。ただ他に思い浮かばなかっただけです。……やめておきますか?」

「ううん。そこでいい。行こ」

 佐伯さんの足取りが弾むようなものに変わった。

 僕らは昇降口まで下り、そこで靴を履き替えてから中庭に回った。

 中庭はふたつの校舎に挟まれたスペースだ。真ん中を舗装された小道が貫き、左右はきれいに手入れされた芝生に覆われている。その芝生の上にはいくつかのベンチやテーブルが置かれていて、天気のいい日にはここで弁当を食べる生徒も多い。が、今日は生憎の曇天。五月晴れはどこへやら。人の姿はあまりない。

 ふたつの校舎を結ぶ連絡通路に設置された自動販売機でミルクティを買い、僕らは空いているベンチに腰を下ろした。木製のやさしいデザインのベンチだが、背もたれがないのが難点だ。

「弓月くんとわたしって、こうやってたらつき合ってるように見えるかな?」

 ミルクティに口をつけ、人心地ついてから佐伯さんがそんなことを言い出す。

「観測する側によります。何をすればそう見えるという条件がありませんから」

「……面白くない答え」

 言葉通り不満げに漏らす。

 だが、一拍おき、

「でも、弓月くんらしい答え」

 今度は少しだけ笑いながら言った。

「……僕らしいですか?」

「うん」

「……」

 なんと、まぁ、あっさりと言ってくれる。僕と最もつき合いの長い僕ですら、何が僕らしいのか把握していないというのに。

 何となく空を見上げた。

 今にも降り出しそうというわけではないが、厚い雲に覆われて太陽は遠い。

「これで天気さえよければ最高なのですが」

 午後の穏やかな陽射しの下でのティータイムは、きっと贅沢な時間に違いない。

「天気さえ?」

 隣で佐伯さんが問うてくる。

「そうですね」

「じゃ、そこにわたしもいていい?」

 それが彼女の真の問いらしい。

 確かに僕は、この状況を差して「天気さえ」と言った。天気にのみ唯一の不満を持ち、佐伯さんが横にいることには触れていない。

 想像してみる。

 彼女のいる風景と、彼女のいない風景。

 彼女と一緒に過ごす時間と、ひとりで過ごす時間。

「……まぁ、」

 と、僕はタイミングをはかるように発音した。

「いてもいいと思いますよ」

「そっか」

 対する佐伯さんの答えは短く、それだけだった。

 そう言えばこの頃、急にひとりになりたくなることが少なくなったな、と思った。

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