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1(2).「人として当然の欲求と行為だと言えます」

 僕らはプラットホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。

 休日の電車はほどほどに混雑していて、ふたり並んで座るほどの余裕はなさそうだった。若ものは立っていろということなのだろう。僕らはそのまま真っ直ぐ反対側のドアまで進んだ。

 ドアに背中をつけて立った佐伯さんが両手を広げる。

「なんですか、その動作は」

「日本じゃこういうとき、向かい合ってくっつくんじゃないの?」

「違いますよ」

 時々そういうのを見かけるのは確かだが。

「というか、こんなときだけ日本のことをあまり知らない帰国子女の振りをしないでください。そんなに長く日本を離れていたわけじゃないでしょうに」

「うん。2年」

 彼女は悪戯を見つかった子どものように笑った。

 それからしばらくはふたりとも黙って電車に揺られていた。佐伯さんは左肩をドアにつけるようにしてもたれ、僕は吊り革を持って立ったまま、外の景色を見ていた。

 学園都市を貫く路線は高架の上を走っているので、外を眺めていると眼下に街並みが広がり、遠くまでよく見える。

「前も思ったんだけど――」

 少ししてから佐伯さんが口を開いた。目はまだ外を流れる風景に向けられている。

「あの人、弓月くんのこと名前で呼んでるんだね」

「……そうですね」

 事実そうなので、そうとしか答えられない。

「でも、僕は宝龍さんのことを名前では呼んでませんけどね」

「あ、そう言えばそうだね。……どうして?」

 佐伯さんがこちらを向いた。僕らは向かい合うかたちになった。

「抵抗があります。なにせ彼女は年上ですから」

「年上? 弓月くんより少し早く生まれたってこと?」

「ではなくて、まぎれもなく年上なんです。確か佐伯さんには言っていませんでしたね。宝龍さんは一年留年してるんです」

「え、そうなんだ。留年って、成績が悪かったってこと?」

「まぁ、結論から言えば、そうなりますね」

 水の森高校において留年に至る理由は、成績か出席日数くらいしかない。

 入学試験を最優秀で通過し、新入生総代まで務めた宝龍さんが成績で留年というのも考えにくい話だが、しかし、彼女が一年生最後の定期考査をすっぽかしたのだから仕方がない。再試験の機会も与えられたが、宝龍美ゆきはそれすらも無視し、先生方は苦渋の決断の末、規定に従って彼女を留年させたのだ。

 宝龍さんがなぜそんなことをしたのかは、今もって不明である。

 彼女なりの理由があったのだとは思うが、ただし、宝龍美ゆきは天才型の人間ゆえ、その理由が万人に理解できるものかどうかは定かでない。進級したくないわけがあったのかもしれないし、何かの実験だった可能性もある。

「というわけで、本来ならば彼女は3年に上がっているはずの人なんです。だから、名前で呼ぶような偉そうな真似はできません」

「ふうん」

 佐伯さんは納得したような、そうでないような複雑な返事をした。

「わたしも弓月くんのこと、名前で呼んでみようかな」

「ああ、それはやめた方がいいです」

「どうして?」

「試しに口に出してみるとわかりますよ」

 こういうのは実際にやってみるのが早い。

「えっと、恭嗣くん……うわ、言いにくい」

「そういうことです」

「ゆきつぐ」プラス「くん」だと、“く”の音がふたつ連なるせいで、非常に発音しにくいのだ。

「むー。弓月くんと名前で呼び合ったら、一歩リードかと思ったのに」

「君はいったい何と戦ってるんですか……」

 考えたくもないし考える気もないが。

「ね、弓月くん。この電車、なんかすっごいところ走ってるんですけど」

 再びドアの方に体を向けた佐伯さんが、外に広がる光景を見て驚嘆の声を上げた。

 眼下は谷だった。

 学園都市はどうやら山を拓いてつくられたようで、途中一箇所、妙な絶景が広がっている場所があるのだ。遥か下には山間を縫うようにして道路が一本走っている。そして、ここを境にして、学園都市らしい風景は姿を消すことになる。

「佐伯さんは見たことなかったですか?」

「うん。まだ電車で遊びに行ったことないしね。試験とか引越しとかで何度か通ってるはずだけど、そんな余裕もなかったから」

 彼女は外に目をやったまま続ける。

「ついでに言うと、一ノ宮も初めて。ほら、少し先に新幹線に連絡してる駅があるでしょ? あそこからきて、いつも一ノ宮は素通りだったし」

「なるほど」

 逆に僕は去年一年、一ノ宮で別の路線に乗り換えていたので馴染みが深い。

「だからね、すっごく楽しみ」

 佐伯さんは再度こちらに向き直り、僕を見上げて無邪気に笑った。

 

 一ノ宮は2本の有名私鉄とJRが連絡するターミナル駅だ。周辺には多数の専門店が入ったショッピングセンターや百貨店が複数林立している。さぞかし競争も激しいことだろう。

 僕らが乗ってきたローカル線の駅は地下にあり、電車を下りると、さっそく地上へと上がった。

「さて、まずはどこに行きますか?」

 大きなスクランブル交差点を前にして、僕は佐伯さんに尋ねた。

 前も横も、対角線にも、どちらに渡っても何かしらあるので、買いものには困らないだろう。おそらく一ノ宮で最も人通りの多い場所がここのはずだ。

「とりあえず目の前にあるデパートに入ってみようかな。弓月くんはいいの?」

「僕は今のところ、特に行きたい場所はありませんから。今日は君につき合いますよ」

 通りがかりに何か目を惹くものがあれば、程度には思っているが。

「ふうん。女の子の買いものにつき合うのって、けっこうエネルギィいるよぉ?」

「覚悟してますよ」

 まさかTVやマンガのように、両手いっぱいの紙袋や山積みの箱を持たされたりはしないだろう。それにそれこそ多少の荷物持ちくらいは覚悟している。

「じゃ、行こっか」

 ちょうど歩行者用の信号がいっせいに青になり、僕らは横断歩道を真っ直ぐ前へと渡った。

 自動ドアをくぐり、百貨店へと足を踏み入れる。

 佐伯さんはエレベータの脇にある各フロアの案内を見て、

「いちばん上の催事コーナー、かな」

 と、さっそく指標を明確にした。

「何があるんですか?」

「さぁ?」

 短い答えだった。

 とりあえず行ってみるつもりなのか。それとも最上階から順に見ながら下りてくるつもりなのか。

 僕らはエレベータへと乗り込んだ。

 他にも大勢の人が乗っているため、一時会話は中断。黙って階数表示に目をやる。

 エレベータ内で皆一様に階数表示を凝視するという行動は、心理学的に説明できる。

 即ち、この狭い空間では互いにパーソナルスペースを侵し合った状態にあり、その息苦しさから早く解放されたいという気持ちが階数表示に目をやったり、増える(あるいは減じていく)数字を見て目的地に近づいている安心を得るという行動を取らせるのだ。

 さて、各駅停車ならぬ、各階停車になったエレベータがようやく最上階に着くと、

「……」

 そこは非常に華やかなフロアだった。

 なるほど。こういうのは佐伯さんの言う通り、ひとつくらい季節を先取りしているらしい。夏のものは春のうちから。ここだけひと足先に夏色一色。

 ようは、特設の水着売り場だった。

「あれ、どうしたの、弓月くん」

 佐伯さんが固まる僕の顔を覗き込みながら、おかしそうに尋ねてくる。あぁ、この顔はここで何をやっているか知っていたな。

「本当に行くんですか?」

「行く」

 きっぱり言ってくれた。

「昨日も言ったじゃない」

「確かに言ってましたけどね」

 本当だとは思わなかった。

 颯爽と売り場に向かっていく佐伯さんに、僕は渋々後を追う。彼女はまず、ディスプレィされたマネキンの前に立ち、それを仔細に観察した。

「今年はこういうのが流行りなんだって。弓月くん、どう?」

「なぜ僕に訊きますか」

「や、弓月くんの好みかなと思って」

「この際、僕の好みはいっさい無視してください。僕は自分の好みを他人に押しつける気はさらさらありませんので」

 どうせなら僕の意見など聞かず、いっそのこと存在そのものも無視してくれるとありがたい。

「こういうのって、ぇろいと思う?」

「なんて質問ですか……」

 思わず顔に手を当て、嘆息してしまった。あまりにもストレートすぎて呆れる。

「まぁ、真面目に答えると、所詮はマネキンですからね、無機質すぎていやらしさは感じません」

「じゃ、わたしが着たら?」

「それはノーコメントです」

 僕は誤魔化すように、さらに言葉を継いだ。

「ついでに言うと、僕としてはマネキンよりもむしろ、売りものとしてハンガーに吊るされているもののほうが目のやり場に困りますね。新発見です」

「ふぅん。そっか」

 納得したように相づちを打つ佐伯さん。こんなことに納得されても、それはそれで複雑なのだが。

 そうしてから彼女は、さらに売り場の奥に進んでいく。すでに逃げるタイミングを逸してしまっている僕は、後についていかざるを得なかった。どこを見ても水着ばかりなので、どこか一点を見ないようにしつつ、且つ、きょろきょろしないように――という、その辺りの加減が難しい。

 そんな僕の心中などおかまいなしで、佐伯さんはアイテムを物色している。そして、何度かとっかえひっかえして手に取ったそれを、

「はい」

 と、僕に渡した。

「ッ!?」

 思わず受け取って、声にならない悲鳴を上げる僕。

 さらに、

「はい。これとこれと、これも」

 彼女は次々と僕に押しつけてくる。

「ちょ、なんで僕に持たせるんですか!?」

「候補」

「だからなぜ僕に持たせるのかと」

「あ、弓月くんの意見も聞いた方がよかった?」

 そして、無視。

 明らかにわざとやっている。そろそろやり返した方がいいのかもしれない。

「ほう。僕の意見、言っていいんですか?」

「え、えっと……あくまでも参考で、あまり過激なのは……。わたしも頑張るけど」

 何を言ってるのだろうか。

「大丈夫です。……そうですね。君は学校で扱ってる一般的なスイムスーツで十分だと思います」

「む」

 途端、佐伯さんは半眼で睨んできた。これにはご不満だった様子。尤も、狙いはそこなので、そうでなくてはこちらも困るのだが。

「色気も何もあったもんじゃないですけど」

「いいじゃないですか。背伸びはいけません」

「最近の高校生を舐めるんじゃないと言いたい。……ん? でも、スクール水着って、それはそれで……。弓月くんって意外とマニアック?」

「……」

 どうやら生半可な反撃を試みた僕が間違っていたらしい。

 

 昼食どきになり、僕らはショッピングセンターの地下にあるパスタの店へと入った。

「弓月くんがこんなお店を知ってるなんて意外。美味しいし、ちょっと暗めの照明もいい雰囲気」

 佐伯さんがパスタの最初のひと口を食べてから、感想を述べた。

 僕と彼女の前にはそれぞれカルボナーラとシーフードパスタが、そしてテーブル中央にはシーザーサラダの皿が置かれていた。因みに、時々店員が持ってくる焼き立てのパンは取り放題となっている。

「喜んでもらえて何よりです」

 当然といえば当然だが、この店を選んだのは僕だ。

「あの人ときた?」

「……君は嫌なところで鋭くなりますね」

 確かにそうだ。前にここにきたときは、僕の前に宝龍さんが座っていた。11月の土曜日、学校の帰りだったか。何を話したかは覚えていないが。

 話があまり面白くない方向に向かいつつあるな。話題を変えよう。

「結局、どんなのを買ったんですか?」

「気になる?」

「あれだけ騒いでおきながら、最後には僕が見てない隙に買ったみたいですからね。そういう意味では気になります」

 そうなのだ。さんざん引っ張りまわされた後で、いきなり解放されたと思ったら、僕が売り場を離れて待っている間にとっとと買ってしまっていた。結局、僕は佐伯さんがどういうものをチョイスしたか知らないままだ。

「それは夏になってからのお楽しみ」

「……」

 果たしてそんな機会はくるのだろうか。海かプールか知らないが、行くなら友達同士で行ってもらいたいものだ。

「実はもう一着欲しかったりする」

 佐伯さんは言いながら、手ではスプーンを上手に使って、パスタをフォークに巻き取っていた。

「もう一着? ひと夏に二着も買うものなんですか?」

「ちょっと外では着れないような、過激なのが欲しいかなって」

「……」

 何かまた妙なことを言い出している気がするな。

「外で着れなかったら意味がないでしょう」

「外で着れなかったら、家で着ればいいじゃない」

 なんだその「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言った、マリー・アントワネットみたいなノリは。尤も、あれが本当に言った言葉かどうかは怪しいようだが。

 僕は木製の大きなスプーンとフォークでシーザーサラダを取りながら問う。

「家で着ても仕方ないでしょうが」

「えっと……、水着プレイ用?」

「ぶっ」

 さすがにこれには吹いた。食べている途中じゃなくて本当によかったと思う。

「……僕には君が何を考えているか、さっぱりわかりませんよ」

 まったく、隣のテーブルに聞こえたらどうするんだ。そもそもそんなことを疑問形で言われても困る。

「そんなに変なこと考えてるつもりないけどなぁ」

 佐伯さんはスプーンの先を下唇に当てながら天井を見て、さも不思議そうに言った。

「たぶん、弓月くんと一緒」

「僕はそんな特殊なことは考えてませんよ」

「そう? スキンシップとか触れ合うことで心も満たされたいとか、そういうのってそんなに特別なことじゃないんじゃない?」

 そう言った佐伯さんはふざけているような様子なく、真面目に語っているように見えた。

「……まぁ、その点に関しては僕も否定はしませんよ。人として当然の欲求と行為だと言えます。だからと言って、今の僕がそこまで考えているかは、また別問題ですが」

「じゃ、夏までに」

「……」

 夏までに何をどうしろと?

 佐伯さんが言うと、どうにも不純なものを感じずにはいられないな。

 やはり後で書店に行って、プラトンの本でも買ってくるとしよう。一足飛びにプラトニックな段階まで行ければいいが。

 

 食後にミルクティを飲んだ後、買いものは午後の部へと突入した。

「次はどこに行くんですか?」

 今、僕らは再び百貨店に入り、エスカレータで上へと向かっていた。他愛もない話をしながら佐伯さんに合わせてここまできたが、果たして目的地は決まっているのだろうか。

「ん。ここ」

 そう言った佐伯さんはエスカレータを上がり切ったところで次には乗り継がず、少し進んで立ち止まった。

 と、そこで彼女は腕を組んできた。

「何ですか、これ」

 僕は絡み合った腕を見ながら尋ねる。

「腕を組んでみました」

「それは見ればわかります」

 なぜこのタイミングで、と思う。まぁ、こんなことをしたまま買いものができるわけでもなし、すぐに外れるだろう。

 そう思って顔を上げて、ようやく自分がどこにいるか把握した。

 レディスのフロアにいるとは思ったが、ここは婦人服でもかなりベーシックなものを扱うフロアらしい。……要するに下着売り場、である。

「本当に行くんですか?」

「行く」

 きっぱり言ってくれた。

 このやり取りは午前中にもやった気がする。

「くるとき言ったじゃない」

「確かに言いましたけどね。というか、無理です」

 僕はこの場から逃げようとしたが、あいにくと今は腕を組んでいる状態だった。しかも、佐伯さんは僕を逃がすまいと、さらにがっしりホールドしてきた。遅まきながらこのタイミングで腕を組んできた彼女の意図を理解した。

「離してください。僕は本屋でも行ってますから」

 プラトン先生が僕を呼んでいる気がする。

「ダーメ。ちゃんと弓月くんの希望も聞いてあげるから。どんなのがいい? ソングビキニ? ストリング?」

「そんな固有名詞を出されてもわかりませんよっ」

「えっと、ソングビキニっていうのはヒップの方の面積が小さいやつで――」

「説明しなくていいですっ!」

 こんな感じでやいのやいのと大騒ぎして、むりやり引っ張っていかれた売り場でもうひと騒ぎ。それを見ていた女性の店員さんが、必死で笑いを堪えていた。

 確かに女の子の買いものにつき合うのはエネルギィがいるらしい。特に精神面の。

 もしかしたら佐伯さん相手だからかもしれないが。

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