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1(1).「聞こえなかったことにしておいてください」

 ゴールデンウィーク2日目。

 1日目は妹のゆーみが予告もなくやってきて、その対応に追われて一日が終わってしまった。

 今日の予定は佐伯さんと一ノ宮の方へ出かけることになっている。じゃあ10時くらいに出ましょう、と決めたのが朝食のとき。すでに時計の針はその10時を過ぎているが、未だ彼女が部屋から出てくる気配はない。まぁ、女の子は支度に時間がかかるものと相場が決まっているので、気長に待つとしよう。

 僕はリビングの座椅子に腰を下ろした。TVは点いていない。手を伸ばせば届くテーブルの上にリモコンがあるが、あえて点けなかった。

 そうして無音の部屋で待つこと数分、

「ごめーん、弓月くん。待った?」

 ようやく姿を現した。

 佐伯さんの今日のスタイルは、赤いチェックのスカート姿だった。

 待ったかと問われると、待ったと答えるより他はないのだが、正直にそう言ってしまうのも心が狭い気もする。かと言って、今のリラックスした体勢では、待っていないと返すには無理がある。

 結局、僕は回答を避けた。

「今日はまた初めて見る服ですね。佐伯さん、出かけるたびに違う服を着てませんか?」

 勿論、実際にはそうでもない。2週間ほど前に携帯電話を買いに行ったときと、昨日は同じスタイルだった。それでも服を着回している印象がない。

「わたし、けっこう着道楽だから。いっぱい持ってきてるんだ」

「そうでしたか。僕なんか数えるほどしか持ってきてませんよ」

 尤も、それも家が近いからなのだろうが。

「じゃあさ、今日、何か買ったら?」

「安くていいのがあればね。……部屋の窓は閉めてきましたか?」

 僕は座椅子から立ち上がりながら尋ねた。

「おっけー」

「こっちも戸締りはオッケーです。じゃあ、行きますか」

 リビングの照明を消して、廊下に出る。

 玄関では僕が先にスニーカーに足を突っ込みつつ、外に出た。ドアが閉まらないように押さえながら、床を蹴って靴を履く。

 振り返ると佐伯さんは、座ってショートブーツを履こうとしている最中だった。……それはいいのだが、どうにもスカートの奥が見えそうだ。というか、たぶん見えている。

 僕は気づかぬ振りをして玄関から離れた。

「おっ待ちー」

 僕が手を離したドアがあと少しで閉まり切ろうかというところで、それを押して佐伯さんが出てきた。出発準備完了だ。

 さして広くないマンションの階段を下りる。

 その最中、佐伯さんの涼やかな声が頭上から降ってきた。

「見えた?」

 思わず階段を踏み外しそうになった。

「……何がでしょう?」

「わかってるくせに」

「……」

 沈黙は金、なり。

「弓月くんのその無関心さは、男の子としてどうかと思うな」

「佐伯さんのその無防備さも、女の子としてどうかと思いますけどね」

 階段を一階分下りて、マンションの表に出る。佐伯さんが僕の横に並んだ。

「いいこと思いついた」

「君がそう言うときは、僕にとってはたいていいいことではありません」

 彼女の“いいこと”は、ほとんどの場合、悪巧みに類似することと等号で結ばれるのだ。

「ランジェリーショップ行こっか?」

「……行けばいいのでは? 僕は本屋で哲学書でも探してますから」

 なぜに哲学書なのかは、言ってる自分でも謎だが。

「弓月くんに選ばせてあげるって言っても?」

「尚のこと嫌ですよ」

 いったい何を考えているのだろうか。

「男の子の好みに合わせようという、女の子の気合いをなんとするか」

「もっと別のところで気合い入れてください」

「うー」

 佐伯さんが不満そうにうなっているが――無視。そして、僕は精いっぱい、この話はこれで終わり、のシグナルを出す。そうでもしないと彼女はまだまだ続けそうなのだ。

 程なく住宅街から大きな通りへと出る。幅の広い道路に、タイルと街路樹で飾られた歩道――と、街並みはきれいなのだが、相変わらず交通量が少ない。

 少しの間、無言で歩く。

 すると、いきなり佐伯さんが僕の前に回り込んで立ち止まった。何かと思い、僕も足を止める。

「ね、手つながない?」

 右手を差し出してくる。

 しなやかな長い指と、艶のあるきれいな爪。誰しもが――僕とて例外ではなく、触れたくなるような魅力的な手だ。

「昨日もやったじゃない」

「昨日はゆーみを騙すためです。理由もなくそんなことできませんよ」

「理由は、わたしがそうしたいから……じゃ、ダメ?」

 佐伯さんは、照れと自信のなさが同居したような上目づかいの表情で、弱々しい笑みを見せながら聞いてきた。

「ま、まぁ、それなら理由として充分かもしれませんね」

 さすがにそんなふうに言われたら、そう答えるしかない。僕は棒読みに言って、手を差し出す。

「それでは、どうぞ。お嬢様」

「う、うん……」

 佐伯さんは戸惑いがちに僕の手を取った。

「そっちの手じゃないです。フォークダンスでもするつもりですか、君は」

「あ、そ、そだね」

 彼女は慌てて反対の手を出す。

 そうしてようやく僕らは手をつないで歩き出した。……昨日もそうだったが、今日もやっぱりふたりとも駅まで無言だった。

 

 学園都市の駅前までくると、一気に人が多くなる。ショッピングセンターがあるせいだろう。親子連れの買いもの客が多いのだ。大きな繁華街である一ノ宮に行くにしても電車が手っ取り早いので、駅に流れていく人の数も多い。

 そろそろ人目が増えてきて、手をつないでいるのが少々恥ずかしくなってきた頃(実際には誰も僕らのことなんか気にしてないのだろうが)、ついに顔見知りと会ってしまった。

 宝龍美ゆきだった。

 誰もが振り返りそうな美貌の持ち主は、きれいな黒髪を揺らしながら、改札口から出てくるところだった。これから学校に行くようで、水の森高校の制服を着ていた。

 さすがはクールビューティと言うべきか、彼女は僕たちを見ても特に表情を変えなかった。

 僕はつないだ手を離そうとしたが、しかし、それよりも早く佐伯さんが強く握り、そこから抜け出せなかった。

「あら、恭嗣」

「おはようございます、宝龍さん」

 そして、そのまま接近。

「ふたりでお出かけ?」

「ええ、まぁ、ちょっと――」

「デートです」

 当り障りのない言葉を選ぼうとした僕の横で、佐伯さんがきっぱりと言い切った。思わずぎょっとする。

「そうなの。ゆっくり楽しんできて」

 しかし、宝龍さんはというと、おかしそうに笑っていた。彼女は大人だから、佐伯さんの態度が微笑ましかったのだろう。

「ええ、楽しんできます。下着も水着もぜーんぶ弓月くんに選んでもらいますから」

「いや、ちょっと、佐伯さん……」

 佐伯さんはさらにヒートアップしていく。

「えっと、これはですね……」

「大丈夫よ、恭嗣。それくらいわかってるから」

 こっちはますます楽しそうだった。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった佐伯さんは放っておいて、また僕の方に話を戻す。

「そう言えば、恭嗣の家、この近くなのよね?」

「近いですね。今も徒歩できましたから」

「そう。じゃあ、一度学校の帰りにでも寄ってみようかしら?」

「宝龍さんがいいのなら」

 彼女なら万が一にも間違いは起こらないだろう。

「お話し中のところ悪いんですけど」

 と、再び割って入ってくる佐伯さん。

「わたしにも聞いてくれます? いちおうわたしの家でもあるんですから」

「たしかにそうね。じゃあ、今度お邪魔してもいい?」

 佐伯さんなら訊かせておいて嫌と答えるくらい平気でやるかと思ったが、そうでもなかった。

「いいですよ。ただし、わたしがいるときにしてください」

「そういうことね。わかったわ。それにその方が面白そうだわ」

「……」

 面白そう? 何やらひどいことになりそうな気がして、僕はそこにいたくないのだが。

「さぁ、あまり足止めしてても悪いわね。そろそろ行くわ」

 そこまで言ってから、宝龍さんは改めて僕に向き直る。

「恭嗣、最近のあなた、とても面白いわ。少し興味が出てきたかもしれない。……それじゃあ、また休み明け、学校でね」

 そうして僕らの横をするりとすり抜け、長い髪をなびかせて去っていった。

 

 僕らは切符を買ってから、ホームへと上がった。

「ねぇ、弓月くん」

 並んで立って電車を待っていると、宝龍さんと別れて以降ずっと黙っていた佐伯さんが口を開いた。

「あの人ともよくデートしたの?」

「いえ、一度も」

 僕は正直に答える。

 それに類すること、例えば学校から一緒に帰ったり、そのまま寄り道したりといったことはあったが、休みの日にわざわざ会ったことはない。

「プラトニックな関係?」

「そんなにいいものではありませんよ」

 口調がやや投げやりになっている自分に気づいた。

「知ってますか? 恋愛において最初の段階としてまず肉体的なつながりがあって、プラトニックというのはそれを越えたところにある、精神的人格的なつながりのことを差すんです。愛情のレベルとしてはより高次のものとして定義されています」

 当然のことながら、僕と宝龍さんではその前段階にも到達していない。

「因みに、そう説いたのは哲学者プラトンです」

「あ、それでプラトニック?」

「そのようです」

 佐伯さんは、ふうん、と関心したような声をもらす。

「ね、わたしたちもまずは最初の段階からだよね?」

「……」

「……」

「……」

「……今、けっこう大事なこと言ったんですけど」

 彼女のむっとした声。そちらを見なくても半眼で睨んでいるのが、容易にわかった。

「知りませんよ。聞こえなかったことにしておいてください。ほら、電車がきましたから」

 ちょうどタイミングよく僕らが待っていたホームに、電車が滑り込んでくるところだった。

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