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魔界サイド②:レベル二百九十九の勇者と理解不能な何か

 黒曜の間の扉が、静かに開いた。


 磨き上げられた黒い石の床に、重い足音が二つ、三つ。

 やがて、恭しくひざまずく気配とともに、低い声が響いた。


「大魔王陛下の御前に、遠見の宝珠をお運びいたしました」


 ヴァルグレイドは玉座に凭れたまま、わずかに顎を動かす。


「よい。置け」


 命じられた魔族が、黒曜石の台座の上に慎重にそれを据えた。


 人の頭ほどの大きさの球体。

 透明な宝珠の中心には、淡い霧のような魔力が渦を巻いている。


 光源らしいものはないのに、球の内部だけがぼうっと白く明るい。


 それは単なる「遠見の宝珠」ではなかった。


 内部には、解析魔法が組み込まれている。

 レベル五百までの存在なら、その「力」を数値として映し出すことができる魔道具だ。


「懐かしい代物ですな」


 玉座の下手に控えていた初老の魔族が、くつりと笑った。

 この魔道具の実験と調整に関わった魔導師の一人で、今はヴァルグレイドの側近を務めている。


「これが出来たばかりの頃は、千あたりが上限と思われておりましたな」


「今では、これで測り切れるようでは、魔王はおろか魔将も名乗れん」


 別の魔王が鼻で笑う。

 彼のレベルは、解析すれば二千を超える。


 宝珠で測れる上限など、とうに通り過ぎた数字だ。


「とはいえ、人間界の力を“開戦前の余興”として眺めるには悪くない」


 初老の魔族が、口の端を上げる。


「これで測り切れる者ばかりであれば、侵攻というより……」


「退屈な旅行、というやつだな」


 別の魔王が言葉を継いだ。


 ざわり、と笑いが広がる。

 それは嘲りであり、退屈を紛らわせるための笑いでもあった。


 ヴァルグレイドは、部下たちの緩みを咎めることなく、玉座に背を預けたまま命じる。


「始めよ」


「はっ」


 魔導師が両手を宝珠にかざす。

 魔力が注がれ、宝珠を中心に空中に幾何学模様が描かれる。


 宝珠の内部で渦巻いていた霧が、外側に滲み出すように広がり——

 やがて、像を結び始める。


 最初に浮かび上がったのは、荒野に立つ男の姿だった。


 全身に傷を刻んだ無骨な体躯。

 長大な剣を片手で肩に担いでいる。


「“北境の剣豪”、と呼ばれている人間です」


 魔導師が説明するのと同時に、像の下部に数字が浮かんだ。


 LV:152


 黒曜の間に、鼻で笑う気配が走る。


 百五十二。


 人間という種族を考えれば悪くない。

 鍛え抜かれた兵士の十倍以上、一般人の何十倍にも及ぶ力だろう。


 だが、魔界の基準からすれば低い。

 今の魔王軍の正規兵の合格ラインはレベル百だ。

 この男は雑兵とまでは言わないが——


「いつから部隊長程度の者が“剣豪”などと持て囃されるようになったのだ?」


 くく、と笑いが漏れる。


「言ってやるな。本人も過分な評価だと恥じておるやもしれん」


「下級兵を十人ほどぶつければ、良い訓練相手にはなりそうだ」


「脅威とは程遠いがな」


 嘲笑の声が交錯する。


「次を」


 ヴァルグレイドの一言に応じて、宝珠の像が霞み、別の姿が浮かんだ。


 眼光鋭い白髪交じりの男。

 飾り気のない片刃の剣を腰に下げている。


「“剣聖”の称号を持つ者です」


 浮かんだ数字は——


 LV:253


「先ほどの“剣豪”よりは上か」


「人間界では“剣の道を究めた者”だそうです」


「究めて、これか」


 あからさまな失望が、どこからともなく漏れた。


「人間は百年足らずで老いぼれるらしい。こいつも終わりかけなのだろう」


 別の魔王が肩をすくめる。


「隊長格で事足りるな」


 それ以上でも、それ以下でもない評価。


 続けて、宝珠には別の像が現れる。


 杖を掲げ、巨大な魔法陣を展開する老人。

 頭髪はほとんど白く、背はやや曲がっているが、その瞳には鋭い光が宿っていた。


「“大魔導”と呼ばれる魔法使いです」


 LV:274


「また老いぼれか」


 魔導師の説明が終わらないうちに、数人の魔王が息を吐いた。


「たかが二百台……」


「大魔導を名乗るなら、せめて五百は欲しいものだな」


「それでは、“大”ではなく“中”だ」


 嘲笑が、より露骨になる。


 次に映し出されたのは、若い男だった。


 簡素な衣。杖も剣も持たない。

 澄んだ瞳は、まるでこちらを見据えているかのよう。


「“賢者”。知識と洞察の権化とされている人間です」


 LV:175


「知恵を誇っても、この程度か」


「この程度の者に従う駒など、先ほどの“剣豪”程度だろう。策を練ろうが踏み潰すのみ」


 数字だけを見れば、そうだろう。


 魔界では、レベルがすべての価値基準だ。

 レベル175の賢者が戦場でどれだけ策を巡らせようと、

 レベル千超えの魔王には到底及ばない。


 さらに、宝珠は姿を切り替えていく。


 両手を胸の前で組み、光の加護を降ろす金髪の若き女——聖女。


 LV:182


「神々の加護とはこんなものなのか……」


「どこまでが地力で、どこからが加護によるものなのだ?」


「150ほど上乗せする力だとして、雑兵にばら撒かれれば、それなりの脅威にはなろうが」


「ふん、我らが出向けば容易く蹴散らせるわ」


 聖女そのものではなく、その力の源であろう神々の加護についての議論が交わされる。

 誰も、彼女自身に長く注意を払おうとはしない。


 そして——


「それでは、最後に」


 魔導師が、わずかに声色を改めた。


 宝珠の中で、光が強く瞬く。


 一人の青年がそこに立っていた。

 黒髪、黒瞳。鎧は実用本位で飾り気が少ないが、背負っている剣はおそらく神の奇蹟の宿る業物。

 その立ち姿には妙な「芯」がある。


 その周囲には、先ほど映された聖女や他の仲間らしき姿も、少し離れて控えている。


「人間界で“勇者”と呼ばれている者です。

 神々の加護を最も強く受けた存在」


 数字が浮かび上がる。


 LV:299


 一瞬、沈黙。


 そして、黒曜の間に、さざ波のように笑いが広がっていった。


「二百九十九……?」


「はは……はははは!」


「剣と加護と祈りを総動員して、この程度……これが最強だと?」


 失笑と嘲りと、うっすらとした失望が入り混じった笑いだった。


「人間という種族の限界、ということだろう」


「あるいは、天界の力とやらも、その程度の器かもしれんな」


「神々の尖兵である勇者がこれでは、その上に立つ神々も、たかが知れたものだ」


 一部から、怒りすら滲む声が上がる。


「我らを今日まで苦しめてきた過去の戦が、この程度の者どもを相手にしていたとはな」


「当時の魔界がいかに愚かであったか、という証左でもありましょう」


「いいや、我等が強くなり過ぎただけだ」


 皮肉げな言葉の応酬が交わされる。


※※※※※


 ヴァルグレイドは、しばし黙って宝珠を眺めていた。


 数字は確かだ。

 レベル二百九十九——人間としては突出しているが、魔界の最上位とは比べるべくもない。


「……人間。神々の加護を受けてなお、この程度か」


 大魔王の呟きは、小さかったが重かった。


 魔導師が恭しく頭を垂れる。


「陛下の仰る通り、人間界の強者の多くは、この宝珠で測り切れる範囲に収まっております。

 いかに天界が力を貸そうとも、レベルにして五百を超える者はおりますまい」


「つまり——」


 ヴァルグレイドの紅玉の眼が、ゆらりと揺れた。


「この宝珠で測り切れる程度の敵しかおらぬならば、魔界の侵攻は……」


「……退屈な旅行にしかなりませぬな」


 先ほどの言葉を、魔導師が改めて繰り返す。


 今度は、誰も笑わなかった。


 退屈な旅行は、彼らが望んでいたものとは違う。

 求めているのは、種の屈辱を晴らすに足る戦いだ。


 血と炎と悲鳴に満ちた、真の戦場。


「ふむ」


 ヴァルグレイドは、玉座に深く座り直した。

紅の瞳が、宝珠の中の勇者の像を見下ろす。


 大魔王はしばらく言葉を発しなかった。

 黒曜の間に、重たい静寂だけが落ちる。


 人間界の強者たち——剣豪、剣聖、大魔導、賢者、聖女、勇者。

 そのどれもが、レベルにして数百程度。


 遠見の宝珠が映し出した数字を見て、最初は嘲笑が生まれた。

 だが、ひとしきり笑ったあとに残ったのは、妙な空虚と苛立ちだった。


(これほどまでに、つまらぬ値とはな)


 ヴァルグレイドは、指先で玉座の肘掛けを一度だけ叩いた。


 氷のように冷たい音が、黒曜の間に響く。


 その小さな仕草一つで、ひざまずく魔王たちの背に緊張が走った。


 人間界の戦力があまりにも低い。

 それは「勝利の確信」を与えると同時に、「戦いとしての興趣」を損なう情報でもあった。


 屈辱を晴らすにふさわしい敵が欲しい。

 血潮をたぎらせるに足る標的が欲しい。


 その期待を、今の宝珠が映した値は完全に裏切っていた。


「……陛下」


 沈黙を破ったのは、側近の一人だった。


 痩身の魔族で、鬱屈した笑みを浮かべている。

 戦場より謀略を得意とする男だ。


「人間どもの戦力だけを見て、早計と決めつけるのは如何かと」


「申してみよ」


 ヴァルグレイドは、視線だけをそちらに向けた。


「人間界には、かつての大戦の折、天界が送り込んだ“尖兵”どもが潜伏したままになっているやもしれませぬ。

 神々の落ち穂、竜族の残党……人間の姿に紛れ込んで、今も力を温存している可能性は否定できませぬ」


 男の口元がいやらしく歪む。


「そうした『混じり物』も含めて探れば、多少はマシな数字が見られるかと」


 黒曜の間に、わずかなざわめきが走った。


「……なるほど。人間界そのものは脆弱でも、異物が混ざっている可能性はあるか」


「はい。いかなる種族であれ、“力”としては等しく測り得るはず」


 解析魔法が示すのは、あくまで「総合的な戦闘能力」の指標だ。

 種族に関係なく、高レベルの存在は数値として浮かび上がる。


「……よかろう」


 ヴァルグレイドは、玉座からわずかに身を起こした。


「人間界の全土に視線を巡らせよ。

 レベルの高いものから順に、片端から洗い出せ」


「はっ!」


 宝珠の前に控えていた魔導師と技師たちが、一斉に動き出した。


 解析用の補助陣が黒曜の床に展開し、淡い光が網のように広がる。

 遠見と解析を同時に行う負荷は大きいが、この場にいるのは魔界でも指折りの術者たちだ。


「まずは辺境からにいたしましょう」


 魔導師が、宝珠の上に手をかざす。


「人間界の境界近く、かつての大戦の跡地には、天界・魔界双方の“残り香”が集まりやすい。

 神々の落ち穂や竜の隠れ巣があるとすれば、その辺りかと」


「好きにしろ」


 ヴァルグレイドは、興味なさげに答えた。


 宝珠の中の霧が、再び激しく渦を巻く。

 今度は、人間界の地形が上から俯瞰するように浮かび上がった。


 山脈。海。森。川。

 境界付近の荒野から、徐々に視線を滑らせていく。


 レベルの高い存在を探すための術式が、網の目のように張り巡らされる。


 やがて——


「……?」


 宝珠の像が、ふっと揺らいだ。


 荒野から、緑に覆われた土地へ。

 その一角、森に接する小さな農村が映し出される。


 画面の端を、二人の子どもが横切った。


 ひとりはくすんだ金髪の少年。

 もうひとりは、栗色の髪を二つに結んだ少女。


 ――その瞬間。


「っ……!」


 宝珠が、悲鳴のような高音を発した。


 内部で渦巻いていた霧が、一瞬にして白から赤黒く染まる。

 表面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


「陛……っ、ま——」


 警告の言葉を発するより早く、それは起こった。


 遠見の宝珠が、内側から弾け飛ぶ。


 爆ぜる、という言葉が生ぬるく思えるほどの破壊だった。

 黒曜の間の中央で、爆炎と鋭い破片が四散する。


 レベル千超えの魔王級の魔族たちは、即座に防御障壁を展開した。

 爆風を受け流し、飛んでくる破片を魔力の壁で弾く。


 だが、宝珠のすぐ傍らで操作に従事していた技師たちは、そうはいかなかった。


「ぐわあああっ!」


 最前列の技師の一人が、胸元を巨大な破片に貫かれて床に叩きつけられる。

 魔力障壁を展開しかけた形跡はあるが、間に合わなかった。


 他の者たちも、腕や頬に深い傷を負い、呻き声を上げる。


 黒曜の間に、割れた宝珠片が雨のように降り注いだ。


 しばし、ただ爆音の余韻と、焼けた魔力の匂いだけが支配する。


 ヴァルグレイドは、玉座から半歩だけ身を乗り出して、その光景を見ていた。


 レベル千超えの魔王たちにとっては致命傷に至らない程度の爆発だ。

 しかし——


(……解析魔道具が、映像を結んだだけで爆ぜた、だと?)


 遠見の宝珠に込められた解析術式は、レベル五百まで測定可能なもの。

 上限を超える対象を視たとしても、通常は「測定不能」と表示されるだけで、こんなふうに破壊されることはない。


 ましてや、「視界に捉えた」瞬間に、である。


 魔界に解析魔法が生まれて以来の歴史を振り返っても、前代未聞の事態だった。


「し、失礼……陛下……!」


 胸を貫かれた技師が、血を吐きながらも無理やり上体を起こそうとする。


「よい。そのまま寝ておれ」


 ヴァルグレイドの声は、静かだった。


 魔王たちの間に、混乱とも恐怖ともつかぬ空気が走る。


「今のは……」


「何が起きた」


「レベル五百までの球で測り切れぬ存在を視たのか……?」


「いや、それだけで爆ぜるなど……」


 ざわめきを、ヴァルグレイドの一言が切り裂いた。


「……面白い」


 紅玉の眼に、わずかな光が宿る。


 ほんの一瞬、彼ですら唖然とした。

 だが、その驚愕は、すぐに別の感情へと変わった。


 興味。


 魔界の覇者として、あらゆる強者を屈服させてきた者が、久しく味わっていなかった感覚だった。


「その器では耐えられぬ何かを、人間界で視たらしい」


 ヴァルグレイドは、ゆっくりと立ち上がる。


「ならば——より大きな器を持ってこい」


 黒曜の間の空気が、ぴんと張り詰める。


「は、はっ!」


 側近たちが一斉に動き出す。


 より大きな器——最上級の遠見の宝珠は、魔界でもほんの数個しか存在しない。

 ヴァルグレイド自身に用いたときは、レベル五千までの値を示し、その後、測定不能になった。

 その時以外にレベルを測り損ねたことはなく、ヴァルグレイドが用いるまでは、完全な解析魔道具と思われていた。


「今度も、壊しても構わぬぞ」


 ヴァルグレイドが、くつくつと笑って言った。


「ご、ご冗談を」


 もし、仮にレベル五千を超える者が存在するとしたら、ここにいる魔王でさえ太刀打ちできない。

 そんな存在を待ち望むかのような言葉を吐けるのは、この規格外の大魔王だけだろう。


「どうせ、人間界には、我が退屈を紛らわせてくれるほどの者などおらぬと思っていた。

 だが——」


 唇の端が、ゆっくりと吊り上がる。


「今、その退屈が裏切られた」


 爆ぜ散った宝珠片が光を反射して、黒曜の間に淡い輝きを撒き散らしている。


 その中心。

 先ほど「二人の子ども」が映った一瞬の残像が、ヴァルグレイドの脳裏に微かに引っかかっていた。


 くすんだ金髪の少年。

 栗色の髪の少女。


 姿はありふれた人間の子供でしかなかった。


 だが、そのどちらか——あるいは両方——が、

 レベル五百まで測定可能な宝珠を、ただ「視た」だけで破壊し尽くした。


「……よい。退屈でないなら、それでよい」


 大魔王の微かな笑みは、魔界の覇者としてではなく、

 一個の「強者」としての笑みだった。


※※※※※


 程なくして、黒曜の間には、より巨大で、より濃密な魔力を帯びた宝珠が運び込まれることになる。


 レベル五千まで測定可能な、最高品質の遠見の宝珠。


 人間界の辺境の農村エルナ村、その一角に暮らす「村娘アリア・メイスン」を視界に捉えた瞬間、

 魔界の覇者自身の運命をも巻き込んで爆ぜることになるとは、


 この時の誰も、まだ知らなかった。

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