エルナ村のカイル④:モブの俺と幼馴染のカウンター
村はずれの森の入口までの道は、ほとんど体が覚えている。
畑の脇の細いあぜ道を抜けて、小川沿いに少し歩き、石がごろごろした浅い流れを渡る。
そこから先、木々が密になってくるあたりが、村の子どもたちの“仕事場”だ。
仕事場、といっても、俺たちにとっては遊び場でもあるのだけれど。
「ほら、あった!」
アリアが落ち葉だまりをかき分けて声を上げた。
しゃがみ込んだ足元には、硬い殻に包まれた木の実がいくつも転がっている。
この辺りによく生えている、大きめの実をつける木——名前はよく知らないが、くるみに似た味がするので、便宜上くるみと呼ぶ。
割ればおやつになるし、ちゃんと乾かして保存すれば、冬を越すときの貴重な食料になる。
「こっちにもあるぞ」
少し離れたところでも、同じ年頃の子たちがしゃがみ込んでいる。
森の入口での木の実拾いは、子どもたちにとって、半分仕事で半分遊びだ。
俺たちくらいの年だと、本格的な畑仕事にはまだ体力が足りない。
鍬を一日中振り続けるのは、大人の役目だ。
その代わりに、子どもたちは森の入口で木の実や山菜を拾ってくる。
遊びながら出来る、生活の延長みたいな仕事。
籠を一つ満たせば家の役に立って、夕飯に一品増えるかもしれない。
それが、ちょっと嬉しい年頃だ。
「カイル、そっちの方見てきて! 昨日、いっぱい落ちてたの」
「はいはい」
アリアに言われるまでもなく、足は勝手に“いつもの場所”に向かっていた。
大きな木の根元、少し土が盛り上がっているあたりは、毎年たくさん実が落ちる。
落ち葉をどかしながら、ひとつずつ拾い上げていく。
指先に伝わる殻のざらつき。硬さ。しゃがむと香ってくる森の土の匂い。
こういう感触は、前世では味わったことがない。
ゲームの採取クエストは、ボタンを押せばアイテム欄に勝手に入っていた。
こっちの世界では、一個ずつ拾って、籠に放り込んでいく。
(……良くも悪くも、そういう世界なんだよな)
ステータスウインドウがどうとか、レベルがどうとか言っても、実際の暮らしは、こういう地道な作業の積み重ねだ。
木の実を拾って、冬の備えをして、畑を耕して、雨を気にして、風の様子を見る。
そうやって生きていく村の子どもの一人が、自分——のはずだ。
ふと、視界の隅で白い板がちらついた気がして、反射的に意識を逸らした。
(……今は見ない)
アリアの頭の上で、相変わらずレベルがカチカチ増え続けているであろうことは、考えない。
ここで数字を見てしまうと、「木の実拾い」という日常の中にまで、あの桁外れの非日常が入り込んでくる気がした。
「カイルー、見て見て! こんなに拾った!」
振り向くと、アリアが両手で抱えきれないくらいの木の実を抱えていた。
案の定、バランスを崩して、足元にどさどさっとこぼす。
「だから籠使えって……」
「だって、いっぱいあって嬉しくなっちゃったんだもん!」
頬を少し泥で汚しながら笑うアリアは、どう見ても「四十三京レベルの何か」には見えない。
村の女の子。
木の実拾いに夢中になっている、ただの幼馴染。
そういう「普通」の姿と、頭の中の異常値が、まだうまく重ならない。
(……考えるな、見るな、気にするな)
世界のバグだの何だのは、一旦脇に置いて。
籠に木の実が一つ増えるごとに、冬の食卓が少しだけ豊かになる。
その実感の方を、今は優先しよう。
そう思いながら、俺は落ち葉をかき分ける手を、もう少しだけ早く動かした。
※※※※※
ひと通り木の実を拾って、籠がそこそこ重くなってきた頃。
一緒に来ていた他の子たちは、先に村へ戻っていった。
森の入口には、俺とアリアだけが残る。
ひんやりした木陰の空気。
足元には、踏みしめられた落ち葉と、ところどころ覗く黒い土。
アリアは、自分の籠の中身を覗き込んでから、ふうっと一つ息を吐いた。
「ねえ、カイル」
その声の調子が、いつもと少し違う気がして、俺は顔を上げる。
「最近さ、ちょっと変だよ」
「何がだよ」
「カイルが」
真正面から言われて、言葉に詰まる。
アリアは、籠を地面に置いて、両手を腰に当てた。
村の母ちゃんたちが子どもを叱るときにするポーズ、そのまんまだ。
「この前も、遊ぼって言ったら『用事ある』って言って、村長さんとこ行ってたでしょ。
その前はハンナお姉ちゃんのとこで街の話聞いてたし。
あと、バートンさんにも、外の森とか街道の先がどうなってるか、いろいろ聞いてた」
「……よく見てんな」
「見えるよ」
アリアはむっとした顔で言う。
「だって、ずっと一緒にいたんだもん。
カイルがどこ行ったかくらい、分かるよ」
それはまあ、そうだ。
俺の方も、アリアがどこにいるかだいたい察しがつく。
朝なら家の前か井戸の辺り、昼なら畑か森の入口、夕方はだいたいハンナの店に顔を出す——みたいな具合で。
「それでね……」
アリアは、少し俯いて地面を足先でつついた。
「……カイル、村のこと、嫌になっちゃったのかなって」
「は?」
「だって、外のことばっかり聞いてたから。
もっと遠くの街とか、王都とか、他の村とか。
……もしかして、ここからどっか行っちゃうのかなって」
言葉はそこまでだったが、その顔には、別の不安が透けて見えた。
——自分のことが嫌いになったのか。
そう聞かれた気がした。
アリアは口に出さない。
けれど、眉尻の下がり方とか、視線の泳ぎ方とか、十年分の付き合いで分かる。
それがまた、こっちの胸に刺さる。
「……別に、嫌になったわけじゃない」
とりあえず一番大事なところから否定しておく。
「ほんと?」
半歩、こちらに踏み出してくる。
その頭上で、レベルが——
【ステータス】
名前:アリア・メイスン
種族:人間
年齢:10
レベル:435,494,881,145,271,103
視界の隅で、白い板がまたちらついた。
規則正しい呼吸みたいに、じわじわと増えていく数字。
(うるさいな……)
心の中で、ステータスウインドウに向かって悪態をつきたくなる。
アリアの顔は、どこまでも分かりやすい。
不安も、怒りも、嬉しさも、全部そのまま出てくる。
どう見たって「普通の幼馴染の女の子」でしかない。
その頭の上で、四十三京いくつのレベルが、不気味なまでに規則正しく増え続けている。
この世界で、その異常さを知っているのは、俺だけだ。
けど、考えてもみろ。
俺に、こんな雑なステータスウインドウを覗くだけの力を授けてきながら、ここまで一切の説明なし、チュートリアルなし、サポートキャラなし。詫び石だか詫びチートもなし。
この世界の神だか運営だか知らないが、限りなく雑で胡乱な奴なのは間違いない。
なら、絶対に俺にだけじゃなくて、全部の仕事が雑でいい加減に決まってる。
ステータス表記がバグってる奴がいて、それが放置されてても何もおかしくない。
(そうだ、バグってるのは俺でもアリアでもない。世界とかシステムの方だ)
どういう手違いがあれば、レベル四十三京なんて値が出てくるのか。
想像するだけで頭が痛くなってくる。
知りたいかと聞かれれば、まったく知りたくない。
だったら——
(……じゃあ、もう“そういうもの”ってことにしよう)
俺は意識を敢えて逆方向に振り切った。
アリアのレベルは、何かのタイマーとかカウンターなんだろう。
デバッグもロクにできない雑な運営が、アリアのレベル欄に間違った数値を置いた。
意味は分からないけれど、とにかく時間と一緒に増えていくなんかの数字。
強さとか、才能とか、そういうものとはたぶん別に動いている、ただの訳の分からないカウントだ。
もうそれでいいじゃないか。
こんなものに「意味」を見出そうとするから、怖くなる。
「強さの指標」とか「世界の法則」とか考えるから、息苦しくなる。
そういうのは全部、放り出してしまえばいい——
「……なあ、アリア」
「なに?」
「俺、たぶん、ちょっと外の話が気になってただけだ。
村のことが嫌になったとか、そういうのじゃない」
アリアの視線を正面から受け止めながら、言葉を選ぶ。
「戦争とか、魔物とか、怖い話もあるだろ。
だから、一応どんなもんか聞いておきたかっただけだよ。
……村で、このまま生きてくつもりなのは、変わってない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
今度ははっきりと言い切る。
「ここで畑やって、こうして木の実拾ってさ。
そういうの、嫌じゃないし。
お前がいるなら、なおさらだ」
アリアの頬が、ゆっくりと赤くなっていく。
「……なおさらって、なに、それ」
「そのまんまの意味」
自分でも少し気恥ずかしくなって、視線を外した。
木々の隙間からのぞく空は、よく晴れている。
視界の端で、レベルの下四桁がまた動く。
……1,114。
……1,115。
ふと、数を数えてみたくなった。
(いーち、にー、さーん、よーん……)
心の中で、ゆっくりと数える。
自分の呼吸に合わせるように、一秒一つくらいのリズムで。
……数えている間、レベルの下の数字も、だいたい同じくらいのテンポで増えていく。
ぴったり合っているかどうかまでは分からない。
でも、「時間っぽい」のは確かだ。
(ああ、やっぱり“秒数カウンター”だな、これ)
正確かどうかなんて、どうでもいい。
アリアのレベルはアリアのレベルであって、同時に「よく分からない時間カウンター」なんだ。
そう思ってしまえば、「四十三京レベルの化け物」として見る必要はなくなる。
アリアはアリアで、俺の幼馴染で、普通の村娘。
その頭の上で、訳の分からないカウンターが勝手に回っているだけ。
それでいい。
そう決めてしまえば、ほんの少しだけ胸の重さが軽くなった気がした。
「……ねえ、カイル」
アリアが、おそるおそるといった風に口を開く。
「じゃあさ。わたしと遊ぶの、やめたりしない?」
「しないよ」
即答できた。
「たまに、ちょっと考え込んでるかもしれないけどな。
でも、それはそれ。そういうこともあるだろ」
「……よく分かんないけど」
アリアは、ぽかんとしたあと、ふっと笑った。
「じゃあ、いっか」
これがこの子のいいところだ、と心底思う。
分からないものを、無理に全部分かろうとしない。
分かる範囲で受け止めて、「じゃあ、いっか」と笑える強さ。
自分も少し、その真似をしてみよう。
ステータスの意味は分からない。
レベルの数字も、四十三京なんて桁になると、もう考えるだけ無駄だ。
だから、考えないことにする。
アリアのレベルは、秒数がどうとか、世界の理がどうとかじゃなくて——
(……ただの“アリアカウンター”だ)
この子が今日もここにいる、ということを、適当なスピードで刻んでくれている数字。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう思った瞬間、胸の奥で何かがふっとほどけた。
思考を放棄した、というと言葉は悪いかもしれない。
でも、余計なことを考えるのをやめたら、確かに気持ちは楽になった。
「よし、もうちょい拾ったら帰るか」
「うん!」
アリアが元気よく頷く。
その横で、レベルの下四桁がまた少しだけ進む。
……1,228。
……1,229。
それを横目で見つつ、俺は籠を持ち直した。
四十三京レベルの幼馴染と、レベル三のモブの俺。
その間に横たわる意味の分からない数字の差を、一旦全部棚上げにして。
今はただ、冬に向けて木の実を拾うことだけを考えることにした。




