ある村の平凡な一日
俺は異世界転移者だ。
ある日、着の身着のまま見知らぬ世界に放り出された。
神の声も、チュートリアルも、職業選択画面もない。セーブもロードもなし。
それで、「さあ生き延びろ」って?
上等だ。こんな状況だからこそ“主人公”は輝く。
そう、俺の目の端には――最初から“答え”が出ていた。
(ステータス)
視界の隅に、白い板がぬるりと浮かぶ。
半透明の四角。黒い罫線。整った枠――世界が俺にだけ差し出した、取扱説明書。
【ステータス】
名前:釜瀬 陽翔
種族:人間
年齢:18
レベル:1(+92)
HP:24(+210)
MP:10 (+98)
筋力: 8 (+65)
器用:10 (+82)
敏捷:13(+111)
体力: 9 (+41)
知力: 7 (+78)
魔力:11(+68)
精神: 6 (+34)
状態:異常なし
技能:剣術、槍術、斧術、弓術、盾術、隠密、火魔法、水魔法、風魔法、土魔法、神聖魔法、etc
耐性:毒耐性、麻痺耐性、石化耐性、魔法耐性、精神耐性、物理耐性、etc
弱点:なし
特殊:【強欲】、透明化、詠唱短縮、消費軽減
称号:【異界からの来訪者】【簒奪者】【盗人】
……おわかりいただけただろうか。
俺の“当たり”は、ここにある。
【強欲】――対象を認識して念じるだけで、レベルも能力も技能も耐性も、何でも奪う。
戦って勝つ必要はない。触る必要もない。視線すら合わせなくていい。
持ってるやつが勝つ。世界のルールは簡単だ。俺はそれを、“最初から”握っていた。
世界は俺を主人公として扱う準備ができている――そう確信できた。
だから俺は、街の衛兵から筋力や剣術を抜いた。
魔術師から詠唱短縮と魔力を抜いた。
凄腕の狩人から隠密を抜いた。
神官から神聖魔法を抜いた。
奪われた側は気付かない。気付いたとしても証拠がない。
ざまぁだ。
最初は失敗もした。
自分より高いレベルの相手からは奪えない仕様に気付くまで、いくつか痛い目も見た。
でも、そこからは作業だ。雑魚からコツコツ吸って、次の雑魚、また次の雑魚。
積み上げて、積み上げて――いつか丸ごと俺のものにしてやる。
まだ遭ったことは無いが、この世界には”神の加護”を持った特別強い連中がいるらしい。
有名どころは、聖剣の勇者アルヴィン、光の聖女フレデリカ、双剣姫レイア、魔弓リィエ。
こいつらは別格扱いされている。いかにも“勇者パーティ”って連中だ。
けど、所詮は現地人、NPCだろ?
聖剣の加護? 女神の祝福?
そんなもの、“主人公の俺”が持つべきに決まってる。
俺はまだ“実戦で名を上げてない”だけだ。
名を上げるのはいつでもできる。土台はもうできている。ビルドも、動線も、効率も。
戦いってのは事前にどんだけ積み上げられるかだ。
俺の実戦デビューは積めるだけ積んで完成してからにする。
※※※※※
俺は今、街道を一人歩いている。
透明化と隠密スキルがあるから、戦闘に巻き込まれる心配はない。
前の町では少し派手にやりすぎた。
衛兵どもが行き来していて、余所者や不審者に目を光らせていた。
高レベルの看破持ちとかが出てくる前に、姿をくらませるのが正解だった。
切り抜けられないことも無いだろうが、手配書なんかで有名になる気はない。
次の目的地はカルロバとかいう小さな町。
その途中、街道脇にぽつんと村があるのが見えた。
エルナ村。
森に面したちっぽけな村だった。
畑と牧草地。煙の細い家がぽつぽつ。しょぼい柵。しょぼい立札。
群れからはぐれた羊がノロノロ歩いてて、やる気の無さそうな犬がトボトボついて回ってる。
地図から省略されそうなモブ村だ。
イベントなんかあるわけがない。
こんな村でも能力値の足しになるかもしれない。
もしかしたら、埋もれてる才能とか能力だって見つかるかも。
透明化のまま、何人か摘んで、さっさと抜ける。いつもの段取りで行くことにした。
村に入ってすぐ、最初に目に入ったのは少女だった。
歳は十六くらい。
栗色の髪をまとめて、籠を抱えて歩いている。中身は卵と、野菜と、……チーズ?
服は田舎の村娘そのもの。土と草に馴染む色。
顔は、まあまあ。悪くない。モブにしては可愛い部類。
今日はこの子でいいか、と思える程度には。
スタイルはちょっと物足りないが。
指に細い輪が光った。指輪。……結婚してるのか?
田舎者とヤンキーの結婚が早いのはこっちの世界でも同じらしい。
いや、十五くらいで成人扱いって話だったか?
田舎娘は透明化した俺の存在に、当然気付かない。
俺は遠巻きに距離を取ったまま、心の中で“対象”として認識する。
ステータス? 見る必要がない。
どうせモブの村人娘A。レベル一桁か、せいぜい十数。
奪えるのは家事技能とか料理技能とか、そういうショボい類だ。
俺は口元だけ笑って、息を吸った。
(【強欲】起動)
――……。
何かが、音もなく砕けた。
砕けたのは空気じゃない。土でもない。
目に見えない“仕組み”の方だ。
歯車が噛み合って回っていた感触が、いきなり無に変わる。
俺の中の何かが、根元からひっくり返った。
次の瞬間、胸の奥がぐしゃっと潰れるような痛み。
「……っ、が……!」
膝が折れた。世界がぐらりと傾く。
視界の端が白くなって、喉の奥が冷える。
胃が浮く。心臓が、氷水に漬け込まれたみたいに縮む。
いや、違う。
縮んでるのは心臓じゃない。
俺の“力”だ。
いつも感じていた、余裕みたいなもの。
歩くだけで地面が軽くなる感覚。息を吸えば世界が従う錯覚。
――あれが、抜けた。
抜けたというより、吹っ飛んだ。
俺は反射的に自分のステータスを開く。
(す、ステータス!)
【ステータス】
名前:驥懃?ャ 髯ス鄙
種族:莠コ髢
年齢:18
レベル:1
HP:24
MP:10
筋力:8
器用:10
敏捷:13
体力:9
知力:7
魔力:11
精神:6
状態:遐エ謳
技能:なし
耐性:なし
弱点:驕句兇
特殊:なし
称号:縲千焚逡後°繧峨?譚・險ェ閠??代?千ー貞・ェ閠??代?千尢莠コ縲代?仙剱縺セ縺帷堪縲代?宣俣謚懊¢縲
……は?
そこに、俺の名前がない。
文字が読めない。表示枠はあるのに、中身が“情報として受け取れないもの”で埋め尽くされている。
ぐにゃぐにゃした、意味のない線。
見ているだけで目が痛くなる羅列。
レベルも能力値も、初期値に戻されていた。
苦労して集めた技能と耐性が消えている。
そして何より――
特殊能力が、空っぽだ。
【強欲】が、ない。
「……な、なに……?」
声が掠れた。
掌を握ろうとして、震えた。指が言うことを聞かない。
今までなら石を握り潰せたはずの手が、ただの手に戻っている。
身体の中心が、空洞みたいだ。芯が抜けたみたいに、軽くて、弱い。
俺は……奪われた?
いや、そんなはずはない。奪う側は俺だ。
俺が世界の仕様を食って――
視界が揺れた。
目の前で、少女がぱちぱちと瞬きをしている。
こっちを覗き込むように、少し身を屈めて。
琥珀色の目がこちらを捉えていた。
――透明化が解除されている?!
「あの、だ、大丈夫? えっと……旅人さん?」
声は普通だった。警戒も、怯えもない。
ただ、道端で転んだ人間を見て困ってるだけの、素朴な心配。
俺の喉が、ひゅっと鳴る。
今、何が起きた。
俺は何をされた。
「……っ、な……」
呻くように口を開くと、少女は籠を横に置いて、しゃがみ込んだ。
土と草と、少し甘い匂い――蜂蜜? ハーブ? 生活の匂い。
「顔、真っ青だよ。お水いる? えっと、待って。くんでくるね?」
少女が背を向けてどこかに行こうとする。
この女が、俺を壊したのか?
ステータス……そうだ。ステータスは出てきた。
俺の閲覧能力は、まだ機能している。
なら、こいつを見ればいい。
原因が分かる。分かれば対処できる。世界は俺のための舞台なんだから――
俺は震える息のまま、少女を“認識”し直した。
(……ステータス)
ウインドウが現れ、少女の情報が映し出される。
【ステータス】
名前:アリア・ローレン
種族:人間
年齢:16
読めた、俺の名前は読めなくなってるのに、なんでこいつのは。
視線をそのまま下に滑らせる。
そこには――
レベル:435,494,881,362,998,331
ありえない長さの数字の羅列があった。
何桁あるんだ……レベル? これが? そんな馬鹿な。
しかも、だ。
...8,332
...8,333
...8,334
こいつ……動くぞ!?
レベルの末尾が、じわじわ動いていた。
何もしていないのに秒単位で増えている。増え続けている。
俺の喉が、ひゅっと鳴った。
じわじわ増えていくレベルから目を背けるように、能力値欄を見た。
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「……は?」
世界観が、崩れていく音がした。
場違いな誘導文。意味のない煽り。見たことのあるテンション。
異世界に転移した筈なのに、元いた世界のカスみたいな文化がそこにあった。
他の能力値の欄にもゴミみたいなテキストが並んでいた。
――状態欄。
状態:(ノ*'ω'*)ノ~~~~♡
技能:| ∩∩
耐性:|(・x・)
弱点:|⊂ノ
――特殊能力欄。
特殊:チーズ、卵、ベーコン、蜂蜜、ブローチ、子ども
俺の頭が理解を拒絶した。
……何だよこれ。
顔文字? 買い物メモ? 誰が書いてんだよ!
そして。
称号欄に視線が落ちた瞬間、背骨が氷みたいに冷えた。
称号:
【ERROR】【一般保護違反】【特異点】【0x00000FFF】
【大魔王を下したもの】【火気厳禁】
【女神を下したもの】【あなたの健康を害する恐れがあります】
【太古の邪霊を下したもの】【急の腹痛に効く!】
【転生者を落したもの】【カイル・ローレンのお嫁さん】
【外なる邪神を下したもの】【閲覧禁止】
【宇宙颱風を下したもの】【今日の降水確率は70%】
【次元震を下したもの】【v=H0r】
【転移者を下したもの】【AI学習禁止】
……宇宙颱風?
次元震?
外なる邪神?
何だよそれ。
ジャンルが違うだろ。スケールが違う。物語の枠が違う。
少女――アリアは、俺が硬直しているのに気づかず、たったか井戸の方に走っていった。
その後ろ姿が、あまりにも普通で。
すぐ傍に置き去りになった籠の中の卵があまりにも現実で。
さっきトボトボ歩いていた犬が近くを通りかかった。
俺の方を見て、ふんふんと鼻を鳴らして。バフッと吠えた。
その気の抜けた吠え声が、俺を現実に引き戻した。
俺の中で築いてきた“転生者のセオリー”は跡形もなく吹き飛んだ。
奪って、成り上がって、無双して、ハーレム。全部、全部なくなった。
その原因の村娘が――井戸から水を汲み上げて、こちらを振り返った。
「ひっ……」
声が漏れた。
喉が勝手に鳴って、肺が勝手に縮んで、身体が勝手に逃げ出した。
「ひぃぃぃぃっ!!」
俺は逃げた。
走った。必死に走った。
転びそうになって、足がもつれて、呼吸が痛いほど浅くて、それでも走った。
背中に視線が刺さる気がして、振り返る余裕もなく、ただ村の外へ、森の気配が薄い方へ、街道へ。
背後で、少女の声が飛ぶ。
「えっ!? ちょ、ちょっと、待って! 旅人さん! ほんとに――」
待てるわけがない。
俺は、世界から逃げ出すみたいに走り続けた。
叫びながら、街道へ飛び出した。
助けてくれ。
誰でもいい。
勇者でも女神でも、何でもいい。
いや。
――女神はもう倒したみたいな称号、あったな……。
※※※※※
井戸水の入った桶を抱えたアリアは、走り去る背中をぽかんと見送った。
「……なんだったんだろ」
首を傾げる。
気がついたら道端に変な人がいて。
なんか凄い顔色でぶつぶつ言ってた。
お水を汲んできてあげたら凄い勢いで走っていってしまった。
アリアは一歩踏み出して、それからやめた。
追いかける理由が、見つからない。
良く分からないけど、病気とかそういうのじゃなかったみたい。
そこへ、畝の向こうから声がした。
「アリア? どうした」
カイルが、鍬を肩に担いで歩いてくる。
十六歳。背も伸びて、顔つきも少しだけ大人になった。
なのに、目の芯は昔のまま、まっすぐで落ち着いている。
アリアは籠を持ち直して答えた。
「……わかんないの。旅人さん?が居て……なんか、走ってった」
「走ってった?」
カイルが、街道の方を見る。
遠くに小さく、影が跳ねる。
村を出たばかりの人間とは思えない必死さで、消えていく。
カイルは眉をひそめた。
「変な奴だな……なんかされなかったか」
「うん、大丈夫!ありがと。えへへ」
アリアはそれだけ言って、また歩き出した。
籠の中で芋がころんと転がる。
土の匂いが、指の隙間に残っている。
「そっか。なら良し……それ、昼飯用か?」
カイルが言う。
「そうだよ。お芋と卵はエレナお義母さんから。ヘンリーおじさんのとこからチーズ!
あっ!バートンさんからベーコンも分けて貰っちゃった!イノシシのやつ!」
アリアは籠の中から”戦利品”を取り出して見せびらかす。
畑の作物との物々交換にしてはかなりの大戦果だ。
「お前、無茶なおねだりとかしてないだろうな……」
「してない!すっごい美味しかったって言っただけだもん」
アリアに悪びれた様子はなく、無理な交換を迫ったわけでもない。
おそらく、新婚補正。そして、心から美味しそうに食べてくれるから。
「はぁ……今度、礼になんか持ってくか」
「大丈夫、ヘンリーさんちは羊の刈り込み手伝ったお礼!
あとバートンさんにはハンナお姉ちゃんのひみ――……あ。
今の!秘密!相談なんて受けてないから!お姉ちゃんにも言ったらダメ!」
「バートンさん、マジか……」
村の煙突から、今日も細い煙がのぼっている。
風は冷たくて、でも、夕方の匂いはいつも通りだ。
遠くて羊番の犬の気の抜けた鳴き声が響く。
何事もなかったみたいに、日常は続く。
何でもない日のまま、特別が積み上がっていく。
――少なくとも、この二人の間では。
めでたしめでたし




