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エルナ村のアリア⑦:フローレンス商店と、特別じゃない日の特別

 ミーナちゃんたちが帰る日まで、村は少しだけ“祭りの後”みたいな日々だった。

 お祭りっていうほど賑やかじゃなくて、でも、普段とは違って。


 そして、ああ、終わっちゃうんだって気持ちが、いつもどこかにある感じ。


 畑で四人で鍬を振ったりもしたし、川に行けばミーナちゃんが満タンの水桶を両手に持って、すーって軽々運んで村のおばちゃんたちをざわつかせたし、カイル以外の男の子は上から下まで、あの二人に夢中だった。

 ハンナお姉ちゃんはユリさんから料理を教わって、手に入らない材料を何で代用しようかって二人で楽しそうに試して、わたしたちに振る舞った。初めての味だけど、おいしかった。


 わたしは朝の「おはよう」をちゃんと言えるようになったし、ミーナちゃんが話しかけてきたら、ちゃんと返せるようになった。

 変なモヤモヤも、わたしなんかって気持ちも、だんだん収まっていった。


 ミーナちゃんが何かを確かめているみたいなのは分かる。

 まだ、わたしのことを怖がってるのに近づいてくる感じも、変わらないままだった。

 だけどそれが、もう嫌じゃなかった。


 怖いのに近づいてくるって、変だけど。

 変だからこそ、ほんとに頑張ってるってことでもある。


 わたしだって、そうだったから。


※※※※※


 出立の朝は、早かった。


 見送りは、いつものうちの村だった。

 芋を包む人、干し肉を押しつける人、余った布を「寒いでしょ」ってねじ込む人。

 ハンナお姉ちゃんも「暇だから」って顔で混ざってた。


 ミーナちゃんは荷を背負ったまま、少しだけ周りを見て、吸い込むみたいに息を入れていた。

 その仕草が、なんだか“覚えておく”って感じで、わたしは勝手に焦った。


 行かないで、って言えない。

 言っちゃいけない気がする。

 旅人は旅人で、村は村で、わたしはわたしで――それを壊すのが怖い。


 わたしは最後まで落ち着かなかった。

 何か渡したい、何か言いたい、でも変なこと言って重くしたくない。

 その間で、足元だけが忙しくなる。


「これ持ってって! あと、これも! それと、これ……!」


「十分です、アリアさん」


 ユリさんに止められても「でも!」って言ってしまう。

 自分でもわかってる。わたし今、見送りのテンションじゃなかった。


 ミーナちゃんがわたしを見る。

 赤い瞳が柔らかくて、優しい。


「ありがとう」


 それだけで十分だった。

 わたしは胸がきゅっとなって、言葉がつまってしまった。


 見送りの輪が少し散ったところで、ミーナちゃんがカイルを呼んだ。


「カイル」


 声は静かで、でも、芯があった。

 カイルが一歩前に出る。わたしもつい、半歩だけ寄ってしまう。


 ミーナちゃんは周りを一度見回して――それから、変なことを言った。


「……もし、自分より圧倒的に強い相手が、すぐ傍にいると気付いてしまったら。あなたなら、どうする?」


 ミーナちゃんの声が静かすぎて、周りの物音が一段遠くなった。

 ユリさんの笑みが止まって、カイルのまばたきが一回だけ遅れる。


 わたしは、と言うと、なにがなんだかわからない。


 強い相手? すぐ傍? どうする?

 なにそれ、なんの話? なぞなぞみたいな? 旅人の挨拶ってそういうのもあるの?


 わたしが意味わかんない顔をしてる間に、カイルは真面目に考えて、真面目に答えてた。


「殴りかかってくるなら、逃げる。危ない奴なら、距離を取る」


 うん、それは分かる。普通。

 でも、次がちょっと分かんなかった。


「でもさ。相手にその気がないなら、別に……普通に付き合えばいいんじゃね」


 圧倒的に強いっていうと、熊とか狼……?

 でも、遠吠えが聞こえるくらいなら――村に来なければ、まあ……気にしない。

 村の中にいたら無理。畑も羊も終わる。こわい。

 ……だから、「来ないなら普通にしてられる」ってこと? よくわかんないけど。


 なんで今、そんな話してるの?


 ……って思ったのに。


 カイルはそこで急にわたしを見る。


「なあ、アリア。もしさ。もし、お前に手の一振りで山を吹っ飛ばすくらいの力があったら、どうする? 壊すか?」


 え?


 なんでわたし?


 しかも、山を吹っ飛ばすとか、急に怖い話やめて。


「なにそれ、こわい。するわけないでしょ」


 口が勝手に答えてた。

 考える前に、体が先に首を振ってた。


 山の斜面にいた羊と犬たちがわーってこっちに逃げ出てきて、もみくちゃにされる場面が思い浮かんだ。

 羊飼いのヘンリーおじさんは怒ると怖いの知ってる。

 チーズとバターを分けてくれなくなったら大変だ。


「住んでる動物も困るし、麓の人も困るじゃん。絶対怒られるでしょ」


 言い終わってから、変な間が落ちた。


 カイルはちょっと笑ってる。

 ミーナちゃんは……目が、少しだけ緩んでる。

 ユリさんの肩が、ふっと落ちた。息が戻る感じが、分かるくらいに。


 え、なに、いまの。

 なにか危なかったの?

 わたし、なにもしてないのに?


 ミーナちゃんが、ちょっとだけ不格好に笑って言った。


「……そう。そうよね」


 それから、わたしを見る。

 赤い瞳が、宝石みたいなまま、今は少しだけ柔らかい。


「あなたと友達になれて、よかった」


 ……友達。


 その言葉が、胸の真ん中に落ちた。

 重いはずなのに、落ちた瞬間にふわっと軽くなるみたいな、変な感覚。


「え、なに、急に……」


 わたしがもごもごすると、ミーナちゃんは視線を逸らして、でも逃げないで言った。


「急じゃないわ。……私は、こういうの、口にするのに慣れてないだけ」


 よく分かんない。

 何の話かも、何が危なかったのかも、まだよく分かんない。


 でも、ミーナちゃんとユリさんとカイルの空気が、わたしの一言でほどけたのだけは分かった。

 ほどけたあとに、ミーナちゃんが“よかった”って言ったのも分かった。


 だから、わたしはそれだけで返した。


「……よく分かんないけど、よかった」


 自分で言って、自分で笑ってしまった。

 ミーナちゃんも、ほんの少しだけ笑った。


 ミーナちゃんは小さく手を上げ返して、ユリさんは静かに頭を下げて。

 二人は街道の方へ歩いていった。


 背中が遠くなっていく。


 いつもなら、旅人ってそういうものだって分かってるはずなのに。

 今回は、分かってるのに追いかけたくなる。


 胸の奥に小さな空洞ができて、そこを風が通っていくみたいだった。

※※※※※


 数日後。


 二人が行っちゃったあと、村はすぐに日常に戻った。

 畑も家畜も待ってくれないし、井戸の水も自分で汲むしかない。


 夕方の帰り道は、ほんとに、いつもと同じだった。

 道具を片付けて、土を払って、家に戻って、ごはん食べて寝るだけの、いつもの道。


 だから、油断してた。


「……カイル、今日なんか変」


 わたしが言うと、カイルは即座に否定した。


「変じゃない」


「変だよ。朝からずっと変」


 カイルはこういう時、変なところで頑固だ。

 でも、わたしも頑固だから、引かない。


 そしたら、カイルが立ち止まった。

 いつもの道の真ん中で、夕焼けの匂いの中で、何も特別じゃない場所で。


「アリア」


「なに」


 その声が、ちょっとだけ低い。

 喉の奥がきゅっと鳴って、わたしは息を浅くする。


「……俺さ」


 なに、その溜め。

 やめて。怖い。なに言うの。


 お願いだから、言って。

 お願いだから、言わないで。


 両方が同時にある。


「お前のこと、好きだ」


 ――耳が熱い。


 夕焼けのせいじゃなくて、顔が熱い。

 世界が一拍遅れて動くみたいに、音が遠くなる。


「え……」


 わたしの声、情けないくらい小さい。

 カイルは逃げないで続けた。


「幼馴染とか、家が隣とか、そういうのじゃなくて。この先もずっと、一緒にいたいって思ってる」


 そういうのじゃなくて、って言われると、逆に胸がぎゅっとなる。

 だって、そういうのも、わたしの中では大事だったから。

 でも、カイルはたぶん、もっとちゃんとした言葉にしたいんだ。


 ああ、でも……ちがう。

 そういうのは、もっとさ。


 お祭りとか。

 星がすごく綺麗な夜とか。

 特別な場所で、特別な気持ちで、特別な言い方で、特別に――って。


 なんで、いま?

 なんで、いつもの道?

 なんで、畑仕事のあと?

 いま、きっと土の匂いしてるのに?


「……え、あ……な、なんで……っ、い、いま……っ?」


 声が裏返って、悔しい。


 カイルは少しだけ困った顔をして、照れた顔をして少し目を逸らす。


「……いつだっていいだろ、別に」


「よ、よくない! ぜんぜん、よくないっ!」


 意味が分からない反論が口から出る。


 特別な時に言ってよ、とか。

 ちゃんとしてる時に言ってよ、とか。

 わたしの髪が変じゃない時に言ってよ、とか。


 ずるいって分かってるのに、口が勝手にそう言う。


 だって、今言われたら、今ここで、ちゃんと言わなきゃいけない気がして怖い。


 カイルが少しだけ眉を上げる。


「じゃあ、いつだったらいいんだよ」


「そ、それは……っ、お、お祭り、とか! なんか、特別な時とか……っ」


 言いながら、恥ずかしくて死にそうだった。

 わたし、なに言ってんの。ほんとに。


 でも、カイルは笑わなかった。

 からかわなかった。


 ただ、もう一回言った。


「好きだ」


 今度は、胸の奥がどんって鳴って、わたしの中の変な意地がほどけた。


 肩が震える。

 泣くかと思った。でも、違う。

 笑いが出る。勝手に出る。止まらない。


「……いきなりすぎ」


「今、言わないとって思った」


「変だよ」


「……悪い」


「なんで謝るの」


 わたしは泣きそうなのに、笑いそうで、顔がぐちゃぐちゃになる。

 でも、それでも言わなきゃって分かった。


 ここで逃げたら、ずっと後悔する。


 わたしは顔を上げて、カイルを見た。


 カイルの目が、怖いくらい真剣で。

 真剣なのに、わたしが知ってる“いつものカイル”でもあって。

 そのせいで、余計に泣きそうになった。


「……わたしも、カイルのこと……好き」


 言うのに、ちょっとだけ勇気が要った。

 口に出した瞬間、世界がまた動き出して、音が戻って、風の匂いが戻って、ぜんぶが眩しくなった。


 カイルは、返し方が分からないみたいに一瞬黙って、それから、ほんとに小さく頷いた。


「……うん」


「……うん、じゃない!」


 わたしは頬を膨らませた。

 膨らませたのに、笑いが止まらない。


 カイルは、困ったみたいに笑って――でも最後に、ちゃんと、もう一回言ってくれた。


「好きだよ、アリア」


 その言葉で、胸の奥がふわふわになった。


「……うん。知ってる」


 知ってるなんて言い方はずるい。

 でも、好きって言葉をもう一回口にするにはドキドキし過ぎてた。


 わたしはカイルの横を歩きながら、何度も息を吸って、吐いて、吸って、吐いた。

 世界が同じなのに、同じじゃない。


 道も、空も、風も。

 全部、少しだけ柔らかい。


 ふわふわのまま、足が地面に付いてないみたいに家に戻って、ごはんを食べて、味がよく分からなくて、夜になっても心臓がうるさくて、寝ようとしても寝られなくて。


 朝になっても、まだ夢の続きみたいだった。


※※※※※


 だから、わたしは行った。


 フローレンス商店。

 ハンナお姉ちゃんのところ。


 こういう時に行く場所は、最初から決まってる。

 カイルに直接言えないことも、ハンナお姉ちゃんになら言える。

 落として、からかわれて、笑われて、でもなぜか最後には安心して帰れる。


 ドアベルを鳴らす。


 カラン。


 乾いた香草の匂いと、甘い茶葉と、蜂蜜。

 その匂いが鼻に入った瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着く。


 ハンナお姉ちゃんは棚の奥から顔を出して、わたしを見るなり口角を上げた。


「あら。今日は早いじゃない」


 わたしが何も言わないのに、目がすっと細くなる。


「……なに、その顔」


「そのまま返すわ。なに、その顔」


 わたしは頬を押さえた。

 熱い。自分でも分かる。ずっと赤い。


「……ちがうし」


「へぇ」


 その一言だけで、もう負けた気がした。


 ハンナお姉ちゃんはカップを二つ出して、いつもの香草茶に蜂蜜を落としてくれる。

 湯気が立つ。

 甘い匂いがふわっと広がる。


「で?」


 来た。

 逃げられないやつ。


 そこで、お姉ちゃんが目を細めた。

 嫌な予感がする。絶対当ててくる。


「――ついに言われた?」


 わたしの喉が、きゅっと鳴った。


「な、なにを……」


「あたしの口から言っちゃって良いのかしら?」


「う、うぅ……」


 恥ずかしい。

 でも聞いて欲しい。


 だって、胸がふわふわしてて、吐き出したくて、誰かに言いたくて、でも村の人に言ったら一日で村中に広がって、カイルの耳にも入ったら――わたしはきっと、なんか、その、あれで、死ぬ。


 だから、お姉ちゃんに言う。

 だって、わたしだけじゃ持ってられないもん。


「……言われた」


「ふうん?」


「いつか言ってくれるかもって、ちょっとだけ思ってたけど……」


「ちょっとだけねぇ」


「ちょっとだけだもん! でも、もっと、特別な時を想像してたの! お祭りとか! 星がすっごく綺麗な夜とか!」


 言いながら、また顔が熱くなる。


「なのに、畑の帰り道で! いつもの道で! いきなり! 好きって!」


「……あはは」


 ハンナお姉ちゃんが笑った。

 軽い笑いじゃない。ちゃんと、嬉しそうな笑い。


「カイルらしいじゃない」


「らしいってなに!」


「特別な日に言うより、”なんでもない日”に言う方があの子らしいってこと」


 その言い方が、なんだか、わたしよりカイルのことは詳しいぞって感じで。

 悔しくて、でも、すとんと落ちた。


 生活の中。

 いつもの道。

 畑の帰り。

 土の匂い。


 ……それって、つまり。


 これからもずっと一緒にいるのが当たり前で言った、ってことだ。


 胸のふわふわが、また大きくなる。

 わたしはカップを両手で包んで、湯気に指先をあっためながら、小さく言った。


「……うれしかった」


「見ればわかる」


「見ただけで分かんないで!」


「だって、顔に書いてあるもの」


「書いてない!」


 お姉ちゃんは、からかうみたいに言って――でもその次、声を少しだけ落とした。


「……で、アリアちゃんは?」


 ハンナお姉ちゃんが、わたしをじっと見る。

 逃げ道をバタンって塞がれた気がした。


「……わたしも、好きって言った」


 言った瞬間、顔がさらに熱い。

 もうやだ。今日のわたし、顔がずっと熱い。


 ハンナお姉ちゃんは、今度こそちゃんと笑った。

 からかう笑いじゃなくて、嬉しそうな笑い。


「そう。やっと言えたのね」


 その声が、ほんの少しだけ優しくて。

 胸の奥がふわっとして、危うく泣きそうになる。


「……言えた、けど」


「けど?」


「……なんか、まだ、変」


 変っていうか。

 夢みたいっていうか。

 自分が自分じゃないみたいっていうか。


 ハンナお姉ちゃんはカップを置いて、頬杖をついた。


「当たり前。いきなり世界が変わった気がするんでしょ」


「……うん」


「でもね、変わってないのよ。畑は畑だし、パンは硬いし、アリアちゃんは相変わらずの食いしん坊」


「普通だもん!」


「食いしん坊でしょ」


 即答された。

 ひどい。


 わたしがむくれると、ハンナお姉ちゃんは笑って、でも次は少し真面目な顔をした。


「アリアちゃん」


 名前を呼ばれると、背筋がちょっと伸びる。

 この人はふざけてるように見えて、いざって時はちゃんと怖い。


「昨日まであなたが怖がってたもの、なに?」


「……」


 すぐには答えられなかった。

 でも、答えは分かってる。


「……カイルが、遠くに行っちゃうのが怖かった」


「うん」


「わたしが置いていかれるのが怖かった」


「うん」


「……ミーナちゃんみたいな子が来て、わたしが比べられるのが怖かった」


 言いながら、胸がきゅっとなる。

 恥ずかしい。

 でも、言えた。


 ハンナお姉ちゃんは、ふっと息を吐いて、わたしの言葉を受け止めるみたいに頷いた。


「で?」


「……カイルは、わたしを選んでくれた」


 選んだ、って言い方が偉そうで、でも違う言い方が見つからない。

 カイルが“いつも”の延長で言ったことだからこそ、そう思う。


「うん」


 ハンナお姉ちゃんは、今度は茶化さなかった。


「だったら、もう怖がる理由が一つ減ったじゃない」


「……でも、また怖くなるかもしれない」


「怖いくらいでちょうどいいのよ。怖いものなしって時の方がよっぽど問題よ」


 それから、わたしの額を指で軽くつついた。


「ま、あなた達なら、たぶん大丈夫でしょ」


「……なんで」


「あなたがここに来て、ちゃんと自分の言葉で話してるから。

 あと、カイルもあなたとどっこいどっこいの、怖がりだから」


 カイルが怖がり。

 そう言われて思い浮かんだのは何故かミーナちゃんだった。

 そっか。二人はちょっと似てるところがあったかも。


 ちゃんとしてて。ちょっと離れてて。でも、あったかい。

 危ないことをするのも、させるのも避けてる感じで……うん、怖がりだ。


 わたしは息を吸って、吐いて、やっと笑えた。


「……ねえ、お姉ちゃん」


「なに?」


「今日のこと、カイルに言わないでよ」


「えー? 相談事は共有しないとねぇ?」


「言ったら、怒るから」


「やっぱり、噛み癖あるじゃない」


「ない!」


 わたしがむきになると、お姉ちゃんは楽しそうに笑って、でも、ちゃんと頷いた。


「言わない言わない。代わりに、次来た時も惚気話、聞かせなさい」


「……っ、そんなの、ないし!」


「あるでしょ」


「……ちょっとは、ある、かも……」


 蜂蜜の甘い匂いの中で、お姉ちゃんの笑い声が跳ねる。

 わたしの胸のふわふわは、まだ消えない。

 でも、それは困るふわふわじゃなくて、抱えて帰れるふわふわになっていた。


 店を出る時、ドアベルが鳴る。


 カラン。


 外の空気が冷たくて、村の匂いがして、家々の煙が細くのぼっている。

 いつもの道が、さっきまでと同じ形でそこにある。


 同じなのに、違う。


 わたしは胸の奥を押さえて、息をひとつ整えた。

 家に帰ったら、すぐ傍にカイルがいる。

 いつも通りに「おかえり」って言ってくれる。


 その“いつも通り”が、今は特別みたいに眩しくて――わたしは少しだけ早足になった。


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