エルナ村のアリア⑥:フローレンス商店と、特別なお菓子の時間
翌日、ミーナちゃんに誘われて森へ散歩に行った。
朝の挨拶はちょっともごもごしちゃった。
散歩に誘われた時も、どう答えればいいか迷って、カイルに頼っちゃった。
でも、四人でお話して、木苺を摘んで。甘いのと酸っぱいのを当て合って、失敗して笑い合った。
木苺の赤と、冷たい小川の匂いが、胸の奥のきゅっとしたところを少しだけほどいてくれた……気がする。
さらにその翌日。
朝起きた瞬間から、胸の奥が昨日のままふわふわしていて、困った。
木苺の赤さとか、ミーナちゃんが眉間に皺を寄せた変な顔とか、ユリさんがすっと差し出してくれた“ちゃんと甘い実”とか。思い出すたびに、口の端が勝手に上がる。
――昨日、わたしはミーナちゃんを「ミーナちゃん」って呼んだ。
呼んじゃった、が正しい。
最初は舌が勝手に転がったみたいで、自分で自分にびっくりした。
あの子は、ちょっとだけ目を丸くして、それから何も言わずに受け入れてくれた。
受け入れた、っていうか……受け止めた、みたいな。
だから今日、わたしは決めてた。
昨日の“いい感じ”を、家の前で立ち話してるうちに薄めたくない。
ちゃんと形にしたい。形に、って何だろう。
わかんないけど、せめて「一緒に笑った」を「また一緒に笑った」にしたい。
それで、わたしの好きな場所に連れていく。
今度こそ、わたしが頑張る番。
フローレンス商店。ハンナお姉ちゃんの店。わたしにとって特別な場所だ。
カイルにも言えないことを、ハンナお姉ちゃんにはぽろぽろ落としてしまう。
「ねえ、二人とも」
昼前、畑の帰り道で声をかけると、ミーナちゃんがこちらを向く。
赤い瞳は相変わらず宝石みたいに綺麗で、見るたびにちょっと腹が立つくらい。ずるい。
でも、昨日よりは腹が立たない。
昨日の“すっぱ……”の顔が頭に残ってるからだ。ずるさにも、変な抜けがあるのが分かってしまった。
ミーナちゃんは綺麗なだけじゃなくて可愛い。……やっぱりずるくない?
「ハンナお姉ちゃんのとこのお茶、すっごくいい匂いなんだよ!」
わたしが言うと、カイルが「またお前は、菓子目当てだろ」と呆れた声を出した。
その呆れがいつものやつで、安心してしまう。
ミーナちゃんは少しだけ考えてから頷いた。
「……いいわね。行ってみたい」
ユリさんも微笑んで頭を下げる。
「ご一緒させていただきます。ありがとうございます、アリアさん」
――ほら、こういうところ。
ちゃんとしてる。大人っぽい。言葉の形が綺麗。
昨日、ハンナお姉ちゃんに言われた“置いてけぼり”が、また喉の奥で小さく鳴る。
でも、うじうじばっかりしない。
わたしが連れていくんだ。わたしの好きな場所へ。わたしの好きな匂いのところへ。
※※※※※
フローレンス商店のドアの前に立つと、胸が少しだけ軽くなる。
ここは、わたしの“逃げ場所”で、同時に“帰る場所”みたいなところだ。
扉を押して、ベルが鳴る。
カラン。
乾いた香草の匂い。甘い茶葉。蜂蜜。
村の土の匂いとは違う、整った匂いが鼻の奥にふわっと入り込む。
それだけで、昨日までのモヤモヤが、少しだけ形を変える。
棚の奥から、ハンナお姉ちゃんが顔を出した。
「あら、いらっしゃ――……」
一瞬だけ目が丸くなる。
そりゃそうだ。美人が二人、店に入ってくるんだから。
でも、次の瞬間にはいつもの顔だ。
この人、切り替えが早すぎる。
「あら、いらっしゃい。今、村じゃあなた達の話で持ちきりよ」
そう言ってから、わたしを見る。
口の端が上がる。あ、嫌なやつだ。今、絶対変なこと言う。
「全員連れてきて相談事? ずいぶん大胆になったのねぇ」
「ち、ちがっ……!」
顔が一気に熱くなる。
相談事って、いま、言った。言ったよね?
わたしが今までもここに来て、カイルのこととか、ミーナちゃんたちのこととか、ぐだぐだ言ってたのを――この二人の前でバラしてるみたいなもんじゃない!
心臓がひゅっと縮む。
カイルが「相談事?」って顔をした。
ミーナちゃんが静かにこちらを見た。
ユリさんの笑みがほんの少しだけ柔らかくなる。やめて。見ないで。
わたしは勢いで前に出た。
「きょ、今日はそういうんじゃないから! しないから! ……お友達になったから来ただけ!」
……言った。
いま、わたし、友達って言っちゃった。
自分の口が勝手に動いたみたいで、頭が一拍遅れて追いつく。
その言葉が店の中に落ちた瞬間、空気がほんの少しだけ変わった気がした。
ミーナちゃんが、一瞬だけ固まる。
昨日の“ちゃん”付けの時と同じ顔。
それから小さく頷いた。
「……そうね。友達、だと思う」
その返事が、まぶしい。
眩しいって、こういう時にも使うんだって思うくらい、胸の奥がほわっとする。
ユリさんも軽く頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしております。ですが、こちらの村はとても居心地が良く……つい、甘えてしまいました」
ハンナお姉ちゃんは「いいのよ」と軽く笑って、わたしを横目で見た。
「こっちこそ、うちのアリアちゃんがご迷惑をおかけしちゃってない? この子、カイルのことになると噛み癖があるから?」
「“うちの”じゃないし! あと、噛んでない! そういうこと言うお姉ちゃん、嫌い!」
嘘。“うちのこ”みたいに言われるの、くすぐったいけど嬉しいし、嫌いじゃない。
でも、それはそれとして、今日は意地悪! からかいすぎ!
大丈夫かな……みたいな気持ちは吹っ飛んだけど。
「はいはい、怖い怖い」
お姉ちゃんはわたしの剣幕をするっとかわして、奥へ手招きする。
「とっておきを出すから許してね」
――とっておき。
その言葉だけで、口の中に甘いものの匂いが広がる気がしてしまって、悔しい。
悔しいけど、ついていく。何が出てくるのかな。
席につくと、ハンナお姉ちゃんが淹れた香草茶の湯気が立って、店の匂いがいっそう濃くなる。
蜂蜜を落とす音が、ぽとん、と小さく響く。
その音すら、ここでは特別に聞こえる。
お菓子が出てきた瞬間、わたしの視界がそれ一色になった。
ドライフルーツと、炒った雑穀と木の実を糖蜜で固めたやつ。
硬いのに、噛むとじわっと甘い。歯にくっつくけど、それが嬉しいやつ。
さっきまで「嫌い」って言ってたのに、頬が勝手に緩む。
わかってる。わたし、分かりやすすぎる。
ミーナちゃんがそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
笑うってほどじゃない。けど、昨日の森と同じ“緩み”がそこにある。
――それが嬉しくて、わたしはつい、得意げに皿を押し出す。
「ほら、ミーナちゃんも食べて! すっごい甘いから!」
「……ええ、いただくわ」
ミーナちゃんが受け取る。
その瞬間、胸の奥に小さな“勝ち”が鳴った。
勝ち負けじゃないのに、勝ったって思っちゃう。
だって、一緒のものを食べるってことは、大体、仲間ってことだよね。
昨日も木苺を食べたけど、こっちの方がおいしいからもっと特別!
ミーナちゃんが一口食べて、まつげがほんの少しだけ揺れる。
感想を言う前に、目が一回だけ柔らかくなる。
それだけで、もう十分だった。
うれしくってついジッと見ちゃう。
その横で、カイルが――当たり前みたいに、自分の分を半分、わたしの皿に移した。
わたしがミーナちゃんの皿をじっと見てたのを、カイルは「羨ましがってる」って思ったみたいだ。
(わたし、そんなに食い意地張ってるって思われてる!?)
それは、まぁ、ちょっと……羨ましいなって思ったりもしたけど。ちょっとだから。
そんなことより、ミーナちゃんが喜んでくれたことが嬉しい。
あと、カイルがわたしのこと気にしてくれてるのも……。
ハンナお姉ちゃんが、ニヤっとする。
「……なぁに? 取られないように餌付け?」
「うるさい!」
カイルが即座に返して、わたしはその横で笑ってしまった。
笑って、でも胸の奥がきゅっとする。
取られないように、って言葉。
それを冗談として流せるくらいには、今のわたしは落ち着いてる。
でも、どこかで“落ち着けてない”わたしもいる。
だから、言ってしまう。
冗談のふりをすれば、言える言葉。
「わぁ! ありがと、カイル! 大好き!」
声は少しだけ大きく。
ちょっとわざとらしいくらいにはしゃいだ声で言う。
大好き、って言った瞬間、心臓が跳ねる。
冗談。冗談だよ。冗談、って顔をして笑う。
でも、冗談って言えば言えることって、ある。
ほんとは言いたいのに、ちゃんと言うのが怖いこと。
カイルが一瞬だけ固まって、それから「はいはい」みたいに視線を逸らした。
顔が赤い……わけじゃない。たぶん。たぶんね。
ミーナちゃんが、そのやり取りを見ている。
観察するみたいな目じゃなくて、昨日の森で一緒に笑った人の目。
ユリさんは、お茶を一口飲んで、静かに息を吐く。
その目はちょっとお母さんみたいで優しい。
二人はよそ者だけど。
綺麗で、ちゃんとしてて、強そうだけど。
――怖いのに、近づいてくる。
昨日、ハンナお姉ちゃんが言ってた言葉が、今度はミーナちゃんの顔に重なる。
触れたいけど、触れたら壊れるって思ってる距離。
でも、壊したくないから、そっと触る距離。
わたしはカップを両手で包む。
甘い匂いが鼻をくすぐる。湯気で指先があったかい。
ハンナお姉ちゃんが、何も言わないまま、わたしを一瞬だけ見て、目で笑った。
――ほらね、って顔。
わたしはむっとしたくなるのに、むっとできない。
だって、わたし、ちゃんと連れて来られた。
ここに。わたしの好きな場所に。
わたしの好きな人たちを。
友達って、言っちゃったし。
まだ、胸の奥が変な形をしてる。
でも昨日よりは、少しだけ丸い。
だから、わたしはもう一回だけ皿を押し出した。
「ユリさんも、食べて。このナッツ、あの森でとれたやつなの」
ユリさんが目を丸くして、それから柔らかく笑った。
「……ありがとうございます。いただきますね」
その笑顔はやっぱりずるいくらい素敵で。
わたしは、また胸の奥がふわっとするのを感じながら、甘いお菓子を噛んだ。




