エルナ村のアリア⑤:フローレンス商店と、苦みと甘みの相談事
ミーナちゃんたちが村に来て二日目の夕方。
最初は一泊だけして通り過ぎるんだろうと思ってたのに、普通に村にいて、気づけばもう夕方だ。さっきまでうちの畑の方に来て、わたしに話しかけてきたりもしていた。
“さあ出立”って空気じゃない。急いでいるようにも見えない。
――まだ何日かいるのかな。
そんなことを考えてる自分がいて、胸の奥がむずむずする。……むずむずじゃなくて、ひりっとする。たぶん、嫌なやつ。
ミーナちゃんはすごく綺麗。黒髪なのにさらさらで、重たくも暗い感じもしない。きりっとした眉と、きらきらした赤い瞳。白い肌が眩しくて、笑い方まで品がある。歳はたぶん、わたしより二、三歳くらい上。
けど、五年経っても、わたしはあんなふうにはなれない気がする。
ユリさんはもっとずるい。髪の色はわたしと似てるのに、背が高くて姿勢がよくて、すごく美人で、スタイルも良い。その上、笑う角度も、頭を下げる速さも、声の柔らかさも、「ここで嫌われない」っていう答えを最初から全部知ってるみたいだ。
ミーナちゃんと並ぶと、お姫様とお付きのメイドさんみたい。お話の中でしか知らないけど。
――ずるい。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
ほんとに嫌だ。こんなことを考える自分が。
※※※※※
こういう時、わたしの逃げ込む場所は決まっている。
フローレンス商店のドアベルを、カランと鳴らす。
乾いた香草と、甘い茶葉と、蜂蜜の匂い。村の中なのに、ここだけ少し別の場所みたいで、特別な感じがする。
ハンナお姉ちゃんが棚の奥から顔を出した。
「あら。思ったより粘ったわね」
「なにそれ……」
笑いながら言われて、わたしは頬をむっとさせた。ハンナお姉ちゃんはいつも、見透かしたみたいなことを言う。
「また、モヤモヤしてますって顔してる」
「……してないもん」
「してるから来たんでしょ。はい、座った座った」
お姉ちゃんは手際よくお茶を用意してくれる。村でよく飲む香草茶はちょっと苦くて、わたしは苦手だ。カイルは平気でそのまま飲む。
でも、ハンナお姉ちゃんが蜂蜜を落としたやつは好き。
湯気が立って、鼻の奥にふわっと甘い香りが広がる。その匂いに少しだけ助けられて、わたしは言葉を探した。
「ねえ、ハンナお姉ちゃん。ミーナちゃんとユリさん……いるじゃない」
「いるわね。村中の話題。もう少しお世話になりますって、ユリさんの方が挨拶に来たわ」
「……あ、あのさ」
言いかけて、口の中がもごもごする。わたし、なにを言うつもりなんだろう。
お姉ちゃんは、わたしの顔を見て目を細めた。
「このままだと勝てないよぉ、って話?」
「ちがっ……! ち、ちがうし!」
「へぇ」
その一言で、わたしの負けが確定したみたいな気がした。
「……ちがう、って言ってるじゃん」
「じゃあ、何の話?」
お姉ちゃんの声は軽いのに、逃げ道を塞ぐみたいに優しい。こういうの、ずるい。
わたしは湯気の向こうを見ながら、やっと言った。
「カイルが……さ」
そこまで出た瞬間、心臓が変な音を立てた。
カイルの名前を出すの、なんでこんなに恥ずかしいんだろう。いつも呼んでるのに。毎日顔を合わせてるのに。
「カイルが、あの二人のこと……好きになっちゃわないかなって思って」
言った。言ってしまった。
お姉ちゃんは、ふっと息を吐いて笑った。
「やっぱり負けちゃいそうって話じゃない」
「だから違うって……!」
わたしはカップを両手で掴む。熱い。熱い方がいい。顔が赤いのが誤魔化せる。
「だってさ……前に勇者様が来た時も、フレデリカさんとか、レイアさんとか、リィエさんとか、いたでしょ」
「ああ、あの三人も凄かったわね」
「わたし、あの時まだ子どもだったし……あの三人、お話の中の人みたいだった」
遠くて、触れられなくて、勝手に憧れて終わるやつ。
あの人たちには何かの役目があって、その途中で偶々立ち寄っただけ。
でも、あの二人は違う。
「ミーナちゃんたちも同じくらい綺麗なのに……歳、近いし。なんか、距離も」
言いながら、自分がすごく小さいことを言ってる気がして、胸の奥がきゅっとなる。
「村に馴染むのも早くて……話し方も大人っぽくて。頭良さそうで」
言葉にするたび、みじめな気持ちが育っていくのが嫌なのに止まらない。
お姉ちゃんは遮らずに聞いてくれる。
その“聞いてくれる”のが、余計に恥ずかしい。
「……で?」
「……うん」
息を吸って、吐く。
「ミーナちゃん、たぶんだけど……カイルのこと特別好きって感じじゃないと思うの。ユリさんも」
これは、そうだったらいいのにっていう期待じゃなくて本当にそう感じる。
だから余計に面倒くさいことになってる。
「じゃあ、あとはカイル次第じゃない。カイルは二人に夢中になってる?」
「そ、そんなことない!……ない、けど……なんか、その」
ここが、一番言いにくい。
「どっちかっていうと、わたしの方を見てる気がして」
お姉ちゃんの眉が少し上がった。
「アリアちゃんのことを?」
「うん。話しかけてくるのも、なんか……わたしに、って感じがする」
なのに、その“ついで”みたいにカイルにも話しかける。
それが、モヤモヤする。
「カイルに話してる時のミーナちゃん、わたしとカイルが話す時より、ちゃんとして見えるんだよ」
「ちゃんとして?」
「わたしの時は、なんか迷ってるっていうか……。でも、カイルに話しかける時はそういうのなくて、すらすら話してて」
自分の頭を指でつつく。
「カイルも、ミーナちゃんと話してる時は……わたしと話してる時と違う」
「アリアちゃんは、ちゃんとした話するの苦手だもんねぇ」
笑われて、むっとする。
「笑わないで!」
「笑ってないってば。……それで?」
お姉ちゃんはカップにお湯を足して、香りを立て直す。
「ミーナちゃん、たぶんだけど……わたしと友達になりたいのかなって、そんな気がするの」
言ってみると、胸の中がちょっと痛くなった。
友達、って言葉が簡単なはずなのに、今は重い。
「でも、わたしがさ。モヤモヤして、素直になれなくて」
口の端が下がりそうになるのをこらえる。
「……わたし、嫌な子だよね」
店の匂いが急に濃くなった気がした。
甘い匂いが喉に引っかかる。
お姉ちゃんは少し黙って、それからいつもの軽い声で言った。
「嫌な子だったら、ここに来て相談なんてしないわよ」
「……そういう慰めいらない」
「慰めじゃない。観察結果」
観察結果、って言い方が、なんだかミーナちゃんみたいでまたムカッとする。
「まずね、アリアちゃん」
お姉ちゃんはわたしの目を見る。
「ミーナちゃんと話してる時のカイルって、村長さんと話してる時と似てない?」
「……似てる、かも」
「冗談が減って、相槌が短くなって、言葉の端っこが丁寧になるやつ。
大人がするみたいな会話をしてる二人――ユリさんも入るなら三人ね。そこから置いてけぼりな感じがしてるんじゃないの」
胸の奥にすとんと落ちて、言い返せない。
「……してる、と思う」
「じゃあ、いつものアレだ。アリアちゃんは勝手にビビってんの」
ビビってる。うん、怖い。
カイルが遠くに行くのが。
わたしの知らない言葉で笑うのが。
わたしの知らない“ちゃんとした会話”で、誰かと並ぶのが。
お姉ちゃんは沈黙を責めない。
「むしろ、カイルが“素”で話す相手って、アリアちゃんとあたしくらいじゃない?」
「うぅ」
言われてちょっと嬉しいって思ってしまう。
でも、胸のつかえは消えない。
「カイルは優しいじゃん。誰にでも優しい。だから、さ……」
「だから、何?」
「だから、どこまでが“わたしだけ”なのか分かんなくなる」
言った瞬間、自分で自分にびっくりした。
わたし、こんなこと考えてたんだ。
お姉ちゃんは小さく笑って、でも真面目に言う。
「だったら、聞けばいいじゃない」
「聞けるわけないでしょ!」
声が大きくなって、慌てて口を押さえる。
お姉ちゃんは肩をすくめた。
「直接聞いちゃった方が、たぶん早く楽になれると思うけどね」
「……むり」
意固地になったわたしに、お姉ちゃんはもっと痛いところを突く。
「じゃあ、せめてミーナちゃんには素直になりなさいよ」
「……むずかしい」
「難しくない。あなた、ミーナちゃんのことだって、そんなに嫌いじゃないでしょ」
逃げ道がなくなる。
カイルのことは好き。
でも、あんな綺麗な子と仲良くなって友達になれたら、すごく素敵だとも思う。
けど、それでカイルが取られるのが怖い。
ミーナちゃんと比べられて、つまんないなって思われるのが怖い。
カップを持ち上げて一口飲む。甘い。少し苦い。熱い。
熱いのに、胸の奥は落ち着かない。
「ミーナちゃんね、わたしに話しかけてくる時……なんか、変なの」
「変?」
「うん。怖がってるみたいなのに、近づいてくる、みたいな」
うまく言葉にできなくてもどかしい。
お姉ちゃんは拾うみたいにゆっくり言った。
「触れたいけど、触れたら壊れるって思ってる。そういう距離?」
小さく頷く。
「……そんな感じ、かも」
「じゃあ、ミーナちゃんも怖いのよ。あなたのことが」
「えっ」
思ってもみなかったことを言われて、喉がきゅっと鳴る。
「怖いけど、友達になりたい。そういう時、人って変な動きするものよ」
さらっと言う。まるで当たり前みたいに。
わたしは息を吸って、吐く。
怖い。
わたしのことが怖い?
……なにそれ。
あんな綺麗で頭が良さそうな子でも、怖いって思うことあるの?
わたしみたいな子のことで、不安になることなんて、あるんだ……。
お姉ちゃんは、わたしの顔を見てにやっと笑った。
「ほら、そういう顔。あなた、ほんと単純」
「どういう顔!」
「あの子も同じなのかな、冷たくしてるわたしって嫌な子!って顔」
「そ、そんなこと。思って、ないし……冷たくも、して……ないもん」
口を尖らせる。
冷たくはしてない。でも、素直な気持ちで話せてもいない。それは確かだ。
「……じゃあ、わたし、どうしたらいいの」
「そうね、まずは」
お姉ちゃんは指を一本立てた。
「カイルのことで、いちいちむくれない」
「……でも」
「それが嫌なら、カイルに直接聞いてごらんなさい」
それを言われると黙るしかなくなる。
「それから」
お姉ちゃんは少しだけ声を柔らかくする。
「ミーナちゃんが話しかけてきたら、ちゃんと返す。ちゃんと笑う。嫌なら嫌って言う。でも、意地悪はしない」
お茶の表面に、店の明かりが小さく揺れてる。
「……わたし、できるかな」
「できるわよ。だってあなた、嫌な子にはなりたくないんでしょ?」
茶化すみたいに言う。ずるい。
でも、ずるいけど、本当のことだ。
ミーナちゃんが嫌われるのが怖いのに近づいてくるなら。
わたしのモヤモヤで、それを踏みにじるのは――たしかに可哀想だ。
それに、そんなことをするわたしにもなりたくない。
わたしは立ち上がって、ドアの方へ向かう。
カラン、とベルが鳴る前に振り返って言った。
「……ハンナお姉ちゃん」
「なに?」
「……ありがと」
「うんうん。やっぱりアリアちゃんは良い子ね。頑張って」
ハンナお姉ちゃんに背中を押されて、ドアを押して外に出る。
空気が冷たくて、村の匂いがする。
胸の中のモヤモヤは、まだある。
でも、少しだけ形が分かった気がする。
明日、ミーナちゃんが来たら――話しかけられる前に、わたしから「おはよう」って言ってみよう。




