エルナ村のカイル③:レベル三の俺とバグキャラな幼馴染
その日、俺は余計なことを考えないよう、ひたすら畑仕事に没頭した。
日暮れまで鍬を振り、雑草を抜き、作物や作付けについて父さんを質問攻めにした。
父さんは「急にやる気になってどうした」と笑いながらも、色々と教えてくれた。
その向こう、隣の畑でアリアが何か言いたげにこちらを見ていた気がする。
けれど、脳裏に浮かぶ半透明のウインドウとあの桁外れの数字を思い出し、思わず視線を逸らした。
※※※※※
夜。家の中は真っ暗だ。
電気も魔法の灯りもない世界では、夜は静寂そのもの。
身体は農作業でクタクタだが、どうしても試しておきたいことがあった。
(……もう一度、仕様を確認しよう)
ゲーム脳が、勝手に動き出す。
こういう時の定石は決まっている。——メニューをいじることだ。
藁布団に寝転がり、自分のステータスを呼び出す。
【ステータス】
名前:カイル・ローレン
種族:人間
年齢:10
レベル:3
暗闇の中、ウインドウは不気味なくらい鮮明だった。
光っているわけではなく、視界に直接「貼り付いて」いる。
照明代わりにはならない。ちぇっ。
(さて、ここからだ)
昼間は単語を変えても何も起こらなかった。
今度はこのウインドウ自体を“操作”してみる。
指先で項目を叩く、長押しする、スワイプする。
前世のゲーム癖が勝手に動きを作る。
だが——何も起こらない。
(タップでもスワイプでも反応なし……?)
上下左右、拡大縮小。やはりダメ。
(おいおい、ここまで不親切なUI、今どき流行らないぞ)
結局、収穫ゼロ。
どうやらこの能力は、本当に「レベルを見るだけ」らしい。
※※※※※
翌日、俺は村の人間の「相場」を調べることにした。
昼休みと夕暮れを使い、できるだけ多くの村人を見て回る。
アリアの視線を振り切って、村を駆けずり回った。
——ちなみに、朝に見たアリアのレベルは昨日から九万ほど増えていた。
秒間1レベルアップ説が益々信憑性を帯びてきた。
じゃあ、お前は四十三京秒生きてきたってのか?
(四十三京秒って何年だよ……どうでもいいか……)
気を取り直して相場調査に乗り出す。
【ステータス】
名前:グレン・リドリー
種族:人間
年齢:61
レベル:4
昼間からエールをあおる爺さん。昔は猟師だったらしい(自称)。
(まあ、こんなもんか……)
体力の衰えがそのままレベルに出てる気がする。
【ステータス】
名前:ハンナ・フローレンス
種族:人間
年齢:27
レベル:9
街で働いてた“出戻り”の姉さん。村で一番行動的だ。
(姉さんって、母さんと同い年だったんじゃん……)
【ステータス】
名前:エドガー・ライル
種族:人間
年齢:63
レベル:19
村長だ。グレン爺さんより遥かにしゃっきりしてる。
元兵士だったらしく、レベルがガチだ。
【ステータス】
名前:バートン・クワイン
種族:人間
年齢:31
レベル:18
村一番の猟師のおっさん。村長の次に強い。
やはり元兵士と猟師が突出している。
父さんの十二、母さんの八と比べて妥当な差だ。
子どもは一から三。数字の並びは、理屈の範囲で収まっている。
(筋肉と働きぶりが、そのままレベルに直結してる感じだな)
おそらく「戦闘力の総合値」みたいなものだ。
——そう考えれば、納得できる。だが。
(じゃあ、四十三京のアリアは何なんだよ)
桁が違う。
というか、世界の外にいる数字だ。
三と四十三京。
象とアリというより、猫と宇宙って感じだ。
同じ「レベル」という単語を使うこと自体が、もう間違ってる。
この世界はアリアを“人間”として処理しようとしているが、
ウインドウははっきり「別物」と告げている。
その落差が、怖かった。
※※※※※
夕方、俺は村長に話を振ってみた。
「村長って、昔は兵隊だったんですよね? 強かったんですか?」
「……さてな。訓練は厳しかったが、戦争はなかったからな」
「でも、隊の中ではどんな感じだったんです?」
「真ん中よりちょい上くらいかの」
数字で測るという発想は、やはりない。
ハンナ姉さんも、
「ハンナ姉さんって、街で働いてた頃、どれくらい……えっと、出来る人だったんです?」
「なんか腹立つ聞き方ね、それ」
ジト目で見られたあと、ハンナはふっと笑って肩をすくめた。
「そうねえ。“そこそこ”かしら。あたしより仕事早い人もいたし、遅い人もいたし……何? 街で働いてみたいの?」
「……ちょっと気になっただけだから」
グレン爺さんに至っては、
「わしが若い頃はなぁ、それはもう、とんでもなく強かったんじゃ」
と、いつもの盛った昔話を始めたので、途中で聞くのをやめた。
——要するに、“強さ”を数字で捉える文化そのものが無さそうなのだ。
(やっぱり、俺だけなんだな)
そう思うと、世界から少し浮いたような気がした。
バグっているのはアリアなのか、俺なのか。
あるいは、この世界の方が正しくて、自分が異物なのか。
(こんなもの見せられて、俺にどうしろって言うんだよ)
心の中で誰にともなく愚痴をこぼす。
※※※※※
俺のレベルは三。
前世の記憶があっても、それ以外はどこにでもいる農家の子だ。
鍬を振るう腕っぷしも並み。
木登りも走りも平凡。
唯一マシなのは、前世の記憶と共に出来るようになった暗算くらい。
俺程度の前世の知識なんて、畑仕事には何の役にも立たない。
スマホの操作やコンビニの場所を思い出しても、ここでは無意味だ。
魔法も、才能も、俺にはたぶん無い。
ステータスに表示されるのは、名前とレベルだけ。
鶏のステータスが見えないんだから、魔物のだって見えるか怪しい。
とてもじゃないが、こんなものを当てにして主人公ムーブなんて出来ない。
(平和バンザイ。命の取り合いノーサンキュー。俺は普通でいい)
素直にそう思った。
しかし、その平凡の中にアリアという異物がガッツリ食い込んでいるのだ。
(……とはいえ、だ)
アリアのレベルがどれだけ意味不明でも、「じゃあ今日からは一切関わりません」は現実的じゃない。
家は道を挟んで向かい同士。
朝になれば窓の外から声が飛んでくるし、昼になれば一緒に畑や森に行くのが日常だった。
両親同士も仲がいい。
どちらかの家で余った料理は、自然ともう一方の家の食卓に並ぶ。
祭りの日なんかは、ほぼ一つの家族みたいに固まって動くのが当たり前だった。
そんな暮らしを、十年。
それを急に切り離すなんて、無理に決まっている。
仮にできたとしても——
(理由、説明できないしな)
「ごめん、実はお前の頭の上に表示されてるレベルが四十三京あるから、怖くて近づけない」とか……
(言えるか! バカタレ!)
そんなことを口にしたら、間違いなく「頭を打ったのか」と心配される。
下手をすれば、「気が触れた」と本気で思われかねない。
村の誰一人として、「レベル」という概念を持っていないのだ。
俺だけが謎の数値を見ている。
それを、誰にも相談できない。
(詰んでるな、これ)
ため息をつくと、庭先から声が飛んできた。
「カーイルー!」
顔を向けると、案の定アリアがいた。
さっき洗濯物を干していたはずだが、いつの間にかこっち側の庭にやってきている。
「今日は用事、もう終わった?」
「え、あ、いや、その……まだ」
「ほんとー?」
疑わしげに目を細めて、アリアが家の窓の下までとことこと近付いてくる。
見上げる角度で光を受けた栗色の髪が、いつも通り揺れた。
その頭の上で、今もレベルが——
……9239。
……9240。
勝手に増えている。
それを見ているのは、この世界で自分一人だけだ。
「なんか、さっきから様子がおかしいよ。顔、怖い」
「……そうか?」
「うん。なんか、怒ってるみたい」
怒ってはいない。
どちらかといえば、怯えている。
ただ、その怯えの原因が、目の前の女の子だとは口が裂けても言えなかった。
アリアは、いつも通りだ。
明るくて、屈託がなくて、よく喋って、よく笑う。
蜘蛛が出れば本気で悲鳴を上げるし、森の中で迷いそうになれば不安そうに袖をつかむ。
寝坊すれば慌ててパンをくわえて飛び出してきて、道でこけてパンを落として泣く。
そういう、「年相応の女の子」だ。
数値が、とにかく異常なだけで。
(俺だけが、勝手にビビってるんだよな)
世界の誰も気付いていない「バグ値」を、一人だけ知ってしまった。
これ以上深く関わっていたら——
自分の方まで、おかしなことになるんじゃないか。
巻き込まれるんじゃないか。
よくある「イベント」じゃなく、ありえない「バグ」に。
そんな嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
「……ごめん、ちょっと、いろいろ考え事してただけ」
なるべく普通の声で言う。
「考え事?」
「うん。畑のこととか、これからどうするかとか」
「ふーん……」
アリアはじっと俺の顔を見上げて、しばらく目を細めていた。
前世の感覚で言えば、「人の顔を読む」みたいな真似は得意ではないタイプだ。
それでも、長年一緒にいた分だけの勘は働くらしい。
「でも、わたしと遊ぶ時間くらいはあるでしょ?」
「……それは、まあ」
「じゃあ、それはそれ。考え事はあとで一緒に歩きながらでもできるよ」
当然のようにそう言って、アリアはいつもの調子で手を伸ばしてくる。
その手を、完全に振り払うことはできなかった。
兄妹みたいにずっと一緒にいた十年の時間が、そこにある。
少年カイルとしての記憶が、「ここで突き放したら、アリアが傷つく」と警鐘を鳴らす。
前世の日本人としての感覚も、「理由もなく距離を取るのは、ただの悪手だ」と囁く。
だから——
「……ちょっとだけ、な」
なけなしの抵抗。俺は少しだけ条件をつけた。
「今日は、あんまり遠くまで行く気分じゃない」
「うん、いいよ!」
アリアは、ぱっと笑った。
嬉しそうに、その場で一回転する。
洗濯物を干したあとのエプロンが、ふわりと広がる。
頭の上のレベルカウンターは——
……9285。
……9286。
相変わらず、止まる気配を見せない。
(……俺だけが、この数字に怯えてる)
世界は、何も知らない顔をして回っている。
アリアは、何も知らない顔をして笑っている。
その中で、自分だけが、この意味不明な数値を抱え込んでいる。
それでも、完全に生活を切り離すことはできない。
相談する相手もいない。
もう、諦めて折り合いをつけるしかなかった。
少し距離を置いて、少し踏み込みすぎないようにして。
頭の上で勝手に回り続ける数字から、なるべく目をそらしながら。
「……行くか」
「うん!」
アリアは当たり前のように俺の手を掴んできた。
一瞬、硬直する。
「!」
けど、俺の手は捻り潰されたり、粉微塵に吹き飛んだりもしなかった。
アリアの手は温かく、俺と同じでマメの痕で硬くなった手のひらだった。
働き者の子供の手でしかない。
「どうしたの、カイル?行こ」
「引っ張んなって、腕が引っこ抜けるだろ」
「あはは、なにそれー」
お前のレベルがマジだったら、笑いごとじゃ無いんだよなぁ……。




