エルナ村のカイル⑬:俺たちは“レベル”が上がった
散歩から戻ったあと、ミーナとユリさん――二人は、結局そのまま三日ほど村に滞在した。
最初は「今日だけ」「一晩だけ」みたいな顔をしていたのに。
次の日も、次の次の日も、当たり前みたいに村の中にいた。
村長の家の客間から出てきて、朝の井戸端で挨拶をして、昼前には畑の畝の間に立っている。
旅人が“滞在”という形で村の日常に溶けていくのは珍しい。
しかも、あの二人は顔が良すぎる。存在感が強すぎる。
それでも、村は案外あっさりと受け入れていた。
「綺麗な子だねぇ」
「どこの街の出だって?」
「勇者様の話を聞きに来たって聞いたよ」
「これうちで採れた芋。持っておいき」
それくらいのもんだ。
疑うより先に、まず“もてなす”が出てくるのが、この村の気質らしい。
※※※※※
ミーナは畑にも顔を出して、「自分にもやらせてほしい」と言い出した。
手伝う、と言わないところが遠慮がちで、でも意志は強い。そこが、彼女らしい。
鍬を持つ手が最初はぎこちなくて、土を起こす角度も深さもズレて、腰と背中の使い方が分かってない。
レベルの高さもあってか、鍬は軽々と持ち上がって、ざっくり深く突き刺さる。
けど、無駄に力が入りすぎていた。
あれだと反動が強くて刃こぼれするし、手も痛める。何より疲れる。
ミーナは器用で賢く、鍬の入れ方も土の返し方も、一度コツを教えるとそのとおりにやった。
変な意地を張らない。分からないことは「それは何のため?」と聞いてくる。
ユリさんはユリさんで、慣れてるのか慣れてないのか分からない手つきから、人の動きを見て、俺の説明を聞いて、すぐ吸収していった。この人、何でもできるんじゃないか?
結局、二人とも半日足らずで、ほとんどの作業を俺やアリアより手早くこなせるようになってしまった。
一仕事終えた後、ミーナは土のついた自分の手を見つめて、誰に向かってでもなくぽつりと呟いた。
「皆、これを毎日続けられるのね」
アリアが笑いながら言う。
「毎日じゃないよ。雨の日は土を触ったらダメなんだよ」
ミーナは「なるほど」と頷き、話題を切り替える。
「雨の日は何をしているの?」
アリアが自分流の雨の日の過ごし方を力説しだして、ミーナが頷いたり首を傾げたり。
その様子がなんだか微笑ましくて見ていると、ユリさんの視線を感じた。
たぶん、俺がアリアたちに向けてるのと同じような顔で、こっちを見ていた。
いや、俺だけじゃなくて、二人のことも。
「……ここに来ることが出来て、本当に良かったです」
肩の荷を下ろしたような、心から安堵したような声だった。
そんなふうに言われると、流石の俺もドギマギする。
「あーっ! カイル! いま、ユリさんを見てニヤニヤしてた!!」
運悪くというか、密かにこっちを監視していたのか、アリアに見咎められた。
キャンキャン吠え立てられ、むくれて拗ねて、機嫌を直してもらえるまで大変だった。
※※※※※
翌日の午後には、フローレンス商店――ハンナ姉さんの店でお茶をした。
二人を連れていく、と言い出したのはアリアだった。
「ハンナお姉ちゃんのとこのお茶、すっごくいい匂いなんだよ!」
アリアは“好きなもの”の紹介になると、全身で押してくる。
ハンナ姉さんは二人を見て、一瞬だけ目を丸くしたあと、いつもの調子で迎えた。
「あら、いらっしゃい。今、村じゃあなた達の話で持ちきりよ」
それから、アリアを見て口の端を上げる。
「全員連れてきて相談事? ずいぶん大胆になったのねぇ」
俺が訊ねるより先に、アリアがずいっと前に出た。
「きょ、今日はそういうんじゃないから! しないから! お友達になったから来ただけ!」
友達。
その言葉が、意外なくらい自然に出たのが分かった。
ミーナが一瞬だけ固まって、それから小さく頷く。
「……そうね。友達、だと思う」
ユリさんも軽く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしております。ですが、こちらの村はとても居心地が良く……つい、甘えてしまいました」
「こっちこそ、うちのアリアちゃんがご迷惑をおかけしちゃってない? この子、カイルのことになると噛み癖があるから?」
「“うちの”じゃないし! あと、噛んでない! そういうこと言うお姉ちゃん、嫌い!」
「はいはい、怖い怖い。とっておきを出すから許してね」
姉さんはアリアの剣幕を軽く受け流して奥へ案内し、香草茶を淹れ、菓子を振舞った。
ドライフルーツと炒った雑穀や木の実を糖蜜で固めたそれは、素朴だけど、この村では滅多に出てこない贅沢品だ。
さっきまで嫌いと言ってたアリアが、瞬時に掌を返すのが表情で分かった。
当の本人は“とっておき”をこの上なく幸せそうに頬張っている。
ミーナが「いつもこうなの?」って顔で俺を見てきたので、自信たっぷりに頷いておく。
彼女は呆れたような、納得したような顔で息を吐いて、茶を一口。
「ご馳走様」
「どういたしまして。この村は気に入って貰えたみたいね」
俺ではなく姉さんが答える。まぁ菓子を出したのは姉さんだ。
けど、明らかに俺の方に言ってたよな?
「ええ、アリアさんとカイルさんに良くしていただいています」
ユリさんの言葉に、姉さんの視線が流れるように俺へ向いた。
この目、ロクなことを言わないやつだ。
「そりゃあ、こんな美人さん達、ほっとけないもんねぇ、カイル?」
「村の客で、友達だし……美人とかは関係ない。ない。友達だ」
途中、アリアの視線の“温度”じゃなく“湿度”を感じたので、きっちり言い直す。
このくらいの弄りは日常茶飯事だ。姉さん、覚えてろよ。
アリアはひとまず納得したのか、ミーナの方に向き直る。
「ほら、ミーナちゃんも食べて! すっごい甘いから!」
「……ええ、いただくわ」
ミーナが受け取ると、アリアは勝ったみたいな顔をした。
勝ち負けじゃないんだけど、アリアは“自分の好きなものを分ける”ことで相手を輪の中に引き込む。
それが今回ばかりは、ありがたかった。
アリアがミーナを受け入れてるって分かるから。
……それはそれとして、食べる所作はお前の完敗だぞ、アリア。
あと、ミーナが食べてるのを羨ましそうに見てるな。しょうがない、俺のを半分やるか。
その時、ハンナ姉さんが俺の顔を見てニヤっとした。
「……なぁに? 取られないように餌付け?」
「うるさい」
姉さんは何も言わず、でも全部分かってる顔で茶をすすった。
この人、ほんと嫌なところだけ察しがいい。
「わぁ! ありがと、カイル! 大好き!」
お前は少しは察しろ。
※※※※※
そうやって、ミーナとユリさんは村の中を歩き回って、畑に出て、店で茶を飲んで、村長とも話をして、誰かの手伝いもして過ごした。
遅ればせながら“勇者の足跡”についても、あちこちに聞き始めたようだった。
三年前のことだけど、村の連中は昨日のことのように話して聞かせた。
ミーナ達が、勇者たちのことを初めて知ったみたいな態度で聞くものだから、話す方も興が乗ってくるのか、あれこれ尾ひれをつけまくっていた。
魔物の襲撃なんて無かっただろうが。
明らかに盛ってる話でも、ミーナ達は聞きに徹して、間違いを指摘したりはしない。
アルヴィン達もそうだったけど、本当に強い奴は変に威張ったり、ひけらかしたりしないもんなんだな、と改めて感心した。
※※※※※
そうして出立の日が来た。
村の入口で荷がまとめられている。
村長をはじめ、村の人たちがほぼ総出で見送りに出てきた。
ハンナ姉さんまで「暇だから」って顔を出してきた。
「道中、気をつけなよ」
「狼が出たら火を焚くんだよ」
「ほら、これ持っておいき。あったかくするんだよ」
「たくさん買ってってくれたから、これ、おまけね」
「次来た時は、甘いの持ってきて!」
最後のは子どもだ。図々しい。うちの村らしい。
アリアは最後まで落ち着かなかった。
ミーナの荷物にあれが足りないこれが足りないって言い出して走り回ったり、野菜を追加で包もうとしたり、ユリさんに「十分です」と止められても「でも!」って言い返したり。
俺はその様子を見て、ちょっと笑ってしまう。
数日前の“ぎこちなさ”はどこへ行ったんだよ。
もう完全に、友達の見送りのテンションじゃん。
寂しいのが顔に出てる。でも、引き留めるのは違うって分かってる顔。
……まあ、俺も同じ気分だった。
見送りの輪が少し散ったところで、ミーナの目が俺を捉えた。
「カイル」
呼ばれて、俺は一歩前に出る。
「なんだ?」
近づくと、ミーナは一度だけ周囲を見回した。
誰かに聞かれたくない話、っていう仕草だった。
ほんの少し言葉を探す間を置いて、ミーナは言った。
「……もし、自分より圧倒的に強い相手が、すぐ傍にいると気付いてしまったら。あなたなら、どうする?」
心臓が、変な跳ね方をした。
“圧倒的に強い相手”。
まず浮かぶのは、勇者アルヴィンたちだ。
次に浮かぶのは――目の前のミーナとユリさんだ。
今、この村にいる誰よりも強い。
そして、この二人は人間の敵である魔族だ。
ミーナは何を想定してこの質問をしたのか。
なぜ、俺に投げかけてきたのか。
突拍子もない質問に、アリアは隣で瞬きをしている。
ユリさんの背筋が、ほんの少しだけ硬くなる。でも止めはしなかった。
きっと二人で相談の上、俺に話してきたのだろう。
俺は慎重に言葉を選んだ。
「どうするって……そいつがどういう奴かによるだろ」
できるだけ普段の口調で言う。
「殴りかかってくるなら、逃げる。危ない奴なら、距離を取る」
ミーナの瞳は揺れない。続きを待ってる。
「でもさ。相手にその気がないなら、別に……普通に付き合えばいいんじゃね」
本音だった。
アルヴィン達がそうだったから。ミーナ達もそうだから。
でも、もう一つ本音が混ざる。
数字だとか見えない力だとか、そういうのに囚われすぎるな、っていう気持ち。
俺の返答に、ミーナの目が一度だけ細くなる。
ユリさんは息を殺した。落ちてくる刃の角度を読むみたいに。
――ここで、俺はわざと話をずらした。
もし、ミーナがアリアのレベルを見てしまっているのなら。
俺は隣のアリアに顔を向ける。
「なあ、アリア。もしさ」
アリアが「え?」って顔をする。
「もし、お前に手の一振りで山を吹っ飛ばすくらいの力があったら、どうする? 壊すか?」
ミーナとユリさんの空気が、一瞬だけ硬くなるのが分かった。
息が浅くなる気配。
アリアも一拍固まって――次の瞬間、全力で首を振った。
「なにそれ、こわい。するわけないでしょ」
即答だ。
アリアはミーナ達の緊張に気づかないまま、当たり前みたいに続ける。
「住んでる動物も困るし、麓の人も困るじゃん。絶対怒られるでしょ」
最後の「怒られるでしょ」が、アリアらしくて。
俺は思わず口元が緩んだ。
「怒られるって誰に」
「分かんないけど、みんな?」
――その瞬間。
ミーナとユリさんから、目に見えて力が抜けた。
緊張が解けるって、こういう呼吸になるんだな、って分かるくらいはっきりした変化。
ミーナは数拍遅れてから小さく笑った。
綺麗に作った笑顔じゃない。ちょっとだけ不格好な笑い方。
「……そう。そうよね」
そして次の言葉が続く。
「あなたと友達になれて、よかった」
アリアが目を丸くする。
「え、なに、急に……」
「急じゃないわ。……私は、こういうのを口にするの、慣れてないだけ」
ミーナは少しだけ視線を逸らして、それからまたアリアを見る。
「あなたは、いい子ね」
「い、いい子って……!」
アリアは照れて、頬を掻いて、でも笑った。
「ミーナちゃんだって、いい子だよ!」
ミーナの口元が、ほんの少しだけ上がる。
ユリさんがその横で、静かに頭を下げた。
「お世話になりました。……本当に」
「もう行っちゃうの、じゃあ……」
街道まで見送る、って言いかけたアリアを、ミーナが軽く手で制した。
「ここでいいわ。あんまり引っ張ると、あなた泣きそうだもの」
「泣かないし!」
アリアがむっとした顔をして、でも目が少し潤んでる。
ミーナはそれを見て、また少し笑った。
それから俺を見た。
何か言いたい顔をして、言葉を飲み込んで、代わりに短く言う。
「……ありがとう」
何に対するありがとうかは、分からないまま。
分からないままでも、受け取った。
「……どういたしまして。元気でな」
俺が言うと、ミーナは頷いて村道を歩き出した。
ユリさんは最後に一度だけ振り返って、俺とアリアに深く頭を下げた。
村長が「気をつけてな」って声をかけ、ハンナ姉さんが「またおいで」って手を振る。
アリアは最後まで手を振り続けた。
ミーナも、最後に一度だけ振り返って、アリアに手を上げた。
それで二人は、街道の方へと消えていった。
※※※※※
二人が去った後、村はすぐ日常に戻った。
畑は待ってくれないし、家畜も自分で餌の準備や掃除をしてくれるわけじゃない。
それでも、夕方の空気だけは少しだけ違った。
見送った後の、胸の奥に残る空洞。そこに風が通る感じ。
アリアは最初の一日は少しだけぼんやりしてた。
森に行こうとして立ち止まったり、店の前で「……あ」って言って止まったり。
でも次の日には、もういつも通りに笑ってた。
人って、案外そうやって生きていく。
それが“弱い”ってことじゃなくて。
生活の強さだって、俺は思う。
そして――その“いつも通り”に戻ったことで、逆に逃げ道がなくなった。
俺が先延ばしにしてたことが、ちゃんとそこに残ったままになる。
ミーナが来たからじゃない。もっと前からあって、先延ばししていただけのこと。
俺が、自分で決めたことだ。
あの森で「逃げない」って思った。あれは勢いじゃなくて、今も残ってる。
だから、告白は“イベント”じゃない。
俺の生活の延長にある、ただの一歩だ。
その一歩を踏み出すのが怖いだけで。
※※※※※
数日後、夕方。
畑仕事が終わって、道具を片付けて、家に戻る前。
あとはお互いの家に戻って飯を食って、暗くなったら寝る。
代わり映えのしない、何度も繰り返してきた日々。
並んで歩くのは、いつものこと。
いつものことなのに、今日は息が浅かった。
「……カイル、今日、なんか変」
アリアが言った。
「変じゃない」
「変だよ。朝からずっと変」
アリアはこういう時、妙に鋭い。
俺は立ち止まって、手汗に湿って拳を握り込む。
言葉を探して、探して、最後は諦めた。
探しても、結局言うことは一つしかない。
「アリア」
「なに」
「……俺さ」
喉が、変に乾く。
怖いのは言葉じゃなくて、言った後の世界が変わることだ。
でも、変わらない世界の方が、もう嫌だった。
「お前のこと、好きだ」
アリアが瞬きを忘れたみたいに固まる。
「え……」
俺は逃げない。
「幼馴染とか、家が隣とか、そういうのじゃなくて」
言いながら、拳が勝手に握られる。
「この先もずっと、一緒にいたいって思ってる」
風が吹いて、葉擦れの音が遠くで鳴る。
言葉を重ねるごとに、アリアの顔が赤くなるのが夕焼けのせいじゃないって分かる。
「……え、あ……。な、なんで……っ、い、いま……っ?」
真っ赤な顔。あわあわと口を震わせて聞き返してくる。
「……いつだっていいだろ、別に」
「よ、よくない! ぜ、全然……よくないっ!」
アリアが肩を震わせて怒鳴り返してくる。
けど、俺はこれ以上ないくらいホッとしていた。
だって、「いつ」が大事だってことなら、中身の方に文句はないんだろ?
「じゃあ、いつだったらいいんだよ」
「そ、それ……は……っ、お、お祭り、とか? なんか、特別な時とか……っ」
嫌がってないのは分かってる。
照れてムキになって言い返して、引っ込みがつかなくなってる時の反応だ。
けど、特別でもなんでもない、こんな日だからこそ言いたい。
「好きだ」
もう一度言った。
心臓がうるさくて耳が熱くなった。
アリアは数秒固まって、それからいきなり顔を伏せた。
肩が小さく震える。
泣き出したのかと思って少し焦ったけど、違う。
笑ってる。堪えきれないみたいに。
「……いきなりすぎ」
「今、言わないとって思った」
「変だよ」
「……悪い」
「なんで謝るの」
アリアは顔を上げた。
目が潤んで、でも笑っていて、ぐちゃぐちゃの表情で、それでも一番分かりやすい顔だった。
「……わたしも、カイルのこと、……好き」
言い切るのに、アリアは少しだけ勇気が要ったみたいで、最後は小さくなる。
でも、その小ささ答えが、たまらなく嬉しい。
俺はどう返せばいいか分からなくて、結局、普段どおりみたいな声になった。
「……うん」
「……うん、じゃない!」
アリアが頬を膨らませる。
その顔が、いつもの顔で。
いつも通りで。
俺の中の変な恐れが、一つずつほどけていく。
イベントとか、フラグとか、選ばれるとか、選ばれないとか。
そんなの、今この瞬間には何の意味もない。
意味があるのは、目の前のアリアが笑ってることだけだ。
だから、俺は、もう一回だけ言った。
「好きだよ、アリア」
アリアは一瞬固まって、それから耳まで赤くして笑った。
「……うん。知ってる」
たぶん、今この瞬間も、アリアカウンターはシャカシャカ動いてるんだろうな。
悪いけど勝手にやっていてくれ。 俺は本体の方を見るのに忙しい。
※※※※※
この日、俺はレベルが上がった。
ステータスの方は知らん。見てない。
けど、”数字じゃないレベル”が、確実に、絶対に上がった。
アリアもだ。




