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魔界サイド⑥:禁忌の怪物との戦い方

 侍女ユリアーナの手を借り、人間界への渡界を果たした魔王女ヘルミーナが、初めて味わったこの世界を一言で表すなら――空気が薄い。


 息苦しいわけではない。魔力の“密度”が、嘘みたいに軽いのだ。

 魔界では空気そのものに濃密な魔力が宿り、それが体内の魔力核と反発して、呼吸のたびにわずかな重さを残す。あの重さが常だった。


 だが人間界には、その押し返しがほとんどない。身体が軽い。動きやすい。

 その反面、この環境では惰弱な生き物しか育たないだろうとも思う。

 負荷が少ないということは、弱いままでも生きていけるということだからだ。


 ――そんな場所で、理外の怪物が“普通に”存在している。


 それが酷く気味が悪い。


 離宮の一室で振りかざした決意の中身は、張り子に等しい。後悔と不安と恐怖を薄い紙で包んだだけ。

 それでも崩れずにいられるのは、この無謀な旅に予定外の同行者がいるからだった。


 ヘルミーナは本来、独りで人間界に渡り、独りで怪物“アリア・メイスン”と相対するつもりだった。

 だが侍女のユリアーナはそれを許さず、準備は密かに二人分になっていた。


 そして今、カルロバとかいう小さな街――怪物の棲み処だというエルナ村の手前で、私たちは揉めている。


「ここからはもう一人でいいって言ってるでしょ」


「お断りします。あなたには私が必要です」


 ユリアーナ――ユリは頑として譲らない。


 私の侍女。父はレベル二千超の魔王だというのに、ユリ自身はレベル六十六。低い数値ゆえに見限られ、“不肖の魔王女”である私に押し付けられた。

 境遇が似ているから、共感はある。けれどそれを口にすれば惨めになる。だから私たちは、これを友誼だの信頼だのと呼んでやり過ごしている。


「まだ言うの? 私は一人で行けるわ」


「行けるかどうかではございません。少女の一人旅は不自然に思われます」


 真面目な声。正論。腹が立つほど、正しい。

 魔界で私は誰からも必要とされなかったから、勝手に動けた。

 なのに、その勝手を支えたユリが、今は最大の障害になっている――皮肉だ。


「言い方を変えるわ。逃げるしかなくなった時に準備が必要だから、あなたは残って」


「逃げなければならない状況にこそ、人手が必要です」


 私たちは解析魔法を封印した。

 禁止令に従うのは癪だが、解析そのものが注意を引き、敵対行動と看做される恐れは否定しきれない。

 加えて、考えたくもないが、怪物が一匹とは限らない。


 こちらは少人数だ。父の二の舞を踏む余裕などない。


 ――だから解析はしない。絶対に。


 この目で“見える”ものだけを見て、判断する。身のこなし、呼吸、視線、気配。

 訓練で身につけた、血の匂いを嗅ぎ分けるような勘で距離を測る。

 そのくらいは、落ちこぼれの自分にもできる――はずだった。


 だというのに私は、目の前の頑固な侍女ひとりを頷かせることすらできない。ままならない。


「――だから、ここからはもう一人でいいって言ってるでしょ」


 理屈で勝てないから、感情で押す。見苦しいのは承知だ。


「そういうわけには参りません。それに今さら戻ったところで――」


 今さら、という言葉が喉に刺さる。

 布告された律令で禁じられた渡界を手引きし、その相手が大魔王の息女。

 手を貸した侍女が魔界へ戻って無事で済むはずがない。


 一緒に来た時点で分かっていた。準備を命じた時点で、分かっていた。

 私が、彼女の運命を狂わせたことも。


 ああ、本当に――なんて。


 その時、土と草の匂いを運ぶ荷車の軋みが近づいた。そして、少年の声。


「えっ」


 視線の気配は、口論の間も感じていた。

 少年が声を上げた理由は分からないが、ユリに続きを言われるのがつらくて、私は反射的にそちらへ意識を向けた。


「私たちに何か……?」


 私より二、三歳下だろう。くすんだ金髪に深い青の瞳。顔立ちは凡庸。身のこなしも鈍い。

 魔界の下層でも、弱い方に数えられるだろう。角兎(レベル十)ほどの脅威すら感じない。


「……あの、貴方がたは……」


 ユリが視線だけで私を窘める。話の腰を折るために少年を利用したのだと気づいているのだろう。

 だが不自然にならない会話を選べば、数秒は稼げる。


 少年の父親らしい男が詫びを入れてきた。


「お嬢さんがた、息子が失礼した。初めて街に来て、少し浮かれていたんだろう。……なぁ、カイル」


「えっ、あー……うん、そうかも。ごめん。なんでもない。ちょっと考えごとしてたっていうか」


 どうでもいい。通り過ぎれば、また押し問答に戻る――そう思った。


「まったく、お前って奴は……アリアちゃんには黙っていてやる」


 男の口から零れた名に、私たちは固まった。


 アリア。


 アリア・メイスン。


 禁忌の怪物の名。心臓が一拍遅れて跳ねる。ユリの肩がわずかに強張った。

 私たちは同時に視線を動かす。


 荷車はカルロバから伸びる街道へ向かっている。

 この道の先に、エルナ村がある。


 エルナ村の住人、それも、“アリア・メイスン”に近しい存在――?


 もはや口論などしている場合ではない。


「……アリア、ですって?」


 思わず漏れた声は迂闊だった。見ず知らずの相手に聞き咎めるには不自然すぎる。


「あ、あのっ、あなた方は……もしかして、エルナ村にお住まいですか?」


 すかさずユリが言葉を重ねて、角を丸める。苦しいが、今はそれでいい。


「俺の幼馴染なんだけど……え、なんで村のこと……」


 案の定、不審がられた。

 ――どう繋げる。

 そう思った瞬間、カイルと呼ばれた少年が妙なことを言い出した。


「あの……ひょっとして、勇者様の関係者だったりしますか?」


 勇者?

 報告書にあった、人間界の最強――父が余興で解析させ、笑いものにされた存在。

 レベル三百にも満たず、魔王級には及ばないと。


「どうしてそんな風に思うの……?」


 純粋に理由がわからず聞き返すと、曖昧な答えが返ってきた。


「前にうちの村に勇者様が立ち寄ったんだけど、なんか感じが似てるっていうか……」


 解せない。何が似ているというのか。

 その次の言葉で、背筋が冷えた。


「住む世界が違う人みたいだなって」


 変化が解けた感触はない。魔法破りを受けた気配もない。

 なのに――見抜かれたのか?


 冷や汗が浮いたところへ、ユリが割り込んだ。


「そ、その、えっと……私たち、実は勇者様の辿った足跡を巡って旅をしているんです! ね、ミーナさん」


「ユリ……それはちょっと……。……まあ、いいか。うん、まあ、そういうこと」


 助かった。危ない橋だが、ここで否定すれば余計に不自然になる。

 私は頷き、ユリの作り話に乗った。


 なぜかカイルは腑に落ちた顔をした。父親の方まで得心したような様子がある。解せない。


「あなたたち、今日、村に戻る?」


 流れは、もう乗るしかない。ユリに目配せする。押し問答はこちらの負けでいい。今は一蓮托生だ。

 狙うのはただ一つ――“アリア・メイスン”の情報。


 以心伝心。ユリが笑顔で言葉を継ぐ。


 父親は警戒を見せた。それは正しい。

 だがユリは柔らかく、丁寧に、隙のない言葉でそれを崩していく。

 上品で、礼儀正しく、親切で、少し弱そうで。


 そうして、巧みに同行と村での一泊をまとめてしまった。


 やはり、ユリは頼りになる。


 私の侍女などせずとも、この才覚があれば他に道はあっただろうに。

 ――いや。望むことすら許されないと悟ったから、私を選んだのかもしれない。


 いつか理由を聞けるだろうか。


※※※※※


 かくして私たちは荷車に並び、エルナ村へ続く街道を進んだ。


 お題目にした“勇者の足跡”などどうでもいい。関心事はひとつだけだ。


「ねえ、さっき言ってたアリアって……どんな子?」


 少年――カイルは訝しげに眉を寄せた。


「どんなって……まあ、普通? 同い年で家が隣で、家族みたいなもんだけど」


 普通。


 レベル一億の怪物に、これほど似つかわしくない言葉があるだろうか。


「……変わったところとかは?」


 私が訊くと、カイルの歩幅がわずかに乱れた。

 魔物には、姿を変えることで力を増す種もいる。“アリア・メイスン”もそういう類か――。


「いや、特に……あ」


「何? 何かあるの?」


「あいつ、蜘蛛とか百足とかが苦手なんだけど、なんか芋虫は普通に触れて……」


 心底どうでもいい。


 私は解析を封じたまま、質問を重ねた。

 言葉の温度を測り、目線の逃げ方を読む。

 けれど返ってくるのは、“アリア・メイスン”が“普通”だという答えばかりだった。


 普通。普通。普通。

 大魔王を消した普通。


 人間界にはそんな普通が、無造作に日常へ紛れているというのか。


※※※※※


 村が見えた瞬間、胸がきゅっと縮んだ。


 敵地だとか危険地帯だとか、そういう言葉では足りない。

 私は“怪物”に会いに来た。

 けれど怪物の居場所は、城でも遺跡でもない。土と草の匂いがする、平凡な村だ。


 ――馬鹿げている。


 馬鹿げているのに、皮膚が粟立つ。

 平凡な世界の書き割りの向こうに、巨大な何かが潜んでいる。

 身じろぎ一つで書き割りは吹き飛び、どんな強者でも消える――そんな確信めいた悪寒。


 村の入口、石垣のそばに少女がいた。


 栗色の髪。前に垂らしたおさげにリボン。琥珀色の大きな瞳。

 日に焼けた肌。土汚れの染みついた素朴な服。

 こちらに気づくと、手を挙げてカイルの名を呼び――止まった。


 目が合った瞬間、私の第一印象は、


 ……弱い。


 いや、弱く“見える”だけのはずだ。

 身のこなしに戦いの癖がない。呼吸に魔力を練り込んだ気配もない。

 戦士の風格もない。魔界の下層、角兎より弱そうにすら見える。


 なのに。


 視線を向けられただけで喉がひゅっと狭くなる。

 胸の奥が、触れてはいけないものを撫でられたみたいにざわつく。


 これが、アリア・メイスン。

 報告書に記された禁忌。大魔王を消した存在。レベル約一億の怪物。


 有識者たちが理屈を積み上げ、恐怖に追いつくために膨らませた数値。

 それでも、私より強い者たちが怪物だと断じたのだ。


 その事実が、私を怯えさせる。


「この子が――幼馴染の()()()?」


 禁忌の名を口に出してしまい、反射で視線を逸らす。

 少女の視線が突き刺さる。


 警戒と疑念――そして、これは……嫉妬?


 そんなものは想像していなかった。

 怪物である彼女と、観測者である私。勝手に単純な図式を作っていた。

 だが彼女の頬はわずかに強張り、見知らぬ女である私をじっと見つめている。


 幼馴染の少年に近づく女への対抗心。嫉妬。

 あまりにも普通で、分かりやすい感情。


 これは、怪物……?


 ユリがすぐに“勇者の足跡”の作り話を繋ぐ。私もそれに乗る。村人の前で波風を立てる理由はない。


「はじめまして。私はミーナ。彼女はユリ」


 私は、なるべく人間らしい笑みを作る。武器ではない笑み。刃を隠す笑み。


 少女――アリアは笑顔を作り、明るい声で歓迎した。村の入口で両手を広げて。


 ……普通だ。怖いほど普通だ。


 けれど私は目を離せない。ユリも同じだ。

 強さは感じないのに、記録に残る事実が胸に刺さって抜けない。

 ここにいるだけで、魔力核の奥がざらつく。


 解析はしない。父の二の舞は踏まない。

 だから私は、言葉で測るしかない。


「……仲がいいのね」


 私がそう言うと、アリアは照れたように、それでも必死に平静を装って答えた。


 怪物アリア・メイスンは、怪物の顔をしていない。匂いもしない。格もない。

 人違い、勘違い、調査ミス――そんな言葉が頭をよぎる。


 確かめるのは簡単だ。魔族にとって呼吸のように自然な行為。


 解析魔法。


 本物なら、測った瞬間に死ぬ。


 では、それで何が分かる?

 アリア・メイスンが怪物だということ。父の死が彼女に起因するということ。


 ――それを命がけで知って、どうする。


 私は今、測れないものを目の前にしている。


※※※※※

 村長の住まいだという赤い屋根の家は、村の入口からも見えた。宿を求めるならそこへ行け、とカイルの父フレッドは言う。


 アリアが案内を申し出たが、荷物を理由に辞退した。場所は分かる。交渉はユリアーナがいれば不足はない。

 今はまだ、アリアという存在と正面から向き合う心の整理がつかなかった。


(……ユリ、あなたもそうでしょ?)


 私たちは村長の家を訪ね、偽りの目的と一泊を求めた。

 ユリは礼儀正しく頭を下げ、礼金の話をし、滞りなく話をまとめる。勇者にも貸し出したという空き部屋は粗末だが清潔だった。


 夕暮れ。村のあちこちから煮炊きの煙が立ち、空に溶ける。

 振る舞われた夕餉は質素だったが、温かかった。


 村の誰も怪物の存在を知らない。


 私は窓の隙間から外を見た。道を歩くアリアがいる。桶を抱え、少しよろけ、笑って、誰かに手を振っている。

 ……角兎以下の弱小生物にしか見えない。


「ミーナさん」


 ユリが小声で呼ぶ。誰の耳があるか分からないから、呼び方は簡略だ。

 この異常な平凡の中でも、彼女の用心深さだけは揺らがない。それが少し、心を落ち着かせる。


 部屋の扉を閉め、声を落とす。


「確認します。解析はしません。過度の接触や詮索も避けます」


「ええ」


「では、どうやって確かめますか」


 ……どうやって。

 唇を噛む。


 今ここで分かることは一つだけだ。

 アリア・メイスンは自分の力に無自覚か、あるいは隠している。


 魔界の常識は通じない。力で押すのは悪手だ。

 無自覚なら刺激を与えれば弾けかねあい。

 隠しているなら敵と見なされ排除されるのが関の山だ。

 どちらに転んでも、こちらが死ぬだけ。


 元より父の復讐を望んでいるわけでもない。魔界の行く末を変えられるとも思っていない。

 だから残る手段は――観察だ。言葉と態度で矛盾や綻びを見出す。


 そのための最適なやり方が、一つある。


「友達になってみようと思うの」


 私が言うと、ユリは目を見開いた。


「危険すぎるのではないでしょうか」


「危険すぎるから、信頼を作って排除されないようにするのよ」


 魔界では、レベルという秤が関係を決めてきた。

 けれどここでは、その秤は使えない。使うわけにはいかない。


 ならば私は、数値ではなく言葉で近づく。

 優劣ではなく、距離で測る。

 観測者ではなく、友として隣に立つ。


 それが、レベル百に満たない弱者――魔王女ヘルミーナの戦い方だ。

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