エルナ村のアリア③:フローレンス商店と、ミントの香りの相談事
勇者アルヴィンが村を去った次の日。アリアはフローレンス商店のドアベルを、カラン、と鳴らした。
「いらっしゃ……あら、アリアちゃん」
カウンターの奥で帳簿を書いていたハンナお姉ちゃんが顔を上げる。
アリアは「こんにちは」と言おうとしたけど、うまく声が出てこなかった。
おなかの中に、小石が詰まっているみたいだった。
「……どしたの、その顔」
開口一番、それだった。
ハンナお姉ちゃんは椅子から立ち上がりながら、じろじろとアリアの顔を見てくる。
「おつかいの顔じゃない。落とし物探してる顔でもない……うん、これ、“相談したいときの顔”だわ」
「そ、そんな顔してた?」
「してる。しかも今日は髪、ちゃんと整えて結んでるでしょ。“ちょっと気合い入れて来ました”って顔」
ずばっと言われて、アリアは思わず後ろ髪を押さえた。
「……お邪魔じゃない?」
「忙しかったら『あとで』って言うから大丈夫。今日は見ての通り暇。ほら、奥、座って」
促されるまま、店の奥の丸いテーブルに腰を下ろす。
ここは、村の人がよくお茶を飲んだり、世間話をしたりする場所だ。
少しして、湯気の立つカップが二つ、トン、とテーブルに置かれる。
「今日はミントティ。頭の中がごちゃごちゃのときに効くやつ」
ハンナお姉ちゃんが片目をつむる。
アリアはカップを両手で包んで、ふうっと小さく息を吐いた。
「……あのね、ハンナお姉ちゃん」
「はい、どうぞ」
「勇者様たち、行っちゃったね」
言った途端、自分の声が少し沈んでいるのが分かった。
ハンナお姉ちゃんの口元が、ちょっとだけ緩む。
「やっぱりその話ね」
「“やっぱり”ってなに」
「そりゃあ、もう、村じゅうそればっかりだからよ」
「“勇者様かっこよかったわねえ”“聖女様だ、ありがたや”“俺は剣士様の方が”“エルフなんて初めて見た”って」
「……だよね」
アリアは視線をカップの中に落とした。
「勇者様もすごかったけどさ……仲間の人たちも、すごい綺麗だったよね」
「あー、そっちね」
ハンナお姉ちゃんはすぐ頷く。
「レイアさんに、フレデリカさんに、リィエさん。あの三人は、どこ行っても“美人”って言われるタイプよ」
「やっぱり、そうなんだ」
「街でもそうそうお目にかかれないくらい。お話の中から抜け出てきたみたいだったでしょ?」
「……うん。そう思う」
レイアは、ただ立ってるだけでかっこよかった。
高い背、まっすぐな背中、腰の剣。少し笑っただけで、空気がきりっとする感じ。
フレデリカは、柔らかく笑うたび、胸のあたりがふわっと明るくなった。
声まで優しくて、話していると落ち着く。
リィエは、表情はあまり変わらないのに、目がすごく綺麗だった。
森の奥みたいな色で、じっと見られるとドキっとする。
「ねえ、ハンナお姉ちゃん」
「はいはい」
ミントの匂いを胸いっぱいに吸い込んでから、アリアはえいっと心の中で飛び込むみたいにして、口を開いた。
「カイルってさ……」
「出た」
「まだ何も言ってない!」
「“カイルってさ”から始まる話、うちじゃだいたい決まってるのよ」
さらっと言われて、言葉がつっかえる。
ハンナお姉ちゃんは、にやにやしながら続きを待っていた。
「……カイルって、“ああいう人たち”の方が、いいのかなって」
「“ああいう”って?」
「勇者様の仲間みたいな……綺麗で、強くて、大人で、すごい人たち」
言いながら、自分で胸がちくっとした。
レイアたちは大人だ。
落ち着いていて、旅慣れていて、知らない世界の話をたくさん知っている。
アリアとは、何もかも違う。
「カイル、楽しそうに話してたから」
「あー……」
ハンナお姉ちゃんの顔に、あきれたような、それでもどこか楽しそうな色が浮かぶ。
「まずひとつ、はっきり言っとくね」
「なに」
「“ああいう美人が嫌いな男の子”は、ほとんどいません」
「ぐっ……」
反論のしようがなかった。
「やっぱり、そうだよね……」
「そりゃそうでしょ。レイアさんみたいなかっこいいお姉さんに目を向けられたら、たいていの男の子はちょっと浮かれるわよ」
「フレデリカさんなんて、優しくて綺麗で……それにあのスタイルはもう反則だわ」
「リィエさんは、もう完全に別世界の人ね。夢に見ちゃうんじゃないかしら」
たまに見るフワッとした旅や冒険の夢。
昨夜、見たときはアルヴィンらが出てきて、前よりもずっとハッキリしていた。
「わたしも見た……」
「ほら、自分でもちゃんと分かってるじゃない」
「でも、だって。……比べちゃうもん」
「でしょうね」
ハンナお姉ちゃんは肩をすくめてから席を立ち、小さな瓶を棚から取って戻ってきた。
「はい、おやつ」
「……ありがと」
小さなビスケットを一枚口に入れる。
甘さが広がって、少しだけ心が落ち着いた。
「で、アリアちゃん的には、何が一番嫌だったの?」
「え?」
「カイル君が美人たちと話してたこと?」
「ん」
「それで楽しそうだったこと?」
「うー」
「そのうち連れていかれちゃいそうだな、って思ったこと?」
「んぅ……」
指を一本ずつ折りながら言われて、全部胸にぐさぐさ刺さる。
「……全部」
「全部か。贅沢だねえ」
「贅沢ってなに!」
「だって実際、カイルくん、誰かに連れていかれた?」
「……いない」
「今もちゃんと村にいて、アリアちゃんと同じように畑手伝って、木の実拾ってるんでしょ?」
「……うん」
「なのに、“ああいう人たちの方がいいのかな”って、勝手に不安になってるわけだ」
「だって……」
言葉が止まる。
「だって、あの人たち、すごく大人で、綺麗で、強くて、いっぱい旅してて、世界のこと知ってて……」
言いながら、涙が出るほど悔しいわけじゃないのに、胸の中がぎゅっとなる。
「わたしなんかより、ずっと、似合いそうだなって」
ぽつっと、本音がこぼれた。
村長さんの家でフレデリカさん達と話していたカイルは、なんだか“横並び”な気がした。
大人がしゃがんで目を合わせてくるあの感じ。
皆がカイルを相手にする時は、それが”ちょっと”に見えるのだ。
ハンナお姉ちゃんは「ふむ」と小さくうなずく。
「それをちゃんと口に出せたのは、えらい」
「よくないよ」
「いいの。言えないままムカムカして、あとで爆発するよりずっとね」
そこで、ハンナお姉ちゃんの顔が少し真面目になる。
「いい? アリアちゃん」
「うん」
「“ああいう人たちがいいのかな”って考えちゃうのはね、半分は“自分に自信がないから”よ」
「……半分?」
「そう。で、残り半分は——」
ハンナお姉ちゃんは、じっとアリアを見つめる。
「カイルくんのこと、ちゃんと大事だからに決まってるでしょ」
ビスケットの甘さが、変なところで止まったみたいになった。
しゃっくりが出そうで出ないみたいな、詰まった感じ。
「す……」
「す?」
「す、き……かどうかは、まだ……分かんないけど」
「はい、顔」
言われなくても分かる。顔がカッカしてきてる。
「やだ、顔見ないで!」
慌てて両手で頬を隠す。自分でも分かるくらい熱い。
ハンナお姉ちゃんは、笑いをこらえているのが丸わかりだった。
「前も言ったけどね。“友達として大事”と“男の子として好き”って、ほんとややこしいのよ。幼馴染は特に」
「……」
「旅の話聞いて、胸がどきどきしたんでしょ?」
「……した」
海の話。魔物の話。空まで届く大きな木の話。
ただの昔話じゃなくて、本当に見てきた人の話だった。ワクワクした。
「勇者様たちみたいに、外の世界に行ってみたい、って気持ちもある」
「……ある」
村の子なら一度は考えること。カイルだって、きっと。
だから。
「でも同じくらい、“カイルがどこか行っちゃうかも”って思うと、不安になる」
「ある……」
全部言われてしまった。
心の中をそのまま声にされたみたいで、くすぐったい。
「じゃあね。“カイル君はああいう人たちがいいのかな”って考えるのは」
ハンナお姉ちゃんは指を立てる。
「“自分が選ばれなかったらどうしよう”って、びびってるだけ」
「自分が……?」
「それも、“幼馴染のアリア”じゃなくて、“女の子のアリア”として、ね」
そこまで言われると、もう誤魔化しようがなかった。
アリアはテーブルに額をぺたりとくっつける。
「……そんなの、考えたくないのに」
「考えちゃうのが、お年頃ってやつよ」
ハンナお姉ちゃんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「じゃ、逆にアタシからも質問」
「……なに」
「アリアちゃんから見て、カイルくんって、“ああいう人たちの隣”にいる姿、想像できた?」
「……」
アリアはしばらく黙って、さっきのことを思い出してみる。
勇者様と話しているカイル。
レイアと剣の話をしているときのカイル。
フレデリカに暮らしのことを聞かれて答えるカイル。
リィエに頭を撫でられて、困った顔をしているカイル。
全部、「楽しそう」ではあった。
でも——
「……なんか、“一緒に歩いてる”って感じじゃなかった」
「でしょ」
ハンナお姉ちゃんが頷く。
「だって、カイル君、あの人たちを“すごいなあ”“きれいだなあ”って、遠くから眺めてる目だったもの」
「隣に並んでる目じゃない。住む世界が違うって分かってる目だわね、あれは」
「……」
「アリアちゃんの家の前で、一緒にスープ飲んでるときとか、木の実拾ってるときの方が、ずっと“隣って顔”してるわよ、あの子」
その言葉に、胸の奥のもやもやが、少し形を変えた気がした。
「それにね」
ハンナお姉ちゃんは、悪戯っぽく笑う。
「男の子って、“遠くで眺める綺麗な人”と、“一緒にいると落ち着く人”、けっこうちゃんと分けてること多いの」
「……」
よくわかんない。
きれいで、かっこいい方が”つよい”気がする。
「カイルくんがどっちをどう選ぶかは、アリアちゃん次第よ」
「わたし次第……?」
「そう。アリアちゃんがどうするか。どうしたいか」
「旅に憧れて外へ出るのか、村で隣にいるのか。それとも、もっと別の道なのか」
ハンナお姉ちゃんが胸の真ん中あたりを指さしてきて。
わたしは胸に手を当ててみた。
フレデリカさんと違ってぺったんこで、とくんとくんと言ってる。
「選べるの、それ」
「選ばないでいるとね、“取られるかも”って不安だけがずっと残るのよ」
ハンナお姉ちゃんは、テーブルに身を乗り出してアリアの目を見る。
「“カイルはああいう人たちがいいのかな”って考える前に」
「……うん」
「“わたしは、カイルとどうしたいのかな”って、自分に聞きなさい」
その言葉が、すとん、と胸に落ちる。
(わたしは——カイルと、どうしたいのかな)
旅に出たいのか。
村にいたいのか。
そのどっちに、カイルがいてほしいのか。
うまく言葉にはならない。
でも、そのことを考えないといけないんだ、ってことだけは分かった。
「……考えてみる」
そう答えると、ハンナお姉ちゃんは満足そうに微笑んだ。
「よろしい」
「子ども扱いしてる……」
「今はまだ子ども。これから“女の子”になって、“そのうち大人の女”になってくの」
「……勇者様の仲間みたいな?」
「そこは頼れるハンナお姉さんって言うところじゃないの?」
「ま、なにを目指すかどうかは、アリアの好きにしなさい」
ハンナお姉ちゃんはそう言ってから、ふっと笑う。
「でもひとつだけ言っとくとね。なりたい自分に絶対なれるわけじゃないし、なりたい自分と、好きになってもらえる自分が同じとも限らないの」
「カイルは?」
「少なくとも、今のアリアちゃんが嫌いって風には見えないわね」
はぐらかされたみたいなのに、不思議と嫌じゃなかった。
店を出ようとして扉に手をかけたとき、背中に声が飛んでくる。
「アリアちゃん」
「なに?」
「さっき言ってた“勇者様みたいに旅に出てみたい気持ち”も、ちゃんと大事にしなさいよ」
「……え?」
「“カイルのために諦める”とか、“カイルのために残る”とか、そういうのじゃなくて」
「アリアちゃんがほんとにやりたいことが先。で、その隣に誰がいるかは、その次」
ハンナお姉ちゃんの言葉は時々、だいぶ難しい。
でも、それが”子ども扱いじゃない時”なんだってことは、なんとなくわかる。
「……むずかしい」
「むずかしくていいの。簡単な答えは、だいたいつまらないから」
ひらひらと手を振るハンナお姉ちゃんに軽く会釈して、アリアは店を出た。
外の空は、雲一つない青。
勇者様たちは、もう遠くへ行ってしまった。
でも、彼らが残していったもの——
旅への憧れ。
自分の将来のこと。
村への愛着。
そしてなにより——
(カイルは、ああいう人たちがいいのかな)
さっきまで胸を占めていた問いは、少し小さくなっていた。
代わりに、
(わたしは、カイルとどうしたいのかな)
という新しい問いが、真ん中に居座っている。
答えはまだ分からない。
でも、ちゃんと考えてみよう、と思えた。
村の道の先に、小さな人影が見える。
いつもの歩幅で歩いてくる、見慣れた横顔。
「……カイル」
胸の奥で名前を呼んで、アリアは一度だけ、深く息を吸った。
「カーイルー!」
いつも通りの声で手を振る。
いつも通りに振り向いて、少し眠そうな顔で手を挙げる。
その仕草が“当たり前”であるほど、アリアは変に安心して、変に焦った。
走って、並んで、同じ速さになる。
それだけで、今日の答えはまだ出ていないのに、少しだけ前に進んだ気がした。
問いの答えを探す旅は、村の真ん中から始まる。
そう思いながら、アリアは今日もいつも通り、カイルの隣へ駆け寄っていった。




