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天界サイド②:節度ある推し活、終了のお知らせ

 大魔王ヴァルグレイドの気配が「ぷつん」と途切れた、その瞬間。

 彼の魔力は、はっきりと人間界のある一点へと伸びていた。


「ここね」


 半透明の大きな環が、神座の中央に投影される。

 人間界全図を俯瞰するような光景の中で、一か所だけ、ぽつりと印が灯っていた。


 山と森と畑に囲まれた、小さな点。

 王都でもなければ、軍都でもない。

 辺境の田舎村にしか見えない場所。


「……あそこ?」


「もっと劇的な場所で消えてくれれば、話としても締まったのにね」


「そういう問題じゃないわよ」


 女神たちの間に、苦い冗談が交じる。


 とはいえ、方向性ははっきりした。


 ヴァルグレイドの魔力は、途絶える寸前まで確かに人間界へ向けられていた。

 そして、その行き先は今、彼女たちの前に示されている。


「問題は、そこに“何がいるか”ね」


「うん。

 ヴァルグレイド級が一方的に消し飛ばされる何か、って考えると、普通の魔族でもなさそうだし」


 金髪の女神が腕を組む。


「……解析魔法、だったんでしょう?」


「ええ。魔界側の術式と痕跡を辿る限りでは。

 つまり、“向こうから”覗こうとして、逆に眼球ごと潰されたみたいなもの」


「やめて。例えが生々しい」


 天界の神々は、魔族が言うところの「レベル」を、数値としては扱わない。


 一元の数値で表すなど、乱暴極まりない——というのが、彼女たちの共通認識だ。


「だってそうでしょう?」


 最初にため息をついていた女神が、指を折りながら言う。


「存在の強度って、本来はもっと色々な要素が絡み合っているものなのよ。

 人間の言葉で言うなら、色、匂い、温度、音、手触り、味……そういうもの全部。

 それらをひっくるめて、“ああ、この子はこういうところが良いのね”って味わうのが醍醐味じゃない」


「そうそう」


 金髪の女神が、勢いよく頷く。


「推しの良さって、数字一個で語れるもんじゃないわよね。

 剣の振り方一つでも、“鋭いけど余裕がない”と“荒いけど伸びしろがある”じゃ、全然違うんだから」


「“推し”からの祈りを喫わないと一日が始まらない……これはもはやルーティーン」


「……あなたたち、話がちょっと脱線してる」


 銀髪混じりの女神が、額を押さえる。


 彼女たちが「レベル」と呼ぶものを感知するとき——

 神々はそれを、数値ではなく、多彩な感覚の束として受け取る。


 ある者の存在は、深い青の光と、凛とした冷たさと、澄んだ音を伴って届く。

 別の者は、暖かな橙の色合いと、焦げた砂糖のような匂いと、少し甘いざらつきとして届く。


 そうした「多角的な印象」をもとに、

 彼女たちは自分の推しを深掘りし、その魅力を咀嚼し、眺めて楽しんでいた。


 だから——


「魔族の解析魔法みたいに、“レベルいくつ”って数で押し包む感性、ほんと味気ないのよねえ」


「まあ、あれはあれで“扱いやすい指標”としては便利なんでしょうけど」


 銀髪混じりの女神が、溜息をひとつ。


「ともかく、その感覚からすると——

 ヴァルグレイドが“ぷつん”と途切れた直前に向けていた先に、

 何かとんでもなく偏った“何か”がいるはずなの」


「うわあ……嫌な予感しかしない」


「ものすごく推せる子かもしれないわよ?」


「ヴァルグレイドを消し飛ばすレベルの“推し”って、もう推せる気がしないんだけど」


「推す前からビビらないの」


 軽口を叩き合いながらも、女神たちの表情は固い。


 天界の神々にとっても、「測るだけで測る側が消える存在」というのは想定外だ。

 彼女たちは数値で測らない代わりに、「距離感」だけは慎重に見極める。


 近づきすぎれば、推しを壊してしまう。

 離れすぎれば、推しを守れない。


 今回は、そのどちらとも違う危険の匂いがした。


「……で。誰が見る?」


 金髪の女神が、核心を突くように言った。


 ヴァルグレイドが送った解析魔法の痕跡を辿り、その先にある「何か」を、

 天界側から一度だけ、極力負荷をかけない形で検める必要がある。


 距離を置くにしても、まず「何か」くらいは知らなければならない。


「強度を測るんじゃなくて、“輪郭”だけ、そっとなぞる感じで。

 肌触りと香りをちょっと嗅いでみる、くらいの距離感で」


「あなた、さっき自分で“例えが生々しい”って言ってた割には……」


 銀髪混じりの女神が苦笑する。


「まあ、でも、その通りね。

 押し付けがましく力をぶつけるのではなく、“感じるだけ”の感応なら、

 少なくともこちら側が吹き飛ぶことはない……はず」


「“はず”って言ったわね、今」


「そうとしか言えないのよ。前例がないんだから」


 視線が、自然と神座に集う女神たちの間を巡る。


 誰もが悟っている。


 これは本来、下位の天使や精霊にさせるべき仕事ではない。

 最悪の場合、戻ってこられない。


 ならば——神である自分たちがやるべきだ。


「……わたしが行くわ」


 最初に名乗り出たのは、意外な人物だった。


 さきほど、三界大戦の記録を眺めていた黒髪の女神——

 か弱い人間たちを見守ることに、誰よりも心を砕いてきた彼女だ。


「私の“推し”の世界を守るための仕事だもの。

 怖いけど、放っておく方がもっと怖いわ」


 あっさりと言ってのける。


 金髪の女神が、心配そうに眉を寄せた。


「本当に大丈夫? あなたいつも感度高すぎるから……

 ちょっと強い子見るだけで“あああ゛ぁ尊いぃ……っ”って床に転がるじゃない」


「……それ、今ここで言う?」


「事実じゃない」


 銀髪混じりの女神が、苦笑気味に肩をすくめる。


「ただし、本当に“一瞬だけ”よ。

 入り込みすぎたら、こちら側の枠組みごと持っていかれる可能性すらある。

 輪郭をなぞるくらいで止めること。いいわね?」


「分かったわ」


 黒髪の女神は、静かに目を閉じる。


 彼女の周囲に、柔らかな光が集まる。

 人間界の祈りから生まれた、数多の細い光条が糸のように絡み合い、一本の線へと束ねられていく。


 その線が、先ほど示された一点へと伸びていく。


 山と森と畑に囲まれた、小さな村。

 その一角。

 ヴァルグレイドの魔力が途絶えたあたり。


「じゃあ、ちょっとだけ、覗いてくるわね」


 軽く言って、女神は意識を人間界へと滑らせていった。


 ——その先に、

 天界の感覚では到底扱いきれない、

 「色」「匂い」「温度」「音」「味」すべての尺度を一度に破壊するレベルの「何か」がいることなど、

 この時の彼女は、まだ知らなかった。


※※※※※


 女神が伸ばした意識は、糸のように細く、慎重に編まれていた。


 濃すぎる神威を削り、余計な意味を削り、

 ただ「感じる」ためだけに研ぎ澄まされた一本の感覚。


(輪郭をなぞるだけ。香りを、ほんの少し嗅ぐだけ——)


 そう言い聞かせながら、人間界へ滑り込む。


 山脈をかすめ、森を越え、畑をなぞり、

 やがて、小さな村の気配に触れる。


 薪の匂い。土の温度。笑い声。

 ささやかな灯りの一つひとつに、微かな色がついている。


(……うん、いい村じゃない。みんなよく生きてる)


 ほっとひと息つきながら、更に焦点を絞る。


 そこに、二つの灯りがあった。


 一つは、素朴で、温かくて、少し乾いた土の匂いがする、金色の灯り——少年。

 もう一つは、柔らかくて、甘くて、湯気を立てるスープみたいな香りの、

 栗色の光——少女。


(ヴァルグレイドの魔力の残り香がするのは――こっち……よね)


 女神は、ごく軽く触れるつもりだった。


 そっと、指先で撫でる程度に。

 温度と色合いと匂いを、少しだけ確かめて——


 ——その瞬間。


「……んひ、ぎっ——」


 神座の間で、女神の喉から、情けない悲鳴ともつかぬ音が漏れた。


 光の糸の先で、世界が裏返る。


 色が、色であることをやめた。

 白も黒も紅も蒼も、全部まとめて、眼球の裏側から剥ぎ取られるような感覚。


(な、なに——)


 匂いが、匂いであることをやめる。

 甘い、辛い、焦げた、草の、血の……あらゆる「匂い」が、

 鼻腔に詰め込まれたまま爆散したみたいに、意味を失って押し寄せる。


 温度が、暴力になる。

 氷点下と灼熱が同じ場所に同時に存在し、

 それを皮膚の裏と表で一度に味わわされる。


 音が、音量ではなく「密度」として脳を擦り潰す。

 鐘の音、子どもの笑い声、雷鳴、心臓の鼓動、泣き声、祈り——

 すべてが重なり、しかしどれ一つとして識別できない。


 味覚はとっくに崩壊していた。

 甘い、しょっぱい、苦い、酸っぱい、旨い——その全部が、

 口の中ではなく、存在全体を内側から舐め回してくる。


——そして、それら“あらゆる感覚の暴力“が混然一体となった底なし沼に、どこまでも落ちていくような圧倒的危機感。


(——あれ?)


 一瞬、「あ」と思う。


 これは、攻撃ではない。


 何もこちらには向いていない。

 せいぜい、風が頬をかすめたくらいの、「外側を流れている」感触だ。


 ()()はただそこにあるだけ。

 なのに。これはまずい。


「おぶっ——!」


 神座の床に、嘔吐音が響いた。


 先ほどまで静謐な光景だった神々の集いの場が、一瞬で修羅場と化す。


「――んぎぃっ!?」


 最初に意識を伸ばした黒髪の女神が、海老ぞりになって床をのたうち回る。

 背筋がありえない角度まで反り返り、手足が勝手に痙攣する。


 口からは、光でできた液体が吐き出された。

 人間界の酒でも食事でもない、純粋な「感覚の残骸」が、床にべちゃりと広がる。


「ちょ、ちょっとぉ!? 何見たのよ、何を——」


 慌てて駆け寄った金髪の女神が、その肩に触れた瞬間、

 彼女の視界にも、同じものが流れ込んだ。


「——う、あっ」


 瞳孔がぎゅっと縮まり、次の瞬間には逆に開ききる。

 腰から崩れ落ち、その場で丸まったまま、ガタガタ震え始める。


「おえっ、おえええええっ!!」


 人間界の汚れひとつ知らない光の存在が、

 見事なまでに下世話な嘔吐音を響かせる。


 更に悪いことに、天界の感覚は共有されやすい。


 情報を遮断する前に、数柱の女神が「何が起きたか」を覗き込んでしまった。


 結果——


「ぎゃっ——!?」


「ひぃぃぃ……やめ、やめっ……!」


「無理無理無理無理無理無理無理——っ」


 光輝の女神たちが、神座で一斉に転げ回るという、前代未聞の光景が広がった。


 誰かは頭を抱え、誰かは耳を塞ぎ、

 誰かは意味もなく空を掻きむしり、

 誰かは床を爪で引っ掻いて悲鳴とも呻きともつかない声を漏らす。


 攻撃されているわけではない。


 それは、全員が分かっていた。


 もし、ほんの僅かでも「こちらをどうにかしよう」という意図が向けられていたなら——

 自分だけでは済まないと、本能が告げていた。


 もしコレに攻撃するつもりがあるなら――天界ごと、消えている。

 向こうにとっては、気付いてすらいない可能性すらある。


(それだけの——)


 床に頬を押しつけながら、最初の女神はようやく一つの結論に辿り着いた。


(それだけの“もの”なんだ……あれは)


 アリア・メイスン。


 魔界の解析魔法が、その名だけを拾って壊れたように。

 天界の感覚も、「名前」を拾った瞬間に、ほとんど破裂した。


 人間界の辺境の、どこにでもいそうな村娘。


 姿かたちは、どこまでも普通。

 日々の営みも、どこまでもささやか。


 その中に、気軽に覗き込んではいけない何かが、

 とんでもない密度で凝縮されている。


 それを、「数値」で片付けるのは簡単かもしれない。

 レベル、いくつ、という形で。


 だが——


(数字に丸める前の“生のまま”を嗅ぎに行ったのは、失敗だったわね……)


 女神は、胃の奥からもう一度込み上げてきた何かを、

 どうにかこらえながら、心のどこかで冷静にそう思った。


 ようやく、光の糸が完全に切断される。

 人間界に伸びていた感覚の回線を、上位の神格たちが慌てて断ち切ったのだ。


 呼吸が戻る。


 瞳に、神座の天井の柔らかな光が戻る。


「……っは、はっ……はぁ……」


「こひゅー……こひゅ……おえっ」


 女神たちは、それぞれ床の上で息を整えながら、しばらく動けなかった。


「い、今のは……」


 金髪の女神が、まだ青ざめた顔で呻く。


「こ、攻撃、じゃない……よね……?」


「違う……ただ、そこに“在る”だけ……」


 誰かが、震える声で答える。


「もし、ほんの少しでも、“こちらに触れよう”なんて思われてたら……

 わたしたち、天界ごと、跡形もなくなってたわ」


 言葉にした瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「な、なんなの、なんであんなのがいるの……なんで今まで気づかずにいられたわけ……」


 推しとして見るどころか、対象と同じフィールドに立つことさえ許されない。


 人間界を覗き見て、時々そっと手を貸していた自分たちが、及びもつかない何かがある。


 その事実が、ようやく重みを持って理解され始めた。


「……ねえ」

「……わたしたち、人間界への干渉、やめた方がよくない?」

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