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エルナ村のカイル①:レベル三の俺と四十三京のあいつ

 朝。

 カイル・ローレンは、目覚める直前に()()()()()()()()街の夢を見た。


 地面は土でも石でもない、黒くて真っ平らな道がどこまでも続いている。

 そこを行き交うのは馬車じゃなくて、鉄の箱みたいなものが列になって走っている。

 四角くてやたらと高い塔が立ち並び、ロープのようなものが張り巡らされた空は狭くて遠い。

 バラバラの格好をした大勢の人間が、追い立てられるかのように足早に歩いている。


 自分も、その中の一人だった。


(……いやいやいや)


 藁ぶとんから飛び起き、カイルは自分の手をまじまじと見る。


 日焼けした褐色の手。爪の間には微妙に土がこびりついていて、掌のマメの痕もいつも通り。

 鏡なんて高級品はうちにはないが、父親譲りのくすんだ金髪と、母親譲りの深い青色の瞳だって事は見なくても知っている。

 村の同い年の少年たちと比べて、抜きんでたところも、大きく劣ったところもない。


 窓の外は、薄っすら暗い。

 そろそろか、と思う頃合いで一番鶏の鳴き声が響き渡る。

 朝靄に包まれた見慣れた畑、遠くに見える羊の群れ、森の端。


 夢の中の鉄の箱も、四角い塔も、早足の人混みも、どこにもない。

 辺境の農村、エルナ村。

 人口はあの雑踏の一部にも満たない百人足らずの小さな村。


 しかし、頭の中には奇妙な言葉が浮かび上がってくる——


(……スマホ。ゲーム。ログボ。詫び石。コンビニ。おでん。受験。……)


 意味もなく、単語がばらばらに浮かんでは繋がっていき、また別の単語が浮かんでくる。


 ごく普通の日本人の少年として生きていたという記憶が、じわじわと戻ってくる感覚。

 それはこの世界で、辺境の農村、エルナ村で生まれ育った少年、カイル・ローレンとして十年生きてきた意識と比べて朧げであやふやなものだが、無視できない存在感のある記憶だ。


「……マジか」


 思わず声が漏れた。


 前世。転生。異世界転生。

 それっぽい言葉が、過去のラノベやゲームの記憶と一緒に浮かぶ。


 前世での名前やどんな風に死んだのかとかは思い出せないし、不思議とあまり気にならない。

 引き出しの奥に仕舞い込んで忘れていた古い漫画を見つけて読み返したような気分というか。


 やはり、今の俺はカイル・ローレンなんだろう。

 カイル・ローレンとして過ごした十年間の記憶の前に、前世がある。

 昔の記憶の方が遠くていい加減になるのは当たり前だ。


 カイルとして生きているこの世界に関する俺の知識は、昔話や伝え聞き頼りだ。

 この世界の文字は読めないし、本自体をまず見かけない。


 だが、どうやらファンタジー的な世界なのは確からしい。


 魔物、神様、勇者、魔王、いるらしい。

 魔法、奇跡、ダンジョン、あるらしい。


 どれもこの辺鄙でちっぽけな村ではお目にかかったことがない。


 天界とか魔界とかもあって、大昔に凄い戦争があったとか、その時、神様が人間を守ってくれたお陰で今があるから感謝しましょうとか、ありがちな話もよく聞かされる。


 神話だけだと荒唐無稽な感じがするが、奇跡や魔法が本当にあるっていうなら、神様も魔王も実在していてもおかしくない。


※※※※※


(……転生って言ったら、やっぱアレがつきものだよな、あのお約束の)


(そう、神様からの謎の謝罪とかチート授与とか、神の使いからチュートリアルを受けたり、ヘルプとか()()()()()とかが見られるようになったり)


 そのときだった。


 視界の端に、白い板のようなものが、ぬるっと現れた。


「うおっ!?」


 半透明の四角形。

 黒い線で区切られた枠。

 その中に、見覚えのありすぎる単語が並んでいる。


 【ステータス】

 名前:カイル・ローレン

 種族:人間

 年齢:10

 レベル:3


「……出たわ……マジで出た……ゲームじゃん!は、ははは」


 そう、「ステータスウインドウ」だ。


 夢見のせいで頭がおかしくなった、という線も一瞬考える。

 だが、いくら目をこすっても、視線を動かしても、その表示は視界の隅から消えない。


 RPGとかでよく見るあの感じ、そのまんま。


「レベル……三、ね」


 強いのか弱いのか、と問われれば、ゲーム的には間違いなく「弱い」。

 チュートリアルを終えたかどうか、くらいの数字だ。


(まあ、村のガキだしな)


 俺、カイル・ローレンは、家の畑仕事の手伝いと、森の入口での遊びが日課という、ただの農家の息子だ。

 両親もいたって普通の村人、顔面偏差値もそこまで高くはない。

 スマホ向けのオープンワールドゲームなら、間違いなく顔グラを使い回されてる側のツラだ。

 勿論、俺もそっち側……いや、まだ将来は分からないかも……?


 両親は引退した元冒険者だとか勇者の家系だとかも全然ない。

 爺さんのそのまた爺さんの代からずっと村で農家やってる。

 村に隠居してる剣聖とか、のじゃロリ魔女とかも勿論いない。

 

 どう考えても、モブだ、これ。


 さて、いろいろと気になって仕方がないが、俺にはやることがある。


 起きて、飯を食って、鶏(この世界では別の名前があるが面倒なので鶏と呼ぶ)の餌をやって、小屋の掃除をして、水汲みに行って、堆肥をかき混ぜて運んで、畑仕事の手伝いもしなくちゃいけない。


 寝坊したりサボれば、飯抜きや鉄拳制裁を喰らう。それがしっかり体に染みついている。

 この世界ではそれが当たり前で、俺も物心ついてから今の今までそういう暮らしをしてきた。

 児童労働だとか人権だとか、この世界では助けにならない概念は忘れるに限る。


 実際、文明レベルの低いこの世界では、魔法があるといっても、生きていくのはそれなりに大変なのだ。

 俺には農村生活を劇的に向上させるような生産チートも知識もない。

 急に知識や技術を提示したところで同じ原理が機能するか分からないし、説得力を持たせて実用・普及させるのだって才覚がいる。

 そういう才覚がない俺は、地道に働くしかない。


 起きて両親に挨拶して、朝飯を食ってる最中、両親のレベルも見えるか試してみた。

 心の中で「ステータス」と念じる。


 【ステータス】

 名前:フレッド・ローレン

 種族:人間

 年齢:28

 レベル:12


(おぉ!出た、出た!人のも見えるじゃん、やった!)


 【ステータス】

 名前:エレナ・ローレン

 種族:人間

 年齢:27

 レベル:8


(うん、レベルはまぁこんなもん……かな?)


 村一番の働き者で、腕っぷしもそこそこ強い父。

 それでレベル十二なら、村の他の大人も大体似たり寄ったりだろう。


 特に戦闘の訓練をしているわけじゃない十歳の俺が、まがりなりにもレベル三になってるってことを考えれば、この世界ではモンスターを倒す以外にもレベルアップの方法があるのだ。

 父と一緒に汗水垂らして働いている母だが、やはり仕事量や負荷は父より少ない筈だから、それが両親や俺のレベルの差に繋がっているのかもしれない。


 それにしてもこのステータスウインドウ、ちょっとシンプルすぎやしないか?

 能力値とかスキルとか称号とかが見当たらないのは、なんか呼び出しのコマンドが違うとか、俺の鑑定(?)レベルが足らないとか、たぶんそんなアレなんだろう。


 それはさておき、種族、年齢、レベルはまぁ良いとして、名前がフルネームで表示ってよくよく考えるとどういうことなんだ?

 戸籍だとか、世界のどっかにある記録を読み取ってるのか?

 それとも読み取る相手の頭の中に「俺はカイル・ローレンだ」みたいな自認があって、それを読んでるのか?


 鶏(仮名)の餌やりと小屋の掃除をしながら、俺はそんなことを考えていた。


 なお、鶏()のステータスは見えなかった。


 やはり、鑑定(?)レベルが足らないのかな……いや、一番足りてねえのは説明だ。

 チュートリアルはどこだ、ヘルプ! Q&A! トラブルシューティング! おお、神よ!


 俺の心の叫びに応えてくれるものは何もなかった。



 諦めて、次の仕事――村の共用の井戸での水汲みに向かうことにした。


 通りがかった近所のおじさん、井戸端で話しているおばさん、朝から走り回っているチビたちも、ついでに覗いてみる。


 十一。十。一。二。

 多少のばらつきはあるが、どれも軒並み年齢の半分未満。


(レベル的には「はじまりの村」って感じだよなぁ……)


 ゲーム脳が、勝手に世界を分類し始める。


 勇者が旅立つ時に立ち寄るとか、序盤でスライムを倒してレベル上げするとか、そういうポジションの村。

 そう考えると、さっきの自分のレベル三も、「こっから上げていってね」という数字だ。


(この世界……どこまでゲームっぽく出来てんだ……?)


 ステータスウインドウ。

 レベル表記。

 前世の記憶。


 材料は揃っている。


 ただ——


「……何のゲームだよ、これ」


 一向にイベントが始まる気配もないし、シナリオフック的な要素もまるで見当たらない。


 色々、試してみたけれど、シンプル過ぎるステータスウインドウは何も変わらない。

 他の有益そうな情報を呼び出す方法は分からずじまいだ。

 身体能力が上がってる感じもしないし、魔法もスキルとかが使える気がしない。


 RPGに出てくるような「冒険者ギルド」も、この村にはない。

 あるのかすら聞いたこともない。


 勇者とか魔王とか、そういう単語は、昔話の中にだけ出てくる。


 地続きではあるが、どこまでも遠い世界の話だ。


 ゲームだと考えるには、あまりにも泥臭い現実の匂いがしすぎている。

 そもそも「レベル」という概念を誰も持ってなさそうなのだ。

 当たり前と言えば当たり前か。


 RPGってより、生産系とかリアルタイムストラテジーとか?

 どんなジャンルであろうと、今のところ、俺が最底辺のモブなのは確定だが。



(……さて、問題はだ)


 カイルは、心の中で話題を切り替えた。


 この手の流れ、モブ転生にも「お約束」というものがある。

 日本人としての記憶がそう主張してくる。

 自分自身がモブでしかない場合、最もありがちなパターン。


 そう——


(身近な人間のステータスを覗いてみて、びっくりするやつ)


 俺のレベルが低いのはいい、どんなゲームでもそんなもんだ。

 両親や村人の水準が軒並み低いのも納得はいく。

 俺に何の才能もなくて伸び率も悪いガチモブってことも、まぁあるだろう。


 ここまでの流れは、「はいはい、モブ世界ですね」で済ませられる。


 ただこういう場合、本人ではなく身近な人間が「特別」だったりするのだ。

 そいつが「主人公」とか「イベントキャラ」ってパターンだ。


 俺には幼馴染がいる。


 同い年で家も隣、家族ぐるみの付き合いがある女の子だ。

 モブ顔が特産品みたいなこの村の中では器量良しな方だと思う。

 幼馴染の女の子とかファンタジー、どう考えても特別な存在だって俺の中の日本人が言ってる。


 もし、あの子が主人公とかイベントキャラだったとしたら……

 俺も、ただのモブキャラではいられないかもしれない。


 良い意味でも、悪い意味でも。


 ……頼むから村焼きイベントの犠牲者パターンだけは勘弁して欲しい。

 


 重たい水桶を抱えて帰路につく。

 向かいの家の庭、見慣れた後ろ姿がせっせと苗畑の雑草を毟っている。


 明るい栗色の髪を二つに結んだ琥珀色の瞳の少女——アリア・メイスン。

 同い年の幼馴染で、物心つく前からほぼ一緒にいた相手だ。


 性格は明るく前向き、活発でよく動き、表情がころころ変わる。

 けど、拗ねたりむくれたりもするし、取っ組み合いの喧嘩だってしてきた。

 勇者の話とかに夢中で、村の外に憧れを持ってたりもする。


(主人公向きっていえば主人公向きなんだよな……)


 喉の奥が微かにひりつくような感覚。


(やっぱ、やめとくか?)


 アリアのステータスを覗く、という行為。

 どこかで「見ない方がいい」という警報が鳴っている気がする。


 だが、同時に、元日本人の意識が耳元で囁く。


 ——この先もどうせ会う人間のステータスを覗かなきゃ気が済まないだろ?


(いや、あんなショボいステータスが覗けたところでも大した意味ないし)


 名前がわかる。逆に初対面でうっかり呼ばないように気を付けなきゃいけない。

 種族がわかる。これも相手が隠してるとかだとヤバいかも。

 年齢がわかる。年齢詐称には引っ掛からないけど、これもうっかり口を滑らすとヤバい。

 レベルがわかる。自分より高い相手には勝てない感じ?これ一つで判断しきれんの?


 ショボさやデメリットを並べ立てて、自分に言い聞かせてみる。


 けど、会う人間全員覗いておいて説得力が、あまりにもない。


 白状しよう。


 自分はモブだとか、ショボい能力だとか言いつつも、(おそらく)俺だけがステータスを見えるという状況に、優越感や好奇心を抱いてしまっている。


 日本人としての俺こそ、完全なモブだった。

 奇跡も魔法もない、どこでも地続きの現実が続いていく世界だった。


 この視界に映り込んだステータスウインドウは、この世界が特別である証で、この世界ならば特別な何かになれるのではないかという期待を抱かせてくれるには足るものだった。


 好奇心と、恐怖と、ゲーム脳。


 天秤がぐらぐら揺れて——


「……ちょっとだけ」


 結局、負けた。


 せっせと雑草取りをしているアリアの小さな背中を見据え、「ステータス」と念じる。


 視界の端に、白い板がまた現れた。


【ステータス】

 名前:アリア・メイスン

 種族:人間

 年齢:10

 レベル:435,494,881,145,145,963


(……………)


「……………………は?」

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