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 ——一度くらい、心の底から笑う高柳さんを見てみたい。

 いつの間にか、俺はそう強く願うようになっていた。


 そこで俺は考えた。

 いつも通りの100点のデートではなく、それを上回る120点のデートをすれば、さすがの高柳さんでも笑顔を見せてくれるのではないだろうか、と。

 とは言え、すでに完璧なデートをしているにも関わらず、それ以上を求められるとなるとこれはかなりの難題だ。なにか”特別なこと”でもしない限り、達成することはできないだろう。


 なにかヒントになるような情報はないかと、高柳さんとのL○NEでのやり取りを見返してみる。

 しかし、必要最低限のことしか伝えようとしない、その淡白な返答からは、何も得るものがなかった。


 ちょっとした落胆を覚えながら、トーク履歴からブラウザバックする。

 表示されたのは、ただの真っ黒な画像をアイコンと背景の両方に設定した、高柳さんのプロフィール画像。

 その時、アイコンの下に小さく表示されたある数字が目に留まった。


『20○○ 6/6』


 それは、高柳さんの誕生日であるらしかった。

 この時初めて、俺は今まで年上だと思い込んでいた高柳さんが、実は年下だったことを知った。

 だが、本当に重要なのは年ではなく、その日付である6月6日のほうだ。

 今日の日付は5月9日。

 スマホのカレンダーで確認すると、ちょうど1ヵ月後の日曜日が彼女の誕生日であることが分かった。

 

 まるで天啓を授かったような気分だった。

 ——誕生日デート。

 120点を叩き出すには、これしかない。

 

***


 その日、俺は近所のスーパーマーケットでレジを打っていた。


「......す」

「ありがとうございます! またお越しくださいませー」


 愛想の悪い中年ババアにお釣りを手渡し、いやいやながらも頭を下げる。

 すると、さっきから俺の後ろに突っ立っている”指導係”の陰毛パーマ男が、偉そうな口調で説教を垂れてくる。


「ちょっと、田中さん。お客さんへの挨拶は、もう少し大きな声でしないと全く聞こえないですよ。

それと、商品はお客さんが大切なお金を出して買ってくれるものなんですから、もっと丁寧にカゴに入れてください。特に卵なんか、さっきみたいな入れ方してるとそのうち割っちゃいますよ」


 この“田中”というのは、俺の苗字だ。

 大学生のアルバイトであるらしいこの指導係は、自分が先輩であることを鼻にかけ、年上である俺に対して些細なことにまでいちいち口を出してくる。


 本当はカゴを投げつけて帰ってやりたい気持ちでいっぱいだった。

 だが、「Z世代のカスは人生の先輩を敬うことを知らない」とネットで話題になっていたのを思い出し、コイツもそうなのだと見下すことによって、なんとか平静を保っていた。


「......い......せ」

「いらっしゃいませ、こんにちは」


 客が来るたびに、当てつけのように挨拶を被せてくるのも癪に障る。

 頭に血が上りそうになるのをこらえながら、会社員風のおっさんが持ってきたカゴの中の商品を、ひとつずつスキャナーに通していく。


 食パン、洗剤の詰め替えパック、長ネギ、6缶パックのビール、そしてパック入りの卵をもう一方のカゴに移そうとしたとき、手を少し高い位置で離してしまい、クシャリという音がした。

 ——別に投げつけた訳でもないし、おそらく、パックの音がしたのだろう。

 そう判断し、ペットボトル飲料に手を伸ばそうとした瞬間だった。


「ちょ、ちょっと!! なにやってるんですか!?」


 いきなり大げさな声を出した陰パ(陰毛パーマの略)が、俺を押しのけるようにして卵のパックを手に取った。そして、わざとらしく両手でゆっくりと回転させながら、割れていないかどうかを確認してみせる。

 ——どうせ割れちゃいねえのに、余計なことしやがって。

 そう心の中で毒づいていると、陰パがおっさんに向かって勢いよく頭を下げた。


「お客様、大変申し訳ございません。こちらの卵が割れてしまっておりますので、すぐに新しい商品と交換いたします。少々お待ちください」

「えぇ、お願いします」


 卵のパックを手に、陰パは店の奥の方へと走っていく。

 そして、レジに一人取り残される形となった俺を、おっさんがジロジロと睨みつけてきた。

 気まずい空気に思わず視線を逸らすと、おっさんはため息をついてポケットからスマホを取り出

す。

 だが、ため息をつきたいのは、むしろ俺の方だ。

 あのバカが大げさに騒ぎ立てたせいで、余計な恥までかかされてしまった。


 やがて、新しい卵のパックを手に持って戻ってきた陰パは、俺のほうを見るなり突然声を荒げた。


「なにぼーっと突っ立ってるんですか!!お客さん待たせてるんですよ!? 早く残りの商品通してください!!」

「......ちッ」


 さすがの俺もこれには堪えきれず、思わず舌打ちが漏れた。

 Z世代というやつは年上を敬う心どころか、他人の心情を想像する力すら持ち合わせていないらしい。


 俺は今日が人生初のバイトなのだ。

 自己判断で行動してミスを起こすより、慎重に動いて確実に仕事をした方がよほど建設的だ。

 だから俺はあえて何もせずに待っていたというのに、想像力のないバカはそんなことすら理解できないのかと怒りを通り越して呆れてしまう。


 「大変申し訳ございませんでした」と執拗なまでに頭を下げる陰パに対して、おっさんが「いえいえ、あなたも大変ですね」と声をかけているのが聞こえた。

 このおっさんもおっさんだ。

 どう見ても、この陰パがわざとらしい一人芝居を演じただけなのにも関わらず、本気で俺が卵を割ったのだと信じているらしい。


 無性に腹が立った俺は、会計を済ませた後もおっさんに頭を下げることはせず、その後、何か喚いてきた陰パの言うこともすべて無視してやった。


***


 俺が突然バイトを始めた理由。

 それは、高柳さんの誕生日プレゼントを買う金が欲しかったからだ。


 母親に小遣いを前借りするという手もあった。

 だがそのときの俺は、なぜか「自分で稼いだ金で買いたい」という妙なプライドに突き動かされ、勢いのまま近所のスーパーに応募してしまったのだった。


 どこからか俺がバイトを始めたという噂を聞きつけたらしい母親は、なぜか号泣して俺を褒め称えた。その夜の食卓には出前の寿司が並び、そのあまりの浮かれっぷりに正直少し引いたが——まぁ、悪い気はしなかった。


 それから少しして、給料の入った封筒を自室の机の上にそっと置いた俺は、デスクトップを立ち上げ、ブラウザの検索バーに『誕生日デート プレゼント』と打ち込んだ。

 『【30選】彼女が喜ぶプレゼント特集!!』という見出しを筆頭に、恋人へのプレゼント案や、それに関連して当日のデートプランまで紹介しているらしい記事がずらりと並ぶ。


 とりあえず、カーソルが当たっていた記事を適当にクリックしてみる。

 『誕生日デートにぴったり!おすすめプレゼントとデートスポット!』というタイトルの下には、目次という章立てと共に具体的なプレゼントやデートスポットの名称がずらりと並らんでいた。

 

 軽く目を通して、俺は愕然とした。


 俺は元々、ゲームソフトや漫画本をプレゼントの候補として考えていた。自分がもらって嬉しいものであれば、高柳さんにも喜んでもらえるだろうと思ったからだ。

 しかし、その記事に書かれていたものは、香水、バッグ、アクセサリー、ハンドクリーム、花など仮に自分が貰ったとしてもまるで嬉しくないものばかりだった。こんな記事では到底参考にならない。


 ——ハズレだな。

 詳しい中身を読む前にブラウザバックした俺は、すぐさま他の記事を開く。

 しかし、俺の期待とは裏腹に、先ほどの記事と大して変わり映えのしないラインナップばかりが紹介されていた。


 ブラウザバックとクリックを繰り返し、表示されているページリンクを片っ端から踏んでいく。

 だが、そのどれもが、最初に開いたものと大差のない内容だった。 

 そして、ブラウザの1ページ目を最下部までスクロールしたとき、ふと俺の頭に、一つの可能性がよぎった。

 

 ——もしかして、俺の感覚ってズレてるのか?


 いや、そんなはずはない。

 気の迷いを振り払うように、シャットダウンのボタンにカーソルを合わせる。


 その瞬間、高柳さんのどこか愁いを帯びた表情が脳裏に浮かんだ。

 

 ——もし、ここに書いてある通りにしたら高柳さん笑ってくれるのかな。

 

 一度だけ、一度だけ試してみよう。 

 気づくと俺は、ろくに読みもせずにブラウザバックした記事をもう一度開き直していた。

 

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