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ーーー



「林太郎、あんた最近よく出かけるようになったわね。なにかあったの?」


 ダイニングテーブルに朝食を並べる母親が、口角に皺をつくりながら言う。

 

「いや別に」


 最低限の言葉で返しつつも、俺は内心上機嫌だった。

 というのも――“彼女ができた”上に、それを母親に隠しているという状況が、密かな優越感を俺に与えていたからだ。


 母親は俺のことを”ろくでもないカス”くらいにしか思っていないのだろう。

 だが実際の俺は、美人な彼女を手に入れた勝ち組であり、人間的な魅力に満ちた存在なのだ。


 といった具合に、ここ最近は常に母親の「人を見る目のなさ」を内心で蔑みながら会話するようになった。

 その甲斐もあり、今の俺は少々小言を言われたくらいではまったく動じない、いわゆる“大人の余裕”を手に入れていた。


「そう。まあ、理由がどうであれ、林太郎が元気になって母さんもうれしいわ。この調子で”仕事”の方も」

「おいッ!!」


 気づいたときには、俺はテーブルを平手で叩きつけていた。

 わざとらしく怯えた表情を浮かべるクソババア。

 その顔を見ていると、怒りが収まるどころか、逆に煽られているような気分になる。


「『今探してるから急かすな』って、もう何回も言ったよな!? 言ったよなぁ!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 そんなに謝るくらいなら、最初から言わなければいい。

 『二度と口にするな』という警告の意味を込めて、みそ汁の入っていた木の椀をクソババアの足元めがけて投げつけた。


 床にぶつかる鈍い音が響き、汁の跡だけが静かに広がる。

 クソババアが泣き出したのを見て、少しだけ気分の晴れた俺は二階の自室へと戻った。


***


 一張羅の黒い革ジャンに、同じく黒で統一したスキニーを合わせた俺は、スマートフォンの内カメラを起動し、画面に映る自分を見て思わずニヤけた。

 テレビの中のアイドルだって、メイクや加工を取っ払えば、どうせ大したことのない顔をしているに違いない。まだ“素材”の状態でこのレベルに達している俺の方がよほどイケている。


 まだ二十代であるにもかかわらず、革ジャンを着こなしてみせる自分のファッションセンスとイケ具合に酔いしれていたその時、スマートフォンの画面にL〇NEの通知が流れてきた。


『着いたよ』


 通知欄に収まるくらいのシンプルな文面を確認して、俺はスマートフォンと財布をポケットに突っ込んだ。


 家のドアを開けると、いつもの通り、黒い軽自動車が止まっていた。


「おはよう、林太郎くん」


 助手席に乗り込むと、ネイビーのカジュアルシャツにクリーム色のワイドパンツを合わせた、いわゆる清楚系を感じさせるいでたちの高柳さんが静かに座っていた。

 スーツを着ている際には一つ結びにしている黒髪も、休日には無造作に下ろされており、胸の高さまでゆるやかに流れている。 


「うん」


 挨拶を返しながらシートに深く腰を下ろす。

 飾り気のない車内には、かすかにコーヒーの香りが漂っていた。

 女らしくないと言えばそうかもしれないが、むしろ親しみやすさを感じさせる分、俺としては好印象だった。


 俺がシートベルトを着けたのを横目に見ると、高柳さんは何も言わずにハザードを消し、車を発進させる。


 高柳さんの運転はテキパキとしている反面、正直結構荒い。

 特にカーブを曲がるときなどはそれが顕著であり、スピードをあまり落とさずに曲がろうとするため、体にかなりのGがかかる。酔いやすい体質の俺としては結構辛い。

 

 ちょうど今、国道の急カーブに差し掛かった所だが、やはり高柳さんはいつも通りに急ハンドルでカーブを曲がっていく。

 口で「もっとゆっくり曲がって」と伝えてもよいのだが、男は気づかいの出来る男だ。そんな無粋な真似はしない。

 

 こういう時は、自分の体を車の左側面に勢いよくぶつけて、さりげなくGがかかっていることをアピールする。


「あら、ごめんなさい」


 ——分かってくれれば大丈夫。

 そう伝える代わりに、俺は軽くうなづいて見せる。口にせずとも自分の意見を相手に伝える、これがスマートな男のやり方だ。

 

 そうこうしているうちに、高柳さんは車を有料駐車場に滑り込ませた。

 ブレーキの感触がわずかに伝わり、車体が静かに止まる。


 外の空気は春の陽気に満ち、さっきまで車内に漂っていたコーヒーの香りが遠のいていく。

 アスファルトの照り返しがやわらかく、風に混じってどこかの飲食店から漂ってくる香ばしいにおいがかすかに鼻をくすぐる。


 高柳さんは駐車券をポケットにしまい、静かに歩き出した。

 俺も隣に並び、同じ方向へと足を向ける。


 細い通りを抜けると、人で賑わうアーケード街に出た。

 左右にはカフェや飲食店、雑貨店がぎっしりと並び、BGMと呼び込みの声が入り混じっている。

 

 正直、かつての俺はこの場所が苦手だった。

 歩いている人間も、立ち並ぶ店も、その全てが、自らの放つ”キラキラ感”に酔いしれているように見えて不快だったからだ。

 

 しかし、今は違う。

 俺自身が、光を放つ側になったからだ。

 美人の彼女を隣に連れた“陽”の存在──それが今の俺だ。


 それを証明するように、すれ違う“キラキラもどき”たちは皆、俺たちを物珍しげに一瞥して通り過ぎていく。

 きっと、奴らの目には俺たちが“絶世の美男美女カップル”にでも映っているのだろう。

 

 ほどなくして、目的の店が見えてくる。

 二十四時間営業のカラオケ店。ここが、俺たちのデートスポットだ。

 高柳さんは慣れた足取りで自動ドアをくぐる。俺もその後に続く形で店内へと入った。

 

 受付カウンターには制服姿の女の店員が立ち、天井のスピーカーからは今流行っているらしい曲が小さく流れていた。

 

「二名様......でお間違いありませんか?」


 人数を確認する女は、どこか訝しげな表情を浮かべていた。

 もしかすると、俺というイケメンが彼女持ちであることに対してショックを受けてしまったのかもしれない。

 だとすると申し訳ないが、若さだけが取り柄といった感じのブスは、俺の恋愛対象には入らない。高柳さんという美人が隣にいる今なら、なおさらだ。 


 そんなことを考えているうちに、気づけば高柳さんは受付を済ませ、部屋番号の書かれた伝票を手にしていた。


「林太郎くん。部屋、4階だって」


 それだけ告げると、高柳さんは足早にエレベーターへと向かう。

 艶のある黒髪を追いかけながら、何気なく振り返ると、あの女店員がキョトンとした表情でこちらを見つめていた。


***

 

 俺は、女歌手のアニソンでも原キーで歌いこなすことが出来る。

 それも、やれ裏声だの、やれミックスボイスだのといったものには頼らない。

 使うのは地声だけだ。


 歌い終わると、画面が採点モードへと切り替わる。

 点数は......78点。

 俺の点数は毎回このくらいなのだが、正直納得がいかない。


「まぁ、カラオケの点数と歌の上手さって関係ないから。プロの歌手だって、カラオケの点数は八十点前後だってよく聞くし」


 無表情のまま手を叩く高柳さんに向かって、俺がカラオケで点数を取れない理由を説明する。

 ちなみに、プロの歌手どうこうの部分は、ネットの掲示板にあった書き込みの受け売りだ。

 

「そうだね。林太郎くん歌上手だもんね」

 

 その言い方は棒読みのようにも聞こえるが、高柳さんの話し方はいつもこんな感じだ。

 つまり、これが彼女の本心なのだ。


 高柳さんは基本的に、俺の言うことをすべて肯定してくれる。

 もちろん、俺の言っていることが常に正しいというのが最大の理由だろうが、高柳さん自身の性格の良さもあるのだろう。

 牛丼チェーン店で初めて彼女を見たときに抱いた第一印象が、決して間違いではなかったと改めて感じる。


 すっかり気分を良くした俺は、間髪入れずデンモクを操作し、次の曲を入力した。

 選んだのはボカロ曲。

 ネットで人気の“歌い手”たちは、男のくせに妙にキンキンした女声で歌ってドヤ顔をしているが、俺はそういうのとは違う。

 本当の“歌うま”とは、男らしい声のまま高音を制する者のことだ。


 ラストの高速パートも危なげなく歌い切り、自分の美声の余韻にひたる。

 完璧だった。まさに原曲超えと言っていい。


 だが、採点画面に表示されたのは75点。

 思わず眉をひそめる。

 やはり、カラオケの採点などというものはまったく当てにならない──改めてその事実を痛感した。


 ちなみに、高柳さんは歌わない。

 それが分かったのは、初めて一緒にカラオケに来たときのことだ。

 俺は一曲目を歌い終えたあと、「次どうぞ」の意味を込めてマイクを差し出し、そのままトイレに立った。

 しかし、戻ってきたときには、彼女はマイクにも触れず、スマホをいじっていたのだ。


 その瞬間、俺は悟った。――ああ、この人は“聴く側”なんだな、と。

 俺の歌を誰よりも真剣に聴きたいから、あえて自分は歌わない。そういうタイプの女なのだと、その時点で確信した。


 それ以来、俺は一度も高柳さんに「歌わないの?」とは聞いていない。

 彼女が望んでいるのは、俺の歌を聴くこと、そして、俺がそれを歌ってやることだからだ。

 それで、完璧にバランスが取れている。

 

 ......気づけば、七時間が経っていた。

 いつも通り歌のレパートリーが途中で尽きたため、同じ曲を三周歌ったのだが、流石に喉が限界だ。 

 

「そろそろ出ましょうか」


 メロンソーダを飲み切った高柳さんが、伝票を手に取って立ち上がる。

 俺の方から何も言わずとも、ちょうどいいタイミングを察してくれる高柳さんは本当に出来た女だ。


 一階まで降りると、高柳さんに会計を任せ、俺は一足先に店の外へ出た。

 外はすっかり薄暗くなり、アーケードに並ぶ店々の看板が明かりを灯していた。

 

 ふと視線を巡らせると、アーケードの端にあるラーメン屋の黄色い看板が目に留まる。

 『◯郎系』と書かれたその文字に、カラオケで酷使した喉が、こってりとしたスープで潤う瞬間を想像せずにはいられなかった。

 高柳さんだって昼食に牛丼を選ぶような女だ。◯郎系も喜んで食べるに違いない。


「高柳さん、メシ、あそこにしよう」


 カラオケ店から出てきた高柳さんに、俺は店の方向を指さす。


「......えぇ、そうしましょう」

 

***

 

「今日も楽しかったわ。それじゃあ、また来週ね」


 運転席の窓を開けた高柳さんは、それだけを言い残して帰っていった。

 俺は自室へ戻るために階段を上がりながら、今日のデートを反芻する。


 高柳さんは「楽しかった」と言ってくれたし、俺も心から楽しめた。

 もし仮に点数をつけるとすれば、100点以外ありえない。


 ただ、これは今回のデートに限った話ではないのだが、一つだけずっと引っかかっていることがある。

 今日一日を振り返ってみても......やはりそうだ。

 

 ——高柳さんの笑った顔、見たことないんだよな。

 



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