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煉の住む小さな町の商店街には、クリスマスのベルの音が響き、華やかな装飾が施されていた。規模は小さいながらも馴染みの店がいくつかあり、そのなかでも倉敷一家がよく通う中華料理店があった。ここでたらふく食べるのが、家族のささやかな楽しみでもあった。
いつものように注文を終え、数種類の料理を取り分けながら皆で頬張っていたその時、中華屋のテレビから突然、耳慣れない警報音が鳴り響いた。それまで映っていたのはクリスマスらしい賑やかなバラエティ番組だったが、『ニュース速報』の赤いテロップが現れた瞬間、場の空気は一変した。
点滅する速報の文字の次に映し出された報せは、店内のほとんどの客の箸を止めさせるものだった。
『本日午後、**宮・響子さまのご容態を発表。東京都内の病院へ移送』
ハッとした表情を浮かべる客が数名。なかでも煉の母と妹・凛の顔色は、みるみるうちに青ざめていった。
一方で煉は、まだ皿の中華を次々と頬張り、滅多に味わえないご馳走に夢中だった。だが、そんな煉すらも振り返らせるような強烈な音が、テレビから「ギーン、ギーン」と鳴り響いた。
番組は急遽中断され、画面は一瞬グレーの背景に切り替わったのち、報道室の映像となった。『臨時ニュース』の文字だけが画面に浮かび、淡々と、それでいて辿々しく語り始めるアナウンサーの声が流れる。急な切り替えに心構えが整っていないのか、「えー」「あー」といった言葉を交えながら、それでも必死に内容を伝えていた。
そしてアナウンサーの言葉と同時に画面へ映し出されたのは、一人の少女の姿。煉の胸は強く打ち鳴らされ、動悸が速くなる。
『本日午後四時ごろ、響子さまのご容態が発表されました。現在は安定されているとのことですが、急な変化に病院関係者は――』
次々と映るその少女の姿。そして耳に飛び込んでくる言葉の数々。煉は血の気が引いていくのを全身で感じた。
「おい……かあちゃん……」
やっと絞り出した声。ふらつきながら立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、すぐに椅子へと崩れ落ちる。
「……なんだい」
母は顔を伏せ、俯いたまま答えた。
「なんだよこれ……」
「煉……お兄ちゃん、あのね」
凛が慌てて声をかける。
「なんでテレビに『舞』が映ってんだよ」
母と凛は、もはや言葉を返せなかった。
「なんで舞が病気だって報道されてんだよ」
問い詰める煉に、二人は目を合わせることすらできず、俯き続ける。
「しかも、なんでこんな深刻に伝えられてんだよ……もしかしてもう長くねえってことか?」
「兄ちゃん、ちょっと落ち着こう」
駿が煉の腕を引いて宥めようとした。だが煉はその手を乱暴に振り払う。
「かあちゃん、それに凛……なんか隠してたのか?」
「そうだよ。あんたが連れてきたあの日、私はすぐに気づいたんだけどね。あのお方に口止めされてたんだよ」
母の声は低く沈んでいた。凛はテーブルの料理を見つめていたが、その視線は宙に漂い、焦点を結ばない。
煉の狼狽ぶりは、倉敷一家だけでなく、周りの客にまで伝播していた。
やがて、静観していた父が何かを悟ったように立ち上がり、煉の両腕を掴むと、そのまま店の外へ連れ出した。凛は三人分の上着を抱えて父のあとを追う。
一瞬騒然とした店内は、臨時ニュースの終了とともに、再び活気を取り戻していった。
――
父が外のベンチに煉を座らせようとする。しかし煉は焦点の定まらぬ目で動揺し続け、父の手を振り払った。
「煉、なにがあったかは知らん。じゃが一旦落ち着け」
父に横っ面をはたかれて、ようやく煉の視線は父に向いた。凛に上着を着せられ、ベンチに座った。
「ええか、煉。落ち着いたか。おめえ、あのお方となんかあったんだってな。かあちゃんから前に聞いたんじゃけ」
父はタバコに火をつけ、煙を吐きながらベンチに座る息子を見下ろした。
「……ああ。俺の、大切な人だ」
「そうか。じゃけぇの……」
父は深く煙を吐き出した。
「お兄ちゃん……わたし……わたしもあの人から聞いたんだ……聞いちゃったんだ」
凛が小さな声で切り出した。
「なんだよ……」
「きゅうりを一緒に取りに行ったでしょ。あの時、わたし、お兄ちゃんの追っかけだと思って責めちゃったの。邪魔しないでって……」
凛は静かに語る。
「その時ね、わたし言ったの。『今は辛い時だから、そっとしてあげて』って。そしたら舞さん、わたしに話してくれたの。内緒にしてほしいって言われたけど……」
煉は俯いたまま膝に腕を置いていたが、そう語る凛の顔を見上げた。
「もうここには二度と来られないから……もう長くはないから……。お兄さんともう少しだけ『大切なお話』をさせてほしいって。煉くんのためにも、わたしのためにも、どうしてももう少しだけ話をさせてほしいって……そんなことを」
「なんでそんな大事なことを黙ってたんだよ!」
煉は立ち上がり、凛の肩を掴んで責め立てた。
「だって……!舞さん、すごく悲しい顔をしてたんだもん!すごくすごく寂しい顔をしてたんだもん!あんな顔で……あんな力ない声で……そんなこと言われても、わたし……なにもできなかった……!」
凛はついに大声で泣き出してしまった。その姿を見て、煉は胸の奥で痛みを覚える。なんて辛い思いをさせてしまったのだろう、と。
「すまねえ……」
凛は悪くないのに、そう続けることができず、煉はまた座り込んだ。
「なるほどなぁ……」
父は喫煙用の大きな灰皿缶にタバコを押しつけ、ジュッと音を立てた。
「煉、おめえの好きにしたらええ」
その言葉の真意を煉は理解できず、半開きの口のまま父を見上げる。
「明日の朝イチ、新幹線を取っちゃるけえ。準備しておけ」
いてもたってもいられないんだろ、と目で問いかける父。
その言葉を受け、煉は立ち上がった。
「とうちゃん……おおきに」
そう言って煉は駆け出した。どうなるかもわからない明日という未来に向かい、一人、東京へ発つために。