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 月明かりがいっそう冴えわたり、闇に包まれた二人を星々がやさしく照らしているようだった。


 どれほどの時間、(まい)(れん)の胸の中で涙を流していたのだろう。か細く震える肩は、煉の大きく頼れる掌に包まれて温もりを取り戻していた。


「……ありがとう、煉くん」

「ああ……」


 身体を少し離し、舞は言った。煉は言葉を続けない。それが正しいのかどうかはわからなかったが、今はきっとそれでいいのだろうと彼は思った。


「わたし……煉くんに、まだ何も言ってない」

「……別に言わんでええ」


 二人のあいだに再び沈黙が落ちる。舞はハンドバッグからハンカチを取り出し、涙をぬぐった。


「ごめんね」


 気丈にそう言う舞。無理に笑みを浮かべているのが痛々しい。唇を震わせて煉を見上げたかと思えば、涙を見せたくなくてまた俯いてしまう。


 そんな舞の姿を見るのは、煉にとって胸が詰まるほど辛かった。目の前で一人の少女が涙を流し、震えながら自分に謝っている。なぜこの子は謝っているのか――その問いには、きっと涙でしか答えられないのだろう。


「……泣きたい時は泣きゃええ」


 煉の言葉に舞ははっとして顔を上げる。


「俺は何も知らんし、わからん。けど、お前がそうしてるのを俺は見てやることしかできん」


 舞はまた下を向き、ハンカチで口元を押さえた。


「俺は舞が泣いたらすぐに慰めてやる。だから謝んな。舞が悪いわけじゃねえんだろ? 何かが舞をそうさせてるんだろ? だから、頼むから謝んねえでくれ」


 煉は舞の震える両肩をそっと包み込む。舞の嗚咽はさらに激しくなった。この不器用でまっすぐな言の葉は、舞の胸に深く、重く、そして大きく響いていた。


「俺は今日変わることができた」


 遠くの海から汽笛が響く。その音が静まるのを待つように、煉は静かに語った。


「なにもかもが今日で変わった。間違いなく舞がここにいるおかげだ。俺は変わらなきゃならなかった。でも、どうやったら、何をしたらいいのか、まるでわからんかった。……お前のおかげだ、舞。ありがとう。本当にありがとう」


 涙を浮かべながら、舞は煉を見上げる。そして先ほどまでとは違う、無理のない、確かな眼差しで彼に笑みを向けた。


「わたしこそ、ありがとう」


 ――


 舞の宿泊先である旅館まで見送り、煉は家路についた。帰宅して父と軽く食事をとり、そのあと駿と勉強をして、そのまま眠りにつく。


 翌朝。煉は再び旅館へ足を運び、舞を呼び出してもらった。


「おはよう。昨日はありがとう」

「いや……ああ、呼び出して悪い。これ、俺の携帯番号だ」

「煉くん、電話に出るの?」


 煉がスマートフォンを使っているとは思えず、舞はそんなことを言った。


「まあ、一応使ってる。電話以外は何もせんけどな」

「SNSとかLINEとかしてないの?」

「ああいうのは俺には無理だ」


 今どきのことに無関心どころか、テレビすら見ている気配のない煉。世情に(うと)い理由がここに凝縮されている、と舞は思った。


「うふふ、煉くんらしいね」

「もう帰っちまうのか?」

「今日、一旦東京に戻るよ。また他の行きたいところがあれば旅行したいと思ってる」

「またここにも来てくれよな」

「うん。冬ごろにまた来たいな」

「そうか。気をつけてな」

「うん。本当にありがとう。素敵な旅だったよ」


 二人は互いに手を振り合う。煉の自転車の姿が見えなくなるまで舞は見送り、煉も何度も振り返りながら自転車を漕いでいった。


 ――


 厳しい夏は過ぎ去り、季節は移ろう。山の(ふもと)の木々は赤や黄色に染まり、人々の心もまた変わっていく。


 待ち焦がれる電話はいまだなく、それでも煉は以前よりも充実した日々を過ごしていた。部活に復帰し、補欠兼コーチとして再びチームに加わったのだ。懸命なリハビリと新しい運動の研究により、煉はこれまで以上に知識と経験を積んでいた。


 冬が近づくころ。学生服の上にダウンジャケットを羽織り、父から譲り受けたスーパーカブに乗って、寒風に凍えながら通学する日々。


 一日たりとも忘れたことのない――あの少女。華奢で、泣き虫で、そして命の恩人であるあの少女の知らせを、煉は思いがけないところから知ることになるのだった。

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